淀んだ世界
ローゼンワイナー国の中心。その最も守りが堅いところにそびえ立つ城こそ、かつて神の子と言われたローゼンワイナーが自身の住まう場所として建造した建物である。
ローゼンワイナーの死後、強大な後ろ盾を失った国民は再び魔物の脅威と向き合う事になる。魔物から逃げるにしろ、戦うにしろ、志をひとつにしなければ命を繋ぐことができない事は明らかであった。それは、王族も含めた全国民に当てはまるもので、誰一人として例外はいない。
しかし、逃げるという選択肢はないに等しい。なぜなら人間が住める場所は、ここ以外にないのだ。なんとしてもこの安住の地を守らなければいけない。
そのため、城の門戸は開かれ全国民が分け隔てなく力を合わせた。その中でもローゼンワイナーの奇跡をその身に宿した50名は祈りを捧げる事によって、魔物に似た生き物を生みだし使役するチカラを有した。後に生み出す儀式を召喚。呼び出した魔生物を眷属と呼ぶようになる。
彼らは、たった50体の眷属を駆使して、何百もの魔物から国を守る盾となった。その中でも特に強大な力を持つ眷属がいた。それが深紅の鱗に巨体を飛翔させる強大な翼を持つドラゴンである。その存在なくしてこれまで歴史を紡ぐ事はできなかっただろう。
ローゼンワイナーがこの世を去った後の、新たな守護神としてドラゴンが祀り上げられたのは自然な流れだった。
しかし、ドラゴンといえど、不死ではない。突如訪れた魔物の大進軍を打ち払う戦いでその命を散らしている。唯一の救いと言えば、魔物の大進軍を撃退した後はしばらく平穏な時代が続く事だろう。その間に、傷ついた国は建て直しまた魔物に対抗する力を蓄える事ができるのだ。
それから、奇しくも魔物の大進軍も同時期に訪れる時代の節目にドラゴンを召喚する者が必ず現れるようになった。魔物の大進軍は森から溢れ出る様から、のちに氾濫というように呼び方を変えた。
氾濫という言葉に変わってからは、森に魔物が増えすぎるのが原因ではないかという声が
あがり、「氾濫が起きる前に森へ赴き、魔物を間引きしてはどうだろうか?」という発案は有意義なものとして、魔物狩りが実行された時代がある。
この時にはすでに国民の全員が召喚士であり、それぞれが眷属という強力な武器を携えていた。それゆえ、魔物などもう恐れる存在ではないという風潮が蔓延していた時代でもある。
しかし、この作戦は森の魔物をいたずらに刺激してしまい、ドラゴン不在の状態で魔物との大規模な戦いに発展してしまい守りの要である召喚騎士の半数を失う痛手を負う事となった。
己の力を過信した戦士は全て死に絶え、悪く言えば臆病、よく言えば慎重、そういった者たちだけが生き残った。
以後の歴史は、森への進行は禁忌とされ、攻めを禁じ、守りに重きを置くように国の方針は変わっていく。
それにより、国は現在まで存命できているのだからその方針は間違ってはいないのだろう。しかし、その代償か数百年と歴史を刻む間この国は何一つとして発展がない。淀んだ場所は内から腐るもの。それがどう作用してしまうかは、その時が訪れるまで結果は誰にもわからない。
本人たちにとって腐っている事実にすら気付くことはないのだから。
§§§
ローゼンワイナー城に用意された一つの部屋。そこに一人の男が毎日訪れる。
そこはただ広い部屋、生活品は見当たらず、家具のひとつも置かれていない本当にただ広いだけの部屋。その中央には身を丸くして寝息を立てる姿がある。
「なぁ、お前はいつになったら目を覚ますんだ?体ばかり大きくなって、召喚されてからもう6年になろうとしてるのに俺はまだお前の声も聞いたこともないんだぜ?」
俺は、白銀の鱗を撫でて声をかけるが反応はかえって来ない。
「ルキルフそれがお前の名前、いつになったらちゃんと伝える事ができるのかね?」
俺が話すのをやめると、巨体から織りなす寝息だけが規則正しく静寂を震わせる。
「なんかさ、魔物の氾濫が起きるらしいんだわ。それを鎮めるために、お前のチカラが必要なんだと」
俺は巨大な体にもたれ掛かり。
「ドラゴンって言うのはこうも眠るのが好きな種族なのか?昔のドラゴンはよく働いたらしいって聞いてるんだけどな」
分かってはいるが、何の反応もない。
「......」
俺はルキルフの額に手を当てる。これが毎日俺に課せられた義務だ。魔力譲渡と言われる行為だが俺は食事と言っている。俺の中から魔力がぐんぐん吸い取られていく。毎日渡してももっと寄越せというように強制的に抜き取られるそんな感覚だ。余裕を持って手を離さなければ、立てなくなるほどの倦怠感に襲われる事になる。
......まるで俺自身の命を捕食されているように感じる。
「なぁ、俺とお前の間にちゃんと絆は結ばれているのか?」
俺は他人をいつも羨望の眼差しでみている。普通はドラゴンを召喚した俺をみんなが羨望の眼差しでみるものと思うだろう。確かにそれもある。でも、俺は召喚士とその眷属が心を通わせて楽しそうに触れ合っている様子を眩しく感じている。
そこには絶対に互いを裏切らないという強い絆があるからだ。それを羨ましいと感じてしまうのは、俺にはその絆がないからに他ならない。
俺はたまに......お前を恐ろしく感じるよ。早く目を覚まして俺を安心させてくれ。
「俺の名前はロキアロッド、お前を呼び出した召喚士だ。わかってるか?俺がお前の親だ」
俺は毎日同じセリフを繰り返し聞かせている。それは俺自身を安心させるためだ。俺はルキルフが目覚めて強い繋がりを確認するように互いが求めて触れ合う事を心待ちにしている。しかし、その一方でルキルフが目覚めると俺は喰われてしまうのではないか?という嫌な想像をしてしまう自分もいるのだ。
良い想像だけしていれば心穏やかに過ごせるだろうに、余計な事の想像までしてしまうから中途半端な気持ちになるのだ。
俺は......いつだって中途半端で、見栄っ張りで、どうしようもない男だ。何か勝負をすれば5歳下の弟相手に苦戦してギリギリ勝利する。だけど自分のプライドを守るためにあたかも余裕だったと演出するわけだ。
そういった嘘を弟は疑いもせず、信じて純粋な目で俺を見つめ返して称賛してくる。あまりにも良い反応が返って来るから俺も調子にのってどんどん誇張していってしまう。
一方、弟には可愛げのないところがある。スライは才能がある上に、努力を惜しまない。何をさせても影で訓練してメキメキと上達していってしまうのだ。再戦すれば負けが確実な勝負からはもう興味がないと全て逃げた。
どんな運命のいたずらか俺は、ドラゴンを召喚してしまった。これまでドラゴンを召喚した人物は歴史に名を刻む英雄たちだ。......。俺にドラゴンは見合っていない。それを自分自身が一番理解している。
「......ルキルフ。お前は俺じゃなくて、スライのところに召喚されるべきだったんじゃないか?」
そうすればこんなに眠り続ける事もなかったんじゃないか?と自虐的な事も思ってしまう。
もう弟とは重月祭を皮切りに1年近く合っていない。スライが召喚した眷属は最弱のランクをつけられてしまったらしい。今はどのように過ごしているのだろうか?
――俺の脳裏に人目のつかないところでひたすら特訓している弟の姿が思い浮かぶ。めちゃめちゃ強くなってたりしてな......ありそうで怖い。
俺は、最後にルキルフに軽くハグをしてから部屋をでる。
「おい、眠りのドラゴン様は目が覚めたか?」
「フレアさん......いえ、相変わらずですよ」
「っち。なんか目覚めるような気がしてたんだがな」
「なんですか?それは」
「女の勘だ」
この人は召喚騎士の中で女性でありながら一番の実力者だ。召喚騎士内の序列は模擬戦の勝敗で決められている。召喚騎士は総勢50名でその中でのトップというわけだ。
召喚騎士への挑戦は誰であろうとする事ができ、眷属自慢の召喚士が召喚騎士に成り上がろうと勝負を挑んでくる。もし、その戦いで勝利することができれば、入れ替わりが成功するわけだ。
その新米召喚騎士が本当の実力者なら、そのまま順位を駆けのぼることができるが、実力に見合ってなければ再び引きずりおろされる事になる。
むやみやたらに森の魔物を刺激してはいけないという召喚騎士内の規定から、訓練は召喚騎士内での模擬戦だ。
「おい、起きたら真っ先に私に知らせろよ。ドラゴンの実力が噂通りのものか確かめてやる」
「いやいや、俺も、ルキルフも戦闘なんてしたことがないんですから、もし目覚めたとしても一番最初に戦うのは角ウサギからですよ」
「アホを抜かせ。......カムイ!ドラゴンに威圧を飛ばせ!」
フレアさんの眷属が鬣を逆立ててギン!と威圧を飛ばす。緩やかな空気の流れが一瞬にしてちぎれる寸前の糸のように張りつめられる。俺に向けられていないと言うのに見えない力に全身を押さえつけられているように体が重く感じる。
しかし、ルキルフに変化はない。何事も起きてないようにすやすやと変わらずに寝息を立てている。
「これだけの威圧を飛ばされて寝てるということは、絶対強者か、ケタ外れな阿呆だけだ」
僕は部屋に続くドアを静かにしめる。
「あんまり意地悪なことしないでくださいよ」
「お前がアホな事を言うからだ」
フレアさんが眷属の鬣を掴み、その背中へと飛び乗る。
「私の勘は当たるんだ。お前もそいつが目覚めるつもりで準備していろ」
「準備ってなんの準備ですか?」
「私のカムイと戦う準備だ」
フレアさんは口角を吊り上げ犬歯を覗かせて獰猛な笑みを作って去っていった。深紅の髪、引き締まったメリハリのある体。情熱的な美人を絵に描いたような人だ。遠目で見る分にはこれほど魅力的な人もいないだろう。でも、如何せん凶暴がすぎる。あと眷属も怖い。無理。
「女の勘か、本当に当たるのかね?」
根拠も何もない話だが、都合の良い話はどうしても信じてみたくなってしまう。もし目覚めるなら、その勝負を受けてもいい。俺だってルキルフの強さを確かめたい気持ちはある。その強気をへし折ってフレアさんの悔しそうな顔を見るのも楽しみだ。
しかし、ルキルフが目覚めるよりも早く事態は動く。魔物が森から溢れ出てきてしまった。いつかは必ず起きる魔物の氾濫。
しかし、そのいつかは誰にも分らないものだった。そのために国民のすべては自身を守る最低限のチカラを獲得するために養成学校への入学が義務付けられ、何度も模擬戦闘を繰り返す。
模擬戦闘はこの魔物の氾濫に対処するべく行われていた事だが、実際に魔物の氾濫が起きるという事実は戦闘職に就いたものにしか知らされてはいない。
戦闘職に就いた人たちも、いつ起こるかもわからない魔物の氾濫については半信半疑であったに違いない。だが、遂にその日は訪れてしまった。
森から押し出されるように魔物が排出されるのだ。最初は数匹だったが、徐々にその数が増えてきて数十の群れで出てくるようになって、まだその数は増加の傾向にある。この事態に城の中は喧騒で溢れかえっていた。
「ロキアロッド!まだドラゴンは目覚めないのか?!もう魔物の氾濫は起きているのだぞ!」
「わかってる!俺だってずっと話しかけてるんだ!」
「なにがドラゴンを召喚した英雄だ。これではただの役たたずではないか!」
「なに?!」
「おい、落ち着け。滅多なことを言うんじゃない。ドラゴンの力は絶対に必要だ。今は、1日でも早く目覚める事を祈って、その間、魔物の進行から国を守るんだ」
「そんな、悠長にしていられるか?!」
「そうだ!悠長にはしていられない!だからだ!今できる最善を考えて実行するんだ」
「っぐ......」
「ロキアロッド、歴史を振り返るなら、ドラゴンのチカラは国を守るカギだ。だから、お前はどうにかドラゴンを目覚めさせてくれ、......この国の為に頼む」
「......わかった」
ふたりの文官が部屋から出ていったのを見送り、俺はルキルフと向き合う。
俺はルキルフを召喚した初めの頃のように、赤ちゃんをあやすように優しく声をかける。それから何時間もその体を撫でながら声をかけ続ける。
「ルキルフ、起きる時間だよ。今日の食事はちゃんと起きてから食べよう」
その時にルキルフの瞼が揺れ、ゆっくりと瞳が開かれていく。
「ルキルフ!」
ルキルフの瞳に初めて俺の体が写り込んだ。




