24 キスしなければ出られない部屋
「な、なに? キスしなければ出られない部屋……!?」
白い壁。ひとつだけのドア。『キスしなければ出られない部屋』というわかりやすすぎる表示。
前世ではSNSで時々見かけたこの部屋が、現実に存在しているなんて、この世界が剣と魔法のファンタジー世界だということを今更ながらに実感する。
呆然とドアを見つめていると、「あー、あー」というマイクテストみたいな声が聞こえた。
「聞こえますか? 管理人さん。どうも。あんたみたいな女が我が第一男子寮の管理人を勤めることは決して認められない寮生代表だ」
「それはわかるけど、なんでキスしなきゃ出られない部屋なのよ!?」
「本当は、違う奴がそこに入るはずだったんだよ! なのに、あんたハルトと手繋いでただろ! 定員二名までしか送り込めないから、若干失敗したんだ」
失敗を素直に告白するところは、なかなか好感が持てる。
そんなに悪い子じゃないんだろう。
ごほんと咳払いをしてから、彼は話を続けた。
「僕はこの魔法覚えたばっかりだから解除方法もよくわからない。閉じこもってたらそのうち死ぬから、とりあえず出てきてくれ。恋人同士なんだから問題ないだろ」
仮の恋人同士だから問題はありありなんだけど、自分の身を守るためにも設定を伝えるわけにもいかず、口を噤んだ。
黙る私に一瞬沈黙した誰かは、少し考えた様子でまた話し出した。
「でも、今なら顔が割れずに文句が言えるな。言わせてもらう。あんたは管理人を辞めるべきだ」
強い口調でどこからか声がする。
「この第一男子寮には、高貴な家柄の男がたくさんいる。あんたは、その男たちとの結婚目当てに潜り込んだんだろ。学園長の一人娘でも、良家の男と結婚して困ることなんて何もないからな。実際、おまえは入寮したその日からハルトと付き合ってる。そんなあばずれがこの寮の管理人だなんて反吐が出るんだよ」
「なるほどね。この部屋を用意したのは、私が恋人のハルト以外とキスしたという既成事実をつくることで、あばずれだということを周囲に知らしめたかったわけね」
「失敗したから話したけど、まあ、そういうことだ。これからも僕たちは遠慮なく、こういう手段をとる。嫌なら、とっととこの寮からは出て行くことだな」
吐き捨てるように言われた台詞に、眉間にしわが寄ってしまう。
嫌われることは承知していた。
全員から好かれることなんて不可能だということは理解している。
でも、誤解されることは不愉快だ。
「悪いけど、私は両親に言われてこの第一男子寮の管理人になったの。立場だけで男を選んで結婚するなら、王族は選ばない。私は一人娘なのよ。この学園の跡取りにならなければならないのに、王族に嫁入りしている場合じゃないの。玉の輿に乗りたいだとか、そういった下心でハルトを選んだわけじゃないわ」
事故のようなもので、ハルトとは恋人(仮)になったのだ。
あばずれ扱いはたいへん気に食わない。
「私は管理人として、今後も働かせてもらう。あなた達に嫌われて脅されたことは、自分が居たいと思う場所を捨てる理由にはならないわ」
「……そうかよ! じゃあ、この部屋を出た後も覚悟しておくんだな!」
ぶつっとマイクが切れたような音がして、部屋には静けさが落ちる。
怒りで忘れていたけど、さっきからハルトは静かだ。
告白の途中でこんな部屋に送り込まれてしまったのだ。
ハルトが苛立っていても不思議ではない。
手を繋いだまま隣に立っているハルトを覗き込んで、私は息をのんだ。
「……ハルト? どうしたの?」
気付かなかったけど、ハルトの手は小さく震えている。
紫紺の瞳は濡れて、頬は蒸気し、額には汗が浮かんでいる。
私の声を聞くと、びくりと肩を揺らして手を離したハルトは、後ずさって白い壁に背中をつけた。
「メルちゃん。近寄らないで」
「具合が悪いの?」
「……このボックス魔法について、知ってる?」
首を横に振る。
ボックス魔法なんて魔法は、まだ一年生の私は習っていない。
ただの『キスしなければ出られない部屋』だと思っていたが、まさか毒ガスでも流れているのか。
ドキドキしながら訊ねると、ずるずると座り込んだハルトは、そのまま頭を抱えた。
「ボックス魔法は、条件をクリアしないと出られない部屋を造り出す魔法だ。その部屋を内部から魔法で破壊されたら意味ないっしょ? だから、この室内では魔法が使えないようになってるんだ」
「魔法が使えない……?」
ハルトの言葉を繰り返してハッとする。
魔法が使えないということは、私のスキル制御魔法も使えなくなっているということだ。
いつもほぼ無意識に常時発動させている制御魔法を使おうとしてみるけど、うんともすんとも言わない。
つまり、ハルトは今チート級の【魅了】スキルを前に、理性で戦っている状況なのだということを理解した。
「そ、んな。だって、ここ、キスしないと……」
「そう。出られない」
ハルトが掠れた熱っぽい声で呟く。
相手の感情に関係なく、使用者への恋愛感情を暴走させ、理性のたがを外すスキルである【魅了】。
ハニートラップを行う職業の人には便利なスキルかもしれないけど、生憎私にはいらなすぎるスキルは今ハルトを苦しめている。
【魅了】によって暴走した人間は、本能のままに使用者を襲い、勢い余って殺してしまうこともあると聞く。
だから、必死になってスキル制御魔法を覚えたというのに、こんな展開はあんまりだ。
「あーあ……、あの時の薬もう一個買っときゃよかったな」
ぼそっとハルトが愚痴るようにこぼす。
あの時の薬ってなんだろう。
体調を崩した時に、そういえばハルトが何か飲ませてくれた気がする。
そうだ。……口移しで。
「っ、あれ? あの、ハルト。私とハルトって、その、もしかして、もうファーストキスは、済ませたんだった?」
「覚えてたの?」
髪をかきあげて、ハルトが苦しげな目でこちらを見る。
目が合うと「やべぇ」と言って俯いたハルトに、「うん」と小さく頷く。
正確に言うと、今思い出した。
熱で朦朧としていたけど、唇にふにゃっとしたものが触れた感覚が「気持ちいいなぁ」とか思ってしまっていたことを。
「あの、薬って解熱剤?」
「スキル抑制薬をひとつ買ってたんだよ。馬鹿高くてびびった」
「なんでそんな」
スキル抑制薬は本当に高い薬で、【魅了】を制御するための選択肢としては、まっさきに除外したものだった。
そんなものを何故ハルトが手に入れたというのか。
驚く私に、ハルトは顔を覆ったまま唸るように言った。
「メルちゃんが好きだから、なんかあったときに守りたいって思ったからに決まってるでしょ」
「ッ……こ、こんな密室で好きだとか、言わないで」
「そうだね。たぶん監視と録画されてるからね」
苦しそうに言うハルトの言葉に納得する。
私があばずれだということを周囲に知らしめることが目的なら、犯人はきっと私とハルト以外の誰かがキスするところを記録しておきたかったはず。
そうなると、この部屋に監視と録画の機能がついていることは容易に想像がついた。
「キス、しても大丈夫そう?」
「メルちゃんは、嫌じゃないの?」
そろりと、ハルトが窺うようにこちらを見ている。
食べられちゃいそうと思ってしまうほどにギラギラ光っている目に、ごくりと息をのむ。
困ったことに、私はどうしてか、ハルトに口移しで薬を飲まされたことに関して、全く嫌悪感がなかったのだ。
「嫌じゃ、ない」
恥ずかしくてぼそぼそと答えると、ハルトは深く息を吐く。
「あんま煽んないでよ、メルちゃぁん」
「あ、煽ってないわよ!」
「ちょっと待ってて」
困った様子で言うなり立ち上がったハルトは、制服のネクタイを外す。
何事かと構える私に「なんもしないっての」と笑って、ハルトは自分の両手首にネクタイを巻いた。
口でネクタイの端を噛んで、しっかりと縛り付けたハルトは苦笑をこぼす。
「こんな趣味ないんだけど、なんもしないとは限んないから一応ね。耐えるけど、もしなんかあったら殴ってでも蹴ってでも逃げてよ」
「……わかった」
「この部屋から出たら、すぐにスキル制御魔法をかけ直してね。ここから出て、他の誰かにも影響与えたらまずい」
言いながら、ハルトはゆっくり私に近付いてくる。
私をぼんやりした目で見下ろしながら、ハルトは縛った手でそっと私の肩に触れた。
「上着、脱いで。頭からかけて。監視してる奴から見えないように。キスしてるとこなんて見せたくないっしょ」
それはそうだ。
言われたとおりに上着を脱いで頭から被る。
少しだけ上着をめくって見上げると、ハルトは熱に浮かされたような顔をしていた。
「……ハルト」
「メルちゃん。今、名前呼ばないで。おかしくなる」
困ったように眉を下げたハルトが「目を閉じて」と囁く。
堅く目を閉じると、ハルトがくすっと笑う声が聞こえた。
「ふっ、色気なさすぎて、ちょっと気紛れたな」
「失礼ね」と文句を言おうとしたところで、唇を塞がれる。
朧気な記憶よりもずっと柔らかいその感触に心臓が止まるかと思った。
上着の影で、ネクタイで手首をしばったハルトとキスをしている。
そんな状況に心臓の鼓動が追いつかない。
目を閉じたまま、唇の感触に全神経を集中させていた私は、もう魔法が解けていることに気が付かなかった。
「メルリアさ~ん。もう外ッスよ。スキル制御魔法お願いします。ハルトも離れろ。理性ぶっ壊れたなら殴り倒してやるよ」
聞き慣れた声にハッと目を見開いて、弾かれたようにハルトから体を離す。
それと同時にスキル制御魔法を発動して声がした方向を見やると、上着のフードを深々と被ったヴェイルと足下に転がる寮生が二名視界に入った。
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