32 臆病
「失礼します。お水をお持ちしました」
「入っていいよ」
疲労なんて微塵も感じさせない軽やかな声音が聞こえて、ドアを開く。
ドアの前で待っていたハルトは私が登場した瞬間に抱きついてきた。
「メルちゃん~! 会いたかったぁ。どうやって抜け出してきたわけ? 大丈夫だった? 会いに行けなくてごめんね。ていうか、ヴェイルさんと同じ部屋で寝てるわけ? マジで心配なんだけど」
「安心して大丈夫よ。ヴェイルのタイプは大人の女性なんだから。そのヴェイルのお陰でこうして脱走できてるわ。このパーティーが終わるまでに戻らなくちゃいけないから、あんまり時間がないの」
「ヴェイルさんに関しては全然欠片も安心できないんだけど、時間がないのはわかった。メイド服びっくりするくらい可愛いし、そんな中で会いに来てくれたのは嬉しいんだけど、なんか理由があった?」
心配した様子で声をかけてくれるハルトの優しさが苦しい。
私がここに来た理由は誕生日プレゼントを渡すことと告白をするため。そして、先程もうひとつ理由ができてしまったところだ。
まずは当初の目的を達成するために、隠していたカップケーキも差し出した。
「ん? これは?」
「誕生日プレゼントよ。私の手作りケーキが食べたいって言ってたじゃない」
「え~!? マジで作ってくれたの!?」
感激しているハルトの無邪気さが可愛く感じられる。
今まで自分が恋愛できる人間だなんて思っていなかったから気が付かなかったけれど、私はこんなにハルトのことを愛しく思っていたんだと、彼と話していると実感してしまう。
だからこそ、私は自分がくだした決断が悲しくて仕方がなかった。
「まずは、火をふーってしなくちゃ」
「火をふー?」
「王族はやらないの? 誕生日はケーキに立てたろうそくの火を消すのがマナーよ」
「そんなんしたことないけど、すっごい楽しそう」
にこにこと子どもみたいに笑っているハルトのために、ろうそくに魔法で火をつける。
「電気消して」と頼むと、ハルトはぱちんと火を消した。
ふたりきりの部屋にろうそくの明かりだけが灯っている。
ウキウキしているハルトの顔を焼き付けるように見つめた。
「お誕生日おめでとう、ハルト。ハルトが幸せになれますように」
「そんな素敵なおまじないみたいなこと言うんだ。お誕生日って」
「そうよ。ふーって吹き消して」
うまく笑えただろうか。
笑ったつもりの表情で声をかけると、ハルトは火を吹き消す。
窓からこぼれる月明かりのみの部屋で、私はカップケーキからろうそくを抜いて、ハルトに手渡した。
「はい。これでハルトはひとつお兄さんになったわよ」
「さっきめちゃくちゃプレゼントもらったけど、このプレゼントが一番嬉しい。ありがとうね、メルちゃん」
ハルトが愛しげに私の頬を撫でてくれる。
くすぐったさと切なさで涙が出そうになった。
「メルちゃん? どうした?」
ハルトが心配そうに私を呼ぶ。
私は、きっと今様子がおかしいと思う。
私だって、こんな決断をくだすことになるなんて、王子様なハルトを見るまでは思ってもいなかった。
千人会っても、恋に落ちなかった私は、ハルトに出会って恋に落ちてしまった。
こんなに苦しい思いをするくらいなら、恋なんてしたくなかった。
そんな思いを隠して、私は微笑んだ。
「なんでもないわよ。食べてみて。味には自信あるの」
ハルトは心配を拭えない表情をしながらも、カップケーキをためらうことなく口にする。
毒を盛られることもあるだろうに、彼が私の手渡したものを躊躇無く食べてくれたことが嬉しかった。
「ん! おいしい! メルちゃんってば、可愛い上に料理もできちゃうわけ? 結婚したら楽しみだな」
「結婚なんてできないでしょ。ハルトと私は身分が違うんだから」
「できるよ。俺は、王族を……あれ?」
体勢を崩したハルトが転ばないように支えてソファーへと寝かせる。
戸惑っているハルトの目を手で覆ってあげた。
「大丈夫よ。ハルト、すぐに治るわ。十分くらい休憩したら、第二王子として華麗にパーティーに戻れるはずよ」
「……メルちゃん。カップケーキになんか仕込んだ?」
困惑した声を出すハルトに私は「うん」と答えた。
仕込んだ魔法は一時的に眠らせる魔法。
十分くらいで効果が切れるように調整しておいたのは、ハルトが今夜の主役としての責務を果たせるようにだ。
そして、その十分は私が逃げるための十分間だ。
「どうした? なんかあった? 誰かに脅された?」
眠気でくらくらしているはずなのに、ハルトは必死で意識を保ち続けながら私に問いかけてくる。
私の悪意を欠片も疑わないハルトの頭を撫でて、「ごめんね」と囁いた。
「私、ハルトが好きよ。大好き。恋してるって気がついたの。ずっと傍にいて欲しいって思ってる」
「じゃあ、なんでこんな……」
「第二王子のハルトの傍に、私は居られないってわかったからよ」
【魅了】なんてスキルを持っている女が王族に入れるはずがない。
今夜のパーティーを見て、よくわかった。
私は場違いな人間だ。
「私みたいな女が傍にいたら、ハルトは【魅了】に惑わされた愚かな男と思われる。そんなのは絶対にイヤ」
「俺は、それでもメルちゃんが……」
「大丈夫よ、ハルト。ハルトはまた誰か好きになれる。誰かを大切にできる。あなたは愛情深い人だから、私でなくても大丈夫。離れてても、ハルトの幸せを願ってるわ」
「メル、ちゃ……」
ハルトが伸ばした手を私は握らなかった。
がくりとハルトの手が脱力する。
ソファーの上でぐっすり眠り込んでしまったハルトの額に口づけたのは別れのキスだ。
私が誕生日プレゼントを贈ることと告白をすることの他につくったもうひとつのハルトに会いに来た理由。
それは、ハルトに別れを告げることだった。
「おやすみ、ハルト。幸せになってね」
素敵な第二王子をこの国から奪う勇気が無い。
かといって、第二王子であるハルトの傍に居るのに、私はふさわしい人間ではない。
そうなると、私に残された選択肢は、ひとり逃げ出すことしか無かった。
浮遊魔法を覚えておいてよかった。
窓から飛び降りた私は、そのままメイドのふりをして城を抜け出した。
城下町に降りると、たまたま乗合馬車が止まっていたので行き先も見ずに乗り込んでみる。
ハルトが追いかけてくると困るから、少なくとも彼が結婚を決めたという話を聞くまでは実家に戻るつもりも無かった。
月夜に照らされる街道を馬車が行く。
だんだん小さくなっていく城で目覚めたハルトはどうしているだろう。
考えると涙が出て、馬車の中でうずくまるしかなかった。
*
「ッ……メルちゃん!」
メルリアが窓から抜け出した十分後。
悪夢を見たかのような表情で起き上がったハルトは、開かれた窓に駆け寄る。
下を見下ろしても探している彼女の姿は見つからず、ハルトは顔面を覆って「クソ!」と大声をあげた。
ハルトは憤っていた。
メルリアが何もわかっていないことに。
「俺は何を捨ててでも一緒に居たいんだよ、バカ」
うずくまって呻いたハルトは、しばらくして立ち上がる。
第二王子としての最後の仕事をこなすため、彼は会場に戻った。
パーティーも終盤。なんの問題も感じさせない閉幕の挨拶をしたハルトは、父にも兄にも会うことなく、塔へとまっすぐに向かった。
メルリアの無事を監視している英雄がいるはずの塔に。
「ヴェイルさん! メルちゃんどこに居ますか!」
警備をしている騎士たちに止められるのを振り払って、塔の最上階まで上がったハルトは、ドアを蹴破る勢いで開く。
ベッドに座り込んでいるメイドと何やら話している様子だったヴェイルを呆れた目で見やると、彼は「勘違いするなよ」と困った様子で頬を掻いた。
「この子はこの部屋にごはん給仕にきたら具合悪くて倒れちまったんで助けただけなんスよ」
「ハルト様。私、記憶が曖昧で……。あら、そういえばメルリア様は?」
きょろきょろと辺りを見回し始めるメイドに、ハルトはヴェイルとメルリアが実行した作戦をなんとなく察する。
ハルトは、メイドに「問題ないから下がってくれ」と命じて、ヴェイルと二人きりになった。
「どうなってんだ? 俺は、メルリアさんがハルトと合流できたから、あんまり監視していちゃこいてるとこ覗くのもなと思って遠慮してたんだが? なーんで、メルリアさんは約束の時間に帰ってこなくて、ハルトがメルリアさんを探してるんだよ。まさか、ハルト。おまえメルリアさんフッたの?」
怪訝そうな表情を見せるヴェイルに、ハルトは「違う」と渋い表情で首を振る。
「むしろ、告白されたってのに俺がフラれたようなもんだったんですよ」
「……えーと、つまり?」
説明を求めてくるヴェイルに、ハルトは荒々しく息を吐きながら髪を混ぜる。
「メルちゃんは第二王子である俺に自分はふさわしくないって、めそめそして勝手に逃げ出したんです! 俺の意思も確認せずに。めちゃくちゃ身勝手に。恋愛初心者過ぎて不安が大暴走してるんですよ。はあ、こないだの【予知】はこういう意味だったのか……」
「どんな【予知】だったんだ?」
「『メルちゃんが、俺のこと好きすぎて馬鹿なことする』っていう【予知】です」
「お、大当たりだ」
焦るハルトを和ませるかのように、ヴェイルがおどける。
ハルトがヴェイルに警備魔法でメルリアの位置を探ることを頼もうと口を開きかけた瞬間、ハルトの頭にある言葉が浮かび上がった。
勝手に発動するスキル【予知】だ。
「……ヴェイルさん。大急ぎでメルリアの居場所を探してくれませんか。俺は父上と兄上に今後のことを手短に伝えて納得させてきますんで」
「当然そのつもりだったけど、どうした? なんか嫌な【予知】でも?」
片眉を跳ね上げて訊ねるヴェイルにハルトは頷く。
「『メルちゃんに身の危険が迫る』っていう【予知】です。居場所を見つけたら、速攻知らせてください」
ヴェイルの表情に真剣味が宿る。
ハルトは「お願いします」と告げて、塔の階段を駆け下りる。
彼は、もう今後どう生きるかの覚悟なんて、遠の昔に決めてしまっていた。
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