幕間 赤い服の女の子
セドリックと別れて、ハルトと管理人室に帰ってきた私は、いつも通り書類仕事を始めた。
これを終わらせたらお勉強タイムだ。
完璧な氷の女王様を演じるのも楽じゃない。
「セドリックからの告白、キュンキュンしちゃった?」
机はふたつあるというのに、相変わらずベッドの上に書類を持ち込んで計算の手伝いをしてくれているハルトが不意に訊ねてくる。
集中力が切れかかっていた私は、ハルトの雑談に乗ることにした。
「嬉しかったけれど、キュンキュンというよりは申し訳ない気持ちが強かったわね」
「断んなきゃいけないから?」
書類に視線をやっていたハルトが、ちらりとこちらに視線を投げてくる。
机に頬杖をついた私は、ハルトの問いに首を横に振った。
「それもあるけど、それよりも騙したみたいで嫌だったから」
「それは意外なお答えだ」
書類に目を通すのはやめたのだろう。
仰向けになったおなかの上に書類を乗せて、ハルトが不思議そうに首を傾げる。
「【魅了】のせいでセドリックが混乱してるんだと思ってんなら、あいつがさすがに気の毒だけどな」
「そうは思ってないわ。【魅了】は一時的な効果のみよ。……たぶん。私のスキルは強いらしいから、後遺症とかがあるのかもしれないけど、きっと大丈夫」
「それなら、騙すようなことメルちゃんはしてないっしょ?」
「してるじゃない。私は何もしなくても完璧な氷の女王様じゃないわ」
セドリックの前では氷の女王様を演じてきたつもりだ。
だから、彼が恋をしたのは氷の女王様のメルリア・トゥルーリア。
書類仕事もひとりでこなせない、勉強もがんばらなくちゃいい点がとれない、そんな私だったら、彼は好きになっていなかったかもしれない。
こういう罪悪感は前世で婚活をしていたときにも抱いていた。
本を読みあさって手に入れたモテテクを駆使し、男の人に好まれる服装とメイクでデートをし、媚びるみたいに笑っていた私の本性を知ったら、この人は私にプロポーズをしただろうか。
そう思うと、私はいつも詐欺師になったような気持ちになってしまって、恋をするどころではなかった。
それでもモテ女の仮面を被り続けたのは、氷の女王様の仮面を被り続けている理由と同じ。
仮面をはずすタイミングがわからなくなってしまったからだ。
今更、普通の女の子になっても周りはびっくりするかもしれない。
そう思うと、この仮面を外すことができなかった。
そんな私の臆病さが災いして、セドリックに失恋なんて経験をさせてしまったのかと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。
気分が落ち込んできて、思わずため息をこぼした私に、ハルトは微笑んだ。
「セドリックは氷の女王様じゃなくて、メルちゃんに惚れたんだと思うよ」
「なんでそう思うのよ」
「氷の女王様モードのメルちゃんって、メルちゃんが思うほど、本当のメルちゃんからかけ離れた印象じゃないから」
「私はあんな完璧超人でいつも無表情のクールな女じゃないわ」
「メルちゃんはよく拗ねるし、怒るし、めんどくさい子だよ。でも、笑ったらすごくかわいいし、優しいし、ありがとうとごめんなさいをすっごく大事にしてるいい子だよ。その本質は、氷の女王様になっても変わらない」
ベッドに寝転んだまま、ハルトが甘い瞳でこちらを見ている。
紫紺の瞳に煌めく輝きに見惚れてしまった。
「俺はそういうメルちゃんが好きだから、セドリックもそうだったんだと思うけどなぁ」
「……セドリックに私の本質がバレてたかもしれないってこと?」
「みんな気付いてるっしょ。メルちゃんがいい子だってことくらい。氷の女王様キャラなんてやめちゃって、にこにこ笑ったり怒ったりしても、誰もびっくりしないと思うけどなあ」
「びっくりするわよ。メルリア・トゥルーリアは誰にも頼らなくてもひとりで生きていける氷の女王様なの」
「そんなメルちゃんに頼ってもらえるなんて、光栄だなぁ」
にまにま笑いながら、ハルトがおなかに乗せた書類を再び手に取る。
軽く睨むと、ハルトはおもしろそうに笑った。
「はーあ、やっぱメルちゃんかわいいなぁ。好き」
「はいはい。わかったから、とっとと終わらせて寝るわよ」
「やだ、メルちゃんったら大胆」
「あんたが添い寝しなきゃ寝られないお子様だからでしょ」
むっとしてハルトを見やると、ハルトは「そうそう」と頷く。
「だから、ず~っと俺の隣で寝てね」
「弱みを握り返すまでよ」
「じゃあ、まだしばらくは教えられないなぁ」
「ヒントくらい教えてくれても良いのよ」
「え~交換条件もなしに?」
唇を突き出して子どもみたいな顔をするハルトに、私はわざとらしく手首を押さえた。
「昨日の夜、あんたに町中引っ張り回されて連れ帰られたときに手首痛かったのよね。あのときの痛みは水に流してあげるわ」
「あ~、あれはごめん。謝るタイミング逃してた……」
仮の恋人とはいえ、浮気まがいのことをした私が悪くてハルトが怒っていたのだけど、今は弱みのヒントが欲しい。
正直に言えば、ハルトと恋人(仮)生活を送ることに大きな不便はないけど、いつまでもハルトばかりが優位というのも嫌だ。
ハルトが【予知】で感じたという、彼の人生を狂わせるための道具に使われるのもごめんだし、何より、彼の人生を狂わせてしまうこと自体がごめんだ。
第二王子という立場もあってか、ハルトはちょっと破滅的なところがある。
彼の人生を狂わせてしまうのなら、私はとっとと彼の弱みを握り返して、恋人(仮)契約はなくしてしまった方が良い。
そう思うと、胸がどうしてか痛む気がして不思議だった。
「では、お詫びにヒントを授けよう」
大袈裟な口調でハルトが言う。
弱みだから言いたくなさそうなのは当然として、ハルトが一瞬辛そうに目を閉じたのが気になった。
「俺は赤い服を着た女の子は苦手だ」
「だから、アンリが私に赤いドレスを着せたときに微妙な表情してたのね。……でも、なんで?」
「それはまたのお楽しみ。ミステリアスな男の方が好きになるっしょ」
「ならないわよ、別に」
「なってちょうだいよ」
めそめそ泣き真似をするハルトは無視して、仕事を再開するフリをする。
赤い服を着た女の子が苦手で、夜にひとりで眠れない。それがハルトの弱みのヒント。
どんな弱みなんだろうと想像しても、さっぱりわからなかった。
まだまだ、ハルトとの恋人(仮)契約は続きそうだ。
そのことに安堵しているのは、きっと管理人室がひとりで過ごすにはちょっと広すぎるからだ。
きっと、そうだ。
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