01 氷の女王様
男の子の生活している場所は、もっと雑然としているものだと思っていた。
「ようこそ、メルリアさん。あ……今日からは、管理人さんって呼んだ方がいいスか?」
「あなたの好きに呼ぶといいわ」
「じゃあ、今まで通りメルリアさんでよろしくス」
いつも通り酒の匂いをさせている顔見知りの男にクールに返事をして、私は今日からの住居であり、職場でもある寮のロビーを見渡す。
応接用のソファーも魔物の本革を使った上等品。垂れ下がるシャンデリアにも宝石があしらわれている。
さすが第一男子寮。全寮制のウィンダム魔法学園でも、王家も含んだ良家のお坊ちゃんが集まる寮なだけある。
広々としたロビー内には埃のひとつもなく、ガラスのローテーブルもピカピカに磨き上げられている。それは、この酔っ払い……ヴェイルをはじめとした寮の使用人による仕事の成果だ。
そして、その仕事やこの寮全体を管理することが、今日から私の仕事になる。
私メルリア・トゥルーリアは、ウィンダム魔法学園の入学式を迎えた今日から、この第一男子寮の使用人をまとめる管理人に就任した。
女なのに。生徒なのに。
男子寮の、管理人に。
*
私が第一男子寮の管理人になることが決まったのは、入学式一週間前のことだった。
「メル、パパはメルがと~っても心配だよ」
「ママもよぉ。メル。恋愛しない宣言は早すぎるわ」
その日は、両親が『入学おめでとうパーティー』を開催してくれた。
幼い頃から恋愛しない宣言をしてきた私を心配して、さめざめと泣いてくれるくらいには私を愛してくれる両親だ。
お父さんはバーグ・トゥルーリア。お母さんはレイチェル・トゥルーリア。
二人はウィンダム学園の学園長夫婦。私は、学園長夫婦の娘だ。
「お父さんもお母さんも落ち着いて。恋愛しなきゃ死ぬってわけでもないじゃない。ウィンダム学園の学園長の娘が生涯独身が恥ずかしいんなら、政略結婚もがんばるわよ。ずっと先の話だけどね」
あっけらかんと言う私に、お父さんとお母さんは「うう」と泣き声を大きくする。
「政略結婚なんてしなくていいさ! メルがうちにずっと居たいなら居ればいいよ。でも、メルが最初から恋愛を諦めていることが悲しいんだ。パパとママもとっても素敵な恋愛をしたんだよ」
「そうよぉ。そりゃぁ、たくさんの男の人と会って、それでも恋愛ができなかったって言うならママもわかるのよぉ? でも、あなたの人生はまだまだこれからじゃない」
お父さんとお母さんの言い分はわかる。
メルリア・トゥルーリアはまだ十六歳。これから初恋を経験するかも知れない多感なお年頃だ。
でも、私自身の体感年齢は両親の年齢を超えている。なぜなら、私にはなんと前世の記憶があるから。
前世の享年は二十五歳。現世の年齢は十六歳。合わせたら、恋愛を諦めるには十分なお年頃だ。
しかも、お母さんの言うように「たくさんの男の人と会って、それでも恋愛ができなかった」から恋愛を諦めた。
前世の私は地球の日本で生きていた。中学校から女子校。恋愛経験はゼロ。
結婚願望が強くて、婚活を超絶がんばっていた。
その結果、マッチングアプリの返信とか婚活パーティーの申し込みとか、連日のデートとかで寝不足になって、車で自損事故を起こして死んじゃったくらいにはがんばっていた。
数えたら出会った男性は、トータルして約千人!
それでも私は誰も好きにはなれなかった。
前世が証明している。
誰も好きになれない。私は恋できない。無理。
だから、お父さんお母さん。申し訳ないけど、諦めてください。
そう言いたいところだけど、前世の記憶があるって言ったところで、信じてもらえないのはわかってるので、私は曖昧に笑って誤魔化すことしか出来ない。
「二人ともわかるでしょ? 私のスキル変だし、そのせいで猫被らなきゃだし、こんな女には誰も惚れない。私が望んでも恋愛はひとりでできるものじゃないんだから」
「何を言うんだ、メルリア! おまえはスキルがなくたって、抜群にかわいいからモテる! パパが困っちゃうほどだ!」
「そうよ! 私譲りのかわいさを舐めちゃダメよ! ママは学園のマドンナだったのよ!」
ごちそうが並んだテーブルに両親が仲良く身を乗り出す。
確かにお母さん譲りのプラチナブロンドの髪は綺麗だし、お父さん譲りのアイスブルーの瞳もお気に入り。
だけど、この世界の人たちって顔整ってる人が多いから、私なんて埋もれちゃうこと間違いなしだ。
両親が私の容姿をべた褒めするのは、親馬鹿故に決まっている。
「ま、昔から言ってるけど、諦めて。私、悪いけど人を好きになれないの。だから片思いも無理だし、両思いも無理。無理なもんは無理。魚に陸で社交ダンス踊れって言ってるくらい無理」
「あら。でも、魚も陸に上がってみれば、社交ダンスが踊れるかも知れないじゃない」
「おや。そうだな、ママ。メルにも陸に上がった魚になってもらおう」
「……へ?」
泣く両親には悪いけど、さっさとごちそう食べて部屋に退散しちゃおうと思ってた私は、取り皿に乗せたチキンを落としそうになる。
この両親は、本当に突飛なことを言うことがある。
入学おめでとうパーティーだって、入学式前日にやればいい。それを一週間前にやったのは「娘を寮に出す寂しさを紛らわすのに、たった一日のパーティーなんかじゃ足りない」「そうだ。一週間毎日パーティーやろう!」と言い出したのが原因なんだから、この人たちは変わっている。
そんな変わっている両親が、私という魚をどんな陸にあげようというのか。
嫌な予感しかしなくて、固まった私の予感はぴったり的中してしまった。
「メル。ウィンダム学園学園長として、メルには第一男子寮の管理人をやってもらうことにしよう。ちょうどおじいさん管理人が腰痛で辞めたいって言ってきたところなんだ」
「まあ、とっても名案ね、パパ。あそこではヴェイルも働いてくれているし、安心だわ」
大満足の両親は、「素敵なことが決まったわね」「じゃあ、食べよう」とごちそうに手をつける。
一拍遅れて衝撃を受けた私の「ええええええ!?」という叫びは、両親に「あらあら」「おやおや」で受け流された。
というわけで、私は入学式を終えた今、本日からの住居であり、職場である第一男子寮に入寮したのである。
女なのに。
「見ろよ。本当に次の管理人は、あのメルリア嬢だぞ」
「学園長の娘さんなんだろ。めっちゃくちゃ美人じゃん。かわいい……」
「噂の氷の女王様だろ。踏まれてみて~」
ざわざわと声がして振り返る。
ロビーから両開きの扉一枚挟んだ向こう側は、食堂だ。
その扉の隙間からいくつもの目が覗いている。ホラーっぽいその光景に内心驚いたけど、表情には出さない。
氷の女王様の名をほしいままにする私の鉄仮面ぶりは鍛え抜いたものだ。
「いきなり有名人スね。氷の女王様」
「当然ね。男子寮の女管理人。しかも、学園長の娘で新入生だなんて、有名になる以外ないじゃない」
感情を乗せない声で答えて、食堂に足を向ける。
扉の隙間から覗いていた目が慌てて離れていくのを見てから、私は扉を開く。
食堂内で談笑を楽しんでいた生徒たちの視線が一気にこちらに集まった。
拳をぎゅっと握りしめてから、私は自分の胸に手を当てて息を吸い込む。
それから、食堂全体を見渡して、全ての寮生に聞こえるよう声を発した。
「本日からこの第一男子寮の管理人になりましたメルリア・トゥルーリアです。一年生の身ですので、慣れないことも多いですが、精一杯勤めて参りますので、よろしくお願いいたします」
高らかに言ってから、きちんとお辞儀をする。
できる限り優雅に下げた頭をそっと上げると、寮生がキラキラした目でこちらを見ていた。
「「「よろしくお願いします!」」」
波みたいに押し寄せた男性の声に、ひるみそうな体をシャンと立たせる。
隣に控えていたヴェイルが、退屈そうに大きな欠伸をした。
「では、夕飯楽しんでくださいね。俺は酒切れそうなんで行くッス。あ、管理人室は一階の端部屋ッスよ。では〜」
酒の匂いをぷんぷんさせといて、何を言うか。
そう思って睨んだのに、ヴェイルは気にした様子もなくすぐに居なくなってしまう。
顔見知りが居なくなってしまったことで、一気に心細くなったけど、そんなことを顔に出すわけにはいかない。
さっさと夕飯食べて部屋に行こう。
そう思って歩きだそうとした私の前に影が差す。
ふと顔をあげると、寮生が友好的な笑みを浮かべて、私の進路を塞いでいた。
「管理人さん! 俺らと一緒にごはん食べましょう!」
*
「づ、づがれだ」
疲労困憊とはこのこと。
心身共に限界が来た私は、食堂での談笑を終えて管理人室のベッドに倒れ込んだ。
有名人の私は寮生に囲まれて質問攻めにあいながらの夕飯をとることになった。
それだけでも緊張するのに、感情を顔に出せないのだから疲れまくって当然だ。
暗そうだけど真面目な寮長が、「そろそろ食堂が閉まる時間だぞ」と声をかけてくれなかったら、私の鉄仮面も剥げるところだった。
「危うく初日キャラ崩壊だわ、もう」
ベッドで寝返りを打ちながらため息を吐く。
氷の女王様の仮面を被り続けるのは疲れる。
だけど、それでも私が演じ続けなければならないのは、厄介なスキルのせいだ。
この世界の魔力を持つ人間は、十歳の誕生日の夜にスキルが発現する。
生まれ持ったスキルは発現する直前に鑑定してもらわなければ、どんなスキルかわからない。だから、微力ながら魔力のあった私も十歳の誕生日にスキル鑑定を受けた。
そして、その鑑定士さんが衝撃を受けた顔をして教えてくれたスキルが、私のその後の人生を狂わせた。
「【魅了】なんて恋愛できない人間には絶対不要よねぇ」
深い深いため息を吐く。
そう。私が生まれ持ったスキルは【魅了】。
しかも、スキルにも強さがあるらしくて、私の【魅了】は老人鑑定士さんが驚くくらいの強さだった。
転生したらチートを授かるっていうのはよく聞く話だけど、こんなチートはいらない。いらなすぎる。
とはいえ、生まれ持ってしまったものは仕方が無いので、私はスキルを制御することにした。
スキルの制御は、感情の抑制か魔力で行う。
魔力でスキルを制御するのには集中力が必要で、常時発動スキルの【魅了】を制御し続けることは不可能。だから、私は感情を抑制することでスキルを制御した。
激しい感情を持たなければ、相手の心を惑わせて強制的に恋に落として感情を煽るという、自分にも他人にも迷惑すぎるスキルを発動させなくて済む。
私は十歳の夜に【魅了】が発現してからというもの、【魅了】の効果がない家族の前以外では柄でも無い氷の女王の仮面を被って、感情を抑制し続ける日々を送っている。
そんな私の唯一の癒やしは、恋愛小説だ。
「さてさて、今日は~、眠れない王子様と子守歌係の貧民女子のお話ね。こういう身分差ものって鉄板だけどいいのよね。最高すぎる。愛しい。感謝。尊い」
私は恋愛が憎いんじゃない。むしろできないが故に、憧れている。
キラキラしまくりの恋愛を物語の中でくらい浴びまくりたい。
だから、どんなに疲れていようとも私が枕元に常備している本を読むことは日課だ。
本を拝んでから、私は着ていた制服をぽいぽい脱ぎ捨てる。
お風呂前だけど、ちょっとだけ読みたい。体が癒やしを求めていて、お風呂上がりなんて待ちきれない。
下着だと落ち着かないから、ラフなシャツ一枚にショートパンツを履いておく。
部屋に持ち込んだスナック菓子もベッドの上で袋を開けて、ひとつ咥えながらベッドにごろん。
鞄も制服も投げっぱなしなんて、氷の女王様キャラのイメージのために完璧女子を演じている昼間は考えられないことだ。
社交界にも顔を出していたから、私の氷の女王様キャラは既に知れ渡っている。
幼い頃よりは魔力も感情も制御できるようになったから、大袈裟なくらいクールなキャラを演じる必要はもうない。
高校デビューよろしく、魔法学園デビューを決めようかとも思ったが、恥ずかしくてできなかった。
もう氷の女王様キャラとして振る舞うしか無い以上、私はこうやって息抜きしながらごろごろ生きていくしかない。
スナック菓子を口に含んで、ごろんごろんしながら小説を読む時間が、私が唯一私で居られる時間。
それはずっと、永遠に変わらない。
「は~っ。やっぱり、王子様キャラは最高だわ。顔よし、性格よし、一途。良すぎる! 王族と結婚したらめんどくさそうで絶対に嫌だけど、物語的にはやっぱり最高。ふふふふふ。キスシーンもピュアなシチュエーションなのに適度にいやらしくて、かわい……」
ごろん。
寝返りを打ったところで、私は物理的な意味で本の向こう側の世界に何かを見た。
掲げるようにして読んでいる本の向こう側には、テラスに通じる窓がある。
そのテラスに、誰かいた気がしたのだ。
こんな姿を誰かに見られるわけにはいかない。
氷の女王様キャラを演じてたなんて知られたら、恥ずかしくて生きていける気がしない。
ギギギと、油を差していないロボットみたいな動きで私は掲げていた本を下ろして視界を広げる。
月光が差すテラス。
そこには、物語から飛び出してきたみたいな絶世のイケメンが頬にもみじをつくって、こちらを呆然と見ていた。
【作者からのお願い】
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