20 英雄の真実
英雄を讃える街を飛ぶように走り抜けて、管理人室のテラスにたどり着くと、ヴェイルは「後で業者は俺が呼びます」と言って、窓を割って中へと入った。
すべて知人とはいえ、何度も侵入を許している管理人室のテラスは真剣に防犯対策をとる必要がある。
布団みたいに肩に担がれていた私をおろすと、ヴェイルは管理人室の隣。物置になっている部屋へと続くドアを指さした。
「俺を匿ってくれるっていう部屋は、あそこッスか?」
「ええ。管理人室なんて誰も来ないし、気付かれないと思うわよ。手狭だけど生活できる程度の広さはあるはずだわ」
「じゃ、お言葉に甘えて。……急に匿ってくれなんて言ったのに、嫌がらないんスね。しかもドア一枚隔ててるっていっても、ほぼ同室じゃないスか。俺も一応男なんスけど、大丈夫ッスか?」
管理人室の真ん中で、ヴェイルが片眉を跳ね上げて笑う。
わざとふざけている彼に私は目を眇めて答えた。
「問題ないわ。ヴェイルが私に害を及ぼすとは思えないもの。それに、私は恋人という名の番犬を飼っているの」
「ああ、ハルトか。それは残念ッスね」
冗談っぽく笑ったヴェイルは、部屋の角にあるソファーを指さした。
「物置に持って行けって言ってたのは、あのソファーッスか?」
「ええ。その上のクッションもッ……」
ヴェイルのことだから、たぶん魔法で運ぶのだろうとは思っていたけど、クッションくらいは運ぼうかと足を踏み出した瞬間、痛みで身がすくんだ。
状況に混乱していて痛みも忘れていたけど、さっきドラゴンのしっぽに薙ぎ払われた脇腹がひどく痛む。
とっさに痛む部位を押さえて身を屈めてしまった私に、ヴェイルが慌てて駆け寄ってきた。
「どうしたんスか? どこか痛みます?」
「ええ。ドラゴンのしっぽが当たった場所が痛くて」
「ちょっと失礼しますよ」
「へ?」
間抜けな声をあげている間に、真剣な表情をしたヴェイルにあっさり横抱きにされてしまう。
いつも気だるげなヴェイルが真面目な顔をしていると、その造形の美しさが際立った。
彼にベッドに寝かされて、目を瞬かせる。
脇腹を押さえる私の手に手を重ねて、ヴェイルは金色にも見える茶色い瞳でこちらをまっすぐに見つめてきた。
「ちょっと、この手どかしてもらっていいスか? 傷見せてください。変な意味じゃないスよ。治療するだけッスから。ね? 剣聖の英雄は治癒術くらい余裕なんスよ」
「あなた、その呼び名は嫌いって言っていなかったかしら?」
「嫌いな呼び名だからこそ、都合よく使わせてもらうんスよ。大丈夫だから。見せてください。ね?」
ぽんぽんと優しく手の甲をたたかれると、拒否することはできない。
こくんと頷いて手をどけると、ヴェイルはそっと私の制服をたくしあげた。
自室のベッドでなにをしてるんだろうと思うと、変な気分だ。
恥ずかしさに視線をそらしたのに、ヴェイルが「うわ」と小さく言ったので、思わず頭を持ち上げて自身の脇腹を見やる。
白い脇腹には、大きな赤黒い痣ができていた。
自覚すると余計に痛む。
「これは痛かったんじゃないスか?」
「気付いたら痛くなってきたわ……」
「でも、内蔵が飛び出したりしてなくてよかったッス」
物騒なことを言いながら、ヴェイルは脇腹の痣をそっと撫でる。
労ってくれているとはわかるけど、長い指先で脇腹をなぞられるくすぐったさに顔が火照った。
「治癒術かけますね。ちょっとあったかいと思うッス」
そう告げてから、ヴェイルは痣に手をかざす。
ぼんやりとヴェイルの手が輝き、彼が言っていたとおり、少しだけ痣の部分があたたかくなる。
その感覚が心地良くて、緊張がほどけていくような感覚がした。
「さすがヴェイルね。ありがとう。治癒術なんて高度な魔法よね。相当勉強したでしょう?」
「なくなった足が痛くて仕方なくて、自分で癒すために覚えた魔法ッスよ。勉強っていうよりもすがるような感じで覚えました」
「そうだったの。生活魔法も難しかったのに、あなたがあんまり簡単に使っているから、勉強家だと思ったのよ」
「生活魔法も、貧乏な家で母親ひとり弟ふたり妹ひとりと暮らしてたんで、どうしても必要で覚えたんスよ。そのおかげでウィンダム魔法学園の推薦もらえて、無料で行けたんスけどね」
「どんな経緯で得た技術だとしても、ヴェイルが優秀なのは確かよ。あなたがここを辞めることは大きな痛手だわ。転職活動以外はどうせ部屋に引きこもるんでしょう? 宿代として、書類仕事は手伝ってもらうわよ」
「ま、そのくらいは手伝わせていただくッスよ」
ヴェイルがふっと脱力したように笑う。
治癒術をかけてくれている彼の手を見つめたまま、静かに訊ねた。
「ここを辞めるのは、剣聖の英雄だってバレてしまうと思ったから?」
ヴェイルは、魔物が第一男子寮に侵入したときから突然辞めると言い出した。
あの時の魔物は、きっと今日襲ってきたドラゴンから逃れて街の中央部までやってきたのだ。
そのことに、優秀なヴェイルは気がついていたはずだ。
ドラゴンが来れば、ヴェイルは倒さざるを得なくなる。
そうなれば、彼は間違いなく剣聖の英雄だとバレてしまう。
それを避けるために、第一男子寮を早急に去ろうとしていたのだとすると、辻褄が合う。
私をじっと見ていたヴェイルは、諦めたように軽くため息を吐いてから頷いた。
「そうッすよ。英雄だってバレそうだから、辞めることにしました。もっと街から離れた場所にいる時点でドラゴンの居場所を特定して、先に倒しとくつもりだったんスよ。見つけられずに今日を迎えちまったことは申し訳なかったと思ってます」
「予定通り街から離れた場所でドラゴンを倒せていたら、剣聖の英雄だってバレなかったんじゃないの?」
「倒しても死体は残りますからね。狩りに出た冒険者がドラゴンの死体を見つけて、剣聖の英雄が近くにいるなんて騒ぎになったら面倒ッス。何にせよ、ドラゴンの気配があった時点で、ここは出て行くつもりでしたよ。どこか遠くの街で仕事見つけるために夜な夜な手紙書いてるとこッスよ」
「でも、ドラゴンはどこにでも現れる可能性があるでしょう? ドラゴンが近くに現れる度に、あなたはすべてを捨てて逃げ出さなくてはいけないの?」
ヴェイルは、この第一男子寮をいい職場だと言っていた。
気に入る職場というのは、そう簡単に出会えるものではないと、前世ではブラックに近いグレーな企業で働いていた私はよく知っている。
ドラゴンが現れる度に、新たな地へと逃れなければならないのだと思うと、彼が哀れに思えたのだ。
ヴェイルは私の質問に苦い笑みを見せた。
「英雄なんて持て囃されて期待されても、困るんスよ。俺はただ復讐のために竜王を倒しただけなんで」
「……ご家族を殺されたと言っていたわね」
「ええ。ウィンダム魔法学園の卒業式の日でした。退寮して地元に凱旋したら、竜害で街がなくなってたんスよ。おんぼろの家はつぶれて、家族は食い散らされてました」
遠くを見るヴェイルの瞳が揺れている。
ふう、と深く息を吐いてから、彼は首を横に振った。
「家族を殺されて、ぶちギレたまま竜王を探して殺しただけッス。英雄なんかじゃない。ほぼ魔力が暴走したような状態だったんで、もう一度倒せって言われても、たぶん無理ッスね。足もなくすくらいだったんスから。そんな無茶苦茶な復讐者が英雄って讃えられても、期待には応えられない」
「それであなたお酒に逃げてるのね」
「ガキンチョが生意気言いますね」
「お酒に逃げる気持ちはわからなくないから」
前世で上司に怒られたり、婚活相手に理想を押し付けられてうんざりした夜は、酒を呷って気を紛らわせていた。
ヴェイルは、求められる理想と現実のギャップをお酒を飲むことで埋めていたのだろう。
有能な彼の弱さに触れて、彼をより一層放ってはおけなくなってしまった。
「お父さんはこの話を知っているんでしょう?」
「ええ。英雄だって持て囃されてたけど、家族も足も失って途方に暮れてたときに、バーグさんが迎えに来てくれたんスよ。うちで働かないかって。……よくわかりましたね」
「お父さんはあなたみたいな消えちゃいそうな人を放っておけないだろうから」
「そんな儚げッスか?」
くっくと喉を鳴らしたヴェイルに、私も少しだけ微笑む。
「転職、私も手伝うわ。お父さんやお母さんなら、いい職場を知っているかもしれないから聞いてみる。次の職場でこそ、あなたがあなたらしく生きていけることを願うわ」
「俺らしく、ね」
ふむと考え込んだ様子で呟いたヴェイルが、治癒術を終える。
ぼんやりと熱を帯びていた痣の痛みはなくなっていた。
「治癒術は頼りすぎると一時的ではあるんスけど体力が落ちるんスよ。なので、これくらいでやめときますね。痛みはどうスか?」
「ええ。もうすっかり大丈夫よ」
「内蔵の損傷は大丈夫だと思うんスけど、おかしなことがあったら言ってください」
「わかったわ」と頷いて、露出していた脇腹を隠そうと制服に手をかける。
その手をヴェイルが握った。
「……ヴェイル?」
「変な話なんスけど……なんか、メルリアさんいい匂いしません?」
スンスンとヴェイルが鼻を鳴らす。
ハッとして、スキル抑制に魔力を回す。
気をつけてはいたけど、混乱する状況が連続し、治癒術によってリラックスしてしまったせいで、スキル抑制が甘くなっていた。
ヴェイルは【魅了】の香りに惑わされかけている。
若干熱を帯びた瞳で「なんの匂いスか?」と彼が私の首に顔を寄せてくる。
スキル抑制はうまくいっている。すぐに彼は正気に戻るはず。
ぎゅっと身を縮めて、ふるえる唇で訴えた。
「やめ、て、ヴェイル」
「そうですよ。やめてください」
突然聞こえた声の方に顔を向ける。
割られた窓から入ったのだろう。
息を切らせ、肩を弾ませるハルトがベッドの上の私たちをにらみつけていた。
「ハルト……!」
救われた乙女みたいなかわいい声が出てしまった口を慌てて押さえる。
なんだその恋する乙女みたいな声は。
羞恥に悶える私を無視して、ハルトはヴェイルに鋭い視線を向けた。
「無事に返すって言いましたよね」
「無事に返しただろ。怪我も治しておいた。しばらく隣の部屋で過ごさせてもらうことになったから、よろしくな、ハルト」
「うぇ、あんたと一緒か」
「失礼な野郎だな。なんでも感情丸出しにするなよ、この王子様が」
ヴェイルはおかしそうに笑いながらもハルトを注意して、ベッドから去る。
寝ころんだままの私を見下ろして、ヴェイルは緩く口角をあげた。
「すみませんでした。あんまりいい香りだったもんで、クラクラしちゃいましてね。安心してください。俺は大人の女がタイプなので」
「そう。それは安心ね」
「じゃ、おやすみなさいッス」
いたずらっこみたいに笑って、ヴェイルはソファーを魔法で浮かせて隣の部屋へと去っていく。
彼がドアを閉めるまで、じっとその姿を目で追っていたハルトは、ドアがきっちりと閉まった瞬間、私にのしかかるみたいにベッドに乗りあがった。
「怪我したってほんと? ヴェイルさんになんもされてない?」
「怪我したけど治してもらったから大丈夫。ヴェイルには何もされてない。ちょっと私のスキル制御が甘かっただけよ。それよりも、あんたに何かされそうな距離なんだけど」
ちょっと動けば鼻先がくっつきそうな距離にある顔を手のひらでよけると、ハルトは「よかった」とそのまま私を抱きしめる。
彼の体が上にある形だけど、うまく体重を逃がしてくれているようで重くない。
ぬくもりだけが包み込んでくれているようで、心地良かった。
「マジで焦った。メルちゃんが死んじゃったら、頭おかしくなるとこだった」
ハルトのことを好きになる女の子なんて、きっと星の数ほどいる。
私なんかが居なくなったところで、ハルトは次の恋人を探せばいいだけの話だ。
そう思ったのに、言えなかったのはハルトがあんまりにも真剣だったからだ。
泣きそうな声を出しているハルトに、そんなことは言えなかった。
「メルちゃん。絶対死なないで。絶対、絶対、殺されたりしないで」
すがるように抱きついてくるハルトの頭をそっと撫でる。
明らかに弱みを突かれたような、弱りきった彼の姿に、今までもらったヒントが頭をよぎる。
赤い服を着た女の子が苦手で、ひとりで眠れない。
彼ももしかして、ヴェイルと同じように大切な人過去に失ったのだろうか。
そう思うと、ハルトを突き放すことはできなかった。
「大丈夫。死なないから、もう今日は寝るわよ。一緒に寝てあげるから」
囁くと、ハルトは私を抱き込んだまま体の向きを変える。
隣に寝た彼の胸に頬を押し当てながら、私はそっと目を閉じた。
「今日は助けに来てくれてありがとう」
「……ん。お代はこのまま寝ることで勘弁したげる」
ハルトが優しく私の髪を指でとかす。
その感覚の心地よさに私はすぐに眠りに落ちた。
疲れていたのか、抱きしめられたままでもよく眠ることができた。
明け方に目を覚ましても、ハルトは私を抱きしめたままだった。
きつく巻かれた腕から逃れると、彼ははじかれたように目を覚ます。
「ッどこ行くの!?」
「びっくりした……。仕事よ」
「仕事? まだ日も昇ってなくない?」
きょとんとしているハルトが見るテラスの向こう側は、確かにまだ真っ暗だ。
でも、この時間から仕事をはじめなくてはすべてが間に合わない。
「ええ。でも、ヴェイルの仕事の分を私が埋めなきゃいけないから」
そう。今日から新しい使用人が見つかるまで、私の鬼のような仕事漬けの日々がはじまるのだ。
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