16 乱闘
「メルちゃん、大丈夫なわけ? 勝負はどうでもいいんだけど、ぶっ倒れたりしないでよ」
「大丈夫よ、私お酒強いの」
心配そうに言うハルトに返事をしながら、口についた泡を拭う。
飲み比べ勝負は現在互いに五杯目。
ミハルセンも順調に飲んでいるのに顔色が変わっていない様子から見て、彼も相当酒に強いことが窺える。
酒場は闘技場状態で、私たちのテーブルの周りを客が囲んでいる状態だ。
プライド的に負けたくはない状態なので、気を引き締めて次の酒を頼む。
店員も最優先でこちらに酒を届けてくれるため、また巨大なジョッキがテーブルに乗った。
「俺のために戦ってくれるなんて、メルちゃん勇ましすぎっしょ。ますます好きになったわ」
「ええ、酒が飲めないあんたのためよ。この対価は高くつくわね」
ふっとハルトにだけ見えるように笑むと、彼は浮かべていた笑みを苦笑に変える。
六杯目のビールに口をつけた。
「やるな、お嬢ちゃん。かわいくほっぺ赤らめた方が可愛いってもんだぜ」
「狙った男の前でなら、そのくらいのことはするわ。あなたの前ではやる意味がない」
婚活時代はいくらでもやった手法だけど、恋愛をしないと決めた今、そんな面倒なことはやる必要が無い。
今は氷の女王様を演じてすらいない。
素でむかついている私だ。
ミハルセンより早く六杯目を飲み終えた私は、手を挙げて七杯目を頼む。
「おお!」と沸く観客に、眉を寄せたミハルセンが腹をさすって厨房を指さしたのは、気持ち悪くなってきたというサインか。
勝ち筋が見えた気がする。
内心口角をあげた私の前に七杯目のビールがやってくる。
そのジョッキに手を伸ばそうとした瞬間、横からハルトの手が伸びた。
「え」
なに?
そう問いかけようとした瞬間には、ハルトはジョッキを持って立ち上がっていた。
世界が一瞬スローモーションに見えたのは気のせいだろう。
彼は、そのジョッキの中身をミハルセンに向けて傾けていたのだ。
頭からビールを被ったミハルセンは、飲んでいたビールを勢いよく噴き出して犬みたいに首を振る。
「てめぇ、何しやがる!」と叫ぶ間にもビールをかけられ続け、彼の叫びは溺れているような声になった。
盛り上がっていたオーディエンスも、ハルトの奇行に静まっている。
そんなことも気にせず、私に背を向けたハルトは、ジョッキをそのまま床にたたきつけてかち割った。
「ちょ、っと。何してるの」
誰もが呆然としていて聞けなかった質問を、どうにか私が口にする。
ビールのついた手を払ったハルトが振り返った。
その表情が冷たい怒りに満ちていて驚いた。
「薬、盛られるとこだったよ、メルちゃん」
「薬……?」
「厨房に合図送ってたろ、ミハルセン。どうせ金で買収してたんだろ。最近いい狩りができたって、さっき言ってたしな。よく見てたら、厨房でその酒に青い薬入れるとこが見えた。その男だ」
ハルトが指さした先、厨房にいた男がびくりと肩を跳ねさせて、ひそひそ退場しようとしたところを上司らしき人に首根っこを捕まえられた。
ハルトはそれを横目に見てから、ミハルセンを睨みつけた。
絶対零度の光を帯びた紫紺の瞳に、ミハルセンは酒をしたたらせながら「ひっ」と情けない声をあげる。
「媚薬の中にああいう青い薬があるって女の子たちが言ってた。酒に混ぜると色も匂いもなくなるってな。俺の女に媚薬盛るってどういうつもりだ? ミハルセン」
「な、なな、なんの証拠があるんだ!」
「おまえの体が火照ってきてるのが、その証拠なんじゃないの? 直接飲んでないとはいえ、あんだけ頭から被りながらふがふが喋ってれば、口の中にも多少は入ってるよな?」
ハルトが悪役じみた笑みを浮かべて首を傾げる。
確かにミハルセンの頬はさっきよりも蒸気しているように見えるし、呼吸も少しずつ浅くなってきている気がする。
「クソッ!」と声をあげたミハルセンは、膝を突いてハルトを睨みあげた。
「俺に何度も何度も恥かかせやがって! 許さねぇからな、ハル!」
「ッ、メルちゃん!」
大声を張り上げたミハルセンが何をしたのか一瞬理解できなかった。
攻撃魔法を向けられたことなんて、人生で一度もなかったから理解が追いつかなかった。
ハルトが庇うように私を抱き締めてしゃがんでくれていなかったら、ミハルセンの放った衝撃波は私とハルトに直撃していた。
私たちがかわしたということは、後ろの観客に直撃する。
「ぐあっ」と声をあげて男が倒れると、その傍らにいた男が「てめぇ、何しやがる!」と声をあげてミハルセンに殴りかかりに行く。
ひとつの魔法攻撃により、あちこちでぶつかり、殴り合いが起き、魔法と怒声が酒場を飛び交い始める。
ミハルセンがひいひい言いながら酒場を抜けていっても、私は争いの中心でハルトに抱き締められたままうずくまっていることしかできなかった。
「ちょっと、ハルト。どうするのよ、この状況」
「冒険者は血気盛んだからなぁ。こんくらいのことは日常なんだろうけど、俺たち的には日常じゃないし……。さ、どうしよ」
苦笑しながらもハルトは視線を巡らせて脱出口を探してくれている。
私も周囲に視線を走らせるけど、私とミハルセンの飲み比べの周りに人が集まっていたから、ここは完全に争いの中心地になってしまっていた。
抜け出せたミハルセンの逃げ足には感服してしまうくらいだ。
困って周囲を見回していた私の視界に剣が迫る。
武器まで出して喧嘩するのかと驚いていた私をハルトが、ぎゅっと抱き寄せた。
「危ない!」
ハルトの声に振り返ると、背後には丸太みたいな足が迫っている。
ハルトの背後には剣が迫っていて、胸元に忍ばせた杖を取り出す時間はなさそうだった。
このままではハルトが危ない。
そう思うと、私はハルトの背中越しに剣に向かって手を伸ばしていた。
あの刃を握れば、ハルトの背中は貫かれないかもしれない。
混乱した末の判断で、自らの手を犠牲にすることにした私は、痛みに備えてぎゅっと目を閉じる。
その瞬間耳に届いたのは、気だるげな声だった。
「そのまましゃがんでてくださいよ」
ハッと目を開く。
視線をあげると、私の背後の足を蹴り上げ、ハルトの背に迫る剣を他の男が持っていた剣で弾いたヴェイルがこちらを見下ろしていた。
鋭い視線を周囲に向けるヴェイルは、いつもの眠たげな彼からは想像もつかない機敏な動きで、周囲からの攻撃をすべていなして、私の手を握って掴みあげた。
よろけながらも立ち上がった私に、続いてハルトも立ち上がる。
焦げ茶の瞳を細めたヴェイルは、ハルトに苦い笑みを向けた。
「しっかり着いてこいよ、悪ガキ。メルリアさんは、しっかり俺の手を握って、傍にいてください」
「行くっスよ」と囁いて、ヴェイルは屈強な男たちの争いの輪をくぐっていく。
後ろからハルトもしっかり着いてきて、私たちはようやく酒場からの脱出に成功した。
握っていた手を離して、ヴェイルはふうと一息吐く。
遅れて出てきたハルトも安堵した様子で息を吐いて、膝に手をついた。
「マジでヤバかったな。ヴェイルさんが来てくんなかったらケガしてたかもしれない。ありがとうございました」
「気にするな。俺は頼まれて助けただけだ」
「頼まれたって誰に……」
ハルトと一緒にきょとんとしていると、ヴェイルがにこやかに手で後ろを指し示す。
街灯の明かりが届かず影になっていた部分から、ぬっと現れ出たのは、よく知った顔だった。
「学園長!?」
「お父さん……!」
腕を組み、怒り心頭の様子のお父さんは低い声で告げた。
「メル。そして、ハルト君。ふたりとも、学園長室に来なさい」
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