その戦いはなにをもたらしたのか
その日町に緊張が走った。防壁門から、太鼓の音が響いた。太鼓が鳴らされるのは森から魔物が進撃してきた時だけだ。太鼓の音は鐘に引継がれ町全体に避難勧告が伝わる。
戦えないものは家の中へ籠り、戦えるものは防壁付近へと集まる。太鼓の音だけだったなら、門兵だけで対処できる魔物であるのでここまでの切迫したことにはならない。しかし、今回は鐘まで鳴らされたのだ。このような事態は町人の誰も記憶になかった。どれほどの魔物の軍勢が押し寄せてきたのか、集結した人々は戦々恐々としていた。
門兵は直ちに全員が集められ、防壁の上へと並んだ。遅れてきた町民も防壁の隙間をなくすように詰め、魔物を注視した。
魔物の軍勢を想像していた彼らにとってそれは予想外の事だった。目に見えて確認できる魔物はたったの1体。しかし、体は人間の倍はあるかという大きさで全身が毛で覆われている見た事のない魔物であった。確かに見た事のない魔物で体の大きな魔物だが、体の大きさで言えば近しい眷属を連れている門兵もいるので、脅威ではあるが、対処できる範疇に思えた。この程度に町全体が集結する必要はあったのか?誰もがそう思っていた。
しかし、魔物を意識すればするほど不安が大きくなるのを皆が感じていた。得も言われぬ不快感、恐怖がこみ上げてくるのだ。その感情はかの魔物が咆哮した時に確実なものとなった。
自らに向けられて放たれた咆哮でもないのにもかかわらず、その声を聞いた大半が恐慌状態に陥った。門兵の多くは正気を維持できていたが、町民は全滅であった。ここにきて、町民に協力要請をだしたことが裏目にでてしまった。まさか叫び声ひとつでこのような状態になってしまうなど想定の範囲外だったのだ。恐慌状態に陥った町民を退去させるのに時間を取らる。徐々に迫って来る魔物も脅威だが、町民たちを無視することはできない。
しびれを切らした門兵の一人が眷属に門から乗り飛び出してしまった。まわりから静止を促す声が聞こえるが門兵は止まることなく駆けていく。
混乱の対処に手間取っている間に、魔物に追い立てられている少年は剣を抜き戦っていた。なんと少年自ら、眷属と共に戦っているのだ。なんという果敢で、なんという無謀なのか。
魔物が眷属の攻撃で倒れているとはいえ、その手足はでたらめに振り回されている。それを少年は振り回される手足を掻い潜り剣で斬りつけているのだ。その動きは人間の動きとは思えないほど速く、鋭い。一瞬の隙に懐に入ったと同時に斬りつけたと思ったら、血が噴き出すよりも早く元の位置に戻っていた。
もしや、このまま単独で魔物を倒してしまうのではないかという攻防に徐々に落ち着いてきた皆の視線があつまる。強大な魔物に相対するひとりの少年と、戦うには向かないであろう小さな眷属が、一方的に攻撃を仕掛けて優勢を掴んでいるのだ。
ここにいる誰もが、武勇に魅入られ勝利というに文字を思い浮かべた時だった。魔物が振り切った腕は予想外に伸び、回避したはずの少年と眷属の体を捉えたのだ。
少年が犯した、たった一度のミス。それは、少年と眷属が何十回にも及ぶ攻撃をも吹き飛ばす一撃だった。
眷属の方はすぐに動き出し、少年の方へ駆け寄るが、少年に動く気配はない。固唾をのんで見守っていると、眷属が少年を引きずり、町の方へと移動を始める。門兵も加勢したいが、まだまだ門からは距離があり、手を出す事ができない。誰もが「もうちょっとだ、頑張って門まで来い!」と願っていた。
助けに行かない彼らが臆病なのではない。防壁に立ち、魔物を確実に仕留めるのが彼ら門兵の仕事なのだ。
魔物と遭遇するであろう森へ出かけるのは、自己責任だ。危険だと分かっていて出かけたひとりの狩人を助けるために、門兵が身代わりとなって死ぬ道理はない。ましてや町まで魔物を連れてくるのは町民を危険に晒す行為であり、咎められても文句も言えない立場なのだ。
しかし、安全に魔物を討伐する機会というものも多くはない。なので、狩人が無事防壁までたどり着けたなら、門兵で一斉に魔物を討伐し、狩人を助けるそういう習わしがあり、そのための合図を送るのが赤煙筒であった。
少年は習わしに則り、森を抜けた時点で赤煙筒で合図を送ってきた。それゆえ、門兵は防壁に立ち攻撃態勢で待機しているのだ。後は、少年が門兵の眷属の攻撃範囲まで逃げるそれだけでよかった。だが、逃走自体が難しかったこと、訪れたチャンスに勝ちを焦ってしまったこと。門兵の援護が受けれない場所で戦闘を継続してしまったこと。それらが合わさり少年は今絶対絶命のピンチとなっている。
少年の眷属が引きずっている間、魔物は何度も立ち上がろうとしては崩れていた。少年が斬りつけていた足はもう動かないようだ。あれなら、防壁から離れても安全に討伐できるとみて、足の速い眷属を持つ門兵数名が指示をだし、眷属を単独で向かわせる。
そうこうしている間に、魔物は地面を手でつかみ体を引きずるように移動を開始した。森へ帰るのではない。少年にトドメをさそうと動き出したのだ。同じ引きずるにしても魔物の方が速い。少年と魔物の距離はどんどんと近づいていく。
それを確認した少年の眷属は引きずるのをやめ、少年と魔物の間に立ち、単身で魔物に攻撃を仕掛ける。なんと勇猛な眷属であろうか。しかし、攻撃を仕掛けても魔物の歩みが止まる事はない。ついに魔物の手が少年に届く距離まで近づいてしまった。
この距離になって、眷属は魔物に体当たりを仕掛け、一度だけその進みを止めることができた。もう一度歩みを進めようと地面に向かって伸びる手は触手で薙ぎ払い。ならばと、少年目掛けて振り下ろされる攻撃はその身で受けて弾いた。しかし、2度、3度、4度と攻撃を受けてついに動けなくなり、少年の近くで力尽きてしまった。
それと同時に砂煙を立ち上げ魔物に突進する姿があった。皆が混乱している中、単独で門を飛び出した門兵が間に入ったのだ。
≪リャーーーーーオオオオオオウ!≫
門兵が騎乗する眷属の突進を受け、魔物の上半身が浮く。頭を振り切り魔物を弾き飛ばした。
「おい!スライ!生きてるか!!」
門兵の声が防壁まで届いてくる。
「ばかやろうが!門まで来れば助けてやるって言っただろう!!」
≪リアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!≫
魔物が邪魔されて怒り狂ったように地面を叩き、叫ぶ。再び精神が揺さぶられる感覚を覚える。何人かの門兵はレジストに失敗して嘔吐する者までいる。あの声には精神に異常をきたす魔法が付与されているのだろう。
「ああ!ああ!うるさいんだよ!!あぁ?!」
門兵の眷属は鼻先についた太く短い角で地面を抉り土砂を救い上げた。すると土砂は岩塊となり魔物を押しつぶした。完全に機動力を失った魔物は必死に抵抗するが、後続からくる眷属も加わった攻撃の集中砲火を受ける。しかし手足にダメージは入るが毛皮に覆われた部分は頑強でしぶとく足掻いた。その足掻きは頭を潰す事でやっと大人しくなった。
少年とその眷属は先に避難させられ町の中へと運びこまれている。左腕が複雑に折れ曲がっており、一部の骨が皮膚を突き破って出ていた。口から血を吐いているので肋骨が肺にでも刺さっているか、内臓がいかれてしまっているのだろう。まだ生きてはいるようだが、その息遣いはか細い
少年が運び込まれる姿を目撃した町民は顔を青ざめた。町民が森へ向かう事はまずない。それは門兵としても同じことだ。唯一の例外として狩人が森へ向かうが数は多くない。問題は、狩人が死ぬ姿は誰も見たことがなかったし、狩人が帰ってくる時は常に軽傷であるのだ。ゆえに、ここまでの大けがを誰も見たことがなかった。
町民たちは、防壁に守られ、貝に籠るように生きてきた。時折ある戦闘も安全な場所から行うもので、真の意味で魔物と対峙したものはいなかったのだ。
今回単独で向かった門兵も例外ではない、少年とその眷属が相手の機動力を無くすほどにダメージを与えていたので事もなく快勝のように振舞えたが、かの魔物が削られる前の状態であったなら、突進が主体の門兵の眷属では分が悪かっただろう。その一撃は強力ではあるが、一直線の攻撃はスピードが相手より上回っていなければ当てる事が難しい。
門兵は「防壁にさえ来れば助けてやる」と豪語していたが、かの魔物は門兵が安全地帯だと思っている防壁に飛びつき駆け登る能力を有していた。もし混乱状況の真っただ中に飛び込んだなら嬉々としてその血肉に齧り付いた事だろう。
門兵が少年の元へたどり着いてからは一方的な蹂躙となっていた。しかし、その蹂躙劇でさえ仕留めるまでに時間を費やしてしまった事実は戦闘の興奮から抜け落ちてしまったらしい。
それで、万全の状態で門に到着しなかったことで失われずに済んだ命があった事に彼らは気付けないままであった。
魔物と戦うのはあくまで眷属であり、召喚士は見守るだけ、傷つくのは眷属だけであり、眷属の傷は召喚士の魔力により瞬く間に回復する。よもや、召喚士も戦闘になれば負傷し、時には命を散らすことを失念していた。
いつか来るかもしれない魔物の氾濫に備えて、誰もが必要最低限の訓練を養成学校で受けていたとしても、平和ボケしてしまっていたのは否めない。
例え、魔物が押し寄せてきても町民自ら立ち上がり、総力を尽くせば防壁が破られる事はないと誰もが思っていた。
しかし、今回町民や一部の門兵はたった1匹の魔物の叫び声だけで戦闘不能になってしまった。もし、今回の魔物が複数で現れていたら?他にも魔物を引き連れていたら?嫌な想像は絶えない。
今回のたった1匹の魔物の襲撃は町民に恐怖を植え付け、漠然とした森への恐怖が、明確な畏怖となった。今後彼らが取った行動は研鑽して能力を高めることではなく、更に町へ閉じこもる事を選んだ。誰も自ら厄介ごとに顔を突っ込んであの少年のような姿にはなるまいと心に誓ったのだ。
少年が運び込まれた治療院には町中の回復魔法が使える眷属が集められていた。しかし、彼らはちょっとした切り傷や打撲を治療したことはあるが、骨が飛び出すほどのけがを見たことはなかった。見た目に臆してか、魔法の効果が無いのか回復は進まない。誰もがお手上げで、少年の死はゆっくりと近づいていた。
そんな中、召喚士の死期を感じ取ったのか、見慣れない眷属がマスターの元へと近づいていく。それを誰もが一歩下がって見守っていた。
眷属はマスターに近づくと、触手を伸ばし複雑に折れ曲がった左腕をまっすぐに直していく。飛び出した骨も触手を潜り込ませ体の中へと収めた。同様に肋骨の骨も元の位置に戻しているのだろう。触手が胸の中へと潜り込んでいる。最後の処置が終わった時か、マスターの意識が半覚醒し、苦悶の呻きが漏れる。ここにいる全員が眉にしわを寄せ目を逸らした。
その不思議な眷属は、集まった回復魔法を使える眷属に頼むようにフルフルと震えた。それをみた眷属たちはもう一度集まり、少年に回復魔法を行使する。今度は少年の傷が塞がっていくのが目に見えてわかった。それはまるで、眷属の回復風景を見ているようなスピードだった。回復の最中は悶えるように苦痛の声が漏れたが、次第に穏やかな寝息へと変化した。
少年の眷属は安心したのか、こちらにむかって深くお辞儀をしたように思えた。『ありがとう』そういっているように見えた。
この眷属も傍からみたら、傷こそ見当たらないが、調子は良くないように思える。回復魔法が眷属にも有効でありさえすれば、この心優しい眷属たちは彼にも魔法を唱えた事であろう。しかし、回復魔法は自然治癒能力のある生物にしか効果が無い。つまり、魔法生物には効かないのだ。
後ろ髪を引かれる思いはあるが、これ以上彼、彼女らに行える事はない。一日でも早く少年が目覚める事を祈りつつ部屋を去った。
月の明かりが差し込む時刻になっても少年に変化はない。物音ひとつしない部屋には少年静かな寝息だけが規則正しく紡がれていた。その少年の傍らに不思議な眷属の姿はなく、寝台の下には床を濡らす水たまりが月の光を反射していていた。




