15 飲み比べ勝負
冒険者ギルドの酒場は異様な雰囲気だった。
いつもキラキラな第一男子寮に居たから、こういう世界があるのだということをすっかり忘れていた。
男臭くて、酒臭くて、うるさくて、雑然とした世界。
それがこの酒場だった。
そんなこの酒場で異様に目立っているハルトを、私はじとりと睨みつけていた。
「あ、はぁくんじゃん。やっほー。久しぶり」
「ああ、久しぶり。元気だった? レナちゃん」
「はぁくん! 来てくれないから寂しかったぁ」
「ごめんねぇ、エリハちゃん。俺本命できちゃったの」
「聞いた聞いた。可愛いわね、氷の女王様って呼ばれてるんだってね」
さっきから、店に入る女性が全員ハルトに声をかけて言っている気がする。
その度に愛想を振りまくハルトに、酒が進んで仕方がない。
ジュースを飲みながら女の子に手を振るハルトは、必ずさらりと私を本命として紹介する。
面倒な女除けにされているのだと思うと不愉快だけど、ここで争いを起こしても仕方ないので、氷の女王様のままで、毎度軽く会釈をしておく。
机の下でハルトの足を踏んづけることもなく、ただ本命として隣に座っていてあげているのは、彼がきちんと情報収集をしてくれているからだ。
「それで? 本命ができたのに、こんなところにどうしたの?」
「うん。実は警備魔法が常時展開できて、生活魔法も大得意! みたいなスーパー執事的な人を探してるんだけど、いない?」
紫紺の瞳を柔く細めてハルトがグラスを揺らすけど、揺れている液体はジュースだ。
それなのに色っぽく見えるのだから、顔のいい男はずるい。
女の子たちは顔を見合わせて、おかしそうに笑った。
「いないいない。警備魔法が使えるだけでも珍しいんだから」
「そうよぉ。生活魔法が得意くらいならいるかもしれないけどねぇ。例えば私とか。スーパーメイドとして、傍に置いてくれてもいいのよ?」
妖艶に笑んだ女性が、ハルトの首から顎をツツツと指先でなぞる。
慣れた調子で、緩く首を傾けたハルトは「もう」と困ったように眉を下げた。
「エリハちゃん。彼女の前だから」
言いながら、ハルトは私の肩に手を回してくる。
払いのけたい思いだったけど、ツンとした表情で女性を見上げると、彼女は「それはごめんなさいね」とからかうみたいに笑って去って行った。
「もういいでしょ、離しなさい」
露出多めな彼女たちが手を振って去って行くのを見送ってから、ハルトから身を離す。
惜しそうに「ちぇー」と声をあげたけど、ハルトはなんだか嬉しそうだ。
「なに、にまにましてんのよ」
「こういう風になるから、あんま来たくなかったんだけど、思ってたよりヤキモチ妬いてくれてて嬉しいなぁってね」
「ヤキモチなんて妬いてないわ。私たちは本当の恋人じゃないんだから」
「じゃあ、なんで不機嫌なの?」」
「それは……」
なんでだろう。
私たちは本当の恋人じゃないんだし、ハルトは浮気をしているわけでもないから、私が恋人に浮気されている惨めな人に見えることもない。
それなのに、なんで私は自棄な気持ちで酒を呷っているのだろう。
考えたけど答えは出ず、私は再びビールを呷った。
「わかんないけど、ヤキモチじゃない。だって、それは恋をする人の感情よ」
「ふ~ん」
頬杖をついたハルトがにやけながらこちらを覗き込んでくる。
明らかにからかってきている表情が気に食わない。
むっと唇を歪めて、私はぱっと手を挙げた。
「ビール。もう一杯追加」
「あいよ~」
「すげぇ飲むじゃん、メルちゃん。びっくりなんだけど」
「私はあんたが酒飲めなかったことの方が意外だわ」
「酒飲ませまくって女の子お持ち帰りしてると思ってた?」
「そんなことしなくてもお持ち帰りできるじゃない、あんたは」
「お、意外な角度からの高評価」
くすくす笑うハルトに、ため息を吐いて周囲の会話に意識を向ける。
この酒場では、私もハルトも目立って仕方が無い。
ほとんどが魔物を狩ることを生業としている冒険者の中に、魔法学園のお行儀のいい生徒が混ざっているのだから当然だ。
多くの人が私たちを見て何か話しているけど、気になるのはそんな話じゃなくて、近頃様子がおかしいという魔物の動きの件だ。
「西の門からも魔物が侵入したらしいぞ。かなり奥にまで来てたそうだ」
「俺がその魔物は狩ったぜ。あっさり倒せたんだが、なんか怯えきった感じだったな」
「南の洞窟にいるゴブリンが突然いなくなったんだが、なんでだ? 日銭稼ぐのにちょうどよかったのによ」
「東の草原も最近魔物見ないんだよな。獲物探すのに苦労するぜ」
ざわざわと聞こえる会話に意識を集中させていたのは、どうやら私だけじゃなかったらしい。
少しの間黙っていたハルトが、神妙な様子で口を開いた。
「なんか嫌な予感するな。俺の【予知】が『身の危険』を知らせてる」
「魔物に関することかしら」
「不便なスキルだからなぁ。でも、『メルちゃんが俺に惚れる』っていう【予知】は近々実現しそうで、喜んでるとこ」
「そのスキルは当てにならないということが今の発言でよくわかったわ」
「失礼な」
くっくとハルトが喉を鳴らして楽しそうに笑ったのと、目の前に影がさしたのはほぼ同時だった。
その影が後ろからさしているとわかって、私とハルトはほぼ同時に振り返る。
そこに立っていたのは、ひょろっとしたねずみっぽい顔をした男だった。
「げっ。ミハルセンか」
「よお。はぁくん。元気かよ」
「……あんた、この人にもはぁくんって呼ばせてるの?」
「違う違う。俺がハルト・ガルム・ガロウだって、こんなとこでバレたら厄介だから、名乗らなかった女の子が呼んでる名前で呼び出したの。ちなみに、ここでの俺は辺境貴族のぼんぼんのハルくんね」
「ひねりのない偽名ね」
「なに、ひそひそ話してんだよ」
とんがっている口を更にとんがらせて、ミハルセンがむっとした表情を見せる。
寄せ合っていた顔を離すと、ハルトは愛想笑いを浮かべた。
「ひそひそっていうか、イチャイチャしてたんだよ。この子本命だから」
「は? おまえ、今エリハとイチャイチャしてたじゃんかよ。あいつは俺の女だったんだぞ」
「エリハちゃん、それ否定してたけど」
「レナも俺の女なのに、おまえが声かけたからなびいて行っちまったんだよ。ったく。女はすぐに貴族だの肩書きのある男になびきやがる。あんたもハルの地位と金に惚れたんだろ? 玉の輿ねらいか? よかったなぁ、お嬢さん」
にやにやと嫌な笑みを浮かべてくるミハルセンに、目がいつもより冷たくなってしまう。
絵に描いたように嫌な男だ。
女性へのコンプレックスの塊的なものを感じる。
私のじとりとした目は、そのコンプレックスを更に刺激してしまったんだろう。
ミハルセンは、イラッとした様子で眉を寄せた。
「なんだ? 可愛い顔してるからって生意気な顔するなよ。美人はすぐに調子に乗りやがる」
「そんなつもりはなかったわ。ごめんなさい」
こんなところで喧嘩をしても、なんのメリットもない。
適当に謝ると、ミハルセンは調子に乗った様子でにんまりと下卑た笑みを浮かべた。
「なあ、お嬢さん、名前は? よく見たら本当に綺麗な顔しててびっくりしたぜ。ハルなんかより、俺の方がいい男だぜ。最近レアモンスターを狩れたし、金もあるんだ。どうせ、あんた金が好きでハルと付き合ったんだろ? 俺と付き合えば貴族みたいに縛られずに、金のある生活を送れるぜ」
ニヤニヤ笑うミハルセンが体を寄せてくる。
その手が私の足に伸びたところを、ハルトの手が強く掴んだ。
「おい、ミハルセン。彼氏の前で彼女に手出そうとするなよ」
「おまえは俺の目の前でエリハもレナも口説いて連れて行っただろ! 同じことしてるだけだろうが!」
「だから、エリハちゃんもレナちゃんもあんたとは何の関係も無いって迷惑がってたって」
「うるさい、黙れ! 喧嘩売ってんだろ!? いいぜ。勝負してやるよ。ここの流儀でな。おい酒!」
「あいよ~」
ミハルセンが声を張り上げると、ふたつビールが運ばれてくる。
高さが人間の頭ひとつぶんくらいある大きなジョッキになみなみと注がれた黄金酒。
そのジョッキのひとつを片手に、ミハルセンは大声をあげた。
「さあ、飲み比べ勝負だ! これで決着だぜ、この顔だけのクズが!」
ミハルセンの大声で酒場の視線が私たちに集まる。
嫌な笑みを浮かべるミハルセンは、ハルトが酒を飲めないことを知っていて、この勝負を仕掛けたのだろう。
大衆の前でハルトに恥をかかせることで、自尊心を満たそうというその行為が気に食わなかった。
渋い表情をして、ハルトがジョッキに手を伸ばす。
これだけ視線が集まっていて、断ることはできなかったのだろう。
ハルトの手が完全に伸ばされる前に、私がそのジョッキを手に取った。
「いいわ。その勝負受けて立ちます」
「ッは!? おいおい、お嬢さんじゃねぇよ。俺はハルに……!」
「あら、あなたが可愛いだの美人だの言ってくれるから『顔だけのクズ』は私のことかと思ってしまったわ」
随分自惚れた勘違い設定にしてしまったけど、もう後には引けない。
「ちょっ、メルちゃん」と衝撃を受けた表情をしているハルトを尻目に、私はジョッキを手に立ち上がった。
「まあ、どちらが勝負を受けても構わないでしょう。あなたは彼女の前で彼氏を罵倒したのだから、喧嘩を売られたのはこちらも同じこと。まさか、女相手じゃ無理だなんて情けないことは言わないでしょう?」
わざと煽るように顎を上げると、血気盛んなオーディエンスが「いいぞ、お嬢ちゃん!」と声をあげる。
この状況で、プライドが高そうなミハルセンが断れるはずもない。
想定外の状況に「ぐっ」と呻いたものの、彼は頷いた。
「いいぜ。多く飲めた方が勝ちのシンプルなルールだ。ちんたら飲むなよ。ガンガン飲め。一杯飲むのに五分かけるな。吐いたら負けだ。いいな?」
「ええ。いいわ」
「それじゃ、一杯目いくぜ。レディー、ファイッ!」
ミハルセンのかけ声で勝負では一杯目、実質的には三杯目のビールを呷る。
「ああ……」と諦めたように顔を覆ったハルトが視界の端に映った。
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