05 中庭でのハグ
これは、弱みを握るチャンスになるかもしれない。
そう思った私は、ハルトが女子生徒といちゃついているベンチの背後にある低木の影に身を潜めていた。
ハルトにしなだれかかった女子生徒は、男慣れした様子で甘えている。
ハルトはこういうその場限りで済みそうな女の子だけを侍らせるために、私という恋人(仮)をつくったはずだ。
彼の思惑は今のところ大成功しているというわけである。
人間は異性といちゃついているときは得てして油断する。
あの隙がなさそうなチャラ王子だって、きっとこういうときには油断してるはずだ。
弱みのひとつでも見つけられるかも知れない。
そしたら、恋人(仮)契約ともおさらばできる!
そう思って聞き耳を立てはじめたのに、なぜか私は猛烈にイライラしていた。
「はぁくん。好きって言ってよぉ」
「言わない。好きはとっておきだから」
「意地悪ねぇ」
クスクス笑いあう二人の声に、気付けば握った拳の手のひらに爪が突き刺さっている。
なんで、こいつこんなに軽薄なの?
なにがこの王子をこんなに女の子に執着させるの?
仮とはいえ、恋人が管理してる寮でなんでいちゃつけんの?
気付けば、腹が立って唇まで噛んでいたらしい。
痛みが出てきたからこのままだと腫れてしまうだろう。
ハルトなんかのために、毎日できる限り手入れしている体に傷をつけるわけにはいかない。
これ以上イライラしていても仕方が無いから、そっとその場を離れようとした私の肩に誰かがそっと触れた。
「メルリアさん、大丈夫ですか?」
心配そうな顔をした男子が私を覗き込んでいる。
誰だったかと記憶をたどって、彼は昨夜夕飯を共にした中のひとりだったと思い出した。
新しい女管理人が物珍しかったのだろう。たくさんの男子が質問攻めにしてきたけど、彼も熱心に私の話を聞いていた覚えがある。
恋人がいちゃついている現場を目撃してしまったかわいそうなメルリアを、彼は助けてくれるつもりなのだろう。
氷の女王様としては「問題ないわ」と振り払うべきところだったが、私は一瞬呆けてしまった。
その間に、彼は私の手を引いた。
「行きましょう。こんなとこで見ていたら辛いばっかりです」
哀れむ表情を見せる彼に手を引かれて、木陰から出る。
引っ張られるようにして庭の入り口あたりまで来ると、彼は怒った表情で振り返った。
「どうして、あんな男と付き合うんですか。ハルトは確かに顔がいいし、第二王子だし、なんだかんだ良い奴だけど、ほんっとうに女癖が悪いんです!」
「ええ、そうね」
あいつって、意外に慕われてるのねとぼんやり思っていると、彼は私の手を両手で包み込んだ。
近い。なんか怖い。
「ハルトはこれからも絶対に毎晩女子を連れ込みますよ。男としてうらやま……じゃなくて、男として最低です! メルリアさんみたいな真面目な方は真面目な恋をするべきです! 真面目な俺みたいな男と!」
「……はあ」
「だから、俺とつきあっ」
「はい、ダメ~」
彼が告白の台詞を言い切ろうという瞬間、私は後ろから抱き寄せられた。
よろけた体はそのまま胸板に抱き留められて、腕を腹に回される。
おなかがぽよんとしていたらイヤだから、ぎゅっと腹筋に力込めて振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべたハルトがいた。
「ハルト!? おまえ、あのかわいいギャルはどうしたんだよ!」
「あのギャルちゃんは納得して帰ったよ。本命が男と消えたんだから、当然でしょ。ねえ?」
見上げる私を頭上から見下ろしたハルトの笑みが若干黒い。
怒ってるっぽいけど、なんで怒られなきゃいけないのか。
ツンと顎をあげた私は、とりあえずはこの自称真面目男子を穏便に諦めさせることにした。
婚活で千人も会ってれば、告白されたことだってある。
断り方は心得ている。
「私はこの通り愛想の無い女。あなたみたいな真面目で人のために一生懸命になれる人とは釣り合わないと思うわ。だから、ハルトが居ようが居まいが、あなたとは付き合えない。ごめんなさい」
断るときは、基本的に自分を下げて、相手を上げておけば嫌な気持ちにはさせない気がする。
真面目くんは、「くうっ」と典型的な悔しがる声をあげて、ハルトをびしっと指さした。
「おまえっ、あんま浮気してるとヤバいぞ。メルリアさんモテるんだからな!」
涙目で走って行った真面目君を見送って、ハルトの腕から逃れる。
腰に手を当てて、私はこの寮の管理人としてハルトに注意をした。
「ここは男子寮よ。女子の立ち入りは原則禁止。申請書もなしに夜に他寮に立ち入ることも禁止されてるわ。今後はやめてちょうだい」
「それは管理人として言ってるんだよな」
「そうよ。私は第一男子寮の管理人ですもの」
「じゃあ、ヤだ。メルちゃんがイヤならやめてあげる」
いたずらっぽく笑ったハルトが距離を詰めてくる。
一歩彼が歩み寄ってくる度に一歩下がると、壁に背中がぶつかってしまった。
にんまり口角をあげて、ハルトが私の頭の横に手を突く。ぐっと顔を近づけてきたハルトに思わず顔をそらしてしまった。
「近い!」
「女の子ってこれすると喜ぶよね。メルちゃんも耳まで真っ赤だよ」
「あんたの顔がいいからよ! 本当にむかつく」
「褒められてる? ありがとう」
心底嬉しそうにしてから、ハルトは「ねえ」と囁いた。
「メルちゃんさっき俺とギャルちゃんがいちゃついてるの見てたよね? なんで見てたの? 見てる必要なかったでしょ。放っておけばよかったんだから」
「あんたの弱みが手に入るかと思ったのよ」
「本当にそれだけ? じゃあ、なんで唇赤くなってんの? 噛んだんじゃない?」
至近距離でハルトが私の唇を見つめている。
そっと唇に伸ばされたハルトの手を掴んで留めた。
「気軽に触んないで。ていうか離れなさいよ。誰か来たらどうすんのよ。バカップルだと思われるわよ」
「じゃあ、メルちゃんが本当はどう思ってるか教えてくれたら離れようかな。メルちゃんは、俺が女の子と遊ぶのイヤ?」
また交換条件を出してくる。
この男は本当にずるい。
背けていた目をそっとハルトに向ける。
彼は想像していたより、ずっと真剣な顔でこちらを見ていた。
その表情にどきっとしたのは、彼の顔がよすぎるのが原因だ。
「……イヤ。私は仮とはいえ恋人よ。周りから見て、私は恋人が遊び倒してる哀れな人になるのよ。私は断固浮気は反対派。どうせなら恋人に大事にされてる幸せな人なんだって思われてたいわよ」
じっと紫紺の瞳を見ながら答える。
私の答えを黙って聞いていた彼は、ゆっくりと微笑む。
月光を背負ったハルトの微笑みは息をのむほど美しかった。
「わかった。じゃあ、残念で仕方ないけど浮気はやめよう。でも、交換条件がある」
「まだなにかあるの」
私が答えたから、ハルトは壁についていた手を離して距離を取る。
不満げな私の声に、彼はあざとく小首を傾げた。
「恋人っぽいことしてよ、俺と。まずはメルちゃんからハグしてほしいな」
「なんでそんなことしなきゃいけないのよ」
「これはメルちゃんのためでもあるんだよ。さっきも自称真面目くんに言われてたじゃん。メルちゃんはモテるって」
「ハグの要求ととその話は何か関係が?」
「俺がめちゃくちゃメルちゃんのこと大好きで、めちゃくちゃかわいがって大事にしてるんだってアピールしたら、ああいう風に告白されたりすることもなくなると思うよ。ガルム国の第二王子の宝物に手出しできる奴なんて、そうそういないだろうし。この野獣だらけの男子寮で無事に過ごすためにも、俺とイチャイチャしといた方がいいんじゃない?」
どうよと言わんばかりに、ハルトはどや顔を見せつけている。
確かに男子寮は年頃の男の子ばっかりだ。
管理人室に鍵はかけるとはいっても、ハルトがテラスに落ちてきた前例がある。
身を守るためにも、彼の条件はのんでも良さそうだった。
「……キスとかはしないわよ」
「『とか』って、なに? 具体的にどうぞ」
「そういうセクハラするんだったら、しないから!」
「ああ、ごめんごめん。はい、どうぞ。おいで」
ニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべたハルトが長い両腕を広げる。
男の人にハグしに行くなんて経験は前世でもない。
羞恥で心臓がバクバクいっている。
獣が襲いかかるときみたいに姿勢を低くしながらにじり寄る私に、ハルトがくっくと喉を鳴らして笑っている。
バカにされてる気がしてむかついたけど、彼の傍まで寄った私は、えいやと彼にとびつくみたいに抱きついた。
精一杯背伸びをして、高い位置にある肩に顎をちょんと乗せる。
細身に見えていたけど、抱き締めてみると彼の胸板には意外に厚みがあった。
他人の体温ってこんなに暖かくて気持ちのいいものだったのかと思い知る。
ドキドキいっている心臓がばれないように少しだけ身を離そうとよじると、ハルトの腕にきつく閉じ込められてしまった。
「ちょっと、苦しいっ」
「ふっ、くく。いや、思ったよりもかわいくて。困ったな。俺の方が先に惚れちゃうかも知れない」
「私は絶対にあんたに惚れないから、あんたが惚れた場合は確定であんたが先になるわね」
「俺もメルちゃんにずっと傍にいてもらうために惚れてもらわなきゃいけないんだから、精一杯頑張らせてもらうよ。覚悟してね」
そっと耳に声を吹き込まれてぞわぞわする。
砂糖を溶かしたみたいな甘い声を振り払おうとぶんぶん首を振ると、わははとハルトが大声で笑い出した。
なんでこのチャラ王子は私をこんなにからかうのか!
怒って離れようともがく私と離す気のないハルトを、いつのまにか寮舎へ続くドアを開けて見ている影があった。
気が付いてそちらを見やると、もさもさの頭にダサい部屋着を着た男子が腰に手を当てて叫んだ。
「ハルト、不純異性交遊はやめろ! 管理人さんも何をやっているんですか!」
全身から怒っているオーラを放つ彼は、昨日挨拶をした第一男子寮寮長セドリック・ドメイアだった。
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