30 カップケーキ
幽閉された塔から、ハルトに告白するために脱走したというのにシュタイン様に見つかり、もう終わったと思っていたのはついさっきまでのこと。
シュタイン様に言われたとおり「ハルトが好きなので、その気持ちを伝えるためと、彼の誕生日をお祝いするためのカップケーキが作りたくて塔から逃げ出してきてしまいました」と白状すると、彼は怒りもせずに「じゃあ、つくりましょう」と言って城のキッチンから人払いをして、私にバターを差し出してくれた。
「バターはこれを使うといいですよ。これに砂糖を加えて、まずは白っぽくなるまで混ぜてください」
「……えっと?」
「趣味がお菓子づくりなので、よく作るんです。レシピは間違っていないのでご安心を。あ、もしかして作り方は知っておられましたか?」
「余計なお世話でしたかね」と言いながら眉を下げるシュタイン様に、私は「いいえ、そうではなくて!」と首と手を振る。
「私を罰したりとかはしなくていいんですか?」
ドキドキしながら訊ねると、バターの次は砂糖を差し出してくれていたシュタイン様はきょとんとしてからいたずらに微笑む。
「罰が欲しいんですか? 物好きな人ですね」
「そ、そうではないです!」
とにかく顔がいいところも悪い笑顔も兄弟そっくりだ。
ハルトのことを思い出して、また彼に会えるだろうかと一瞬不安になってしまう。
うつむく私にシュタイン様は微笑んだ。
「罰など与えませんよ。私はハルトには、あなたがいいと思っています」
「……え?」
「さ、混ぜてください」
ボウルに材料をあけたシュタイン様がゴムベラを手渡してくる。
おずおずと受け取って混ぜだすと、シュタイン様は笑顔で私が混ぜるのを見つめる。
騎士服にエプロンという組み合わせがちょっとシュールだ。
「ハルトが一人寝できないのはご存じですか?」
「ええ」
「今まであいつはメイドを連れ込んで同衾させていたのですが、ここに帰ってきてからあいつは様々なメイドがどんな色目を使おうが追い払っています。案の定眠れていないようで目の下には立派な隈ができていました」
ハルトが私以外とベッドを共にすることを拒絶してくれているのは嬉しいけど、彼が眠れていないことは心配だ。
眉を下げる私が混ぜるボウルに、シュタイン様は溶いた卵を入れてくれる。
「ハルトは今まで誰でもよかったんです。朝まで無事に生きていてくれる女性なら誰でもね」
「……ハルトは、どうして一人寝できないんですか?」
訊ねたのは、弱みを握りたかったからなんて理由じゃない。
ハルトのことが知りたかったからだ。
ちらりとシュタイン様を見上げて訊ねると、彼は少し目を伏せてから答えてくれた。
「私とハルトの母が殺されたのは昨日聞きましたね?」
「ええ、ハルトからは聞かされていませんでしたけど」
「あいつは話さないでしょう。母が殺されたのは、幼いハルトが寝ている隣でのことでしたから」
「お母さんが殺されるところを見ていたってことですか?」
幼かったハルトはどれだけショックを受けたことだろう。
衝撃を受けて顔を上げると、シュタイン様は目を伏せて頷いた。
「敵はすぐに騎士が駆けつけて処分しましたが、敵の狙いはハルトでした。第二王子という存在を疎ましく思う者もいるのです。幼い弟は甘えん坊で母に添い寝を頼んで寝ていたんです。そこに敵が現れて、母がハルトを抱きしめてかばいました」
「……お母様は赤いドレスを着ていたんですか?」
「いえ。……でも、血に染まったドレスは赤くなっていましたね。抱きしめられたハルトも声も出せない状況で、血にまみれていました」
「そんな……」
「寝起きで見た光景がそんなものでしたから、ハルトは隣に誰かいない朝を迎えると怖がって泣くようになりました。大きくなって、ひとりで寝てみようとしても眠れず、少し寝ても悪夢で目覚めてしまう。そんな眠れない苦しみを味わったハルトはメイドを連れ込むようになったんです。冷たくならない体温を抱きしめたまま眠り、目覚めることに、あいつは安心するようになりました」
明け方、ハルトの腕からこっそり抜け出そうとすると、ハルトが必ず弾かれたように起きていたのを思い出す。
そんな過去があれば怯えて起きてしまうのは、当然のことだろう。
知らなかった彼の過去に胸が痛んだ。
「隣で温もりを分けてくれるのなら誰でもよかったハルトが、あなたを求めている。そして、あなたもハルトのために罰を覚悟して塔から抜け出すほど彼を求めている。そんな二人を引き裂きたいとは、私は思いません」
「……でも、陛下からはお許しをいただけませんでした」
「そうですね。陛下である父上の命令は絶対です。私がどんなにメルリアさんを推しても、ハルトが王族である限り、父上には逆らえません。もちろん私も。ですから、今はこうしてこっそり協力しているというわけです」
「陛下がハルトの婚約者を決めたら、認めるしかないということですよね」
「王家の人間が王に反抗することは許されることではありませんから。私が次期王になったときに、その前例を持ち出されて王家がみんなして反抗してきてはたまりません」
シュタイン様の言い分はもっともだ。
ハルトは王族である限り、きっと私を選ぶことはできない。
ハルトが私を選んでくれるという考えは、もしかしたら甘かったのかもしれない。
それでも、不戦敗で終わらせることができないほどには、恋愛感情というものは強すぎた。
「ハルトが王家の人間として責務を全うすることには反対しません。彼が陛下の勧める相手と婚約しても仕方がないと思っています。……でも、このケーキは届けたいんです。彼が食べたいって言ってたから」
生クリームを加え、ふるった粉を混ぜ合わせる。
ハルトとは結ばれないのかもしれない。
それを覚悟で、このケーキと一緒に想いを届けたかった。
シュタイン様はカップケーキの型を用意しながら、優しく笑いかけてくれた。
「王族として生きるハルトを守りたいのなら、あなたは想いを告げるにしても潔く去るべきです。ハルトと共に生きたいのなら、彼に王族であることを辞めろと願う他ありません。どちらを選ぶかは、メルリア様が決めることでしょう。どちらにせよ、あなたとハルトが幸せになることを私は願っていますよ」
「ありがとうございます」
「さ、型に入れましょう」というシュタイン様と一緒に混ぜた材料を型に注ぎ、オーブンに入れて待つこと十数分。
できあがったカップケーキは、とてもおいしくできあがった。
味見をして「うん!」とシュタイン様とうなずき合った私は、ろうそくを一本拝借してカップケーキに立てる。
生クリームでデコレーションした手作りカップケーキはかわいらしい仕上がりになった。
「最後の思い出づくりになるか、思い出の最初の一ページになるのかはわかりませんが、応援していますよ。あなたが抜け出したことは、私は知らなかったことにします。パーティーに潜入するなら、ひとつアドバイスをしましょう」
「はい。なんでしょう」
変装している私の正体に速攻気付いたシュタイン様からのアドバイスなんて聞かないわけにはいかない。
ぴしっと背筋を正すと、シュタイン様はゆるく微笑んだ。
「美しいメイドは居ますが、あなたほどのメイドはなかなか居ません。その華やかさは隠せるものではありませんから、できる限り影を潜めて、こっそりと参加した方がいいですよ」
「こっそりと、ですか」
プラチナブロンドの髪は確かに目立つ。
彼のアドバイスに「わかりました」と頷いた私は、その晩はシュタイン様が用意してくださった部屋で眠らせてもらった。
その部屋で影を潜めて迎えた夜。
ハルトの誕生日パーティーの時間にこっそりと抜け出した私は、アドバイス通り、控えているメイドのふりをして会場の隅っこに陣取った。
みんながみんな着飾った紳士淑女にしか目がいっていない。
メイドもたくさんいるけど、忙しそうに動き回っているし、これならきっとバレない。
影を極限まで薄めて、ハルトに会える機会をねらう作戦だ。
歓談を楽しんでいた会場が、突然静まる。
顔を上げると、階段の上からハルトが陛下とシュタイン様と一緒に降りてくる。
黒を貴重とした服に身を包んだハルトは、もう見るからに王子様だった。
学生服を着ているハルトとも、寝起きで寝ぼけているハルトとも違う。
どこからどう見てもガルム国の第二王子だ。
紫紺の瞳をキラキラ輝かせて、ハルトは前に歩みでる。
客人にハルトが微笑みかけると、それだけで黄色い声があふれた。
「私の誕生日に集まっていただき、ありがとうございます。本日はお楽しみいただけますと幸いです」
丁寧な口調で言って、ハルトが恭しく頭を下げる。
キラキラしている彼に、会場はざわめき、私の心もざわめいた。
「……ほんとに、王子様なんじゃない」
わかっていた事実なのに、実感するとハルトが遠くの人に思えて仕方がなかった。
【作者からのお願い】
お読みいただき、ありがとうございます。
「続きも読む!」と思ってくださいましたら、下記からブクマ、広告下の【☆☆☆☆☆】で評価していただけますと、執筆の励みになります!
感想一言だけでも貰えたら嬉しいです!
よろしくお願いいたします!




