23 新世界
氷の女王様の仮面を外し、弱くて情けない自分を晒して生きる。
前世でも婚活でかわいい女の子の仮面を外せなかった私が一大決心をして、実行した瞬間から、私の世界は一変した。
ちょっと面倒な方向に。
「管理人さん……。いや、メルリアさん! あなたの笑顔に撃ち抜かれました。メルリアさんのことを考えていると夜も眠れません! どうか僕とお付き合いしてください!」
「落ち着いて、私がちょっとキャラ変したから戸惑ってるだけよ。私みたいな女好きになるはずないんだから」
「ああ、その謙虚な姿勢も素敵だ……! あのクールキャラからのこの自信なさげな雰囲気へのギャップはたまらなすぎる。守りたすぎる……!」
誇り高き第一男子寮の真ん中で身もだえている寮生を前に、私は呆然とするしかない。
今日の私の当番は洗濯当番。
早く洗濯室へ行かなければいけないと急いでいたところで声をかけられて告白されている現状に、密やかにため息をこぼした。
ここのところ、私の突然のキャラ変更に混乱した寮生が告白してくることが増えた。
最初は【魅了】が暴走しているのかと悩んだけど、どう考えても私が長年磨き続けたスキル抑制の魔法は安定している。
何が原因なのかとハルトに訊ねた結果、「鉄壁の女の子がいきなりガードゆるゆるになったら、それは惚れる」という意見を得た。
告白されることは面倒なことではない。こんな私を好きになってくれるなんてありがたい話だ。
だが、時間がない中で迫られると非常に困る。
「私には恋人がいることは知ってるでしょ? お付き合いはできないわ」
「ハルトなんか女たらしですぐ他の女の子のとこ行っちゃいますって」
へらっと笑って言う目の前の彼は悪気があって言ったのではないだろう。
ハルトが女たらしだということは事実だ。
でも、その発言はイラッときた。
「ハルトは、他の女の子のところに行くときは、私にきちんとけじめをつけると思う。今のところはそんな話は聞いてないから、大丈夫よ」
「お、怒りました? そうですよね。彼氏の悪口なんて聞いたら嫌ですよね」
「……そうね。嫌だった」
氷の女王様だったらもっとうまくいなしていただろうし、男ウケを追求した女の子だったら失言をした彼のフォローをしていたはずだ。
でも、私はメルリア・トゥルーリアだから、私自身の本音を口にした。
「ハルトはチャラいけど、不誠実な人じゃないと思う。誤解しないであげて」
「わかりました。……でも、俺がメルリアさんを好きなのはマジです! ハルトに飽きたら、俺のことも考えてください!」
そもそも私は恋愛ができないのだから、考えるもなにもない。
だけど、恋愛ができないという事実を話すと、ハルトとの恋人(仮)設定に矛盾が生じてしまう。
否定も肯定もできずに俯いた私に、真剣な表情をした彼が歩み寄ってくる。
じり、と後ろに下がると壁に背中がぶつかった。
「ダメ、ですか?」
熱っぽい視線を見ていられない。
真摯な答えではないかもしれないけど、「わかった」と適当に頷いてしまおう。
そう思った時に、私の背後の壁に触れようとしていた彼の手が横から捕まれた。
「ちょいちょい、なんなんだ最近。人の女に手出そうとする奴が多くて困る」
「ハ、ハルト!?」
目を見開いて驚く寮生の手を掴んでいたのは、ハルトだった。
眉を寄せて不満げに寮生を睨んだハルトは、ため息を吐いて私の肩に手を置く。
「あのさ、メルちゃん。可愛いんだから気をつけてよ。ほんっとに、下手ににこにこされると困るから」
「なによ。ハルトはどんな私でもいいんじゃなかったの?」
「どんなメルちゃんでもいいよ。でも、モテまくられると心配で大っ嫌いな束縛ってやつをしたくなっちゃうから、断るときははっきりお断りして欲しいです」
「いいね?」と囁いて、ハルトが私の頬を手の甲で撫でる。
保護者みたいな目で見られていることが気に食わなくて、自然に唇が歪んだ。
「ほれ、さっさと去れ。俺にマジギレされる前に」
「わ、わかった。メルリアさん! 俺の気持ちだけは受け取っといてください!」
「受け取るだけは受け取ったわ」
勇気を出して告げてくれた気持ちは応えられないけど、きちんと受け取った。
私にとって恋愛感情は憧れ。
そんな魔法みたいな感情をぶつけてくれたことには感謝しかない。
笑顔で力強く頷くと、脅された彼は泣きそうな表情で走り去って行った。
「今ので、彼はメルリアの完全なファンになったね」
「セドリック。今日は門前清掃担当だったわよね」
寮生が走り去って行った方向。薔薇の木陰から現れたのは、今日も完璧な王子様スタイルのセドリックだ。
金髪を揺らし、青い瞳を優しく細めたセドリックは、誰をも虜にする笑みで頷いた。
「そうだよ。今から行くところなんだけど、ほうきが足りなくて中庭清掃の当番に借りに来たんだ。メルリアが迫られていたから助けに行こうと思ったんだけど、ハルトに先を越されて今とても機嫌が悪い」
「ごめんな、セドリック。メルリアちゃんのピンチにはセンサーが働くようになってんだよね、俺って」
セドリックが眉を寄せて睨むのに、ハルトはおどけた調子で返す。
このふたりは相変わらず仲が悪い。
「セドリックと落ち着いて話すのも久しぶりね。当番制になってからは初めてだわ」
「うん。氷の女王様じゃないメルリアとこうやって向き合って話すのは初めてだ」
穏やかな声音でセドリックが話す。
耳心地のいいその声に、私はなんの不安もなく、いたずらをするような気持ちで微笑んだ。
「私がみんなに頼らなくちゃ何もできない人間で、がっかりした?」
「するわけないよ。わかってるくせに」
困ったみたいに眉を下げるセドリックに思わず噴き出してしまう。
隣で見ていたハルトが、つまらなそうに唇をとがらせた。
「メルちゃん。洗濯物当番だったよね。一緒に行こ」
「あんたは今日は休みだったんじゃなかった?」
「こ~んなにかわいい恋人を男だらけの男子寮でほっつき歩かせとくわけにいかないの。一緒に行きます。手伝います。絶対に」
腰に手を当てて宣言するハルトは、譲らないといった表情をしている。
心配性なハルトに呆れたふりはしておくけど、確かに女の私が男子寮をひとりでふらふらするのはあまり良いことではない。
特に、みんなが私の意図していなかったギャップに盛り上がっている今は一人歩きは避けた方がいいのだろうということを、さっき受けた告白からも学んだ。
「わかったわ。一緒に行くわよ。じゃあね、セドリック。掃除をよろしくね」
「メルリア」
ハルトと一緒に歩き出そうとしたところで、セドリックに声をかけられる。
振り返ると、なにか考えている様子の彼と目が合った。
「なに? どうしたの?」
「僕は君のスキルを知っているから、君がスキルを制御するためにめ氷の女王様を演じてきたんだろうってことはわかっているよ。君が、勇気を持ってそのキャラを辞めたこともわかっている。でも、そうじゃない連中もいるんだ」
逡巡した様子で、セドリックは目をそらす。
でも、それは一瞬で、彼は意を決した様子で私の目をまっすぐに見た。
「君が傷つくかもしれないことを言うよ。メルリア。君をよく思っていない連中が寮には少なからずいる」
告げてから、セドリックは自分が傷ついたみたいな表情を見せた。
優しい彼のことだ。私を嫌っている人間がいるということを、私に告げることを残酷に思ったんだろう。
でも、私はセドリックが思うほど鈍くてかわいい女の子じゃない。
嫌われることも拒絶されることも知っていて、この道を選んだ。
自分を愛してくれる人だけを大切にすればいいという、ある意味身勝手な考えで選んだ道だ。
嫌われて当然だ。
「第一男子寮は、王族や富豪の子息が集まる由緒正しき寮だ。プライドの高い連中は、僕みたいな没落した商家の息子が寮長に選ばれたときも面倒な嫌がらせをしてきた。僕は男だし、適当にいなすことができたけど、君は女の子だ。女性が弱いと言いたいわけではないけれど、力で訴えられたら勝てないことはわかるだろう? 身の安全には十分に気をつけてもらいたいんだ」
上流階級の中には、誇りを汚されることを何より嫌う連中がいる。
第一男子寮の管理人が女で、しかも一年生だなんて、本当は寮の誇りを傷つけられて嫌だと思っていた寮生もいたはずだ。
でも、その女管理人が氷の女王様と呼ばれ、尊大に振る舞っていたから、彼らはこの強そうな女ならば誇りもそう傷つけられはしないだろうと黙ってくれていた。
だというのに、こんな一人ではなにもできない、魔法も勉強も努力しなければ人並み以下の女が管理人だとバレてしまっては、そういった連中が黙っていないことはわかっていた。
「わかってるわ、セドリック。気をつける。ありがとう」
私が笑顔で頷くと、セドリックは安堵した様子で「それじゃ」と告げて門の方へと走り去って行く。
気を取り直して洗濯室に向かおうと足を踏み出すと、ハルトに手を握られた。
「……ちょっと? 公衆の面前でイチャイチャ手を繋ぐカップルって、道を塞ぐだけで大迷惑で私は嫌いなんだけど」
「狭い道で混んでたりしたら、そりゃウザいだろうけど、こんな誰もいない広い中庭でその言い訳は通用しなくない?」
からかうみたいな口調で肩を竦めたハルトは、手を離す気はないらしい。
嬉しそうに笑んだハルトは、そのまま歩き出した。
「さっき助けたんだから、このくらいのご褒美はあってもいいっしょ」
「……仕方ないわね。さっきはありがとう」
「どういたしまして。メルちゃんのこと好きだから、当然だよ」
にこにこ笑って歩きながら、顔はずっとこちらを見ているハルトに呆れて、ふうと小さく息を吐く。
「最近すぐに好き好きって言うのね」
「イヤ?」
「イヤじゃないけど、ハルトが私のこと好意的に見てくれてるのはわかってるから、あんまり言わなくても大丈夫よ」
「その好意的っていうのは、友好的って意味っしょ? わかってないから言ってるんだよね」
「友好的って意味じゃないならなによ?」
目を眇めて首を傾げる。
ハルトは、紫紺の瞳に太陽の光をキラキラ反射させながら、真剣な目でこっちを見つめてきた。
「恋愛的な意味で」
「……からかわないでよ。いくら顔がよくっても、他の女の子みたいに絆されたりしないわよ」
「他の女の子には好きって言ったことないよ。俺ってこういう風にチャラチャラしてる男だからさ。本気の子ができたときに困らないように、とっておいたんだ。好きはとっておきだから」
呆然としている私の視界に、中庭のベンチが映る。
そういえば、この中庭でハルトが女の子とデートしているところを見たことがある。
見るからに一晩の恋とかに向いていそうな女の子が「好きって言って」と強請るのを、彼は断っていた。
あの時も、確か「好きはとっておきだから」と言っていた気がする。
そんなとっておきの言葉を、ハルトは私にくれているってこと?
それは……つまり?
混乱して足が止まる。
婚活でたくさんの男の人に告白されてきたし、さっきだって告白された。
ありがたいことに数多く受けてきた告白。そのどれも赤面してしまうことなんてなかったのに、今は顔が日を吹いているみたいだ。
でも、私は人を好きにはなれなくて。
でも、ハルトに離れて欲しくなくて。
なんと言えば良いのかわからずに口をパクパクさせる私に、ハルトは噴き出した。
「メルちゃんかっわい。やっぱ好きだわ」
「うっ、えっと、あの。私……」
なにか。なにか言わなければ!
混乱しているせいで目が回ってきた気がする。
ハルトの好意が恋愛的な意味だと知って、その情報を処理することに必死になった結果、周囲への警戒を怠っていた。
「メルちゃん!」
「へ?」という情けない声を出す暇もなく、視界が光で塗りつぶされる。
気が付くと、私とハルトは真っ白な部屋に閉じ込められていた。
壁にはドアがひとつだけ。そのドアの上には『キスしなければ出られない部屋』と書かれていた。
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