35 幸福の味
手作りのカップケーキを可愛らしい袋に入れてリボンをかける。
第一男子寮の管理人としての忙しい日々の隙間で焼いたカップケーキは、なかなかの仕上がりになった。
ハルトと婚約をして数日が経った。
ウィンダム魔法学園に帰って、ハルトとの婚約を両親に報告すると、私の恋愛出来ない宣言を聞き続けてきた両親は涙を流して喜んでいた。
恋愛できない私に恋愛をしろと言うのは、魚に陸で社交ダンスを踊れっていうくらい無理なことだとのたまっていた娘が、愛する人を見つけて帰ってきたのだ。
両親の感動は大きかったことだろう。
「うちのかわいいお魚を陸にあげてみてよかったよ」とおいおい泣く両親に、私も涙ぐみながら「下手くそだったけど社交ダンスが踊れたわ」と答えた。
ハルトはきょとんとしていたけど、この会話は親子の秘密ということにしておいた。
今日はいつも迎えに来てくれるハルトに「先に帰ってて」とお願いをした。
トラブルに巻き込まれがちな私を心配して「ええ、大丈夫ぅ?」とベッドの中で抱き締めてくるハルトを「大丈夫よ」と押しのけてでも迎えを拒否したのは、放課後の家庭科室でこっそりこのカップケーキを焼くためだった。
かわいらしく完成したカップケーキに「よし」と私が満足の声を上げると、完成を見守ってくれていたアンリがにまにまと笑いながらシャッターを切った。
「ちょ。な、なによ。なんで笑ってるのよ」
「いやぁ? メルってば恋する乙女の顔しちゃってかわいいなぁって思って。いつかはハルト先輩とくっついてくれるかなって思ってたけど、ここまでメロメロになるとは思ってなかったからさ」
「そ、そんなんじゃ、ないこともないけど! 言わないでよ! そういうからかわれ方に慣れてないんだから!」
「わあ! 照れた顔最高にかわいいよ! こんな顔毎日見れてるなんて、ハルト先輩の目に私のレンズを取り付けたいくらいだよ!」
歓声をあげて大喜びするアンリに写真を撮られまくりながら、「うう」と羞恥に呻いた私は、カップケーキが崩れないように鞄に入れる。
そろそろ帰らないと本当にハルトが心配して私を探し出すかもしれない。
彼はあんなに奔放だったのに、実は恋人は束縛するタイプだった。
「俺、こんな風に束縛したくないのになぁ。どうしてもかわいくって。ごめんね」と眉を下げるハルトに「問題ないわ。イヤじゃないから」とサラリと述べると、きつくきつく抱き締められた。
アンリと学校での話をしながら寮への道を歩くこと数分。
第一男子寮と第一女子寮への分岐で別れると、アンリは「婚約おめでとう」と改めて祝福してくれた。
ここ最近、彼女は私の婚約を祝うことが口癖のようになっている。
私もアンリが最愛の彼と婚約したときには同じ言葉が口癖になったことがあるから、よくわかる。
大事な人に大事な人ができることは、とても幸せなことだ。
第一男子寮に帰ると、門前ではセドリックと寮生たちが掃き掃除をしていた。
今日はこのグループが門前の掃除当番だったかと思いながら、「ただいま」と声をかけると寮生たちが笑顔で出迎えてくれた。
「おかえりなさい、奥様!」
「旦那様がひとりで帰ってきた寂しそうでしたよ」
「……その呼び方は恥ずかしいからやめてほしいんだけど」
「「イヤです」」
にこっと口を揃えて返事をする寮生にため息が出る。
私とハルトが婚約したことが知れ渡って以来、第一男子寮の寮生たちは私を奥様、ハルトを旦那様と呼ぶようになった。
この寮の管理人は私で、その婚約者がハルトなのだから、呼び方としては間違っては居ないのだが、ちょっと気が早すぎるし何より照れくさすぎる。
ちなみにハルトはご満悦の様子で「今から練習できていいじゃん」と嬉しそうだった。
寮生にからかわれる私をくすくすと見守っていたセドリックは「そうだ」と言って、ポストから一通の手紙を取り出す。
ガルム王家の紋章が入った封蝋の手紙。
王家の友人であるハルトの妻となった私は、ディハイム陛下とシュタイン様と文通友達になった。
もちろん話すことは、ハルトのことばかりだ。
厳格な王家も、ただの仲良し家族なのだと思うと微笑ましい限りだ。
「ありがとう、セドリック」
「いいえ、奥様」
手紙を手渡してくるセドリックが珍しくおどけた調子で言う。
私はじとりと彼を睨んだ。
「……セドリックまでその呼び方なの?」
「ははっ、本当に悔しい話なんだけど、ハルトとメルリアはお似合いだからね。その呼び方も似合っていると思うよ。何度でも言うけど、おめでとう、メルリア」
おかしそうに笑いながらセドリックは祝福の言葉をくれる。
彼は私に告白してくれたひとりだ。
恋愛感情を知った今、彼がどんな気持ちで私に想いを告げてくれたのかようやく理解できた気がする。
何度あの時に戻ってセドリックに告白されたとしても、私はきっとハルトを選ぶ。
それがわかっていたとしても、彼に申し訳なさは残った。
けど、そんな気持ちで接されることを、きっとセドリックは望まない。
心の中に残った罪悪感を飲み込んで、私は大切な友人である彼に微笑んだ。
「ありがとう。きっと幸せになるわ」
切なく微笑むセドリックは見なかったことにする。
それが、強い彼へのマナーだと思うから。
「掃除よろしくね」と告げてから寮に入り、管理人室へ向かう途中。
大量の書類を抱えたヴェイルに出会って、私は思わず「うわ」と声をあげてしまった。
「人の顔見て『うわ』は失礼じゃないッスかね?」
「だって、その書類。全部私のでしょ?」
「ええ。そうッスね。この後中庭の剪定があるんで、できればこのまま受け取って欲しいんスけど……持てます?」
「モテマス」
こくんと頷いて、大量の書類を受け取る。
持てない量ではなかったが、この量の書類に目を通すと思うとうんざりする。
その気持ちが表情に出ていたのだろう。
ヴェイルは「いやそ~」とクスクス笑った。
そこで私は、はたと気が付く。
「そういえば、ヴェイル。最近お酒のにおいすることが減ったんじゃない?」
「そうッスね。酒代がだいぶ減りました。あんまり飲まなくても、眠れるし集中できるようになったんッスよ。メルリアさんのおかげッス。あーあ、わかってたけど、あっさりハルトのもんになっちまうんだもんなぁ」
「私がハルトと結ばれたのが不満?」
煽るように首を傾げると、「まさか」とヴェイルは口角をあげる。
「ただ、あの塔からメルリアさんが逃げた夜。あんたに大ピンチが訪れて、俺が颯爽と助け出して、実家にもハルトのところにも帰れなくなったメルリアさんを守って生きていく未来もあったかなぁとかは思いますね」
「そんな未来がよかった?」
「忘れたんですか? メルリアさん。俺の好みのタイプは大人の女性ッスよ」
「なら、そんな未来でなくてよかったじゃない」
ヴェイルの冗談に私が笑うと、ヴェイルは肩を竦めて「やれやれ」と微笑む。
抱えた書類をぽんと叩いて、ヴェイルはひらひら手を振った。
「それじゃ、ハルトとイチャつくのもいいッスけど、仕事はしっかりこなしてくださいね」
「当然でしょ。それに、そ、そんなにイチャついてないわよ」
「くくっ。どうだか。そんじゃ、お幸せに」
くしゃくしゃっと私の髪を撫でて、ヴェイルは欠伸をしながら洗濯室へ向かう。
酒が抜けても相変わらず怠惰な態度のくせに、当然のように仕事ができまくる彼を見送ってから、私はすぐそこの管理人室のドアを開けた。
「ただいまぁ」
「おっかえりぃ、メルちゃん!」
ドアの前で待っていたハルトに飛びつかれて、抱えていた書類がひっくり返りそうになる。
慌てる私を余所にスマートに崩れかけた書類の山を受け取ったハルトは、机の上にその山を乗せてから、私を抱き締めた。
「一緒に帰れなくて寂しかったんだけど、この責任はどう取ってくれるの?」
「ちゃんと帰ってきたんだから、それで我慢しなさいよ」
「えー、将来の旦那様に冷たいなぁ」
「奥様の尻に敷かれるくらいがちょうどいいのよ」
後ろから抱きついてくるハルトを背中にくっつけたまま歩くことにも、もう慣れた。
鞄を机の上に置いてから、私は「ハルト」と背後の彼を呼ぶ。
今日は、彼に渡さなければいけないものがあるのだ。
「うん? なに、メルちゃん。なんかお詫び考えてくれたの?」
「今日寂しい思いをさせたお詫びじゃなくて、少し前のことのお詫びを用意したの」
「少し前?」
首を傾げるハルトに頷いて、鞄の中からラッピングしたカップケーキを取り出す。
目をぱちくりさせるハルトに、私はずいっとカップケーキを押しつけた。
「……お誕生日。プレゼントに睡眠魔法かけるなんて真似しちゃってごめんなさい。ちゃんと贈り直したいってずっと思ってたの。ろうそくはないけど、食べてくれる?」
おずおずとハルトを見上げると、呆けた表情をしていた彼はその顔いっぱいに喜びを浮かべる。
抜群に整った顔に子どもみたいな笑顔を浮かべたハルトは私のカップケーキを宝物みたいに大切そうに受け取ってくれた。
「もちろん。メルちゃんも一緒に食べよ」
「私もいいの?」
「美味しいものもまずいものも半分こしあうのが夫婦ってもんよ」
「まずいものはハルトが食べて欲しいんだけど」
「わ~、メルちゃんってばわがままぁ。まあ、そこも好きなんだけど」
言いながら、ハルトはラッピングを開けてカップケーキを取り出す。
小さなカップケーキをそっと半分に割ってから、片割れを「どうぞ」と笑顔で分けてくれた。
こんなに顔がいい人が私の彼氏で、しかも婚約者でいいのか。
ハルトの顔を見る度に感じてしまう疑問を今日も感じながら、「ありがとう」と受け取った。
「いただきます」と丁寧に言ってから、ハルトはそうっとカップケーキを一口かじる。
味は大丈夫だろうかとドキドキしていると、彼はとろけた笑みを見せた。
「おいし~。やっぱりメルちゃんって可愛い上に料理もできる最強のお嫁さんじゃんか」
そんなに褒められるとなんて返せばいいのかわからない。
「そんなことないわよ」とぼそぼそと謙遜の言葉を返してから、私もカップケーキにかじりつく。
外はサクッ、中はふわっを体現した食感と広がる優しい甘み。
我ながら最高の出来となったカップケーキに表情を緩めていると、ハルトがくすくす笑った。
「間抜けな顔してんなぁ、メルちゃんは。氷の女王様だったなんて嘘みたいなんだけど」
「私が氷の女王様だったから、あんたは私を脅して恋人(仮)にできたのよ」
「じゃあ、氷の女王様には感謝しなくちゃだ。でも、やっぱりメルちゃんとは運命の出会いだったな。メルちゃんは全然覚えてないけど、俺の【予知】は大当たりだった」
そういえば、ハルトは幼い頃に私に出会ったと言っていた。
その時、【予知】をしたとも。
どんな【予知】だったかと思い出して、私は笑ってしまった。
「確かに、私がハルトの人生を狂わせたのは間違いないわね」
「そうそう。まさか王家を出ることになるなんて思ってなかったからね。好きでも無い女の子と結婚させられるんだとばっかり思ってたから、人生の大誤算だよ」
くっくとハルトが幼い私と出会ったときに感じた【予知】。
それは、『ハルトは私に人生を狂わされる』というものだった。
見事【予知】通り、ハルトの人生を狂わせた私はからかうように微笑む。
「嫌な大誤算だったってこと?」
「そんなわけないじゃん。わかってるくせに」
くすくす笑ったハルトが私の額に口づける。
くすぐったくて身を竦めた私の顔を覗きこんで、ハルトは艶っぽく紫紺の瞳を細めた。
「ねえ、メルちゃん。今日はキスしたくないの?」
「……わかってるくせに」
ぽそりと答えると、ハルトがいたずらっぽく口角をあげて、キスをくれる。
カップケーキ味の甘いキスが、ハルトと共にある幸せを感じさせた。
【終】
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
こじらせ管理人とチャラ王子のお話は、これにておしまいです。
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感想ももらえますと次回作の参考になります。
楽しく連載させていただきました。次回作もよろしくお願いいたします!