22 氷解
額が冷たくて気持ちいい。
心地よさにゆっくりと瞼を持ち上げると、かすんだ視界に誰かが映る。
自分が寝ているベッドの横に誰かが立っているのだと認識して、掠れた声で名前を呼んだ。
「……ハルト?」
「残念、俺ッス」
何度か瞬きを繰り返すと、徐々に視界がクリアになっていく。
ようやくベッドサイドに居たのは、眉を下げたヴェイルだとわかった。
相変わらず酒の香りがする。
「私、倒れたわよね?」
「ええ。ハルトが血相変えて運んできましたよ。あんまり恋人に心配かけちゃダメッスよ。倒れてるメルリアさんより、ずっと死にそうな顔してたんで」
ぼんやりと頷いて思考を巡らせる。
治癒術をかけられると体力が落ちるという説明は、ヴェイルから受けていた。
三日間学業と鬼のような量の仕事を掛け持った結果、体力が限界を迎えたということだろう。
自分の体調がここまで悪かったことに気づけないほど、仕事に必死になっていた自分に呆れてしまう。
「情けないわ、こんなこと」
「氷の女王様らしからぬ感じでしたね。変装して薬取りに行ったら、寮生が心配してる声が聞こえましたよ。管理人さんすごいがんばってたからなって」
「う」
呻いてしまったのは恥ずかしさからだ。
なんでもできる完璧な氷の女王様を気取っていたくせにこの有り様。
情けなくて辛かったが、もうこれは受け入れていくしかないだろう。
ハルトがくれた言葉は、私に仮面を外す勇気をくれた。
「ヴェイル。私はもうみんなに頼ることにするわ」
「え? 氷の女王様がですか?」
「ええ、そうよ。あなたは聡いから気が付いていたでしょうけど、私は本当はひとりじゃ何にもできない人間なの。勉強だって魔法だって人より努力しないとできない方だわ。氷の女王様キャラを守るために、完璧を演じていただけ。でも、それでこんな支障が出てしまうなら、もうやめる」
「……俺はメルリアさんのこと前から知ってましたし、管理人と副管理人っていう近しい間柄だったから気が付きましたよ。でも、大概の連中はメルリアさんのこと、完璧超人だって期待してくれてますよ」
「そうね。氷の女王様への期待は厚いわ」
「なら、その期待を裏切るのはどうなんスか?」
現世では、氷の女王様は完璧であるべきだと思ってきた。
だから、完璧を演じてきた。
前世では、女の子は聞き上手であるべきだと思ってきた。
だから、つまらない話を笑顔で聞いてきた。
かけられている期待に応えなければと必死だった。
けど、その期待をかけていたのは誰なのか。
「氷の女王様は完璧であるべき。その期待を持っている人はいるでしょうね。でも、それって誰なのかしら。ヴェイルは、私が完璧超人でなければ、管理人として認められない?」
「……そんなことはないッス」
「そうでしょう。ハルトは私が弱くても何もできなくても、助ける対価は求めてくるけど、完璧であることは求めてこないの。アンリもそう。完璧を演じる私に、弱い私を見せてほしいって言ってくれた。セドリックもきっと弱い私をなんとも思わない。私が傍に居て欲しいと思う人は、みんな私に完璧を求めていないの。そんな期待はしてない。私に完璧な氷の女王様を一番期待しているのは、私自身だったんだわ」
「メルリアさん自身が……?」
驚愕しているヴェイルに頷く。
最初はスキルを封じるために造り出した氷の女王様キャラだった。
スキル制御がうまくなってもそのキャラを演じ続けてきたのは、今更本当の自分を見せて落胆されることが怖かったからだ。
「私は情けない自分が恥ずかしいと思ってた。本当の私をかっこ悪いと思う人もいると思うわ。でも、そんな人達のことは、もういいの。私は、どんな私でも好きだって言ってくれる人たちが居てくれれば、それでいいと思えたから」
ハルトは、「どんなメルちゃんでも好きだ」と言ってくれた。
女たらしの彼が言う「好き」がどこまでのものなのかはわからないけど、彼からの好意はずっと感じている。
魔法が上手じゃなくても、勉強もがんばらなければできなくても、氷の女王様を無様に演じていても、私のことを「好き」と言ってくれる人がいる。
それならば、無理をしてまで演じることはないのではないかと思えたのだ。
離れていく人たちがいてもいい。
傍に残ってくれた人を大切にできればいいのだ。
「そんな風には、考えたことなかったッスね」
ぼそっと言って俯くヴェイルは、剣聖の英雄にかけられる期待に苦しんでいる。
氷の女王様なんかにかけられる期待と比べるには申し訳ないほどの大きな期待だろうけど、彼もその呪縛から解放されることを願わずにはいられなかった。
「ヴェイル。私はヴェイルが好きよ」
「え?」
ヴェイルが目を大きくする。
その瞳を見つめて、私は柔く微笑んだ。
「あなたが剣聖の英雄じゃなくても、お酒に頼る弱い人でも、仕事に一生懸命で、本当は真面目で優しいヴェイルが好き。どんなヴェイルでもこの気持ちは変わらないからね」
ハルトにもらった魔法を、ヴェイルに分け与えるような気持ちだった。
ヴェイルは、ふっと泣きそうな笑みを見せてから、何かを私に押しつける。
見ると、錠剤が入った瓶だった。
「解熱剤ッス。これ飲んで寝てれば治りますんで、大人しく寝ててください。彼氏持ちが男とふたりきりの部屋で、好きだ何だって騒いじゃダメッスよ」
「そうね。ありがとう、ヴェイル」
頬を赤らめたヴェイルは、親切にコップに入った水も手渡してくれる。
礼を言って受け取ると、ヴェイルは小さく息を吐いた。
「自分を曝け出して、どうなるか見させてもらいますよ。それで幸せになれるのか」
「ええ、見ててちょうだい」
微笑んだ私は解熱剤を飲み込んだ。
*
それから二日寝込んだ私は、ヴェイルに看病されて過ごした。
ハルトとセドリックはその間、ずっと使用人としての仕事を手伝ってくれていた。
やたらと心配してくれていたハルトに、どんな対価を請求されるかと思っていたのだが、今回は「お代はもうもらったようなもんだから」と言って何も請求されなかったことだけは不思議だった。
そんな二日間を過ごした私は、久々に学校に行った放課後。
夕飯を求める寮生でいっぱいの食堂のドアを前に深呼吸をしていた。
「いよいよ氷の女王様卒業かぁ。でも、よかったの? あんなにこだわってたのに」
「いいの。無理して体調崩すまで演じる必要はなかったわ。それに、本当の私でいいって言ってくれる人だけが傍に居てくれたらいいって、やっと踏ん切りがついたから。……あんたは、どんな私でも傍に居てくれるでしょ?」
踏ん切りがついたのは、ハルトが「どんな私でも好き」と言ってくれたからだ。
そういう人がいてくれるなら、それでいいと思うことができた。
隣に立つハルトを見上げると、彼は一瞬目を大きくしてから、その紫紺の瞳で弧を描く。
嬉しそうな彼は静かに頷いた。
「どんなメルちゃんでも、俺はずっと大好きだよ」
「ありがとう。……さ、行くわよ」
胸を張って、食堂の両開きのドアを開く。
ざわざわと寮生の声が聞こえる中、私は食堂の真ん中にあるステージへと向かった。
時々開かれるパーティーで使用されるだけの、その円形のステージに私があがると、寮生たちの視線が私に注がれる。
壁に寄りかかって佇むハルトを見やると、彼は穏やかな表情で頷いてくれた。
その隣に、いつの間にかフードを被った背の高い男が立っている。
フードの影に、金色に近い焦げ茶色の目が見えて、私は微笑んでから周囲に視線を向けた。
「みんな。聞いて欲しいことがあるの」
氷の女王様の凜とした声ではない。
ちょっとだけ幼さが残る、メルリア・トゥルーリアの声。
ざわめいていた周囲が静まった。
「私は氷の女王様って呼ばれてるし、みんなの期待に応えなくちゃってがんばってきたわ。でも、本当は何事も人並み以上に努力しないとできない人間なの」
心臓がドキドキ言っている。
自分の弱い部分を晒すことが恐ろしい。
実際、嫌そうな顔をして顔を寄せ合っている人もいる。
でも、こちらを向いて真剣に話を聞いてくれている人がほとんどだ。
その人たちさえ、大事にできればいいのだ。
「ここの副管理人が居なくなってしまったことは、みんな知ってるわよね。彼がどれだけ働いてくれていたかも。その穴を埋めるために、ハルトとセドリックがかなりの努力をしてくれたわ」
壁際にいるハルトと食事を取りに来たところだったセドリックを手で指し示す。
セドリックはぽかんとしていて、少し申し訳ない気持ちになった。
「でも、彼らだけに頼るのも、私がひとりで頑張り続けるのも、もう限界。だから、みんなにも手伝ってもらいたいの。他の使用人が見つかるまでの間だけでいい。洗濯や掃除をできる範囲で手伝ってもらえるだけで、私もハルトもセドリックも夜が明ける前に起きなくて済むし、深夜に部屋に帰らなくて済むようになる。だから、どうか、情けない私に力を貸してください」
頭を下げる。
いつも顎をツンとあげていた氷の女王様とは思えない豹変ぶりだ。
ドン引きしている人もきっといるに違いない。
わかっていたけど、祈るような気持ちで頭を下げた。
「……じゃあ、当番制はどうでしょう?」
聞こえてきた声に、ゆっくり顔をあげる。
寮生達は顔を見合わせて「それはいい」「表つくらないとだな」と話し合いだした。
「手伝ってくれるの?」
「もちろん。むしろ今まで甘えててすみませんでした」
「管理人さんが頑張ってるの知ってましたよ。まさか、こんなに可愛い人だったなんて知りませんでしたけど」
「俺たちにできることがあるならやりますよ! 俺たちが暮らしてる寮のことですしね」
「ありがとう……!」
好意的な人達の声は私に届くように伝えてくれているから、よく聞こえる。
でも耳を澄ませば、遠くからは「あんなのが誇り高き第一男子寮の管理人か」「媚びた女が」という悪口も聞こえてくる。
胸が痛まないわけでは無いけど、目の前の救いの手を差し伸べてくれる人達の声があれば、笑っていられた。
「うわっ、笑うと更にめちゃかわ……」
「ヤバい、俺、マジで」
顔を赤らめる寮生たちに慌ててスキル制御を強化するけど、どう考えても【魅了】はうまく制御できている。
「あれ?」と戸惑う私の立つステージに、ハルトが飛び乗ってきた。
「はい、だめぇ。笑顔が殺人的にかわいいのは確かだけど、笑顔だろうが泣き顔だろうが全部俺のだから」
「くっ、ハルト。おまえ、ずるいぞ!」
「恋人なんで当然でーす。ね、メルちゃん?」
寮生たちに舌を出して、私ににこにこと微笑み掛けてくるハルトに、苦い笑いを返しておく。
ハルトに守ってもらわなければ、まずそうなのは明白だ。
さっきまで壁際にいたヴェイルを見やる。
そこには、もう彼の姿は見えなかった。
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