Apple Sauce.
『The answer is……』の後日談となります。
ホラーではないと思いますが、シリーズなので一応ホラーとなっています。
いつもこの季節になると、実家からはカラフルなリンゴの箱詰めが届く。
赤や、黄色や、緑。まるで、忘れるなとでも言わんばかりに。
色とりどりのリンゴを上から眺めると、最初にどれを手に取ろうか。
きれいに洗って、かじってみようか。
わくわくする。
ただ、私が好きなのは、いつも決まって一つ。
ベッドサイドに置かれた真っ赤なリンゴを、手のひらでコロコロ転がしていると、その柔らかさに心を奪われそうで。
私の手がリンゴをもぎ取って、無理やり口に押し込む。
キスをする必要もないのに。
キスをする場所じゃない場所に。
キスをする。
てらてらと濡れて光るリンゴは。
赤い色を、垂らす。
どうして、クリスマスの飾りにはリンゴが入っているのか、聞いたことがある。
明確な答えはなかったけれど、このイベントにリンゴが飾ってあるのを見かけると、ほんの少しだけ、背徳的な甘さを感じる。
最初。
私とあなたは、何も纏っていなかった。
それが、リンゴを口に入れることで、纏わなければならなくなった。
知恵の実。
スーパーでも手に入る、安っぽい知恵の実。
それを、二人で、端からほおばる。
互いの顔が見えなくなるくらい、近くから。
互いの目が、見つめあうことができるくらい、近くまで。
真っ赤に、ベタベタになった二人の顔は。
そのまま、まるで延長戦の様に、互いをむさぼり始める。
互いの体に、口づけをする。
口づけをしたところが、リンゴのように真っ赤になる。
どうして、人はリンゴのように赤くなるのだろう。
黄色や、緑にならずに。
あぁ、そうか。
リンゴは赤いからだ。
だから、私はリンゴが好きなんだ。
☆
リンゴの種は。
生きているうちは、芽を出さないそうだ。
つまり、芽を出したリンゴは、死んでしまったということになる。
死んでいた、でもいい。
その場合、リンゴは生き返ったのか。
それとも、新たに生まれたのか。
それはそもそも、リンゴなのか。
どこまでが死で。
どこからが生で。
カラカラに乾いた種を見ていると、そんなことを考えてしまう。
カラカラに乾いた種を、あなたの耳の奥に、そっと、埋める。
するとその種は、芽を出す。
知らず知らずのうちに。
じわじわと、脳の中に根を張り、だんだんと、感覚を麻痺させる。
まるで、アダムとイヴのように。
世界が、イラストの一枚のようになる。
毎夜毎夜、繰り返される日常。
つまりは、日常こそが最も恐ろしい。
そのことをはっきりとさせるように、サイレンの音が、今日も窓の外に響く。
『…この不可解な事件は、その発生から今日まで、原因不明のまま…』
つけっぱなしのTVからは、毎日同じコメントが流れてくる。
それも、日常にさっと滑り込まされたものになった。
誰も、TVなんか見ていない。
つまり、もう誰も、違和感を覚えない。
プチ、プチ、プチ。
耳奥に残るノイズ。
カツ、カツ、カツ。
長い廊下を、靴底が叩く音。
コンコン。
ノックされるドア。
「どうぞ」
カチャっと、鍵の開く音がする。
☆
「あ、京子ちゃん」
グレーのスウェットを着ためぐは、久しぶりに来たであろう知り合いに、パッと顔を明るくした。
通された部屋の中には、本当に何もない。
マットレス、トイレ、壁にはクッション材。
空は、格子状に切れ目が入っている。
「ひさしぶり、めぐ。元気?」
にっこりと、笑い返す。
「うん、元気だよ。でも、毎日毎日こんな格好だから、根っこが生えちゃいそう。全然、運動もできないし」
そういいながら、私にギュッと抱き着いてきた。
深呼吸。
「あぁ、久しぶり、京子ちゃんの匂い。本当に、おいしそう」
そう言って、首筋にそっと、舌を這わせてくる。
私も、めぐを抱きしめる。
「ねぇ、めぐ」
「なぁに、京子ちゃん」
頭を、よしよしと撫でて。
耳にそっと、口を近づけて。
「私のこと、好き?」
そう言って、耳たぶを噛む。
「うん、好きだよ、京子ちゃんのこと」
甘い声。
「私を、また、食べたい?」
めぐは、ぶるっと震えて。
目を、とろんとさせて。
「うん、うん。また食べたい。もっと食べたい」
だんだんと、息が荒くなる。
「食べさせて」
首に、舌とは違う、硬い感触が当たる。
そのまま、手がブラウスのボタンに触れて。
その中に、細い指が、するりと、滑り込んでくる。
「京子ちゃん、あのね、あたしね」
荒い息を継ぎながら、めぐが言う。
と。
コンコン。
ドアが再びノックされる。
「残念、めぐ、また今度だって」
そのまま顔を埋めようとするめぐを、そっと引きはがして。
「京子ちゃん?」
そっと、口づけをする。
めぐの味を、確認する。
「また今度、会いに来るから」
私はそう言う。
「また来るから」
その、とろんとした瞳を見に。
「きっとだよ」
☆
建物の玄関を抜けると、真っ平らな芝生が広がる。
後ろにはクラシカルな形をした、いかつい建物。
その形はまるで、どこかで何かを威嚇し続けているようで。
どこへいっても、この手の建物には、周りになにもない場合が多い。
見える範囲に民家はなく。
遠く、フェンスの向こうに見えるのは電波塔。
つまり、フェンスのこちら側が、この敷地で。
そのフェンスが仕切っているのは、外か、中か。
守っているのは、どっち側なのか。
そんなことを考えながら、ひび割れたアスファルトを進む。
変色した草が、アスファルトの間から見え隠れする。
時折、その草を踏んで、歩く。
「おまたせ」
広い駐車場の一角。
茶色い車の助手席に座る。
「木野、元気そうだったか」
倒していた椅子を起こしながら、隆がそう言う。
建物からなるべく見えないように、という配慮なのか。
それとも、単に眠かったからなのか。
小さな車の中に、大きな人が乗っているのでは、どうやったって隠れようがないと思うのだけれど。
「ええ、元気そうだった。全然変わってない」
「そっか」
そう言って、ダッシュボードにおいたメガネをかけ直す表情を見て。
この人は、外を見たくなかったんだな。
そう感じてしまった。
うやむやのうちに、重ねた体。
冷たかった温もり。
私は、誰の温もりを求め。
隆は、誰の温もりを求めたのだろうか。
きっと、生臭いものしか残らなかったろうに。
「京子はさ」
エンジンをかけ、ナビが次の目的地を告げるのを聞きながら。
「京子は、木野を、どうしたかったんだ」
心臓が、ドキリとする。
「どうって?」
車が動く。
カチリカチリ。
ウインカーが音を立てる。
それっきり、隆は何も言わない。
車は勝手に曲がっていく。
☆
水が、ガラスの上を流れていく。
触ると、ガラスはとても冷たい。
もしかしたら、ガラスではなくて、ポリカーボネイトかもしれない。
それほど、熱は伝わってこないのかもしれないし。
もう、熱は伝わり切って、放散して、冷めてしまった後なのかもしれない。
「最近知ったんだけど」
隣の、大きな水槽を触りながら、隆が言う。
「リンゴってさ、国によって、色が違うんだって」
そのまま、その手を滑らせると、つられるように、向こう側から大きな魚が姿を現した。
「リンゴを描きなさいって言うと、だいたい、赤く塗るんだって。でも、それはここだけの話で、緑だったり、黄色だったり、ほかの色に塗る国もあるんだって」
大きな魚は、そのまま口をパクパクさせながら過ぎていく。
開いた口の中から、鋭い歯が、見え隠れする。
「どうして、赤く塗るんだ」
そう言って、私を見る。
「魅力的だからじゃない」
過ぎていく魚を追いかけながら、そう答える。
「魅力的?」
「魅力的。だってね」
そう言いながら、私は脇にある階段を上っていく。
「この水槽に、たくさんの魚が入ってる。でも、この魚たちに、リンゴをあげたって、きっと食べない」
階段は、水槽の上へと続いている。
「だって、魚は、リンゴなんて、まったく興味がないもの」
そう言いながら、バッグの中から取り出した真っ赤なリンゴを、放り込む。
魚が跳ねたような音を立てて、リンゴは沈んでいく。
その脇を、大きな口は通り過ぎる。
「たまたま、興味のある物が赤かった。リンゴは、同じ色だった。だから、リンゴは赤く塗られる」
そう言って、後から上がってきた隆の腕をつかむ。
「京子?」
「水槽の中の魚は、何に興味があると思う?」
腕を抱きかかえるようにして、手すりに近付き。
「あなただよ」
そのまま、手を取って水槽に身を投げた。
☆
不幸な事故だった。
そう片付けられた。
大きなリンゴと化した、半球状の水槽の中で、魚たちは、ダンスをした。
ごちそうだったのだろう。
この上なく。
驚いたのだろう。
だから、その大きな口は、容赦なく。
歯をむき出しにして。
赤い絵の具をまき散らした。
落ちたのは二人。
助かったのは一人。
運が良かった。
残念だった。
そう?
そうなの。
☆
リンゴは、今日も店頭に並んでいる。
赤い色をしている。
誰が並べたのか、わからないリンゴを手に取って。
ニコニコと、私は歩く。
ありがとうございました。