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「まあ……それでは協定違反ですわ。それに、国家の資産を殿下の裁量にて浪費する事は許されぬと思いますけれど。それから、ジェラルドとセラは母国より付き従ってきたわたくしの護衛騎士ですわ。婚姻の後はこの国の騎士となり、王妃の護衛になる者として到着の折に国王陛下並びに王族の方々、そして殿下にも紹介致しましたし、学園でも王城でもわたくしの傍についておりましたけれど……もしやお見忘れでして?」
余りにも常識的な指摘に、流石に分が悪いと感じたらしいラインハルツが舌打ちをする。
「ならば私の資産で賄うまでだ! だいたい娼婦になる貴様に慰謝料など何故払わねばならぬ! ユグランには貴様の様な傲慢な女に制裁を与えた事に感謝されこそすれ、賠償金など払う必要は無い! 貴様が母国でも親や国民から蛇蝎の如く忌み嫌われ、この国へ厄介払いされた事はリーシャから聞いてとうに発覚しているのだぞ! そこの男と女もだ! 我が国の王妃の護衛になるならば今よりその女ではなくリーシャを守るべきであろう!」
「ミンツ嬢は随分と我が国の御事情にお詳しいのですね? ふふ、驚きましたわ。わたくしがこの国へ旅立つ時にはお父様は最後までわたくしを抱き締めて、異国になど嫁にやりたくない、自国の貴族に嫁がせたかった、今からでも同盟を破棄出来ないかと泣いておいででしたし、民も皆泣きながら幸せになってくれと花をささげて沿道を囲んでくださいましたのに、あれは嘘だったのかしら? ねえ、ミンツ嬢。そのお話、一体どなたからお聞き及びになりましたの? わたくし、今も二日に一度はいつでも戻って来いとお手紙を下さるお父様、不自由は無いかと気遣って下さるお母様、戻ってきて欲しい、会いに行きたいと手紙を送ってくれる兄や姉、弟妹の真意をわたくしや家族よりも詳しくご存じの方に是非お会いしてみとうございますわ」
ころころと面白げに笑うイザベラの言葉に、ラインハルツの腕にしがみつくリーシャの目が泳いだが、はっと何かを思いつくと気を取り直して声を張り上げた。
「そんなの言えるわけないわ……! 教えたらきっとその人を酷い目に遭わせるんでしょ! 私にしたみたいに!」
「リーシャはなんと優しいのだろう……こんな恐ろしい女を前にして証人の身を案じられるとは……」
目に涙を溜めて訴える様は、現状を一切考慮に入れなければ庇護欲をそそるものではあるのだが、周囲から見ればしらじらしい演技である事は明らか。
大方そんな情報を与えたものなど存在せず、リーシャが都合良いことをラインハルツ達の耳に吹き込んだのだろう。
壇上の彼らへ向けられる視線の温度はこれ以上ない程冷えていたが、陶酔している彼らはそれに気付かなかった。
「まあよろしいですわ。どちらにせよ、殿下にわたくしを娼婦にする権限などございませんし。ともかく、ミンツ嬢が王妃になるにあたって掛かる費用について、お二方ともご存じない様ですからご説明いたしますわね」
肩を竦めて言うと、イザベラはパチリと小気味よい音を立てて扇子を閉じる。
「まず、わたくしが持参金として持って来た金額と同額の金貨一万枚。こちらは嫁いだ後、この国の教育や医療、福祉に使われ、万が一離縁となった場合には国庫よりわたくしに返還される約束の物ですわ。まずこの一万枚を、ミンツ嬢の実家が用意する必要があります。続いて同盟国となった際の協定により、セルイムに大規模な災害や飢饉が起こった際にユグランが支援する為に組んである予算、金貨二万枚。こちらもミンツ嬢のご実家が用意してくださいましね」
「はっ……!? そんなお金なんでうちが払う必要があるのよ! ライ、そんなのいらないよね?」
「と、当然だ! 万が一必要だったにせよ、貴様の様な悪女を寄越した詫びとしてユグランが用意すればよかろう! だいたい、飢饉も災害も起こった事など無いのに何故用意が必要なのだ!」
予想外の金額に、王太子一行が動揺を顕わにする。
ちなみに平民の中でも収入が良い者の一年の年収が金貨一枚で、王妃が式典で纏う最正装のドレスが一着で金貨百枚程。
リーシャが今着ている豪奢なドレスが金貨五十枚程になろうか。
狼狽えながらも吠える王太子を半眼で見遣ったイザベラは肩を竦める。
「これも王族であれば教えられる筈の事ですが……ユグランとセルイムは地形と気候の関係なのか、およそ三十年ごと、時期を交互にずらして大きな飢饉や災害が起こる事が多いのですよ? 前回は我が国で十五年前に日照りが。その時は予備で足りぬ部分をセルイムに助けていただきましたわ」
一度言葉を切り、丁度その年代には活躍していたであろう年配の貴族達へ向かってイザベラが一礼する。
「そして……あと十五年前後で、セルイムでも恐らくは飢饉が起こりますの。その為にセルイムは支度をしておりますし、その支度で足りない部分はユグランが協定通り援助致しますわ。相互の援助は国民にも貴族にも、広く周知してありますから、セルイムとユグランは長きにわたって良好な関係を築けているのです。まさかご存じないと?」
「そ、そのような些末事、私が知る必要などない! 貴様の様なゴミを押し付けた詫びとしてユグランが用意すればいいだけの事だ!」
イザベラの言葉に、どうやら昔聞いた話を思い出したらしく、ラインハルツは青ざめながらも叫んだ。
本人にも苦しすぎる言い訳と解っているのだろうが、必死にがなりたてるラインハルツにイザベラが溜息を零す。
「まだお話は済んでおりませんわ。これに加え、他国からセルイムに侵略があった場合にユグランが救援に派兵する、或いは敵国……まあわたくしども二国を攻められるのは地理的にグレン王国のみですけれど、グレンの横腹を突いて攻撃を仕掛け、その動きを抑える為に確保されている兵力およそ一万余名。ユグランでは国軍の兵として常に鍛錬し、平時は半数が国の治安維持や街道及び様々な施設の整備と保全に、半数はグレンとの国境近くに詰めて侵攻する隙を与えぬ様威圧する任務に当たりながら、いつでも出兵出来る様整えておりますの」
そこまで言ってから、イザベラはリーシャを見上げる。
「ミンツ嬢の御実家……は男爵家ですから私兵は持てませんわね。でしたら傭兵を一万、王妃の位にある限り常に雇用し、鍛錬して備えていただく必要がありますわ。有事の折に急遽一万もの傭兵を集めるのは不可能ですし、よしんば集められたにしても烏合の衆では話になりませんもの。ああ、ミンツ嬢が在位の間はわたくしの祖国が確保する一万の兵士及び軍備の維持費もご負担願いますわ。今代は嫁がずとも次代が嫁ぐ時まで維持しなくてはなりませんもの」
如何にも淑女らしく微笑んで告げるイザベラに、ラインハルツが再び吠えた。
「その様な事が男爵家に出来る筈がなかろう! リーシャに私の愛を奪われたからとその様な無茶を強いるなど、許せることではないぞ!」
「あら、ですがそれがユグランとセルイムの間に、もう四百年も前から結ばれている協定ですわ。三代に一度、交互に姫を嫁がせ、王妃とする。実際わたくしの曾祖母は当時のセルイム国王の妹君ですもの。血を濃くしすぎないよう、どちらも嫁がない間は距離が離れた国の王族や高位貴族、国内の貴族でも伯爵以上の爵位である程度血が離れた女性を王妃とする事も、協定の中で決められております。何せ同盟国に嫁がせる姫に子爵家以下の血を混ぜるわけにはいきませんから」
「酷い……! また私の家格を馬鹿にして……! ライ様がこんな方と婚約しなくてはならなかったなんて本当にかわいそうだわ!」
反論するに都合の良い言葉にだけ反応して抗議するリーシャに、王太子を囲む一同が深く頷いて反論しようとしたが、その言葉が音になる前にイザベラの声が空気を震わせる。
「そして、先程申し上げた予算や兵力は互いに同額・同量を常に確保して相手国に難事が起こった際には必ず助け合う。そのための協定を破ってでも王太子が妻にしたい女性があった場合は王太子の位を返上し、王位継承権第二位の者が王太子へ、そして王女はその方と婚約を結んで王妃となりますの。もし、どうしてもその方を王妃にするのであれば同じだけのものを女性の実家が用意した上で、王太子と王妃となる女性の資産から莫大な賠償金と慰謝料を支払う。そう、二国双方の法律で決められておりますのよ?」
ご存じなかったかしら、とにっこり微笑んで告げるイザベラの隣に、先程彼女と談笑していた学生の一人が進み出た。
「まさか王太子であるラインハルツが知らない筈が無いだろう? きっと覚悟の上だよ。まあ、そのご令嬢の実家ではとても対価を用意するのは不可能だろうし勿論王太子の資産や予算を全て費やしても無理だろうね。そもそもここ二年ほど、毎月王太子予算が枯渇して増額や追加を毎月要請している様だし」
進み出たのは落ち着いた紫のベルベットに繊細な金糸の刺繍が美しいジュストコールに身を包んだ背の高い金髪の少年で、明るい緑の瞳が面白げな笑みを含んでイザベラを見下ろす。
「ヴィクトール! 貴様、何をしに出て来た!引っ込んでいろ!」
顔を顰めて吠えるラインハルツとは対照的に、その腕にぶらさがったリーシャの顔が輝き、頬染めて媚びた色を浮かべた。
「ヴィクトール様っ、イザベラ様が私をいじめるんです! 私、怖くて怖くて……っ! どうぞこちらにいらして、ライと一緒に私を守ってください!」
現王の弟を婿に迎え、筆頭公爵家の地位にあるエイデン家の長子であるヴィクトールの登場に周囲の貴族たちがざわめいた。
聡明と名高い彼であればこのどうにもならない王太子をどうにかしてくれるのではないかと、期待が高まるが、そんな空気も察せられないままラインハルツとリーシャが叫んで貴族たちに頭を抱えさせる。
お読みいただきありがとうございます。
投稿に際して読み直すと、初めて書くテンプレ婚約破棄にかなり悩みながら書いているな、と言う部分があちこちに見えてお恥ずかしい限りです。
先に投稿した寝取られ令嬢のほうが、あとに書き始めた分好きな様に書く余裕が出来ていた気がします。
お花畑ヒロインと頭の悪い男性陣を書くのはなかなか精神的に来るものがありました。
寝取られとは少し違う形ですが、最後の方ではイザベラのハッピーエンドですので、今しばらくお付き合いいただけると幸いです。
また、もしよろしければブクマ、評価などいただけますと嬉しいです。
次回は明日の13時頃に投稿予定です。
よろしくお願いします。