03 ビンタの行方
「――と、いうわけで恋人(仮)になったの。アンリ。もしも私の身になにかあったら、ハルト・ガルム・ガロウに復讐してちょうだい。あの王子のせいで私はこんなことになっているんだから」
「ごめんッ、メル! あたし、イケメンと美女には手出しできない病に侵されてるの……! おっ、その憂いげな視線いいねぇ。いいよぉ」
食堂の片隅にバシャバシャとシャッターを切る音が響く。
お昼休みだというのに、カツ重を口に運ぶ私の撮影に夢中になっているのは、未だサラダパスタに手もつけていない幼なじみのアンリ・バドゥ。
肩までのサラサラの赤髪と金色の瞳が印象的な溌剌とした彼女は、小さい頃から一緒にいるため、私の本性を知る数少ない人間のひとりだ。
でも、アンリは血が繋がっていないので【魅了】の効果対象だ。
【魅了】が発現した十歳の誕生日以来、アンリの前でも私は氷の女王の仮面を被り続けている。
「憂いげなメルを撮れて幸せなんだけど、そんなに心配することないんじゃない? ハルト先輩は、二年生なんだし。そんなに接点もないでしょ。今は修羅場演じちゃった後だから、女の子の目がちょっぴり痛いけどね」
「ちょっぴりどころじゃないでしょう。人を殺しかねない目をしてるわよ。特にマリアベル先輩は」
今日制服姿を見て判明したことだけど、チラッと視線だけ動かした先にいるマリアベルは三年生で、マリアベル『先輩』だった。
ウィンダム学園では、学年ごとにネクタイの色が違う。彼女のネクタイは緑色で三年生出あることを表している。ちなみに私たち一年生は赤色、二年生のハルトは黄色のネクタイだ。
マリアベル先輩は恋に生きる乙女だったようで、食事も喉を通っていない様子だ。
机に伏して泣いては、時々遠目に私を睨んでいる。
その周りで女生徒が「大丈夫?」と慰めている姿は、前世の女子校時代に何度か見たことがある。
泣いてる友達を見た女は正義感を振りかざして徒党を組むのだ。厄介この上ない。
「確かに視線だけで殺されちゃう感じするけど、こういう嫉妬されまくっちゃう展開は、メルの好きな恋愛小説にありがちな展開じゃないの? 楽しんじゃえば?」
「楽しめるわけがないでしょう」
「お、怒った顔も綺麗すぎる……!」
バシャバシャとまたシャッター音がする。
アンリは良い子なんだけど、私の顔が好きすぎるのが問題だ。
同級生の彼女が隣のクラスだったことは寂しく感じていたけど、同じクラスだと授業中でもシャッターを切っていた気がするので、むしろよかった気がする。
「メルも諦めて恋しちゃえば? ハルト先輩は恋愛マスターなんだし、好きにさせてくれるかもよ」
「彼はいつか政略結婚するから、今この瞬間だけの恋愛を楽しみたいって言ったのよ。そんなクズ男と恋愛できるもんですか」
周囲に聞かれないように声を潜めて文句を言うと、アンリは猫みたいな目をにんまりさせる。
ふふふと笑って、アンリも小声で返してきた。
「恋愛なんていつだって本気じゃなくていいんだよ。メルは真面目だから、恋愛の先に必ず結婚がなきゃいけないくらいに思ってるかもしれないけど、あたし達まだ学生なんだよ? 恋して失敗するなら早めがいいんだし、恋愛ごっこする中で恋の練習しとけばいいじゃん」
「さすが、アンリ・バドゥ様。隣国に貴族の婚約者がいる方は言うことが違うわね」
「やだわ、メルリア・トゥルーリア様。婚約の申し出を一切合切断ってきたのは、あなたじゃありませんこと」
嫌みっぽく目を眇めると、アンリも同じように目を眇める。にまっと笑ったアンリとは対称的に私は小さくため息を吐いた。
アンリには婚約者がいる。政略的なものじゃなくて、アンリは彼に恋に落ちて婚約を結んだのだ。
アンリは恋愛が出来る側の人間。出来ない側の私と彼女の恋愛観には深い溝がある。
「ちょっと、あなた」
顔を寄せ合って話していた私とアンリは突然かけられた声に肩を跳ねさせる。
見やった先には、椅子に座っている私を見下ろすマリアベル先輩とその取り巻きがいた。
目尻が真っ赤だ。きっとたくさん泣いたんだろう。
物語を読んでいても思うけど、恋をするということはとても大変なことだ。
嫉妬もするし、大きく傷ついたりもする。
そんな大変なことを当たり前みたいにこなす人たちは私にとっては尊敬対象だ。
マリアベル先輩を内心憧れの眼差しで見上げていると、先輩はキッと怖い顔でこちらを睨んだ。
「本当の、本当に、ハルトと付き合ってるんですの? あのハルトが、誰かのことを本気で好きになるだなんて思えないのですけれど」
「ハルト先輩ってそんなに人のこと愛せない感じなんですか?」
怖いもの知らずのアンリがきょとん顔で首を傾げる。
マリアベル先輩は誰にでも当たり散らすような非常識人間ではなかったみたいで、罪のないアンリには穏やかに頷いた。
「ハルトは入学以来、本当にたくさんの女の子を自室に招いてきましたの。でも、来る者拒まず去る者追わず。頼めば自室に招いてくれるけれど、告白はしないし、されないようにかわす人なんですの」
なるほど。今この瞬間だけの恋愛を楽しみたいというクズ発言は本物だったらしい。
告白されたら断らなきゃいけないし、断ることになったらその子とは恋愛できなくなる。
かわすというのは、非常に合理的な判断だ。
ハルトのあまりのチャラ男ぶりに感心していた私ば、ビシツと勢いよくマリアベル先輩に指さされる。
「それなのに、あなたは彼の告白を受けたと言うんですの!?」
受けてない。受けてないけど、受けたと言わなければ秘密をバラされることになるので、私は堂々と頷いた。
「ええ。彼から告白を受けました。運命の再会を果たしましたので」
「運命の再会って何なのよ!」
「ハルトも言っていたと思いますが、幼い頃の社交界で彼は私に一目惚れしてくださっていたんです。そして、私も同じように彼に幼い頃に一目惚れしていたというだけの凡庸な話です」
恋愛未経験者だから、人がどういうタイミングで恋に落ちるのかなんて知らない。
ハルトが言っていたことを元に適当なことを話すと、マリアベル先輩は目に涙を浮かべて顔を真っ赤にした。
「ハルトが私を愛していないことなんてわかっていましたわよ。いましたけれど、こんなぽっと出のあなたに奪われることは納得いきませんわ……! ひっぱたいてやりたいくらいですわ!」
怒りが抑えられないのだろう。
マリアベル先輩の手が震えている。
そこまで激しい感情を人に持たせてしまう恋愛というものは、やはり凄まじすぎる感情だ。
体感したことがないからわからないけど、きっとコントロール不可能なものなのだろう。
私は不本意とはいえ、マリアベル先輩に嘘を吐いて傷つけた。
ならば、マリアベル先輩には私をひっぱたく権利があるはずだ。
食べかけのカツ重に箸を置き、私はスッと立ち上がった。
「どうぞ。ひっぱたいてください。それで、マリアベル先輩の気持ちが晴れるのなら」
周囲がざわめく声が聞こえた。
アンリも「ちょ、ちょっと!? 何言ってんの、メル!」と焦った声を出している。
食堂の片隅で行われる女の戦いにみんな興味津々だったんだろう。
さっきから視線は感じていたが、この観衆の前で頬をひっぱたかれるのは氷の女王様のイメージ的にはいまいちだなとしか感じなかった。
悪いことをしているのだから、ひっぱたかれても仕方が無い。
じっとマリアベル先輩の目を見ていると、先輩は悔しげに唇を噛んで手を振りかぶった。
「あなたの、その氷みたいな目が大嫌いですわ!」
叫んだ先輩の手が思い切り振られる。
昨日ハルトがはたかれるところを見ていたけど、相当痛そうだった。
痛みに備えてぐっと目を瞑った私の耳にパンッという小気味良い音が届く。
あれ? 痛みって音より遅れてやってくるもんだったけ?
確認するためにそろりと目を開いた私の視界に入るはずだった怒った顔のマリアベル先輩は見えない。
見えるのは制服のブレザーの背中だけ。
私を背に庇ってはたかれたその人は、頬に新しい紅葉を刻みながら紫紺の瞳で柔く弧を描いた。
「ハ、ハルト?」
「驚いたよ。ごはん食べに来たら、こんなキャットファイトが見られるなんてな。なに自分から叩かれに行ってんの。ちょっとかっこよすぎるよ。氷の女王様」
苦笑したハルトは、私を背に庇ったままマリアベル先輩に向き直る。
驚いた様子の先輩は、ハルトを叩いた手をぎゅっと握り込んでいた。
「マリアベルが俺なんかに深入りしちゃってるのはわかってたのに、制御できなかった俺が悪いんだ。身勝手なことしてるのは、全部俺。恨まれるべきは俺だけだろ。メルリアはただ恋をしただけだ。何も悪いことはしてない。叩くのなら、他人の恋愛感情をもてあそぶ俺だけにしといてくれると、こうして大慌てで間に入るなんてダサい真似しなくて済むから助かるな」
へらっと表情を緩めて言うハルトに、マリアベル先輩は唇を噛んだまま涙を拭う。
今にも泣きそうな表情のマリアベル先輩は、ハルトの頬にできた紅葉に優しく撫でて、恋する女の子の顔で笑った。
「仕方、ないですわね。悪い男のあなたに引っかかっている被害者であるメルリアさんをひっぱたこうなんて、どうかしていましたわ」
「そうそう。俺は悪い男で、マリアベルは俺から抜け出せたんだから、この恋はハッピーエンドだろ」
「すっごくむかつきますけれど、この頬に刻んだ赤みに免じて許して差し上げますわ」
こんな悪い男を許してしまうだなんて、本当に恋というものは盲目だ。
内心ぽかんとしながらも、クールな表情をキメている私にマリアベル先輩は眉尻を下げた。
「メルリアさん、ごめんなさいね。ハルトの本命になれたのなら、彼のこと大切にしてあげてね」
最後の方は声が震えていた。
スンと鼻を鳴らしてマリアベル先輩は逃げるみたいに食堂を去って行く。取り残されそうになった取り巻き女子が、慌ててその後ろを追うのを見送ってから、ふとハルトを見上げると、彼は私の手を握るところだった。
「ちょっ」
「赤髪がかわいいあんたは、メルちゃんのお友達?」
「ふぁっ、そ、そうでございます、イケメン様」
「ちょっとメルちゃん借りてくけど、許してくれよ」
「は、はい!」
アンリはイケメンに弱すぎる……!
輝いた目でハルトを見るアンリに呆れていると、食べかけのカツ重を机から手に取ったハルトが「さ、行こう」と微笑んで私を食堂から連れ出してしまった。
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