“走れ犬”―犬による犬のための犬の集団脱走―
ハァハァハァ……ウッ!
「うぉおおおおおおおお!」
俺は今、スーツを脱ぎ捨てて犬になった。つまりは現実を捨てて異世界に逃げ出したのだ。
そして走る。
理想境を目指して走る走る。
四つん這いの姿勢は今の俺には辛い。だが直に慣れるだろう。
腰痛を我慢して、走る。
そして、俺の横を並走する足音に気付く。
フッ。
口元に笑いが込み上げる。
俺は1人じゃなかった
仲間がいる。折れる訳にはいかない。
だろう? 相棒。
いつの間にかに側には裸のオッサン――まぁ言ってみれば犬が増えていた。仲間……いや、相棒と言って良いだろう。
「相棒、相棒も理想境を目指してるのかい?」
相棒は笑って「バウ」と一言。吠えた。
そうだな。俺達に言葉は必要ない。
俺は照れ隠しで「ゲヘゲヘゲヘ!」と涎を垂らして笑った。
相棒の満面の笑みが頼もしい。
気が付くと後ろにも続々と犬が集まってきた。
元OLの犬、元学生の犬、主婦の犬、そして権力の犬、
沢山の犬が俺の後を爆走している。だが、一番後ろを遅れて付いてくる犬はまだ犬と言うより人の様態だ。半端は良くない。
だが、やがて服を脱いで犬として合流する。公僕もストレスの1つや2つ有るのだろう。犬となった彼は実に良い笑顔で笑う。
やがて俺と相棒が引き連れた犬の数は最早数えきれない程に膨れ上がり、かの目的地までは山川海を越えての長い長い間の旅となった。
そして、辿り着いた理想境。
俺達は幸せになった。
これ以上ない幸せだ。
服を着る者など居ない。
報告書もない。
テストもない。
勿論煩わしい人間関係なんて存在しない。
存在しないんだ。
……
……
「……なぁ」
誰からともなく呟く。
それは犬にあるまじき発言だ。
だが、俺達は薄々気付いてしまったのだ。
皆が目線を合わせない様に顔を上げる。
そして、徐に立ち上がる。
遂に誰かが口走る。
その声が重なる。
「同僚が待ってる。まだ間に合う。現実に帰ろう」
全裸にて、そして四本足歩行にて街を駆け抜けてきた俺達にまだ帰る場所はあるのか? そんな疑問は尽きない。
だが、諦めたら終わりだ。
犬となって駆け抜けた日曜日は今終わって、
次の月曜日が待っている。
俺達を待っている人が居るんだ。
現実が待っている……。そう、現実!
……だから!
俺達は四足歩行を捨てて走る。途中で殴り殺した獣の皮を剥ぎ取り、噛んで鞣して股間を隠す。
隣の女は千切った蔦でリリアン……じゃなかった。何らかの衣服を縫っている。裸で街に戻るとか正気じゃない。
相棒は……。
俺は隣を走る相棒を直視する。
「おいおい、そんな装備で大丈夫か?」
「問題ない
チュートリアルは受けるべきだぜ相棒。
最近のゲームははじめから何かしらの装備をしているものも多い。
だが、そうでない時代もあった。
……相棒はどんな時代を乗り越えてきたのか、それは分からない。
だが、「問題ない
そして、俺達は疾風怒濤の濁流となり、荒れ狂う一筋の龍となり現実へと走り出す。そして、ある街で1人散り、2人散り……最後の2人となった俺と相棒は月曜日の街に立つ。
――間に合った。
俺は振り返らずに職場の入り口を潜った。
振り返られはしない。
後ろを見たらきっと泣いてしまう。
……いつまでも相棒が近くに居るような暖かさを感じつつ、俺は職場へと戻った。
――各々が各々の要るべき場所に帰る。
服を着て、肩書きを纏って。
裸でもなければ四足歩行でもない。
走る事すら希な生活。
退屈な日常。
時折犬だった頃の事を思い出す。
そして、職場の窓から住み慣れた街を眺める。
――視界の端に裸の相棒
fin