14 報告書と退職願
「なんで突然……?」
二枚の書類を持った手が震える。
セドリックからの告白をお断りした翌朝。
珍しく早い時間に管理人室を訪れたヴェイルはこの二枚の書類だけを持ってきた。
職務上の話だからという理由で、まだ寝ぼけ眼のハルトをひとまず廊下に追い出して確認した書類に、私は驚愕していた。
一枚は第一男子寮に昨夜魔物が入り込んでヴェイルが処理したという報告書。
そして、もう一枚はヴェイルからの退職願だった。
「第一男子寮はお坊ちゃんばっかりッスからね。立地的にも奥まった場所ッスから、突然魔物が現れたときは俺もビビったッス」
「いや、そっちにも驚いたけれど、私が驚いているのはあなたの退職願についてよ、ヴェイル」
もちろん、第一男子寮に魔物が侵入したということにも驚いた。
書類につけられた写真には、こちらを威嚇する様子の魔物の姿が映っている。
街の外をうろついている狼みたいな魔物だ。
でも、それよりも私にとってはヴェイルが退職したがっていることの方が大問題だ。
この第一男子寮では約十名の使用人がシフト制で働いている。
その中でも住み込みで朝から晩までの勤務時間で働いているのはヴェイルのみだ。
仕事ができて、このお坊ちゃんだらけの第一男子寮の護衛までやってくれているヴェイルが辞めるとなると、管理人としては痛すぎる。
どうして急に辞めるなんて言い出したのか。年下で学生の私なんかが上司になったから……? なに? なんで?
理由がわからず頭を抱える私に、ヴェイルは眠そうな焦げ茶の目を細めた。
「氷の女王様でもそんな顔するんスね。俺が辞めるってだけでそんな顔させられるなんて、ちょっとゾクゾクするな」
「何故辞めたいの? あなた、お父さんにスカウトされて一年と少しだったわね。ここの仕事が合わないとは思えないのだけど」
「合わないとは思ってないッスよ。得意な生活魔法が大活躍な職場ッス」
「では、何故?」
「魔物が侵入するような職場では働けないからッスよ。俺は弱いんで」
あっけらかんと言われた台詞に眉を寄せる。
腕が立たない人をお父さんが第一男子寮の護衛になんかするわけがない。
疑いの目を向ける私に、片眉を跳ね上げたヴェイルは、ふうと息を吐いて突然しゃがみこんだ。
「疑ってるようだから証拠見せますよ。こんな体じゃ満足に戦えないんスよ。俺は」
言いながら、ヴェイルはスラックスの右側の裾をまくり上げる。
立ち上がって、ひょいと彼が前に出した右足は鈍色の輝きを帯びていた。
「義足?」
「竜害に遭いましてね。足の付け根まで逝かれてるんスよ。バーグさんやメルリアさんが俺に護衛としての働きを期待してくれても、この狼狩るのが精一杯。今後強い魔物が来ても俺は太刀打ちできませんからね」
言いながら肩を竦めるヴェイルに目を瞠る。
彼の歩く姿を何度も見てきたが、まさか義足だなんて思ったことがなかった。
でも、予想外の現実に驚いている暇は無い。
ヴェイルが義足で戦うことが難しいとしても、彼の退職が第一男子寮の大きな損失になることは間違いないのだから。
「あなたが魔物と戦えないことはわかったわ。今まで頼りきりでごめんなさい。新しく護衛を雇うことにするわ。だから、使用人として引き続きここに居てはくれないかしら? 生活魔法が得意だって言っていたわよね」
「なんの期待もされたくないんスよ、俺は」
スッとヴェイルが目を細める。
その瞳が冷たい輝きを帯びたのが気にかかった。
彼はなにか隠している。
「辞める意思が変わらないのなら、私には止めようがないわ。でも、この職場に何か問題があるのだとしたら教えてちょうだい。あなたが辞めたことを皮切りに他の使用人まで続々と退職を希望されたら困るわ」
「この職場はいい職場ッスよ。メルリアさんは自由に仕事させてくれるし、使用人たちものびのび一生懸命働いてる」
「じゃあ、魔物が侵入することが怖いから辞めるという理由だと解釈するけど、それで合っているわね?」
「ええ」
実力者であるはずのヴェイルをちょっと挑発するつもりで言ったのに、彼はなんでもないみたいに退屈そうに頷いた。
唇を歪める私に、ヴェイルはくすっとおかしそうに笑った。
「俺は働きを期待されるくらいなら、裏切り者だって後ろ指さされるほうが百倍マシだと思う人間ッスよ。それに魔物が怖いって言うのはマジっスね」
「たった一度魔物が侵入したからって、居心地のいい職場を辞めるほどに魔物が怖いの?」
街の中心部に位置するウィンダム魔法学園の更に奥に位置するこの第一男子寮に魔物が入り込んだのは驚きだけど、街に魔物が侵入する事件はよく聞く話だ。そんなことで仕事を辞める人間は珍しいと言えるレベル。
それでも彼は辞めるというのだろうか。
ヴェイルの目をじっと見る。
彼が嘘を吐いたらすぐにわかるように。一挙手一投足を見逃さないように。
私の鋭い視線に、ヴェイルはふわふわの焦げ茶色の髪を困ったように混ぜた。
「そうッスよ。魔物に家族皆殺しにされたもんで」
「……家族を、皆殺しに?」
「珍しいことじゃないッスよ。竜害に遭ったって言いましたよね。ドラゴンに全員殺されたんッスよ。父親は元々いなかったスけど、母親と妹ひとり、弟ふたり。み~んな食われました」
「そのときにあなたの足も?」
眉を下げて話すヴェイルは、私の質問に頷くことも首を振ることもせずに、少しだけ小首を傾げる。
そんな悲しい過去を持っている彼が、魔物を恐れてここを去るというのなら、止める方法はないのかもしれない。
少しの間考えたけど、引き留める言葉も浮かばず、私は深いため息をこぼすしかなかった。
「……いつ、辞めるつもり? 少し猶予があると助かるのだけれど」
「次の住居が見つかるまでは居させてもらいたいッスね。仕事はなくてもいいんスけど、野ざらしはキツいんで、できれば」
「わかったわ。住居が決まって、出て行く日が決まったら伝えて。それまでにどうにかするわ」
「了解です。バーグさんには、俺から伝えに行きます」
「そうしてちょうだい。お父さんは泣くかもしれないわ」
「めんどくさいっすからねぇ。お父上は」
一瞬遠い目をしたヴェイルは、「それじゃ、出て行くまではそれなりに働きますんで」とにこやかに笑って管理人室を出て行く。
入れ替わりで部屋に入ってきたハルトは、ヴェイルの背を見送ってから、不思議そうな表情をして入ってきた。
「ヴェイルさん。すんごい神妙な顔してたけど、なんかあった?」
「ハルト。今すぐにでも仕事を探している人で、常時第一男子寮全体に警備魔法を展開することができて、魔物や刺客を倒す能力もあって、生活魔法が得意で、書類作成も早い、私に反抗しなさそうな人っているかしら?」
「そんな都合のいい人そうそう居ないっしょ」
「そうよね……」
がくりと肩を落とす私に、ハルトが「え、なに? 何事?」と戸惑っている。
両親が街の掲示板やギルドに求人情報を出しているところは見たことがあるけど、こんな条件で出しているところは見たことがない。
しかも、求人情報を出したところで、すぐに応募が入るとは限らないのが世の常だ。
ヴェイルが辞めるなら、辞めた穴をどうにか埋めて回していくしかない。
生活魔法が得意で書類作成が早い人くらいならすぐに見つかるかもしれないけど、警備魔法に関しては別だ。
警備魔法は高度なもので、常時展開にはかなりの魔力が必要になる。
第一男子寮はハルトのような王族もいる寮だ。この寮がこの手薄な警備でなんとかなってきたのは、ヴェイルの警備魔法によるところが大きい。
「せめて警備魔法が使える人だけでもいないかしら……」
「警備魔法ね。冒険者なら夜の見張りで必要だから、使える奴多いって聞くけどなぁ」
「冒険者。冒険者なら酒場にいることが多いわよね」
「ああ、そうだな。魔物の情報も集まるし、この街の冒険者ギルドは酒場も兼ねてるから……。って、メルちゃん? まさか冒の酒場に行きたいなんて言わないよね?」
ここは前世と違って、未成年の飲酒を禁止する法律はない。
けど、酒場は、特に冒険者が集まるギルドを兼ねた酒場は、荒れた連中が多く、両親には近寄らないように言われてきた。
でも、警備魔法が使える人がいるかもしれないなら、背に腹は変えられない。
苦笑いしているハルトに、私は元気に頷いた。
「今夜行くわよ、ハルト! 冒険者には、荒れた人も多いと言うわ。恋人なんでしょう? 私をちゃんと守ってね」
ハルトを煽るために、にこっとひとつ笑っておくと、彼は一瞬驚いた表情をして、顔を覆う。
「あー……」と唸ったハルトは、悪さが見つかった子どもみたいに視線をそらす。
「あんまり行きたくないんだけど………」
「なんで? ……あ。あんた一応第二王子様だし、そういう荒れてるっぽい場所には行きたくない? それなら、他を当たるわ」
「他って誰だよ。アンリちゃん?」
「アンリを連れて行くわけないでしょ。あんな可愛い子を連れて行けるわけないわ。そうね……。セドリックとか」
悩んだ末に出てきた名前にハルトが、明らかにむっとした。
「あのさ、昨日告白されたばっかだよね。恋人に喧嘩売ってる?」
「言ってから一緒に行くなら、浮気じゃないんじゃないの?」
「そうじゃなくてさ……」
セドリックの名前を出したら、ハルトが嫌がるのはわかっていた。
でも、私には男友達なんてセドリックくらいしかいないのだから、ハルトが行かないというのなら彼を頼るしかない。
「どうするの? 行く? 行かない?」
腕を組んで訊ねた私に、ハルトは諦めた様子で両手を挙げた。
「行く」
「よかった。女ひとりで行く場所じゃないだろうなと思ったから」
「そうだね。女の子がひとりで居たら、格好の標的だからな。俺の傍から離れちゃダメだよ。いいね?」
「当然よ」
前世では一応二十五まで生きていたのだ。
酒の場での自分の身の守り方くらい心得ている。
自信たっぷりに頷くと、ハルトは苦い笑みを浮かべた。
*
管理人室を出たヴェイルは、自室に戻ってソファーに身を沈める。
目を閉じたのは休むためではない、集中するためだ。
警備魔法の範囲を広げるのには、かなりの集中を要する。
いつもの第一男子寮だけでなく、街全体に範囲を広げ、更にその外の森や草原にまで拡大する。
こんな街の中心部にまで魔物が入り込むのは、異常事態だ。
もちろん国が配置している街の護衛を務める騎士にもこの件は伝えたが、竜害を受けたことのない街の騎士は平和ぼけしていて「気をつけてパトロールします」という返事しかくれなかった。
そうとなれば、この異常事態に気が付いているヴェイルが対応する他はない。
面倒なことが嫌いで、期待されることはもっと嫌いな彼であるが、魔物になぶり殺される街を彼はもう二度とは見たくなかった。
(あのウルフは怯えきった錯乱状態だった。何かから逃げてきたはずなんだけどな……)
自身より強い魔物に縄張りを追われて逃げ出す魔物は少なくはない。
警備魔法の範囲を広げに広げて、原因を探ろうとしたが、範囲を広げるほど精度は落ちる。
どうしても見つけることができずに、ヴェイルは舌を打った。
「面倒なことになる前に街を出なくちゃな……。全てがバレる前に」
呟きながら、ヴェイルは冷たい義足をさすった。
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