09 ストーカーの正体
「アンリ! 誰なの、あの人は!」
「わかんないの!」
無言で追いかけてくる花束を持った変態から必死で逃げながらアンリが叫ぶ。
「入学式の日からず~っと追い回されてるの。いっつも違う格好してるけど、多分おんなじ人! きっと第一男子寮生だと思う!」
「なんでそう思うの!」
「入学式の日は制服で、第一男子寮の腕章つけてたから!」
余裕がないせいで半ば怒鳴り合いのような応酬をかわしながら、私たちは突き当たりへとぶち当たる。
右と左に分かれた道を前に、私はアンリに声をあげた。
「アンリ! あなたは左へ行きなさい。私は右に行って、助けを呼んでくるからそれまで逃げて」
「わかった!」
大きく頷いたアンリが素直に左側の道へと走って行く。
宣言通り右に曲がった私は、アンリには悪いけど嘘を吐いていた。
助けを呼びに行くためにアンリを危険に晒す気は毛頭無い。
あれだけ走ればアンリの心拍数はわかっているはずだ。
助けを呼ばなくても、ハルトがアンリの危機に気が付けば助けに来るはず。
そのための時間稼ぎが必要になる。
私のチートスキルはこういうときのためにあるのだ。
「行くわよ……」
精一杯の風魔法で走る速度を加速しながら、私は【魅了】スキルを解放した。
もちろん全部ではない。水道の蛇口をちょっとだけひねるような感覚だ。
全開になんかしてしまったら、ただ事では済まない。
派手な演出は何も無い。
だけど、私から放たれる甘い香りは確かに変態に届いた。
分かれ道にたどり着き、アンリの方へ駆け出そうとしていた変態が、スキルを解放した瞬間勢いよくこちらを振り返った。
「来なさい、この変態が!」
走りながら振り返って叫ぶと、変態はアンリに背を向けてこちらに走り出す。
変態の向こう側で、異常に気付いたアンリが驚いた表情で立ち止まっていた。
「メルの嘘吐き!」
よかった。逃げるために走っていたアンリにまでスキルの範囲は届かなかったようだ。
怒りで顔を真っ赤にしてこちらに叫んでいるアンリに、私も叫び返した。
「後で何度でも謝るわ! だから、今は行って助けを呼んできなさい!」
叫んだところで角を曲がる。
アンリが見えなくなったことが途端に不安に思えた。
ウィンダム魔法学園は、両親の職場ということもあり、幼い頃に何度も遊びに来た。
だけど、校舎内をふらふらしたことは一度だってない。
つまり、新入生である私には土地勘がない状況だ。
どこを曲がればどこにたどり着くのかすらよくわからないけれど、それでも走り続けるしか無かった。
距離を詰められないために何度も曲がり角を曲がって、階段を駆け上がる。
生徒はみんな帰ってしまったようで、校舎内が空っぽだったことは助かった。
これで私のスキルの被害者は変態だけで済む。
それにしても、あの変態速すぎる。
息が上がっている私に対して、全く奴は速度を落とす気配がない。
「うぁっ!」
階段を飛び降りたところで、足がもつれた。
転がって、踊り場の壁に肩をぶつける。
ひねった右足首が痛むのを押さえつけて体を起こそうとしたときには、もう遅かった。
階段から飛び降りてきた男が、私の体を突き倒したのだ。
「いった……。やめて」
「なん、なんですか? なんで、こんなに」
目出し帽の穴から覗く青い目が戸惑いに揺れている。
どうにかしなきゃいけない。どうにかしなきゃいけないのに。
スキルを制御しなければと思っても、恐怖が勝ってうまくいかない。
弾む息のまま、男の肩を押して抵抗の意思を示すことしか出来なかった。
「管理人さんっ。なんで、僕はこんな、どうしようもない気持ちに……」
「セドリック……?」
思わず目を見開く。
声をちゃんと聞くまでわからなかった。
でも、確かにこの声はセドリックの声だ。
驚いている私を気にする様子もなく、セドリックは目出し帽を外して金のもさもさ頭を掻き上げた。
下から見上げる顔は、息をのむくらい綺麗だった。
垂れ目がちな青い瞳、スッと通った鼻筋、陶器みたいな肌。
隠していたのがもったいないと思えるくらいの美貌を前に呆然としていて、彼がその整った顔をぐっと寄せてきても抵抗できなかった。
「すまない、管理人さん……」
低く言ったセドリックの声は熱を帯びていた。
唇にかかる吐息に体を強ばらせた瞬間、セドリックの体が横に飛ぶ。
ハッとして見上げた先。そこには、いつもの余裕さが消えた表情をしたハルトがいた。
セドリックを蹴飛ばしたらしいハルトは、壁にたたきつけられたセドリックを睨みつけてから床に転がる私を見下ろす。
【魅了】はハルトにもう効果があるはずだ。
早くどうにかしなければと、焦れば焦るほど魔力の制御も感情の抑制もうまくいかない。
呼吸が乱れる私の背にそっとハルトが腕を差し入れてくる。
びくりと肩を跳ねさせた私を、ハルトは抱き締めた。
ただ、抱き締めただけだった。
「ハルト……?」
「大丈夫だから。息ゆっくり吐いて。吐けば吸えるから、落ち着け。スキルは呼吸を整えないと、まず制御なんてできない。メルちゃんのスキルは【魅了】なんだろ? 俺の勘がそう言ってる」
ハルトに指摘されて、思っていたよりも自分の呼吸が乱れていたことに気が付く。
ハルトにしがみついたまま、意識して息を吐く。酸素を求めた肺が、ゆっくりと呼吸をし始めたことで、スキルを制御する感覚を取り戻せた。
「力抜いていいよ。怖かったろ。ギリギリになってごめんな」
ぽんぽんと頭を撫でてくれるハルトの手が今は心地良い。
言われるがままに脱力すると、ハルトは体をしっかり支えてくれた。
「ッハルト。助かった。おまえが来なかったら、僕は何をしていたか……」
「驚いたぜ、セドリック。おまえがそんなにイケメンだったとはな。しかも、アンリちゃんのストーカーで、俺の恋人を襲うようなド変態だったとは」
からかうような口調で言っているハルトの語尾に、怒りが滲んでいるのがわかる。
なんで怒っているのか考えて思い至った。
これは演技しているんだ。私の恋人の演技を。
こんな状況でも恋人(仮)設定を忘れない抜け目のなさに感心した。
「まずは、メルちゃんに言うことあるだろ」
壁に背を預けて座っていたセドリックは正座をする。
ハルトの胸板に頬をくっつけたままセドリックを見ると、彼は静かに頭を下げた。
「怖い思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「セドリックを引きつけるためにスキルを使ったのは私よ。大丈夫だから気にしないで」
悪いのは【魅了】なんて厄介なスキルを持っている私だ。
眉を下げるセドリックに、申し訳なさすら感じてしまう。
「それよりもアンリには謝った上で事情を説明して欲しいわ。理由もなくストーカーをしていたわけじゃないでしょう」
「そんなもんアンリちゃんに惚れたからじゃねぇの?」
「そうなの?」
セドリックを見やると、彼は静かに首を横に振った。
「そういうわけではないです」
「メル! 何もされてない!?」
階段の上からアンリの声が聞こえる。
階段を跳ねるように降りてきたアンリはセドリックには見向きもせず、ハルトの隣に跪くなり私の顔を覗き込んできた。
「大丈夫よ、アンリ。心配かけてごめんなさい」
「本当だよ! スキル解放なんかしちゃってさ。メルのスキルは本当に強すぎるんだから、安易に使っちゃダメなんだよ!」
「それより、アンリ。ストーカーの正体がわかったわよ。彼だった」
私に夢中になっているアンリに声をかけてセドリックに視線をやると、アンリはようやくセドリックを見た。
そして、怒ることもなく表情を明るくした。
「わっ、え? あたしのストーカーってこんなザ・王子様みたいな美形だったわけ!?」
「セドリック・ドメイアだ。迷惑をかけ、本当に申し訳なかった」
「ドメイアって……あの鉱山を持ってる宝石商の?」
「正確には鉱山を持っていた宝石商の家です。その鉱山のことで、あなたを付け回していました」
セドリックは前髪をあげたままに、しゅんと項垂れる。
美形は落ち込んでも美形だ。
この美しさを前にしたら、どんな罪でも許してしまう。そう、アンリ・バドゥなら。
「許します許します! 大丈夫ですよ、実害なかったわけですし」
「軽いなぁ、アンリちゃんは」
「そんなことより、あたしと鉱山になんの関係が?」
不思議そうに首を傾げるアンリに、セドリックは静かに答えた。
「二年前に竜王が現れただろう。あの時の竜害でドメイア家の鉱山は破壊された」
竜王。それは、人間に害をなす魔物の中で、最も恐れられるドラゴンの中でも、最も巨大で強い存在だった。
竜王は各地に竜の仲間を引き連れて現れ、様々なものを破壊していった。それを竜害と呼んでいる。
剣聖と呼ばれる英雄によって竜王が倒されてからは、群れをなしたドラゴンが人里を襲うことは減り、竜害の件数は減った。
そのためあまり最近は聞かなくなった竜害という言葉に、当時の恐怖を思い出した。
いつ、自分たちが住んでいるところをドラゴンの群れが襲うかと二年前までみんなハラハラしていたのだ。
英雄によって竜王が倒され、すべてが解決したと思っていたけど、未だに当時の傷跡を負う人間がいることに初めて気が付いた。
「ドメイア家は鉱山で掘られる石を売っていた。だから、鉱山がなくなれば仕事がなくなる。うちの家は倒産し、その報せを僕はこの学園で受けた。両親は言った。『大きな商家の娘さんと結婚し、ドメイア家を再興させてくれ』と。でも、そんな理由で、好きでも無い女性に言い寄っても良いのかとずっと迷っていたんだ。迷っていたら、三年生になっていた」
「時間がないと思ったのね」
私の言葉に、セドリックは頷いた。
「両親の期待は増すばかりで、焦っていたところに、バドゥ家の娘さんであるアンリさんが入学してきた。この子にアプローチするしかない。そう思って、僕なりにアプローチしていたつもりだったんだ。……あんなに逃げるほど怖がらせているとは思っていなくて、誤解を解こうと追いかけたんだけどうまくいかなかった。すまない」
「どんだけの不器用なんだよ、セドリック」
呆れた調子で言うハルトの言葉にセドリックが「ぐっ」と呻く。
アンリは、セドリックの肩にぽんと手を置いた。
「いいですよ。許します。写真を撮らせてくれたら」
「は? 写真?」
「はい。こっち向いてくださ~い」
呆気にとられるセドリックにアンリは容赦しない。
首から提げたカメラを構えて、ぽかんと口を開いているセドリックを連写した。
「ちょっ。僕、見た目に自信がないんだ。あまり撮らないでくれ」
「そんな綺麗な顔して何言ってんですか! しかもお詫びなんですよね! ポーズのひとつもとってくださいよ!」
「そ、そんな無茶な」
「はい。立って! 壁に額と肘くっつける! そんで、こっちに流し目! いいですねぇ、罪悪感に濡れた瞳がすっごくいい!」
パシャパシャとフラッシュが光る中、私はそっとハルトから身を離す。
セドリックはあの撮影会で本当に許されてしまうことだろう。
ストーカー事件はこれにて一件落着だ。
ふうと息を吐いて、セドリックの撮影会をニヤニヤ見ているハルトを見上げた。
「ハルト」
「うん?」
「本当に怖かったから、助かったわ」
セドリックとアンリがいる手前、氷の女王様の表情で感謝を伝える。
だけど、二人には見えないようにこっそりとハルトにだけ微笑んだ。
「ありがとう」
「……メルちゃんはさ。自分がどんな顔してるか鏡見た方がいいよ」
真剣な表情で忠告するみたいに話すハルトに、むっとして唇を歪める。
「失礼ね。笑ったら不細工だって言うの?」
「いやいや、そうじゃなくて」
言ってから、ハルトは照れた様子で口元を覆った。
「すげぇかわいいの」
「お世辞どうも」
「自覚しろって、マジで」
疲れたようにため息を吐いたハルトに肩を竦める。
国宝級の顔にかわいいと言われたところで信用に値しないのは当然だろう。
教師に見つかるまで続いた撮影会が終わったのは、それからしばらく後のことだった。
*
「じゃ、ハルト先輩、お世話になりました」
「ん。アンリちゃんがメルちゃんが逃げた方向教えてくれたおかげで助けられたよ、あんがとな」
第一男子寮の門前。
もう夜も更けた時間にアンリは帰ることになった。
門の外ではヴェイルが待っている。
何故かいつの間にか顔見知りだった様子で、アンリが頼み込むと、めんどくさそうにしながらも彼はアンリを第一女子寮まで送り届けることを了承した。なんだかんだ真面目な男だ。
「メルも長いことありがとね」
「もう一泊くらいして行っても構わなかったのよ」
「外泊届けがもう切れちゃうんだ。今日新しく発行してもらう予定だったんだけど、いろいろあったからね。管理人室に外泊届ない人が泊まっちゃまずいでしょ」
にこっと笑ったアンリが「じゃあね」と手を振る。
背を向けて歩き出したアンリに、私は聞きたいことがあった。
どうして悩みを打ち明けてくれなかったのかと。
でも、それを聞いて本当はアンリが私ほど友情を感じていなかったなんてことが判明したらどうしようかと思うと、言いよどんでしまう。
唇をつぐむ私の肩をハルトが小突いた。
「勇気出せ。メルちゃん」
ハルトが片目を瞑って、アンリの背に声をかけた。
「アンリちゃん! メルちゃんが聞きたいことあるんだって」
「ん?」
覚悟が決まっていないうちに声をかけられてしまったことに内心動揺してハルトを睨む。
彼は「どうぞ」と言わんばかりに、アンリを手で指し示すのみだ。
聞くしか無い。
振り返ってきょとんとしているアンリに私は口を開いた。
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