08 尾行
「……私はあんたに付いてこいなんて言ってないんだけど」
「かわいすぎる彼女が夜の散歩に行くってのに放っておけるわけないっしょ。おもしろそうだったし」
柱の陰に隠れてアンリを尾行する私の頭に顎を乗せるようにして、アンリの様子を窺うハルトは楽しそうだ。
油断したら肩に回される手を払いのけて、廊下を歩くアンリを静かに追う。
このチャラすぎる王子は本当に距離感がバグっている。
「ストーカーなんて俺初体験だわ」
「いつも追いかけられてばかりだったでしょうからね」
「そうそう。最近はそういう女の子は見極められるようになったけどね」
さらっと帰してくる自尊心の高さに呆れたいところだけど、ここまで顔がいいと「そうでしょうね」と納得してしまうから嫌だ。
ため息を吐きながら次の柱へと身を隠した。
アンリは、夜の散歩に行くと言いながら第一男子寮内を出ようとしない。
なにかを探すように見回しながらアンリは、玄関に続くロビーとは真逆の方に歩き出した。
「アンリちゃん、明らかにダイエット目的の散歩って感じじゃないな」
「そうね。何かに怯えてる感じがする」
アンリが後ろを振り返る度に私たちも慌てて身を隠す。
振り返ったときのアンリの表情が緊張しているのがわかって心配になった。
「俺たちに尾行されてるって気付いてるならあんな怯えた表情しないだろうし、もしかしたらマジのストーカーにあってるとか?」
「それなら私に相談してくれるはずよ。言えない事情があるんだわ。私たち大親友なんだから」
アンリと私は物心ついた頃からの友達だ。
世界を股にかける大商人であるアンリの両親は、私の両親の友人だった。
仕事が忙しすぎて留守がちな両親の元、寂しそうにしていたアンリを両親がよく屋敷に招いていたのだ。
家庭教師の勉強も一緒に受けたし、街の子どもたちと遊ぶときもいつだって一緒だった。
アンリが恋愛で悩んでいたときも、私はいつだって婚活のときの知識を総動員して相談にのった。
私とアンリは大親友なのだ。彼女が悩みを打ち明けないなら、きっと何か事情があるはず。
……きっと、そのはずだ。
いつの間にか私は考え込んで俯いてしまっていた。
アンリと距離ができていたことに焦って、次の柱の陰へと移動しようとしたところをハルトに腕をつかんで止められた。
「なによ。アンリが行っちゃうじゃないの」
「大親友を尾行して、言えない事情を探るなんて嫌っしょ。そんな悲しそうな顔した恋人を放っておけるほど、俺は無関心でいられる男じゃないんだよ」
「そりゃ、イヤよ。アンリが自分から話してくれるのを待ちたい。でも、あんな怯えた顔見ちゃったら放っておけるわけないじゃない」
アンリは夜の散歩に出かける前、必ず強ばった笑顔を見せていた。
だから放っておけなくて、こっそり後を付けてきたけど良い気分じゃ無いのは確かだ。
複雑な気持ちで唇と眉の形を歪ませる私に、ハルトは紫紺の瞳で柔らかく弧を描いた。
「そんなに心配しなくても、アンリちゃんはメルちゃんのことが大好きだもん。よし、じゃあ、こうしよう」
ハルトは微笑んで、懐から杖を取り出す。
何をするのかと見ていると、ハルトは杖をくるんと回して、その先をアンリに向けた。
小さな淡い光はまっすぐに飛んでいき、アンリの背中に吸い込まれていく。
その瞬間アンリが勢いよく振り返り、私はハルトの胸に抱き締められる形で柱の陰に身を隠した。
「しー」と囁いたハルトと一緒にアンリの様子を窺い見る。
光が吸い込まれた背中を撫でて、不思議そうに首を傾げたアンリは、そのまま歩いて行ってしまった。
「いやぁ、危なかったね」
「あんた、アンリに何したのよ」
「医療用魔法で心拍数を測る初歩的な魔法があるんだよ。学校でもそのうち習うと思うよ。医療機関でバイタルを見守るための魔法ね。それをアンリちゃんにかけた」
私を抱き締めたまま、杖を懐にしまったハルトは得意げに笑う。
「これで、俺が魔法を解除するまではアンリちゃんが大ピンチに陥っても、俺が一番に気付く。気付いたら、メルちゃんに言うし、もちろん俺がダッシュで助けに行くよ。これで、メルちゃんもこんな尾行なんかしなくたって安心できるでしょ?」
優しく口角をあげたハルトが、宝物でも扱うみたいに私の髪を撫でる。
私はハルトを見上げて眉を下げた。
「ありがとう、ハルト。これで尾行なんかせずに済むわ」
親友の後を付け回すなんて真似、本当はしたくなかった。
これで尾行はおしまいにしていいんだと思うと、ほっとして口角が緩む。
見上げたハルトは、私を見下ろしたままに笑みを深めた。
「ほんとにかわいい顔してんね、メルちゃん。助け甲斐があるというか、なんというか。無防備なところもすっごいかわいいし、めちゃくちゃいい匂いがする」
プラチナブロンドの髪の間をハルトの指が通っていく。
心地よい感覚に絆されそうになっていた私は、ハッと我に返った。
「ちょっ、待って。近い! ていうか、いつまで抱き締めてんのよ」
「いいじゃん。ちょっとくらい。俺たち恋人なんだよ?」
「『仮の』恋人よ! 離してっ」
「やぁだ。もうちょっとこのやわさを堪能させてよ。アンリちゃんいるから、ず~っと添い寝だってできてないんだしさ」
「もうず~っと永遠にアンリには居てもらおうかしら。転寮よ、転寮」
廊下ということもあり、小声で応酬しながらハルトの胸をぐいぐい押しても、びくともしない。
ぎゅうぎゅう抱き締めてくるハルトが首筋に頬を寄せる。
首に吐息が当たる感覚に、さっきの写真撮影で首に当たった唇の感触を思い出してぞわっとした。
「ほんっとに、やめ」
「あ」
「へ?」
もぞもぞとハルトの腕からの脱出を試みていた私は、彼が気の抜けた声と共に突然私を解放したことで、思わずよろついてしまう。
ふらっと足下が狂って、後ろに倒れた先で、私は何者かに肩を抱き留められた。
誰なのかと見上げてみる。
そこには、もさもさの鳥の巣みたいな頭があった。
寮長のセドリックだ。
相変わらずもさもさの前髪で目元は見えないけど、唇はへの字を描いているし、何よりオーラが怒りに満ちている。
「セドリック……」
「わ、し、失礼」
瞬時に氷の女王様の表情になった私が、彼の名を呼ぶと、彼は慌てた様子で私の肩を離して咳払いをした。
「全く。こんなに時間に何をやってるんだ。痴話喧嘩なら自室でやればいいだろう。男子寮でそんな喧嘩をされたら目の毒でしかない」
「またセドリックが邪魔しに来たな。ちょ~っとハグしてただけじゃん。セドリックは経験ないだろうから、驚いたかも知んないけど」
顎を上げてからかうハルトに、セドリックは唇を更に歪める。
説教が始まるかと思ったが、セドリックは腰に手を当ててため息を吐いたのみだった。
「僕は今忙しいから、一言だけ。明日は算術のテストだぞ。こんなところでのんびりしている場合じゃないだろう。勉強でもしてろ! 管理人さんもですよ」
セドリックはハルトを怒った後に、最後に私にもぴしっと指を差してからハルトはアンリが歩いて行った方へと去って行く。
今日のセドリックの私服は、結婚式を思わせる白いタキシードに白い半ズボン、目が痛くなるほどのピンクのストールと靴。胸元にはキャンディーのブローチがいくつも並んでいた。
セドリックの登場と相変わらずの私服の奇抜さに内心ぽかんとしていた私は、セドリックの言葉をようやく理解した。
「なんか、最近あいつ忙しそうだなぁ。……ま、自室でイチャイチャすることには賛成だな。アンリちゃんもまだ帰らないし、帰ってハグの続きを」
「ハルト。あなた私の恋人よね」
「へ? まあ、仮だけどね?」
「恋人なら……私に勉強教えなさいっ! 氷の女王は百点とらなきゃいけないの!」
仕事に夢中になってて、算術のテストの日なんて忘れてたのだ。
ハルトはにんまりと意地悪く笑って小首を傾げた。
「高いよぉ?」
*
すっかり存在を忘れていた算術のテストは、ハルトと勉強をしたおかげで、いつも通り見事百点。なんとかキャラを守ることに成功した。
あの王子はああ見えて教え方がうまい。
勉強に疲れて寝てしまった私に「お代は今度きっちりもらうからね」と嬉しそうだったことだけは恐ろしいが、このテストで良い感触をつかめたのは間違いなくハルトのお陰だ。
ハルトの教えがなかったら、私は今頃目の前のアンリのようになっていた可能性がある。
「ううう、かんっぺきにテストのこと忘れてた」
「商家の娘なんだから算術くらいできなさいよ」
「今は計算機っていう立派な文明の利器があるの!」
机に突っ伏してべそべそしているアンリは赤点だった。
もちろん優秀な魔法学園であるウィンダム魔法学園が赤点をとった生徒を放っておくわけがない。
渡された課題プリントを前にアンリは項垂れていた。
「一時間もあれば終わるでしょう? 隣の教室で待っているわね」
「ありがと~、メル~」
涙目のアンリに、氷の女王様の表情のままに頷いて隣の教室へ行く。
アンリ以外にも課題プリントをやっている生徒が数名居残っている教室には居づらかったのだ。
アンリを待つことにしたのは、彼女は言ってはくれないが、なにか危険な目にあっているのかもしれないと思ったからだ。
帰り道くらい一緒に帰ってあげたい。
恋愛小説を読んでいれば、時間なんてあっという間に過ぎるのだから、待つことだって苦じゃない。
持ってきていた新刊を集中して読むこと二時間。
課題プリントを終えた生徒たちが帰る中、未だ出てこないアンリに私はため息を吐いた。
アンリのことだ。課題プリントが全然わからなくて進んでいない可能性がある。
手伝いに行ってあげようかと本を鞄にしまい、廊下に出たところで、アンリが教室から飛び出してきた。
「アンリ?」
「メルッ……逃げて!」
切羽詰まった声で言いながら走ってきたアンリの背後。
彼女を追うように教室から出てきたのは、色とりどりの花束を手にした、全身黒いスーツに目出し帽を被った男だった。
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