04 【予知】
「はい。ここなら氷の女王様なんてやめちゃっていいよ。俺だけのかわいいメルちゃんになって」
「そんなメルちゃんは、この世には存在しないわ」
食堂から足の長い彼にかなり早足で連れてこられた私は息も絶え絶えだ。
ぜえはあしながら周りを見回す。
ここは食堂から少し歩いたところにある植物園だ。
ガラス張りのドームになっている植物園の内部はほぼ迷路。
ここなら、ハルトの言うとおり、氷の女王様をやめても誰も来ないだろう。
傍らにあったベンチにだらしなく足を投げ出して座ると、ハルトは面白そうに笑って私の隣に座った。
「まぁた修羅場っちゃった直後だったからさ。誰かに絡まれたら面倒だと思って、かなり早歩きしたんだけど、俺はデートだと女の子のペースにばっちり合わせられる男だから安心していいよ」
「あなたとデートする気はないので、心配もしてません」
「じゃあ、これはデートじゃないわけ?」
植物園の奥。男女ふたりきり。
不思議そうにしているハルトを見ていると癪だけど、この状況は『デート』と言えてしまうだろう。
悔しさを表すために、私が唇をとがらせるとハルトはクックと喉を鳴らした。
「やめろよ。そんなかわいい顔されたらキスしたくなる」
「じゃあ、速攻やめるわ。カツ重返してよ。まだ全部食べきってないんだから」
差し出した手に、ハルトは「ああ、ごめんごめん」と言いながらカツ重を乗せてくれる。ちゃんと箸まで持ってきているところは有能だ。
改めて「いただきます」と手を合わせてから、カツを口に運ぶ。
うん。やっぱりウィンダム学園の食堂のおいしさは自慢できるレベルだ。
「メルちゃんって見た目可憐な少女なのに、がっつり食べるんだね」
「好きなのは焼き肉、唐揚げ、こってりラーメンよ」
「おお、男飯」
「それより、なんでこんなとこ連れてきたわけ? 私はアンリとの昼休みを楽しみたかったんだけど」
隣のクラスになった上に、私は女子寮でも過ごせないんだから。長い休み時間である昼休みくらいしかアンリとはゆっくり話せない。
私の文句に、ハルトは意外なくらい申し訳なさそうな表情を見せた。
眉を下げ、目尻を下げ。彼が犬だったら耳もしっぽも垂れていただろう。
「それはごめんな。修羅場っちゃったとこでのごはんは、落ち着かないかと思って。それに、恋人っぽく、ここはかっこよく攫っとこうと思ったんだよ。恋人(仮)になったばっかなんだし、周りにイメージを植え付けなきゃなって」
「あんたがやりたい放題やるために恋人のふりするのは最悪よ」
カツ重の最後の一口を食べて、ベンチから立ち上がる。
さっきのあざといくらいの反省顔は演技だったんだろう。
靡かない私につまらなそうな顔をしたハルトは、困った様子で肩を竦めた。
「マリアベルの件は本当にごめん。今後はああいう風にあんたに迷惑かける子がいないようにするよ。だから、これからも恋人ごっこがんばっていこう!」
「運命の再会設定なんてふわっとした設定でいくのも大変なんだから、私がありもしない馴れ初めを説明しなきゃいけない展開にはならないようにしてちょうだいよね」
「メルちゃんは覚えてないけど、運命の再会については事実だよ」
「……どういう意味よ」
切なげな表情があまりにも意味深で、聞いてしまってから「あ」と後悔する。
これはきっと口説くための常套句に違いない。
じとっと見ていると、ハルトは口角をあげた。
「パルマードの王宮で王子の誕生日パーティーがあっただろ? そこで本当にメルちゃんと出会ったんだよ」
パルマードはウィンダム魔法学園がある国だ。
魔法学園は多くあるけど、ウィンダム魔法学園は隣国の王族が通うくらいの名門校。
その名門校の学園長の娘である私は王子様の誕生日パーティーに呼ばれたことがあった。
その頃には、もう私は【魅了】に目覚めていて、氷の女王様になっていた。
人が多いところに行くと緊張しがちな私は、あの日もド緊張で、両親について挨拶をして回ったことくらいしか覚えてない。
その中に、誰が居たかまで覚える余裕はなかった。
「確かに両親と一緒にいろんな方に挨拶はしたわ。その中に、ハルトがいたってこと?」
「そう。綺麗な女の子だなって思った。正直言って、一目惚れしたわけじゃないんだけどさ。俺のスキルが【予知】なんだよ」
「……その話と【予知】に何の関係が?」
「スキルレベルが大したことないから、未来を見通すことはできない。けど、【予知】のおかげで俺の勘は引くほど当たる。俺はあの出会いの時に感じたんだよ。『俺はこの子に人生狂わされるな』って」
紫紺の瞳が私をとらえる。
ゾクッとするような鋭い光に一瞬全身が硬直した。
「ハルトは、私を傍に置くことで監視してるってわけね。私が、あなたの人生を狂わせないように」
「ちょっとそれは違うんだけどな。でも、傍に置いときたいのは正解。怒り狂うマリアベルから逃げてテラスに降りたときに、メルちゃんを見つけたときは驚いたよ。とうとう俺の人生を狂わせる氷の女王様が現れたのかってね」
「大丈夫よ。私はあんたに関心無いから、人生を狂わせたいとも思わないわ」
「それじゃ困るんだなぁ」
立ち去ろうとしたところで手首を捕まれる。
大きな手のひらに包まれると、私の手首ってこんなに細かったんだと驚く。
ハルトはベンチに座ったまま、私を子猫みたいな顔で見上げた。
「メルちゃんを傍に置きたいのは、俺の人生を狂わせないためじゃない。むしろその逆で、狂わせてもらうためだ。俺の勘だと、『俺はメルちゃんに人生狂わされた方が幸せになれる』。だから、メルちゃんには俺に惚れてもらって、メルちゃん的にも気分良く俺の傍にいてもらいたいんだ。……もう少し一緒に居たいんだけど、ダメか?」
ハルトの濡れた紫紺の瞳がこちらを見上げる。
整っているのにどこか幼さを感じさせるこの顔立ちで甘えられると、世の女性はクラッとくるんだろう。
でも、私は違う。
こちとら婚活で千人と出会っても恋をしなかった女だ。
そんな小手先の攻撃でやられるわけがない。
「ダメ」
握られた手首を振り払って振り返る。
拗ねた子どもみたいな顔をしたハルトに、私は腕を組んで目を眇めた。
「つまり、ハルトは私に人生狂わされて幸せになりたいから私を傍に置きたいのよね。だから、私に恋させて、離れられなくさせたい。そんな見え見えの罠みたいな恋に落ちるわけ無いでしょ。私はあんたに弱みを握られてるから協力してやってるだけ。あんたの弱みをこっちが握れば、脅し返してこんな恋人(仮)契約なんて破棄させてやるんだから。覚悟してなさい」
ふんっと顎を上げて牽制してから私は踵を返して植物園を去る。
後ろでハルトがおなかを抱えて笑っているのが一瞬見えたけど無視した。
いつか絶対弱みつかみ返してやるんだから。
笑ってられるのも今のうちよ!
*
「おかえりなさいッス、メルリア様。報告書ッス」
「ありがとう」
第一男子寮の広いロビーに足を踏み入れた私に、酒臭い男が歩み寄ってきて、報告書を渡してくれる。
彼の名前はヴェイル。
お父さんが直々にスカウトしてきた、第一男子寮の副管理人を務めている男だ。
年齢は私より五つ上の二十一歳。
いつも眠そうな目と同じ色の焦げ茶の髪がくりくりしているところが獣っぽい彼は背も高く、遠目からでも華やかな印象がある。
この気だるげな感じからは想像もできないくらいに仕事もできるし、お父さんが言うには腕も立つらしく、良家のお坊ちゃんが集まる第一男子寮の護衛の意味もかねてここで働いている優秀な人だ。
普通にしてれば、きっとモテてモテて仕方が無いだろうに、いつもまとっている酒の匂いが強すぎて誰も近づけない。
今日も今日とて水代わりに酒を飲んでいるのだろうヴェイルは、酔っ払いとは思えない完璧な報告書を仕上げていた。
「掃除も洗濯も完璧ね。さすがお父さんがスカウトしてきただけあるわ」
「どもッス。庭もちょっといじったんで見といてくださいね。あと、掃除用のアルコールを大量に補充したいッス」
なんでもないみたいな表情で言ってくるヴェイルをじとりと睨む。
「……本当に掃除用なら買ってもいいけれど、あなたが飲む用なのでは?」
「本当ッスよ。掃除のときに飲む用のアルコールッス。俺にとってアルコールは薬みたいなもんなんで。経費で頼みたいッス」
「ダメに決まっているでしょう。もう少し自分の体を大事にしなさい」
氷の女王様の表情のまま深々とため息を吐いてから、私はスクールバッグの中から薬草を取り出してヴェイルに差し出す。
ヴェイルは薬草を見て「うぇ」と嫌そうに舌を出した。
「これめちゃくちゃ苦い薬草じゃないッスか」
「そうよ。めちゃくちゃ苦いわ。今日たまたま植物園に行ったら、あったから摘んできたの。これは肝臓にいいそうだから、煎じて飲みなさい」
「俺、煎じ薬苦手なんスけど……」
「苦手でも飲みなさい。なんで酒ばかり飲んでいるのかは知らないけれど、あなたが体を悪くしたら困るわ」
「大丈夫ッスよ。メルリア様が仕事に慣れるまではがんばるんで」
未だに嫌そうな顔で薬草の受け取りを拒否するヴェイルに眉を寄せる。
お父さんやお母さんと話しているところを何度も見たことがあるけど、本当にこの男は仕事以外の何事に対しても怠惰だ。
それは健康管理面においてもそうで、酒を飲み過ぎては体を壊すことを繰り返していて、両親も心配していた。
それなのに、彼は一向に態度を改める気配が無い。
「仕事の問題じゃないわよ。顔見知りが酒の飲み過ぎで具合が悪くなったら心配するでしょ」
「氷の女王様が俺なんかを心配してくれるんスか」
にやっと笑ったヴェイルがからかってくる。
そうやって怒らせて薬草を引っ込めさせようとしたって無駄だ。
私は頑固者なのだ。
「ええ、そうよ。心配するわ。だから、煎じて飲みなさい。なんなら私が今夜あなたの部屋に煎じに行ってあげてもいいのよ。夜に私がヴェイルの部屋に行ったなんて聞いたら、お父さんは大喜びしてやってくるわよ。お父さんは私に恋をしてほしいのだから」
「……それはめんどくさそうスね。テンションあがったバーグさんはダルいから。仕方ない。受け取りましょう」
軽く肩を竦めて薬草を受け取ってくれたヴェイルに満足して、危うく口角をあげてしまいそうになる。
氷の女王様は笑わない。ハルトのせいで調子が狂いかけている。
「そういや、メルリア様は彼氏ができたんですって? ハルト・ガルム・ガロウ」
「ええ、そうね。運命の再会を果たしてしまったもので。……お父様には言わないでちょうだいね」
最後は語気を強めに言っておく。
ヴェイルの言うとおり、テンションのあがったお父さんは面倒くさい。
私のお願いに「わかってるッスよ」とダルそうに返事をしたヴェイルは、ポリポリ頬を掻いて言いづらそうに口を開いた。
「ま、メルリア様が選んだ方ですし、隣国の第二王子を悪く言うのもあれなんスけど、あいつマジでチャラいので、浮気される覚悟はした方がいいスよ」
「……忠告どうも。庭を見てくるわ。問題があったら報告するから、もう休んで良いわよ。酒は、飲み過ぎないこと」
「はいはい」
ふっと苦笑したヴェイルに、顎をツンと上げて見せてから、寮の庭へ向かう。
ヴェイルの言うとおり。
ハルトの本当の恋人になるのだったら、浮気される覚悟は決めなければいけないだろう。
恋人(仮)だから何も感じないけど、本当の恋人だったら、身を引き裂かれるような思いをするに違いない。
本当にあいつは罪作りな男だ。
ハルトにイライラしながらもやってきた庭は綺麗に手入れが行き届いていた。
花々が咲き誇り、低木も丁寧に整えられている。
私が学校に行っている間の仕事についての報告書を見るに、この庭の手入れはほぼすべてヴェイルが行っている。
こんなに丁寧な仕事ができるというのに、アルコールが切れることを何よりも嫌う性分はもったいなさすぎる。
ヴェイルのことを考えながら広い庭をゆっくり歩いていると、低木の影に見えたベンチに人影が見えた。
驚いて立ち止まると、男子寮だというのに女の声が聞こえた。
「はぁくん。彼女できたんだってぇ? あたしとはもう寝てくれないの?」
「寝ないなら今夜招き入れてないだろ?」
甘い男女の声。
その男側の声は、間違いなくハルトだった。
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