18 竜雨
アンリに生活魔法を教えて欲しいと頼んだ放課後。
私とアンリは魔法練習場に居た。
ウィンダム魔法学園が誇る魔法練習場は広々とした空間で、天井は開放的なガラス張りの空間になっている。
魔法が暴発したときのための自動防衛魔法システムが搭載された魔石が壁に埋め込まれていて、誰かが魔法に失敗しても、すぐに一人一人に防衛魔法のシールドが張られる仕組みになっている。
ウィンダム魔法学園で一番安全な場所である魔法練習場で、私は平和な生活魔法の練習をはじめた。
「よ~く見ててね。お洗濯は、こう」
制服の内ポケットから杖を取り出したアンリが杖を振る。
音楽でも奏でるみたいにアンリが杖を揺らすと、空中に浮かび上がった水の塊が大きな水の球になった。
「これを回転させて、洗剤をぽんって入れちゃえばオッケー」
言いながら、アンリは浮かべた水球を回転させる。
天井から入る光が反射してキラキラして綺麗だ。
とても生活魔法だなんて、庶民的な響きの種類の魔法だとは思えない。
見惚れる私に微笑んでアンリが杖を下ろすと、水球は弾けて床に雨を降らせた。
「メルもやってみて」
「……絶対に、笑わないでね!」
「もちろん」
魔法練習場には他にも多くの生徒がいる。
何もしなくても完璧な氷の女王様が魔法の練習をしているところなんて見せるわけにはいかないから、今日の私は制服の下に着たパーカーのフードを深く被っている。
そのフードを更に深く被り直してから、杖を振った。
「えいっ!」
気合いを入れて水を出現させる。
ここまでは出来ると思っていた。
「そう。それをボール状にして」
「う、ぐうう、ぐ」
ぎこちなく杖を振りながら、歯を食いしばる。
水の動きも、アンリがやったみたいに美しくはなく、ガタガタ震えながらどうにか歪な塊になる。
「そこで回す!」
「ぎ、うううう!」
変なうなりをあげながら身もよじりつつ杖を振る。
ぐにゃっとぞうきんを絞ったみたいな形になった水の塊はそのままぐしゃっと潰れて地面に落ちた。
「あははは! メルってば、ほんっと不器用!」
「う、うっさい! 最初は誰でもこんなもんよ! アンリが器用なだけ!」
肩を怒らせながら叫ぶ私に対して、アンリはおなかを抱えて笑っている。
笑わないでって言ったのに!
唇を噛んで羞恥を押し殺す私を見て、「ごめんごめん、練習あるのみだよ!」と言って、アンリは私が呻いたりもがいたりしながら生活魔法を練習しているのを見ていてくれた。
生活魔法は洗濯だけではない。洗濯物の乾燥はもちろん、風魔法を応用した木の剪定、火炎魔法を使った料理、水魔法と風魔法を組み合わせた掃除方法などなど。
様々な魔法をアンリは見せてくれて、歪ながらも一通りやり方は覚えられた。
一応お嬢様育ちの私は、こういった生活魔法は使ったことがなかったから、こんなに難しいものだとは思っていなかった。
アンリが買ってきてくれた魔力回復薬を飲みながら、私は深く息を吐いた。
「こんなに難しい魔法をヴェイルはぽんぽん使ってたわけね。あんな人材を手放すことになるなんて惜しすぎるわ……」
「ヴェイルさん酒臭いけどイケメンだしね。辞めちゃうなんて本当に惜しすぎる……!」
「そういえば、アンリは警備魔法は使えないわよね」
「無理無理! 練習すれば出来るかもしれないけど、あれは向き不向きがある魔法だからね」
「相当高度な魔法だものね。はあ……」
「ヴェイルさんが居なくなる前に使える人が見つかると良いけどね。……あ、セドリック先輩だ」
アンリが呟いた視線の先を見ると、そこには確かにセドリックが居た。
魔力回復薬を片手に魔法練習場に入ってきたところを見ると、今来たばかりなのだろう。
こちらに気が付いた様子で、セドリックは王子様スマイルで爽やかに手を振ってくれた。
「やあ。メルリア、アンリ。魔法の練習かい? テストでもあるの?」
「テストだったら、もっと焦ってやってますって。ヴェイルさんが退職するらしいんで、その穴を埋めるバイトになろうと思って生活魔法の練習してたんです。ほら、第一男子寮ってイケメン多いですから、潜入のチャンスだと思って」
さらっとアンリが嘘を吐いて、氷の女王様が練習していたということを隠してくれる。
でも、にひひと笑うアンリの目が本気なので、全てが嘘ではないなというのも確信した。
アンリの悪い笑顔にも、「そうなのか」と真剣に頷いたセドリックが眉を寄せた。
「ヴェイルさんが辞めるって話は、寮でも噂になってたから聞いたよ。だから、僕もメルリアの力になれるかと思って、ここに来たところだったんだ」
「セドリックは生活魔法が使えそうだものね。その練習に来たの?」
「練習に来たのは合ってるけど、生活魔法じゃなくて警備魔法だね」
「使えるってことですか!? すっご!」
さらりと告げられた言葉にアンリが口元を隠して大きな声をあげる。
どうにか氷の女王様の仮面を守れた私は内心狂喜乱舞してしまって、セドリックの手を思わず握ってしまっていた。
「へっ!? め、メメルリア!?」
「こんなに身近に素晴らしい人が居たなんて……どうして私は気付かなかったのかしら」
「そ、そんな。君にはハルトが……」
「そういえば、ハルト先輩。今日はメルのお迎えに来ないんだね」
「今日は日直だって言ってたわよ」
今朝、私と同じく寝坊したハルトは、大慌てで制服のネクタイを締めながら「先帰ってていいからね」と言っていた。
先に帰ってはいない状況だけど、いちいちどこにいるか伝える必要はないだろう。
それより、今は警備魔法だ。
「セドリック。あなたがどうしても必要なの」
「う、うん。僕も君が……」
「警備魔法。どのくらいの範囲で使えるの?」
詰め寄るように訊ねると、真っ赤になっていたセドリックが「あ、ああ、そうだった。魔法の話だった」と頭を横に振る。
他になんの話だと思ったのか。
首を傾げる私の隣で、アンリがおかしそうに笑っているのは無視した。
「ヴェイルさんは第一男子寮全体を覆う警備魔法を展開できてたみたいだけど、僕はせいぜい自分から半径十メートルくらいかな。冒険者が野営のときに一般的に展開している程度の範囲だよ」
「そうよね……。ヴェイルが異常なのよね」
「でも、僕にはスキルがあるから、それが少しはメルリアの役に立つかもしれない」
そういえばセドリックのスキルを聞いたことはなかった。
「どんなスキルなの?」と訊ねると、彼は自信ありげに微笑んだ。
「【探知】だよ。知っている魔力だったら、その魔力の位置を正確に特定したり、近くに来たら感知できる。警備魔法は魔力位置がアバウトにしかわからないけど、【探知】は正確にわかる。僕が知っている魔力限定の特化版という感じだね」
「ほうほう。なるほど。そのスキルがあったから、私を正確にストーキングできてたってことですね」
「その節はすまなかったよ……」
悪気なく古傷を抉るアンリに、セドリックが肩を落とす。
確かに知っている魔力限定になるから、警備魔法ほど信頼が置けるものではないけど、ないよりはずっといい。
「【探知】の範囲はどのくらいなの?」
「常時発動している分だと、第一男子寮をカバーするくらいはできるよ。集中すれば、もっと範囲を広げることもできるね。学園全体は見られると思う」
「へ~。人捜しにめっちゃ便利ですね」
「そうだ。範囲を広げて、試しにハルトを探してみようか」
褒められて嬉しかったのだろう。
にこにこと素直に喜びを表現しているセドリックが目を閉じる。
集中しているのだろう。キリッとあがった眉毛が凜々しい。
伏せられた睫毛がびっくりするくらい長くて、アンリが「やっぱ顔いいなぁ……」と呟くと、セドリックがゆっくりと目を開いた。
「見つけた。職員室にいるね。たぶん今日の日誌を提出しに行ってたんだろう」
「へえ。職員室なんて、ここから十分はかかるじゃないですか。そんな簡単に遠くまでわかるんですね」
「【探知】で探ると、それほど遠い距離じゃないよ。ハルトがなぜか焦った感じで走り出したのが気になるけど」
「メルに会いたくて走ってるんじゃない?」
「どうせ面倒な女の子にでも追いかけられているんでしょう」
からかってくるアンリに冗談めかして肩を竦める。
そんな私たちのやりとりに、セドリックは何の反応も示さずに険しい表情を見せた。
「セドリック? 何か気になることでも?」
「ハルトが本当に急いでいる。校舎の窓から飛び降りて走っている」
「そんなにメルに会いたいんですかね」
暢気なアンリが首を傾げる。
ハルトがそこまで焦る理由はなんだろう。
面倒な女の子から逃げるにしても、ハルトはきっとその子の気持ちをうまくかわして逃げるはずだ。
窓を飛び降りてまで必死に逃げることなんてあるだろうか。
考えて、ふと思い出した。
ハルトが魔物の不審な動きを竜害の前触れなんじゃないかと言っていたことを。
「セドリック。【探知】は上空まで範囲が及んでいるの?」
「上空? いや、今は横に広げているから、高い位置まではわかっていない」
「上空に広げてみて。……あと、実家が竜害に遭ったあなたには酷な質問かもしれないけど、セドリックはドラゴンの魔力はわかる?」
知らぬ間に眉間にしわが寄っていた。
恐怖の滲んだ表情でセドリックを見ると、彼はハッとした様子で頷いた。
目を閉じて、セドリックが集中する。
そして、次の瞬間には彼は大声を張り上げた。
「伏せろ! 落ちてくる!」
叫んだセドリックが、私とアンリめがけて飛びかかってくる。
後ろに倒れ込みながら、私はセドリックの後ろに視線を投げた。
ガラス張りの天井の向こう側。突き抜けるような青い空から、いくつもの点が高速で迫ってくる。
私の背中が床につくまでの間に、それはガラスの天井を突き破り、まさに落ちてきた。
ガラスの雨が降り注ぎ、悲鳴と恐怖が魔法練習場に満ちる。
壁に埋め込まれた自動防衛魔法システムは、人の魔力以外には反応せず、ウィンダム魔法学園で一番安全なはずの魔法練習場も魔物の前では、ただの箱なのだと知った。
そして、同時に魔物の中でも最強の存在の恐ろしさも、知ってしまった。
「ド、ラゴン」
「グォオオオオオ!」
突如降り注いだドラゴンたちは、大地を震わす叫びをあげた。
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