29 逃亡劇
この塔にはメイドが三食の食事を運んでくる。
客人向けの豪華な食事をワゴンに乗せて運んできたメイドは、食事が終わるとワゴンに空いた皿を乗せて城の食堂に戻すまでが仕事だ。
今日の夕飯が抜け出すチャンス。私は、メイド服を着て、瓶底めがねをかけ、プラチナブロンドの髪をふたつの三つ編みにまとめた地味メイドスタイルになって、その時を待った。
「乱暴なことしちゃダメよ、ヴェイル」
「俺ほど優しい男もなかなかいないッスから大丈夫ッスよ」
この部屋には時計がないが、ヴェイルはこの塔が庭に落とす影の位置で時間を把握していた。
彼が言うには、ここにくる真面目なメイドはこの塔の影の先端が、向かいの建物の三つ目の窓をさす時間に必ず夕飯を届けに来るらしい。
本当にヴェイルは有能すぎて驚く。
ヴェイルの言うことを信じて、窓の外を見ていた私は、じっと三つ目の窓を見つめる。
もうすぐ塔の影の先端が、三つ目の窓を指し示そうとしていた。
「さて、メルリアさん。捕まらずに行けそうッスか?」
ヴェイルが目を眇めて、煽るような口調で言う。
捕まれば、この逃亡劇はゲームオーバーだ。
国王命令を守らずに、塔から逃げ出して第二王子との接触を計るだなんて真似は、大罪扱いされてもおかしくはない。
今度こそ、なんらかの刑を言い渡されたところで、私は文句を言うことはできないだろう。
その前にヴェイルが助け出してくれて、この国から逃れることができたとしても、トゥルーリア家という身元が知られている以上、私は二度と実家に帰ることもできなくなる可能性がある。
そうなったら、ハルトに告白することなんて夢のまた夢の話になってしまう。
危険すぎる逃亡劇だけど、私は私の思いをきちんとハルトに伝えなくてはならない。
「絶対捕まらずに行くわ。ハルトにちゃんと気持ちを告げなきゃ。やっと見つけた好きな人なんだから、逃すわけにはいかないの」
「ディハイム陛下に婚約者を決められたら、ハルトが断れないかもしれないッスよ」
ヴェイルが心配そうに眉を下げる。
優しい彼に、私は微笑んだ。
「ハルトに告白して、彼が私を選んでくれるのならそれが一番よ。だけど、ディハイム陛下が勧める婚約者を彼が選ぶのなら、それはそれで仕方がないと思うわ。私がやっと手に入れた恋が、ハルトにとって同じ価値かどうかはわからないから。でも、伝えもせずに選ばれないのは、戦わずして負けるようなものだから、絶対に嫌なの」
曖昧な笑みでヴェイルを見やると、彼は私の傍に歩み寄ってくる。
彼も塔の影の位置を確認しきたのだろうと思って、窓の前から体をずらしたのに、ヴェイルは私の肩をつかんで抱き寄せた。
栗色のふわふわした髪が首筋に当たってくすぐったい。
何事かと戸惑っている私に、ヴェイルはふっと笑った。
「大丈夫ッスよ。ハルトは、きっとメルリアさんを選びます。誰にも捕まりさえしなければ、今度俺に会うとき、メルリアさんはハルトのものだ。だから、今だけちょっと許してください」
「……確認するけど、ヴェイルのタイプは大人の女性だったわよね?」
「そうッスよ。大人の女がタイプです。だから、安心してください」
抱きしめてくる腕の力があまりに優しくて暖かくて勘違いしそうになる。
けど、ヴェイルのタイプが大人の女なら年下である私に好意を抱くはずはない。
友愛の意味でもハグができなくなると真面目に思っているのかもしれないと感じて、私は彼のハグを受け入れた。
「そろそろッス」
さっと身を離したヴェイルがドアに向き合う。
窓の外を確認すると、塔の影の先端が三つ目の窓を指し示した瞬間だった。
コンコンと規則正しいノックの音が聞こえて、私は「はい」と返事をする。
ドアが開き、食事の乗ったワゴンと共に彼女が入ってきたところで、ヴェイルが胸元に隠していた杖を振る。
チカッとメイドの周りに光が飛び、彼女がぐらりと体制を崩したところをヴェイルが抱き留めた。
「さて、このメイドさんは今からメルリアさんッスよ。今から彼女はパーティーが終わる頃まで眠り続けます。この子が起きるまでに帰って来れなきゃ、メイドさんが入れ替わってることがバレて終わりッス」
言いながら、私のベッドにメイドを寝かす。
今から彼女は、このベッドで眠ることで『悲しみで体調を崩したメルリア・トゥルーリア』になるのだ。
「じゃ、お気をつけて。何かあれば助けに行きますけど、トラブルには巻き込まれないように。初めての恋、叶うといいッスね」
眉を下げて笑うヴェイルに、私は力強くうなずく。
メイドが持ってきたワゴンに手をかけて、ドアを開いた。
「ええ。ありがとう、ヴェイル。必ず叶えるわ」
ワゴンを押してドアを開き、塔を降りる。
周囲を警備している騎士たちに顔を見られないよううつむいて歩いていると、ひとりの騎士が私の押しているワゴンを覗きこんだ。
「今日は囚われの姫君は食事を食べられたのか?」
気さくそうな騎士は、笑顔で訊ねてくる。
ここで早速バレるわけにもいかず、私はうつむいたままぼそぼそと答えた。
「今日は体調が悪いご様子で、食べられませんでした」
「マジでか。大丈夫かなぁ、姫君」
心配そうに眉を寄せる騎士は良い人なのだろうけど、話し込む訳には行かない。
瓶底めがねを押し上げて、「では、失礼いたします」とまたぼそぼそ告げて、私はそそくさと塔から離れた。
塔から離れてしまえば、そんなに顔を下げていなくても構わない。
警備の騎士の数は減るし、城のメイドは数え切れないほど居るのだ。
顔を一人ひとり覚えている者なんて、よっぽど優秀な人くらいだ。
このワゴンを返すための食堂の場所は、ヴェイルが警備魔法を応用して、千里眼のようにして城を見て回ったことで確認済みだ。
有能な部下を持つと上司は楽ができて助かる。
本当にヴェイルが辞めなくてよかった。
目的の場所を目指していると、時々高貴なお嬢様とすれ違う。
華やかなドレスを着こなすご令嬢はみんな明日のハルトの誕生日パーティーに出席予定なのだろう。
まだ前日だというのに、やたらと豪華なドレスを着ているのは、ハルトと城内で偶然出会ったときに、最高の自分で出会うためだというのは、容易に想像がつく。
こんなにかわいらしいお嬢様方がたくさんいるのなら、ハルトは私を選ばないかもしれないと思うと不安で仕方がなかった。
そういえば、ハルトは言っていた。
恋をすると怖いものが増えると。
本当にその通りだ。ハルトが私を選ばなかったときのことを考えると怖くて仕方がない。
恋をするというのは恐ろしいことだ。
こんなに怖いことばかり増える感情だなんて知らなかった。
私が恋することを怖がっていると言っていたのも納得がいく話だ。
考え事をしながら、廊下を曲がり、食堂に入る。
食器を下げる棚を見つけて、ワゴンから食器を下げていると、後ろに誰かが立った。
もしかして、食器を下げるときにはこの城独自のルールがあったりしたのだろうか。
緊張して振り返ると、騎士の服が目に入る。
まさかと緊張しながら顔を上げると、そこにはシュタイン様が立っていた。
「仕事熱心ですね。ご苦労様です。時間的にそのワゴンは塔に運ぶ食事用かと思うのですが、合っていますか?」
微笑むシュタイン様に固まってしまった私はあわててうなずく。
変装をしているため、見た目はバレないと信じているけど、声はどうにもならない。
口をつぐむ私にシュタイン様は首を傾げる。
「時間を考えると食事を持って行ってすぐに戻ってきていませんか? 食事に手をつけた様子もありませんし、メルリア様は具合でも悪いのでしょうか?」
心配そうな声で訊ねられたので、こくんと頷く。
シュタイン様は私が想定した以上に遙かに優秀な人だったらしい。
少しの情報で推察できる状況を次々に言い当てる彼に内心冷や汗をかいていると、シュタイン様は高い背を折り曲げて私に顔を近づける。
優しく微笑む彼が瓶底めがねを見つめているのに愛想笑いを浮かべると、シュタイン様はすっと笑みを消した。
「メルリア様。どうしてここに居るのか、嘘を吐かずに事情を話していただけますでしょうか?」
……ああ、終わった。
観念した私は静かに口を開いた。
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