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33 暗い教会


 ガタゴト揺れる乗合馬車の中でうずくまって泣いている女なんて鬱陶しいことこの上ないだろう。

 馬車に乗っている他のお客さんは、私の他にはひとりだけ。

 聖職者の出で立ちをした婦人は、肩を揺らす私をしばらくじっと見つめていたけど、私が瓶底眼鏡を外して涙を拭うと、彼女は私の隣にそっと移動してきた。


「どうされたんですか? そんなに泣いて。なにか困りごとですか?」

「いえ……大丈夫です」


 スンっと鼻を鳴らして首を横に振る。

 今は弱音しか吐けそうにないので放っておいてほしかった。

 でも、聖職者というのは困っている人間を放っておける人種ではない。

 私の背中をさすって、彼女は優しく声をかけてくれた。


「ここには今、私とあなたしかいません。これは神の思し召しです。今ここは懺悔室です。ここには誰もあなたの悲しみを笑うものはいませんよ。話せば楽になるかもしれません。どうかお聞かせください」


 悩みをたくさん聞いてきた人間は聞き出すのも上手だ。

 ひぐっと情けなくしゃくりあげてから、私は口を開いてしまっていた。


「実は私……人生で初めて恋をしたんです。彼はとても素敵で身分もある方でした。そんな彼の隣に立つには、私のスキルはあまりに特殊すぎて……。釣り合わないと思うと、怖くて彼から逃げてきてしまったんです」


 ハルトに第二王子の地位を捨てさせたくないという思いもあった。

 でも、逃げ出した一番の理由はこの恋愛感情が怖かったからだ。

 こんなに大きな不安を、私は前の人生でも抱えたことが無い。

 初めて抱える大きすぎる感情を前に、私は混乱しているような状態に陥っていた。


「臆病になって恋を終わらせてしまったんですね。かわいそうに。大丈夫ですよ。きっとあなたはまた素晴らしい恋ができるはずです」

「もう、恋なんてしたくないんです」


 こんな怖い感情なら、知らない方がよかった。

 膝を抱える腕に力を込めると、婦人は困ったように眉を下げた。


「お嬢さん。あなたの特殊なスキルというのが、どんなものか聞かせていただいても良いですか?」


 ちらりと婦人を見やる。

 心配そうにこちらを見ている彼女に、弱っていた私はぽつりと答えた。


「【魅了】です」

「それは珍しいスキルですね。男性のいる環境ではご苦労も多いことでしょう」


 哀れむような彼女の声に、私は応えられなかった。

 ハルトにずっと守ってもらっていたお陰で、私は男性だらけの環境でも特に大きな苦労はしてこなかった。

 ハルトの存在の大きさを感じて、また涙がにじんだ。


「恋愛を少しお休みなさるなら、うちの教会に来られるといいですよ。女性しかいない教会なんです」

「……私、なんの信仰心もないんですけど、いいんですか?」

「もちろん。神はどんな方にも門戸を開いておられますよ。今夜は遅いですし、宿を見つけるにも苦労されるでしょう。一晩だけでも泊まっていかれてください」


 柔らかに笑む婦人は、まさに聖職者だ。

 弱き者に尽くそうというその気持ちに、今は甘えることにした。

 少しすると、「降ります」と御者に手をあげた婦人と一緒に馬車を降り、少し歩いたところの教会にたどり着く。

 森の中にある古めかしい教会には怪しさを感じたけど、礼拝に行く習慣もない私はこんなものなのかなと思うことしかできなかった。

 でも、教会に踏み入れると、さすがにおかしさに気が付く。


「……あの、ここは本当に今も使われている教会なんでしょうか?」


 訊ねた声は震えてしまった。

 割れたステンドグラス。腐り落ちた木のベンチ。散らばる瓦礫。

 とても現在も定期的に礼拝が行われているとは思えない教会の真ん中で、婦人が笑顔で私を振り返る。

 その笑顔はさっきまで人の良さそうなものに見えていたのに、今は悪魔の微笑みに見えた。


「ええ、もちろん。今でも私たちが使用している立派な施設ですよ。スキル【魅了】の美人さん。高値がつきそうです」


 ここは危ない。

 逃げだそうと踵を返したところで、足がもつれて転んでしまう。

 視界が歪んで、意識を保っていられない。

 歯を食いしばって振り返ると、シスターは杖を持っていた。

 何か魔法をかけられたのだと理解した私は杖を取りだしたものの、反撃をする余裕もなく、気を失ってしまった。


 *


「ハルト。どこに行っていたんだ。おまえの婚約者は誰がいいか決めたのか?」

「そんなに慌ててどうしたんだい?」


 塔から城内へと駆け戻ったハルトは、ディハイムとシュタインを見つけて駆け寄る。

 乱れた呼吸を整えたハルトは、紫紺の瞳に覚悟の光を宿して背筋をまっすぐ伸ばした。


「父上。兄上。勝手を承知でお願いがあります。俺はやっぱり、どうしてもメルリア以外との結婚はできません」


 ハルトの発言にシュタインは脱力したように微笑み、ディハイムは真剣な表情で口を開いた。


「王家である限り、彼女との結婚は許されない。私がそう告げたのは覚えているな?」

「はい。王家でなくなれば、メルリアと結婚できるということだと理解しています」

「自分が何を言っているかはわかっているな? おまえの王位継承権はなくなり、ガルム王家という家名も失うことになる。今までおまえが第二王子として積んできた経歴も努力も、水泡と帰すことになるだろう。それでも、構わないと?」


 ディハイムは厳格な口調で訊ねる。

 並の人間であれば気圧されそうな迫力の中、ハルトは頷いた。


「はい。メルリアと生きられないなら、俺の人生は死んでいるのと同じです」


 ハルトの紫根の瞳は、力強く輝いている。

 覚悟を決めた息子の表情に、父は小さく息を吐いた。


「わかった。おまえは今から、私の息子でも、シュタインの弟でもない。おまえは第二王子の特権をすべて失い、ガルム家からは追放処分とする。……が」


 厳しい口調で話していたディハイムは、突然表情を緩める。

 縁をすべて絶ちきられる覚悟をしていたハルトは、父の穏やかな表情に驚いて目を瞠った。


「おまえには、これからガルム王家の秘密の友人になってもらう。秘密の友人なのだから、お忍びで遊びに来てもらうし、恋人にも当然会わせてもらう。今までの非礼を謝罪せねばらなんからな」

「父上……」

「知っているだろう。私は筋金入りの心配性。大事な息子を放り出せんよ」


 ふっと笑ったディハイムに、ハルトも微笑む。

 静観していたシュタインは、ふたりの和解が済んだところで、抱えていた疑問を口にした。


「ところで、そのメルリア様はどちらに?」

「塔にいるはずだろう。今から謝罪に……」

「違うんです。実は、メルリアは城から逃げ出しまして……」

「結婚するだなんだと言っておいて、早速喧嘩をしているのか、おまえたちは! さっさと連れ戻さんか」

「喧嘩というかですね……」


 あれだけ大口を叩いておいて、当のメルリアに逃げられているのだから、ハルトとしては居心地が悪い。

 どう説明したものかとハルトが頬を掻いていると、突然ドアが開け放たれた。


「何者だ!?」

「ああ、メルリアさんの執事の……」

「ヴェイルッス。無礼を承知で失礼。うちのかわいいご主人様の場所がわかったので、ご報告にあがったんッスよ」

「どこにいました!?」


 駆け込んできたヴェイルは、どこから手に入れたのか地図を手にしていた。

 遠慮無く机にその地図を広げたヴェイルは、城の近くにある森を指し示した。


「ここッス。ここにある教会にいます! 風魔法で飛ばせば、そんなに遠い距離じゃないとは思いますね」


 思ったよりも遠くに行っていなかったことと野宿はしていないのだということに安堵したハルトの横で、ディハイムとシュタインが顔を見合わせる。

 不穏な雰囲気にハルトが「なにかあるんですか?」と眉を寄せると、シュタインが答えた。


「最近その森に入った女性が消えるという噂が後を絶たない場所なんだよ。騎士団でも人さらいを疑って探しているところでね。事件に巻き込まれていないといいんだけど……」


 心配そうに顎をさするシュタインに、ハルトは息をのむ。

 ハルトはさっき【予知】したのだ。

 メルリアに危険が迫ることを。


「……兄上。たぶんこの教会に行けば、人さらいの痕跡をたどれると思います。俺とヴェイルさんは先に行くので、騎士団と一緒に来てくれませんか?」

「父上、よろしいですか?」

「友人の恋人が危機とあらば、馳せ参じるのが騎士であろう。頼んだぞ、シュタイン」

「はい」


 恭しく礼をしたシュタインが走って出て行ったのと同時に、ハルトはヴェイルと共に窓から飛び出した。

 飛ぶように駆ける剣聖の英雄に、ハルトがどうにか追いついて走ることができたのは、必死だったからとしか言いようがない。


「メルちゃんのバカ……! 心配かけんなよ!」


 ぐっと歯を食いしばって、ハルトは自身の足にかける風魔法を強めた。

【作者からのお願い】

お読みいただき、ありがとうございます。

「続きも読む!」と思ってくださいましたら、下記からブクマ、広告下の【☆☆☆☆☆】で評価していただけますと、執筆の励みになります!

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