10 恥ずかしがりの仲直り
「どうして、私にストーカー被害に遭っていることを打ち明けてくれなかったの?」
表面は氷の女王様のまま、内心では不安いっぱいで訊ねた。
アンリは私の大親友だ。
小さな頃から一緒にいた大切な友達。
氷の女王様を装っているせいで、周囲からは距離を置かれがちな私の傍に、いつもいてくれた大事な人。
そんなアンリが抱えていた悩みを打ち明けてもらえなかったことが寂しかった。
アンリは、私の質問に子どもみたいにきょとんとしていた顔を引き締めた。それから、脱力したみたいにへにゃっと笑った。
「だって、これ以上メルに迷惑かけるわけにいかないじゃん」
「迷惑ってなに。私は迷惑だなんて思ったことは一度たりともないわよ」
「迷惑だよ。だって、あたしの前じゃメルは、私生活がだらしなくって努力家な普通の女の子にはなれないじゃん」
眉を下げたアンリの寂しそうな表情が胸に刺さった。
思わず俯いて視線をそらしてしまう。
「それは……スキルのために仕方なく」
「ハルト先輩の前では素なんだって、あたしはちゃ~んと知ってるよ。……って言っても、昨日散歩という名の偵察帰りに管理人室の前で耳すませたら、二人が勉強してる声が聞こえてきて知ったんだけどね。あたしが部屋に入ったら、すぐに氷の女王様になっちゃったから、寂しかったな」
「ハルトには、バレてるから仕方なくよ」
「あたしもメルの素を知ってるよ。本当は感情を抑制しなくても、もうスキルをある程度制御できるようになってるんじゃないかっていうのも気が付いてた。でも、メルが言わないから黙ってたの。あたしは、素を出せる相手じゃ無いんだろうなって思ったから」
「そんなことない」
「そんなことあるよ。今だって、クールで努力しなくても生まれつき完璧な氷の女王様じゃん」
アンリが切なげに笑う。
違う。違うの。
アンリが素を出せる相手じゃ無かったわけではない。
そんな理由じゃない。
「もう行くね。メル。素を出してもらえなくても、あたしはメルが大好きだよ。メルに素を出せるハルト先輩みたいな相手ができて、よかった」
「違う!」
踵を返して去ろうとするアンリに、気付けば飛び出していた。
アンリに飛びつくみたいに抱きついて、強く強く抱き締める。
子どもみたいに首を横に振って「違うの」と涙声で言う私は、氷の女王様にはほど遠い。
「違うの。私はただ、ただちょっと恥ずかしかっただけなの。十歳のときにスキルが発現して、その後から制御のために、アンリの前でも氷の女王様になってきた。もう六年もよ。ずっと氷の女王様。今更、素に戻るのが恥ずかしくなっちゃっただけなの」
「恥ずかしかっただけ……? ほんとに?」
「だって、氷の女王様の方がメルリア・トゥルーリアよりも魅力的だから。本当の自分が恥ずかしくなっちゃったんだもの。こんな素を見せることも恥ずかしくて、つい強がって見栄張っちゃう自分を見せるのが、恥ずかしかっただけなの」
「なにそれ、メル」
「ごめんね、ごめんね、アンリ。ほんとにほんとに大好きよ。ずっと傍にいてくれなくちゃイヤ。悩みも話してくれなきゃイヤなの」
子どもが駄々を捏ねているみたいになっているのも恥ずかしくて仕方が無い。
羞恥で涙がにじむ私の顔を覗き込んで、アンリはぷっと噴き出した。
「ほんとに、なんなのメル。可愛すぎる。あんまり可愛すぎて、写真撮るのがもったいないくらい」
「許してくれる……?」
「それはこっちの台詞でしょ。困ってたの、言わなくて不安にさせてごめんね。これで仲直り」
ぎゅうっとアンリが抱き締め返してくれて、心底安堵する。
まさか恥ずかしがって、素を隠していたせいで友情にヒビが入りかけていたなんて、気づきもしなかった。
勇気を出して聞いて良かった。
ほっとしていると、門の方から足音が近付いてきた。
「まだスか? 俺もあんま暇じゃないんで、そろそろ行きたいんスけど……って、そんな自寮に帰るだけで感動のお別れモードなんスか?」
突如聞こえたヴェイルの声に、慌ててアンリから身を離す。
門の外にいたはずだから、さっきの話は聞こえてはいないと思うけど気恥ずかしい。
そんな気恥ずかしさも氷の女王様の鉄仮面の下に隠して、私はツンと顎をあげた。
「お別れのハグは淑女のたしなみでしょう。さ、ヴェイル。アンリをきちんと第一女子寮まで送って差し上げてね」
「残業代は酒の現物支給で頼むッス。じゃあ行くッスよ」
突然氷の女王様になった私に、アンリがクスクス笑っている。
こうなるから恥ずかしかったのだ。
じとっとアンリを睨むと、彼女は「ごめんごめん」と言ってヴェイルを追った。
「メル、また学校でね!」
「ええ。今度は『本当の姿』で会いましょう」
嬉しそうにアンリがこちらに手を振ってからヴェイルに追いつく。
去って行く二人を見送ってから振り返ると、ハルトが満足そうにこちらを見ていた。
「……あんたのおかげで聞けたわ。ありがとう」
「どういたしまして。これで俺も一安心だ。それじゃ、早速今までのことを部屋に帰って精算してもらうかな」
にんまりと、ハルトの口角が悪魔みたいな形を描いた。
*
「え~と、算術テストの勉強を教えたこと、セドリックから救出したこと、あとは仲直りのための勇気を与えたこと」
管理人室に着くなり指折り数えだしたハルトは、三本指を私に突きつけた。
「計三点のお礼として、なんかもらわないとなぁ」
「……第二王子にあげられるような大層なものは持ってないわよ」
やけにテンションの高いハルトは無視して、ベッドに潜る。
もちろん服装は伸びたティーシャツにショートパンツ。髪型は前髪をしばってちょんまげにしたスタイルだ。アンリを前にずっと我慢してきた久々の脱力スタイルは落ち着いた。
今日はセドリックと追いかけっこをしたり、アンリと仲直りをしたりで疲れた。
もう寝てしまいたい私の隣にハルトが転がった。
「ちょっと、あんたソファー行きなさいよ」
「ダメダメ。添い寝権は既に獲得済みのはずなんだけど?」
そういえば、今まではアンリがいたから、ハルトはソファーで寝ていたのだった。
男性とベッドを共にしている。そう考えると、眠気が覚めた。
ハルトに背を向けていると何をされるかわかったもんじゃない。
寝返りを打ってハルトに向き直ると、彼は満足そうに笑んだ。
「こっち向いてくれるなんて積極的で嬉しいな」
「警戒するためよ。見えない敵は倒せないわ」
「俺って、メルちゃんの敵で倒す相手なんだ」
くくっと喉を鳴らしてから、ハルトは「そうだなぁ」と考え込む。
「三つもいいことしたんだから、キスとか要求しても良さそうなくらいなんだけど」
「絶対に、イヤ」
「ま、そうだろうね。メルちゃんファーストキスは好きな男としたい派っしょ」
「私は好きな男ができないから、一生ファーストキスをすることはないの」
「その恋愛できないっていう鉄の意思はどこから来てんの?」
そこを疑問に思うのはわかるけど、ハルトに前世のことを話したところで信じてもらえるかわからない。
「いろいろあったのよ」と適当に誤魔化すと、ハルトはそれ以上は追求してこなかった。
「ま、今はお礼に何もらうかの方が大事だしなぁ。う~ん、唇にキスはイヤっしょ?」
「イヤに決まってるでしょ。付き合っても無い男女がキスするなんて不潔よ」
「メルちゃんってば真面目だなぁ。じゃあ、ほっぺならいいっしょ。ほっぺにキスくらい子どもだってするんだし」
「イヤ。やだ」
「いいや! これ以上は俺だって妥協できないね。唇も我慢したし、今日だって魅了スキル耐えきって偉かったんだから、ほっぺキスくらい許されるはずだ!」
「あんた、魅了効いてたの? 鈍感なのかと思ってたわ。それかチャラい奴には効果がないのかもって」
「そんなわけないっしょ。いっつもメルちゃんからするいい匂いが更にいい匂いになってて、クラクラしたっつの。ほんとに困った恋人だなぁって焦った」
助けに来てくれたハルトの、あの余裕のない表情が脳裏に浮かぶ。
一生懸命助けてくれたんだと思うと、ハルトの要求を断るのは悪い気がした。
「今ならお礼三点セットがひとつのほっぺちゅうで済んじゃうんだよ。お得だよ、メルちゃん」
「……わ、わかったわよ」
このままハルトが我が儘を言っていたら、私の睡眠時間が削られる。
管理人としての仕事も勉強も山盛りなのだ。
早く寝たいし、お礼としてハルトが要求しているのなら、仕方が無い。世話になったのは確かだ。
横になったままウキウキしているハルトを、上体を起こして見下ろす。
「ここにお願いね」と唇の際を指さすハルトに鼻を鳴らして、「こっちよ」と頬の一番柔らかいところを指さしてから、顔を近づけた。
唇じゃなくても、キスというのはこんなにも恥ずかしいのか。
垂れてくる髪を耳にかけて、そっとほっぺの柔らかい部分に唇を当てる。
唇で感じる他者の体温は意外に心地よくて驚いた。
すぐに離れて、ハルトを見下ろすと、彼は紫紺の瞳を嬉しそうに細めていた。
ふふっと笑って、ハルトは目を閉じる。
「やべぇなぁ、メルちゃんは。ほんとに困った恋人だ」
「なんなのよ、ちゃんと要求に応えたでしょ。はい、これでおしまい」
「ん。おしまい」
ぼふっとベッドに潜った私にハルトがあっさり引き下がる。
「すげぇかわいかったよ、メルちゃん」
見張ってはいたいけど、真っ赤な顔をさらせずに背中を向けた私にハルトが「おやすみ」と甘く声をかけてくる。
こくんと頷くことしかできなかった私は、ハルトの寝息が聞こえてきてもしばらくは眠れなかった。
*
どうにか眠りに就いたものの、翌朝私は早朝に起き出した。
私が起きた瞬間目覚めたハルトがダラダラ朝の準備をしているのは放っておいて、食堂に向かう。
真面目なセドリックが毎朝一番に食堂にきて朝食をとり、自習をしてから学校に行くことはヴェイルから聞いて知っていた。
まだ静かな食堂の片隅。金髪もさもさ頭がひとり縮こまって食事をとっている前に、私はどかりと腰掛ける。
驚いた様子で「管理人さん?」と、口を開けるセドリックに、私は氷の女王様らしく、ぐっと顔を寄せて迫った。
「セドリック。管理人として寮生であるあなたを管理するわ。このままあなたを卒業させるわけにはいかない。必ず、大手商家の娘と結婚させてあげるわ」
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