02 前途多難
テラスに立っているイケメンは言葉を失うくらいに綺麗だった。
月明かりに照らされる黒髪は柔らかく風に揺れ、大きな紫紺の目は輝きを集めた宝石箱みたいに美し。頬にくっきりついた平手打ちの痕すらもどうでもよくなるほどだ。
すべてのパーツが収まるべき位置に収まっている芸術美に感動していて、自分がどんな格好をしているか忘れていた。
はっと思い出して、ベッドの上から体を起こす。
ラフなシャツ、ショートパンツ、ぼさぼさの髪。ベッドの上のスナックに、床に散らばった制服と鞄。
氷の女王様が聞いて呆れる有り様を見られたことに衝撃を受けていると、イケメンも我に返った様子で外側からテラスの戸に手をかけた。
「は、入ってくるの!?」
小声で慌てた私は、氷の女王様の表情をする。
こんな散らかった部屋で、だらしない格好のまま氷の女王様になったところで滑稽でしかない。わかってるけど、やらざるを得なかった。
イケメンはためらいなくテラスの戸を開けると、慌てた様子で飛び込んでくる。
それから、こっちにずんずん歩いてきて、その手で私の両肩をむんずと掴んだ。
「無礼ですよ。夜に女性の部屋にテラスから上がり込むだなんて」
「噂の新しい管理人はマジでメルリア・トゥルーリアだったんだな。いやぁ、やっぱり綺麗だわ。どの角度から見ても可愛い。髪の毛無茶苦茶だし、制服脱ぎっぱだし、服もだらしなさすぎるけど、隙がある感じでいい。スナック菓子がほっぺについてるところなんて、最高」
ふっとイケメンはその整った表情を緩めて、私の唇の端をなぞる。
指先についたスナック菓子の欠片をぱくんと食べて、イケメンは甘い表情のままに覗き込んできた。
「氷の女王様で有名なあんただけど、実際はこんなにだらしなくって、独り言激しい女の子だったんだなぁ。バレるとまずいんじゃない? 管理人生活初日で、キャラ崩壊はキツいっしょ」
初日キャラ崩壊は、避けた過ぎる……!
【魅了】スキルを制御するために、感情をコントロールしてるっていうのはもちろんある。
でも、小さい頃より感情も魔力も制御できるようになったから、ぶっちゃけると大袈裟すぎる氷の女王様キャラはやめても全然OK。
でも、ずっと続けてきた氷の女王様キャラを手放すタイミングが私にももう謎なのだ。
とりあえず、入寮初日がそのタイミングじゃないことは確か。
本性がバレるわけにいかない私は、イケメンを睨んだ。
「……なにが望み?」
「う~ん。そうだな。体?」
にんまり笑ったイケメンが、私のショートパンツを履いた腰を撫でる。
ぞわっとして身を引いたら、イケメンはクスクス笑った。
……最低だ。こいつは。
イケメンだろうが、やっていいことと悪いことがある。
いきなり女の部屋にテラスから侵入して、脅した挙げ句に体を要求して腰を撫でるなんて所業は最低でしかない。
感情が爆発しかけたので、魔力で【魅了】は押さえ込んでおく。
こんな状況で相手を興奮させるスキルが発動したら、本気で私の貞操が危うい。
スキル制御には細心の注意を払いながら、私はイケメンの胸を押して突き放した。
「そんな下劣な要求がよくできたものね。あなた、名前は?」
「あれ? 会ったことあるけど覚えてないか。俺はきれいなあんたのこと、しっかり覚えてたけどなぁ。まあ、忘れられても仕方がない。俺はハルト・ガルム・ガロウ。そういえばわかってもらえるかな?」
宝石みたいな紫紺の瞳を柔らかく細めて、あざとく小首を傾げるイケメンの正体に私は言葉を失う。
ガルム。その名を冠することができるのは、隣国ガルム王国王家のみ。
第二王子の名前が確かハルトで、ウィンダム魔法学園に在籍中だと聞いていた。
つまり、この目の前のイケメンは、ガルム王国第二王子のハルト様だということになる。
「王子がどうして管理人室のテラスなんかに……」
「あ、ヤバい」
文句と疑問を放とうとした私の口は、彼の手に覆われる。
焦った顔をしたハルト王子はテラスを見やると、私の肩に手を伸ばす。
何事かと思っていたら、気付けば私は彼の胸に顔を埋めていた。
「へ? へっ!?」
「しー! 秘密守りたいならお静かにッ」
男の人に抱きしめられるなんて、前世を含めて初めての経験だ。
がっしりとした腕が背中に回っていて、とにかくめちゃくちゃいい匂いがする。
甘いようでいて爽やかな香りで胸がいっぱいになって、頭の中が真っ白になった。
だから、テラスに女性が降りてきても驚く余裕もなかった。
「ハ〜ル〜ト〜! また浮気しましたわね!?」
テラスに降りてきた女性は、とにかくぶちギレている。
ウェーブを描いた金の髪が逆立っているみたいだ。
背景に般若を背負って、ゆらりとこちらに来る女性にビビりながら、私を抱きしめっぱなしのハルト王子の顔を見上げた。
「う、浮気したのですか?」
「いや、誰が浮気かは俺にも分からないと言いますか……」
「そんなことよりこんな体制でいたら、私まで殺されそうではないですか」
女性は、殺意に満ちている。
このままじゃ、このチャラ王子に巻き込まれて私も殺されかねない。
逃れようとハルト王子の胸をグイグイ押してみたけど、今度はさっきみたいに突き放せなかった。
焦る私をハルト王子は更に抱き寄せる。それから耳元に唇を近づけてきた。
「な、なななに」
「いろいろバラされたくないっしょ? それなら話合わせて。頼む!」
「は?」
困惑する私をよそにハルト王子は、烈火のごとく怒る女性に見せつけるように私をぎゅうっと抱き締めた。
「だから、本気になるなら相手はしないって言ってあっただろ、マリアベル。ビンタされたほっぺ、めちゃくちゃ痛いんだけど」
「ハルトがいけないんじゃないですか! 本気になるくらい優しくしたくせに!」
マリアベルがハルトの言葉に涙を流す。
困った表情を見せるハルト王子は、こういう状況に慣れている様子だ。
こんな修羅場に慣れるだなんて、この王子はどれだけ罪を犯してきたのか。
抱き締められていることも忘れて、冷え切った目で彼を見ていると、彼は私の頬をツンと指さした。
「マリアベル。悪いんだけど、俺本命ができたんだ。いつか再会できると思っていた運命の相手と再会しちゃったんだよ。この子と付き合うことにしたから、こうやって本命彼女に迷惑かける子とは今後付き合えないんだ」
「本命彼女ですって!? あなたは誰ですの!?」
キッとマリアベルが私を睨む。
あまりの恐ろしい目つきにびくっと跳ねた私の肩を撫でたハルト王子が囁いた。
「合わせて。じゃないと、氷の女王様ごっこはおしまいになるよ」
さっきから、この人脅しすぎじゃない!?
腹が立つけど、仕方が無い。
私は氷の女王様フェイスでマリアベルを冷静な眼差しで見返した。
「今日から第一男子寮管理人になりました。一年生のメルリア・トゥルーリアです」
「あなた、ハルトのことが好きなの!? 私よりも!?」
羨ましいくらい豊かな胸に手を当てて、マリアベルが泣きそうな声をあげる。
どう考えたって悪いのはハルト王子だというのに、彼の味方をしなければならない状況が不本意だ。
じろっとハルトを見上げると、彼が「俺の言葉真似して」と耳元で囁く。
私は言われたとおり、彼の言葉を淡々と復唱した。
「ごめんなさい。あなたの愛がどれほどのものかわからないのですが、社交界で一目見たときから、彼のことが忘れられずにいました。今日運命の再会を果たして、告白をしていただき、彼とお付き合いすることになりました。彼がどれほどあなたを傷つけたことかわかりませんが、どうか許してあげてください。お願いします」
なんで、ハルト王子の罪を私が謝らなければならないの!?
怒りを込めてハルト王子を睨んだけど、彼は意に介さず甘い表情をして見つめ返してくる。
絶賛恋人演技中なのはわかるが、いかんせん顔が良すぎる。
こんな素敵な顔が近くにあったら、反射的に顔が赤くなってしまうし、自然に照れた感じで目をそらしてしまう。
その光景は、マリアベルにはいちゃつくカップルに見えたことだろう。
マリアベルは唇を噛むと、こちらに大きな足音を立てて歩み寄ってくる。
彼女は、そのまま思い切り手を振りかぶって、ハルト王子の赤くなった頬とは反対側の頬をはたいた。
見事両頬に紅葉をつくった彼が苦笑すると、マリアベルは「覚えてなさいよ!」と私を睨みつけて部屋を出て行った。
マリアベルが出て行ったドアが激しく音を立てて閉じて、開けっぱなしのテラスの窓から風が吹き込む。
嵐が過ぎ去ったような心地で、ぽかんとしていると、ハルト王子がスンスンと私の頭上で鼻を鳴らした。
「君って、いいにおいがするんだね。今までかいできた女の子の香りの中で一番素敵な香りだ」
「今こっぴどい目に遭ったばっかりだって言うのに、なんなのあんたは!」
私のプラチナブロンドの髪を一房手に取って、口づけを落とす彼から慌てて身を離す。
氷の女王様の仮面を忘れていたことに「あ」と口を開くと、彼はクスクスと愉快そうに笑った。
「ぷっ、くくく。メルリアは氷の女王様のときは綺麗だけど、メルちゃんの時はとってもかわいいな」
「私もあんたの頬をはたいてもいいのよ」
「ほっぺ両方ともヒリヒリしてるから勘弁して」
大袈裟なそぶりで両手を振って拒否するハルト王子に、呆れた私は腕を組む。
「恋人のふりさせられるなんて、迷惑でしかないわ。私は恋愛しない主義なの。これで変な噂が流れたら、責任とってもらうわよ」
「ああ、それならもう噂は流れると思うから、俺は責任とるしかないなぁ」
「は?」
「マリアベルって面倒見よくて、友達も多いんだよ。女子寮に戻ったら、間違いなくこの件で友達に泣きついてるだろうからな。さて、どう責任とろうか」
なんでもないみたいに言って、顎に手を当てて考え込む姿も美しい。
でも、美しいだけで騙される領域を超えた大迷惑を被っていることを知った私は青ざめた。
入学初日に、ガルム王国の王子をたぶらかした男子寮管理人だなんて、外聞最悪だ。
こんなチャラチャラ王子のために私の評判がガタ落ちになることに、衝撃を隠せない。
ぽかんとしている私をよそに、ハルト王子はぽんと手を打った。
「よし決めた。責任取って、俺はこれからもメルちゃんの恋人のふりをしよう」
「なんで、それがさも私のためみたいな言い草なのよ」
「メルちゃんのためだからだよ。考えてもみろよ。こんな修羅場演じといて、明日から他人みたいな態度とってたら、メルちゃんはどう思われると思う? 出会って一日で恋に落ちて、次の日にはそいつを捨ててる悪女だよ? 氷の女王様に悪女属性付与されちゃったら、それはもうマジで悪役じゃん」
誰のせいだと思ってるのか。
へらっと笑っているあんたのせいで、私の平穏な学生生活が、本格的に始まる前から崩れ去ろうとしているのに。
でも、怒ってたって仕方が無い。
ハルト王子の言うことはもっともだ。
しばらく頭を抱えて、重苦しいため息を吐いてから私は渋々頷いた。
「わかったわ。ハルト王子と私は今日から恋人(仮)です。でも、(仮)だから。私はあなたを好きにはならないから、勘違いはしないでね」
びしっと彼を指さすと、ハルト王子はきょとんとしてから、子どもみたいな無邪気な表情を見せた。
「了解。恋人(仮)ね。じゃ、俺は浮気し放題ってわけだ。ちょうどよかった。本命っていう体の女の子がいないと、マリアベルみたいな良い子だし美人なんだけど、ガチになっちゃう女の子が引っかかっちゃうから困ってたんだよな~。俺って第二王子だから、将来的には政略結婚させられるだろうし? 今この瞬間だけの恋愛を楽しみたかったんだ、俺」
「最低のクズ野郎発言をしてるって自覚した方がいいわよ、あなたは」
「あ、俺のことは『はぁくん』って呼んでくれていいからね。恋人っぽいし」
「そんなアホみたいな呼び方しないわよ!」
「あ、そう? でも、恋人なのにハルト王子って呼ぶのは変だから、せめてハルトにしといてくれな」
「……わかったわ」
承諾すると、ハルトは嬉しそうに目を細める。
大きな紫紺の目がやんわり弧を描く様は、ずるいくらいかっこいい。
この整いすぎた顔が彼の罪をつくってきたのだと思うと、頭痛がした。
「じゃあ、とっと帰ってハルト。私の本性について、よそで話したりしたら、私はあんたを許さないわよ」
「俺も恋人(仮)契約で助かるんだし、言わないよ。メルちゃんが、この契約を守ってくれる限りはね?」
ぺろっと唇を舐める表情は悪どい。
綺麗な顔して、この王子は絶対に腹黒い。
「おやすみ」とウインクを残してハルトが去って行った部屋で、私はがくりと肩を落とした。
「前途多難すぎるでしょ……。私の管理人生活」
*
翌日。
私は初めての登校日を迎えた。
初めて会うクラスメイト。初めて入る教室。
内心の緊張を隠しながら、教室の戸を開けた私はピクッと眉を動かした。
「あの子よ。ハルト様の恋人っていうのは!」
「昨日マリアベル先輩を泣かせた氷の女王様……!」
「すげぇ綺麗だな、噂の氷の女王様!」
前途多難なのは管理人生活だけでなく、学校生活もなのだと、悟った。
【作者からのお願い】
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