町への帰還
森から抜けて歩いてくる僕に気付いたのか出発前に注意を促した門兵が僕の帰りを待ち構えていた。
僕にとっては長く感じた事だが、この門を抜けて帰って来るまでに3時間程しかたっていない。もしかしたら、「もう帰って来やがった」とあきれているのかもしれない。
「遅かったじゃねぇか、無事か?その様子だと魔物とは出会わなかったみたいだな。運のいいこった」
僕が思っていた事と反対の事を言う、それに魔物と遭遇しなかったと見当違いなことまで言い出す始末だ。確かに僕の体感時間で言えばとても長く感じる時間だったが、実際の時間経過は3時間程度、それは間違いないはずだ。僕が門兵の立場だと、さっき出て行ったのにもう帰ってきたっていう感覚になるに違いない。なんだこの違和感は。もしかして......。
「......まさか、森は時間の流れが違うのか?」
「何言ってんだ。大丈夫か?もしかして足滑らせて頭でも打ったのか?」
失礼な奴だ。大丈夫か?とは僕の方が言いたいセリフだ。「遅かったじゃねぇか」っていうから深読みしてしまったんじゃないか。ならどうして、遅かったってなる?......っは!わかった。
「もしかして、3時間が長く感じるほど僕に会いたかった......?」
「なーーーに言ってんだ?!心配してやってんだろうが!!」
「びっくりした。ってきり僕に恋しちゃったのかと思ったよ」
「んなわけあるか!」
この門番は人が良いらしい。バカな言い合いにもちゃんと反応してくれる。門番とのやり取りでやっと町についた。帰ってきたという実感がわいて。死の恐怖から開放されたのだと僕は認識できたのだ。
「ははは。冗談だよ。安心して、気が緩んで、つい......」
「......。森は恐ろしかっただろう」
僕は、静かに頷いた。
「それで、ちゃんと収穫はあったのか?」
僕は、体をずらし、引きずっていたゴブゥーの干物を見せる。
「なんじゃ?!こりゃ?!ミイラか?!」
「ゴブゥーの干物だよ。襲われて倒した」
門兵が信じられないといったように驚愕に目を見開き、ゴブゥーと僕を交互にみる。
「意味がわかんねぇ」
「僕の眷属が、持ち帰れるようにゴブゥーから水分を抜き取ったんだ」
「そんな事ができるのか。こりゃすげぇな。いやいやいや!それもそうだが。よく無事だったな、とても強そうには見えないが」
マルが自慢そうにプルプルと揺れている。門兵とのやりとりもほどほどに、戦利品を売り払うためにハントギルドに向かった。
建物の中に入ると、朝と同様に受付の人が座っていた。
「あぁ、さっきの。やっぱり森へ行くのはやめたのかい?」
「いや、行って戻ってきたところだ」
「そうかい。行って来ちまったんだね。無事ならそれでいいさね。それで何か見つかったのかい?とりあえず中にお入んなさいな」
僕はゴブゥーの干物を抱え、建物の中へ入る。
「なんじゃいな!それは?!」
「これはゴブゥーの干物だ」
「いやいやいや、意味が分からないよ。干し肉と同じノリで説明しないでおくれ!」
「正直僕も驚いているんだ。森で、ゴブゥーと遭遇して、戦闘になって倒したんだ。それで、持ち帰る為に、僕の眷属がゴブゥーの水分を抜き取ったら、こうなった。なんて説明すればよかったんだ?」
「ゴブゥーの干物。だねぇ......」
僕と受付の人との間に変な沈黙が訪れた。
「それで、これは買い取ってくれるのか?」
「買い取るは買い取るけど、値段に困る代物だねぇ。水に漬けたらふやけるのかねぇ」
受付の人は興味深く品定めしている。その様子を見ていたマルが、『もとにもどすじぇ?』って感じの意思を飛ばしてくる。え?もどせるの?
マルがゴブゥーの干物に近づき、触手で触れれると、水風船が膨らむようにゴブゥーの体が元の状態に戻っていく。先ほどまで干からびていたのがウソのようにピッチピッチのゴブゥーになった。
「なんじゃあああ!これぇえぇぇ!!心臓に悪いさね!」
「これはピッチピッチのゴブゥーだ」
「あんたの説明はおかしいよ。しかし、こんな状態の良いのは見たことがないねぇ、しっかり買い取らせてもらうよ」
「もう一体もピッチピッチにしたらいいか?」
「あぁもう一体あるのかい。それはそのまま干物でもらおうかね。それはそれで、珍しいからね」
「わかった」
「しかし、あんたの眷属はすごいねぇ、こんなのは見た事ないよ」
マルが自慢げに揺れる。
「ほかにも採集したものがあるんだ、見てくれるか?」
「へえ、見してごらんなし」
僕は、薬草や果実の入った袋を差し出した。
「大量だねぇ。状態も良いし、ちゃんと価値のあるものを採ってきてる。全部買い取っていいのかい?」
「あぁ、全部たのむ」
「計算するからちょっと待っておくれよ」
金額は一般家庭が3ヶ月ぐらい暮らせる額になった。予想より多い金額だ。こんなお金を手にするのは初めてだったので嬉しい。これで休暇中の宿の延長料金も余裕を持って払えるので安心だ。
「そうそう、あんたは魔物石はどうするね?」
「魔物石?」
「あぁ、知らんのかい?魔物石っていうのは、魔物の中に必ずある石さね」
「それは価値のあるものなのか?」
「価値はないねぇ......。叩けば壊れるし、特別綺麗な物でもない。ただの石さね。でも形は面白いから、魔物を倒した人は記念に取っておくって人も多いね。狩人の生きた証みたいなものでもあるけどね」
魔物石を説明する受付の人の顔は物憂げだった。きっと、魔物石の数が魔物を倒した数であり、それを自慢するのが狩人なのだろう。言葉の端から想像するに、そうやって生きて最後は魔物に喰われその生涯を閉じたのではないだろうか。
「それなら、とりあえずはもらっておくよ」
「わかったよ」
受付の人からゴブゥーの魔物石を2個と売却代金を受け取り、宿に戻ることにした。
宿に戻ると、どうにかお願いしてお風呂に入らせてもらった。時間外料金でお金を取られてしまったが僕の財布は満たされているんだ。すまし顔で払ってやった。
桶にお湯をためて、魔力を馴染ませマルを漬け置きする。『ごくらくだじぇぇぇ』って感じでリラックスしている。
僕も浴槽に浸かり体をほぐす。
お風呂から上がり、お昼は何を食べようかと考えながらベッドに腰かけて、気が付いたら眠ってしまっていた。その眠りは深く、昼過ぎから寝てしまったというのに、起きたのは翌朝になってからだった。僕の精神も体も、僕が思っている以上に消耗していたのだろう。
マルの姿を探すと、近くでスヤスヤと寝ているようだ。
昨日の昼から何も食べていないせいでひどくお腹が空いている。やっと明るくなりかけている時間だが、朝食は食べれるのだろうか。あまり我慢できそうにない。寝ているマルを抱きかかえ、宿の食堂に移動する。
店員はこんな朝早くだというのに、もう起きていた。普段こんな時間は寝ているので、こんな朝早くからもう仕事をしているというのには驚いたし、尊敬した。僕が起きてきたことに気付いた店員さんが声をかけてくる。
「あれ、早いのね。ご飯かしら?まだ準備ができていないのごめんなさいね」
予想はしていたが残念だ。許可を取って食堂の席で待たせてもらう事にした。マルはまだ起きないので椅子の上に置く。右手に魔力を集中させてマルを撫でる。以前ステラがフーランの魔力補充の時に撫でていたのを思い出し試してみた。
マルは水の中に浮かんでいる時のように、喜んでいるように見える。マルも手で撫でられると気持ちがいいのだろうか?
そうこうしていると、店員さんが朝食を運んできてくれた。野菜のスープとハムタマゴサンドだ。僕と、マルのふたり分用意してもらった。
すきっ腹に野菜スープが沁み込んでほっとする。まだ寝ぼけている様子のマルの上にはハムタマゴサンドを乗せておいた。僕もハムタマゴサンドを手に取り噛りつく。
厚めに焼かれたタマゴと薄くスライスされたハムを塩っ気の強いバターが塗られたパンで挟んだハムタマゴサンドは思いの外美味しかった。タマゴとバターのコクがありながらも重くなり過ぎない食感で満足感もある。
マルもウトウトとしながらも頭に乗ったパンが徐々に沈みこみ消化されていく。頭のハムタマゴサンドがなくなったと思ったら、触手がそろそろと伸びてきて、野菜スープの器の中に差し込まれると、見る見るうちに容器の中は空っぽになった。何度見ても不思議な光景だ。
お腹いっぱいとは、ならなかったが、部屋にもどり少し休憩しようと思ったら、また2時間ほど寝てしまったらしい。それでもやっと他の人が起きてくるような時間帯だ。さすがにもう一度寝てしまうのは無しだ。
マルもこんな状態だし、今日は森へ行くのもやめておこう。連日で行くのは流石に精神と体がもたない。今日一日休息にするつもりではあったのだ。
なんとなしに、昨日ハントギルドで受け取った魔物石を取り出して手のひらで転がす。とても小さな石だ。実は受け取った時からずっと気になってはいた。
この魔物石、形は歪だが、共命石に似ているような気がしたからだ。これはもしかしてという期待があった。ただ部屋の中では試すに試せない。南町の祭壇はどこにあるのだろうか?もう一度召喚が出来るかもしれないという期待は僕の落ち着きをなくした。
僕は居ても立ってもいられなくなり、マルを抱えて宿から飛び出した。
町中を一周する勢いで祭壇のある広場を探し出すと、迷わず飛び込んでいった。今日は重月の日でもないので、何も起きない可能性の方が高い。そもそも共命石ではないのだからそういった期待自体が無意味の事かもしれない。でもやらずにはいられなかった。
僕は魔物石を祭壇に置き、あの日の魔力がごっそり吸われた感覚を思い出し、スムーズになった魔力操作で祭壇に魔力をながし召喚の儀の再現を実行する。そして「召喚」と念じた。
僕の体から魔力をどんどん流していく。次第に魔物石は熱を持ったようにじんわりと色付く。その変化に期待値は高まり、更に、更に魔力を注ぎ込んでいく。魔物石は赤く発光する。魔力を追加するごとに輝きは増し、ついに太陽が生まれたような白銀の発光となり――。
――魔物石は爆ぜた。
魔物石は細かい破片となり、空中をキラキラと装飾する。僕はその幻想的な風景を呆然とながめ、キラキラとする光をつかみ取ろうと手を伸ばした。
その手は何も掴めず空を切るはずだった。
しかし、空中を漂うきらめきは渦を巻くように動き出したと思ったら、僕の手の中へと吸い込まれ消えていった。あっけに取られているのも束の間、苦痛に顔をしかめる事になる。きらめきは手の中で暴れ、手から腕へ、腕から体へそして、全身へ流れていく。
たまらず僕は膝をつき、体を駆けまわる奔流に耐える。この感覚は魔力が流れる時の感覚だ。しかし、その流れが尋常じゃない。
「ぅっくぁぁぁぁあああああああああああ!!!」
僕の呻きにマルが駆け寄る。マルは触手を伸ばし僕に触れると、僕の中で暴れまわる魔力をマルの中に引き込んだ。マルの体に移った魔力は暴れまわり、マルの体をぐにゃぐにゃと変形させる。マルから苦悶の感情が伝わって来る。
「マル、無茶を、する......な」
僕はできる限りの強がりを言葉にした。マル自身も辛そうだ。それでも触手を離さない。一緒に耐えようとしてくれる。魔力操作は僕よりマルの方が上手い。マルが間に入って魔力を制御しているのか、段々と魔力の奔流は穏やかになり、緩やかな流れになった。
魔力の暴走はなくなったが、体が自分の物ではないように気怠い。すっかり消耗してしまったマルを抱え、なんとか歩く。僕は大丈夫だ。でも、マルが痙攣するように時折蠢くのが心配だ。早く安全な場所へ、その一心だけで僕は宿屋へとたどり着く。
部屋に戻ると、マルの為に用意していた水を桶に溜め、僕の魔力を沁み込ませる。ゆっくりとマルを魔力水の上に浮かべる。マルの痙攣が少し収まったようにみえる。
それを確認した僕はよろよろとベッドにたどり着き意識を手放した。