19 剣聖の英雄
「逃げろ!」
「ガラスが刺さって動けない!」
「きゃー!!」
上空から突如降ってきたドラゴンは全部で四体。
中型のものだろうけど、見上げるほどにその体は大きい。
うなりをあげながらドラゴンが暴れると、魔法練習場の分厚い壁はあっさりと破壊されてしまう。
逃げ惑う生徒たちを追い回すドラゴンを見ていると、恐怖で手足に力が入らない。
喉をひくつかせながら、どうにか起き上がろうとしていた私の脇に手を入れて無理矢理起こしてくれたのは、アンリを肩にかついだセドリックだった。
「セドリック……! アンリはどうしたの!?」
「足にガラスが刺さった。止血しないと」
ぐったりとしているアンリのスカートの下から覗く腿から血が流れている。
その傷を抑えるセドリックに、私は首を横に振った。
「その抱き方じゃダメよ。横抱きにして、傷を心臓より高く!」
「でも、そうすると両手が塞がって君を連れていけない」
「私は気にしないで。怪我もしてないし、大丈夫。アンリを連れて逃げて」
セドリックの目を見据えて言うと、彼は「わかった」と頷いてアンリを横抱きにする。
私が羽織っていたジャケットの袖でアンリの腿の付け根を縛っていると、ドラゴンの一体がこちらをぐるんと振り返った。
「走ってセドリック!」
ドラゴンの動きに一瞬怯んだセドリックの背中を押す。
彼はその衝撃でドアに向かって走り出した。
私もその背を追って足を踏み出した瞬間、目の前に青い炎が走る。
追ってきているドラゴンとはまた違うドラゴンから吐かれた炎の向こう側から、さっきこちらを振り返ったドラゴンが地面を揺らして走ってきているのが見えた。
「メルリア!」
「絶対止まらないで! 止まったら許さない!」
セドリックの声に叫び返して、私はドアとは反対の方向に走り出す。
四体もドラゴンが動き回っていると、床が不規則に揺れて走りにくいことこの上ない。
何度も転びそうになりながら走っていると、横から突然衝撃が走った。
脇腹を殴られたような感覚がして、地面を転がる。
たまたまそこにいたドラゴンが動いたときに尻尾が当たっただけ。
それだけだったと理解できても、痛みはそれだけのことだとは思えないほどに強かった。
それでも、床にいつまでも転がっていてはなぶり殺される結末しかない。
防衛魔法を展開したところで、これだけの衝撃に耐えられるシールドをつくれる自信はない。
生き延びるためには、走って逃げるという原始的な方法しか考えられなかった。
「う、ぐう」
ぐっと四肢に力を入れて立ち上がり、顔をあげる。
もちろん逃げ場所を探すために、顔をあげたつもりだ。それなのに、目の前にはそんな希望は存在しかなかった。
そこには、ドラゴンの顎があるのみだったた。
開かれた大きな顎に並んだギラギラした歯がとがっている。広がる喉の奥から熱い息が吐き出されているのを感じる。
見開いた目で、よくそれらを捉えてしまった私が、それ以上動けるはずもなかった。
死ぬ。
死ぬなら、ハルトに。
「メルちゃん!!」
一欠片の余裕もない叫び声が聞こえて、視界が横に滑る。
体をよく知ったぬくもりが包んだと思った直後には、床をごろごろ転がっていた。
さっきまで私がいた場所で、ドラゴンがガチンと顎を鳴らしたのが見える。
私は呆然としたまま、気付けば震えた声をあげていた。
「ハル、ト……。来てくれたの?」
「『メルちゃんがピンチ』って【予知】が言うからね。前に感じた『身の危険』ってこれのことだな……。間に合ってよかった。立って」
ハルトに手を引かれて、よろめきながら立ち上がる。
間髪入れずに走り出したハルトは、転びそうな私を引っ張ってドアに向かって走り出した。
「ヤバいだろうとは思ってきたよ。でも、まさかドラゴンが四体もいるなんて思わなかったけどね!?」
「セドリックには会った!?」
「会った! アンリちゃん連れて逃げたから、安心して自分の命守ることに集中して」
ぎゅっとハルトが繋いだ手に力を込める。
時折降り注ぐガラスは、ハルトが杖を振って魔法で弾いた。
ドラゴンの青い炎をしゃがんでよけて、迫る尻尾をかいくぐり、走り続ける。
もうすぐ逃げられる。
希望の光が見えたところに突風が吹いた。
体が傾くほどの風に、思わず目を覆う。
吹き飛ばされないよう床についた足にぐっと力を入れながら、細く目を開いて、絶望した。
「なによこれ……」
そこには、他の四体のドラゴンより遙かに大きな、見上げるほどのドラゴンが居た。
翼を羽ばたかせ、そのドラゴンはドアを塞ぐ位置に地面を揺らして着地する。
踏みしめた足で床板を踏み抜き、銀色の体を太陽の光に煌めかせ、ドラゴンは大きな口を開けた。
「グォオオオオオオオオオオ!!」
体全体が震えるようなドラゴンの声に、死を覚悟する。
せめて、少しでも苦しみが少なく死ぬことができますように。
そう祈る私の体をハルトが庇うように抱き締めた。
「ハルト……!?」
「っ、死んでも、死なせないから」
へたりこんだ私を、ハルトが包み込むように抱き締めてくれる。
このぬくもりに包まれて死ねるなら、それもいいかもしれない。
不思議とそう思うと、体の力が抜けた。
彼の背に手を回し、ゆっくり目を伏せる。
今から殺されるというのに、穏やかな心地で目を閉じようとする。
その視界に、一閃の光が走った。
「え?」
目がおかしくなってしまったのかと思った。
ドラゴンの首が、左右にずれたように見えたのだ。
次の瞬間にドラゴンの頭が床に大きな音を立てて落ちたのを見て、ようやく現実なのだと理解した。
「なんだ……?」
ハルトも衝撃で目を見開く中。
私たちの目の前に、音もなく誰かが舞い降りる。
茶色のローファー。黒い細身のスラックス。ワイシャツに身につけたエプロン。見上げていくと、焦げ茶色のくりくりした髪の毛が見えて、掠れた声で名を呼んだ。
「ヴェイル?」
「あーあ、最悪だ。これでバレる」
振り返ったのは確かに、ヴェイルだった。
焦げ茶の瞳を不愉快そうに細めて、ヴェイルは杖を振る。
彼の周りに出現したのは、何本もの光の剣だった。
「嘘だろ。まさか、竜王を倒した剣聖の英雄って……!?」
「その名は嫌いだ」
不機嫌にハルトの言葉を遮ったヴェイルが杖を振るうと、光の剣はあちこちへと飛んでいく。
その剣は的確に残りの四体のドラゴンの頭も斬り落としていった。
二年前に出現し、多くのドラゴンを率いて、各地で大規模な竜害を引き起こした竜王。
どんなドラゴンよりも恐ろしいその竜王を光の剣で倒した青年は、彼の持つ光の剣を出すスキル【剣聖】から名をとって、剣聖の英雄と呼ばれた。
野菜でも切るみたいに、スパスパとドラゴンの首を落としたヴェイルは、ふうと一息吐いて杖を内ポケットにしまう。
へたりこんでいる私とハルトを見下ろしたヴェイルは、眉を下げて切なげに微笑んだ。
「どうも。お察しの通り、俺が竜王を倒した野郎ッス。正体がバレたところで、使用人は辞めさせてもらいます。絶対に英雄扱いはされたくないので」
「ちょっと、ヴェイル!」
突き放す口調で言ったヴェイルが最後に現れたひときわ大きいドラゴンの亡骸の横をすり抜けてドアへと向かう。
彼の寂しげな背中にこのまま行かせてはいけないと立ち上がった瞬間、ヴェイルがドアに手を伸ばす前に、そのドアは開かれた。
「剣聖の英雄だ!」
「すごいぞ! マジで一瞬だった!」
「かっこよすぎる……!」
ドアから押し寄せる生徒たちの波は興奮しきっている様子だった。
くるりと方向転換をしたヴェイルは、ハルトの隣で呆然と立ち尽くしている私を腰から担ぎ上げる。
気付けば肩に布団でも担ぐみたいにして担がれていた私が「は!?」と声をあげると、ハルトも隣で同じように「え!?」と驚愕した声をあげていた。
「使用人としては働けないんですが、ちょっと寮で匿ってください。宿代は払いますんで」
「ちょっ、メルちゃん、どこに連れてく気だ!?」
「もちろん第一男子寮だ。匿ってもらうにしても責任者の許可がいるだろ。だから借りてくぞ」
「はああ?」
「安心しろ。ちゃんと無事に返す」
ヴェイルが「メルリアさんは暴れないでくださいね」と告げてから走り出すと、混乱しているハルトの顔が一瞬で見えなくなる。
ドアからなだれ込んだ生徒たちもこちらに向かって走ってきたけど、ヴェイルの速度には誰も追いつけなかった。
風魔法を帯びたその走りは、走っているというよりはほぼ飛んでいる。
衝撃の展開の連続に、私はもう抵抗することは諦めて、担がれたまま力を抜いた。
こういうときは流されておくしかないものだ。
「はあ、ヴェイル。匿ってあげるわ。管理人室の奥の部屋が物置なの。あそこなら、誰も人がいるなんて思わないから、ソファー持ち込んでそこで寝なさい」
「よかったッスよ。英雄として期待されながら働くなんてまっぴらごめんなんスけど、生憎まだ引っ越し先も転職先も決まってなくてね。助かります」
安心したように言うヴェイルは相変わらず酒臭い。
第一男子寮にたどり着くまでの道のりは、ずっと剣聖の英雄をたたえる声が聞こえ続けていた。
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