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3/3

~葬儀屋と医者と役人と~

「どうかしましたか?」


 母屋の軒先から上がり込もうとした所で、立ち止まって躊躇していると、警察と話を終えた加瀬が声を掛けてくる。


「加瀬さん……」


 今までだってこんな状況が無かった訳ではない。葬儀会館全盛時代にあって、専用ホールを持たない化石の様な弱小葬儀屋は、メジャーな葬儀屋がやりたがらない様な、所謂訳有り案件を扱う事でなんとか食い繋いでいる。

 我が冨士葬儀社も、そんな弱小葬儀屋の一つであり、回ってくる仕事は人手の足りない大手葬儀屋の手伝いや、先程の例に洩れずに訳有りな案件ばかりだ。

 つまり、普通の葬儀屋よりも、こんな状態を数多く経験している。

 酷い状況である事は、敷地内に入る前から予想していたし、それ相応の覚悟もしていた。

 だが、いざ近づき、惨状を間近で見て臭いを肌で感じると、思わず二の足を踏んでしまった。元は畳だったと思われるモノが、床一面に敷き詰められた室内に踏み込むのを躊躇ってしまう。

 経験が多いのと慣れるのは別問題なのだ。生理的に受け付けないモノは、何度経験しても慣れるものではない。

 畳も腐るんだな………


「はい、なんでしょう?」

「土足で……いいっすよね?」


 大きなゴミは警察によってあらかた片付けられてはいるものの、細かなゴミの散乱する室内に、何より踏めば足がめり込みそうな畳に、靴を脱いで上がるのは正直嫌だ。


「まあ、怒る人も既にいませんし……構わないでしょう。警察の方は既に土足で上がってますし」


 土足の許可に胸を撫で下ろし、一段上がった母屋の床に足を掛ける。


「………よし!」


 気合いを入れ直し母屋の中に入ると……うん、案の定靴が畳にめり込む。乾きかけたぬかるみに足を踏み入れた様な感覚……気持ち悪い。

 改めて室内を見渡すと、予想以上に酷い有様だ。薄い板壁には穴が開き、窓ガラスは所々割れたままになっている。一応段ボールやボロ布で補修の跡がみられるが、あまり効果があるようには思えない。夏場はまだいいが、冬場は隙間風で寒そうだ。

 敷き詰められた畳は腐り、至る所で菌糸類が根を張り、そこかしこで何かが蠢いている気配がする。


 あっ!これは見たらダメなヤツだ……こんな状態で黒く蠢くモノ(奴ら)を見てしまったら、折角入れた気合いが霧散してしまう。今心が折れたら、短時間では復帰できそうもない。


 しかも室内空間のおよそ九割を占めるゴミの山が、この世のモノとは思えない程凄まじい臭いを放っている。

 そして、ゴミをどけて作られた何もない空間に、この屋敷の主が安置されていた。

 さながら死を悼むゴミ(民衆)に囲まれた王様だな……


「こいつは………」


 物言わぬゴミ(民衆)に囲まれたこの屋敷の王は、夏場だというのに頭から毛布を掛けられ、腐臭漂うこの場にあっても、王の名に恥じる事無く一際濃い臭いを放っていた。


「こいつは思った以上にヘビーだな……」

「おい小僧、ぼさっとしてないでとっとと働け。それとも死体を前に金玉縮み上がったのか?」


 想像を上回る状況にたじろんでいると、後ろから小汚いヤジが飛んで来る。


「………………」

「おいおい、シカトすんなよ」

「仕事中だ。邪魔すんな!」

「死体を前に呆けるのがお前の仕事か?楽でいいな」

「うるせー!何しに来やがった!」


 そう怒鳴りながら振り返ると、白衣を着た男が立っていた。


「何しに来たとはご挨拶だな。お前の仕事を一つ減らしてやったのによ」

「あ?」

「っと……あれ?どこに入れたっけかな……おっ、あったあった。ほらよ」


 男はしわだらけの白衣をゴソゴソと探ると、懐から茶色い封筒を取り出し、こちらに向かって放って寄こす。


「なんだよこれ……」

「検案書だ。わざわざ持って来てやったんだから、感謝の一言位あっても良いんじゃないか?」

「別に頼んじゃいねーよ!」

「ケッ!これだからビジネストークも出来ない様なガキは……そんなんだからお前の所は万年閑古鳥が鳴いてるんだよ!」

「んだと!検死しか仕事がない藪医者に言われたかねーよ!」

「俺は仕事を選んでるだけだ!殺しても死なない様なジジババ相手に無駄話するより、検死の方がよっぽど有益なんだよ!」

「ふんっ!お前もビジネストーク出来てねーじゃねーか!」

「チッ!口だけは一丁前に動きやがる……だいたいタメ口きいてんじゃねーよ!お前は年上を敬う精神がねーのか?」

「何が年上だ。ダメ人間代表が!俺は相手を選んでんだよ!用が済んだならとっとと帰れ!」


 この男は西方健一、無精髭にボサボサの髪の毛、年齢不詳でヤクザの様な風貌をしているが、一応この辺りの検死を担当するれっきとした医師だ。唯一の医者っぽいアイテムである白衣も、汚れてしわだらけな為、うさん臭さを倍増させてしまっている。

 昔は東京の有名な医大で働く凄腕の外科医だったらしいが、現状からは嘘にしか思えない。いったいどう転落すればこうなるんだか……


「あれ?西方先生。忘れ物ですか?」

「いや、只の野暮用です」

「ああ、検案書を持って来てくださったんですか。検死終わったばかりでお疲れでしょうに……ありがとうございます」

「いえいえ、加瀬さんこそ暑い中、クソガキの子守りお疲れ様です」

「おい!まさかクソガキってのは俺の事か?」

「あ?他に誰がいるってんだ?死体を前にビビって動けない葬儀屋なんて、クソの役にもたたないガキ同然だろ?」

「別にビビってた訳じゃねーよ!」

「青い顔して固まってたじゃねーか!」

「んだとこの野郎!!」


 職業柄コイツとは顔を合わせる機会も多いが、どうにも馬が合わない。会えば必ず今の様にガキ扱いしてくる為、俺もついついムキになって喧嘩腰になってしまう。


「まあまあ、二人共ご遺体の前ですしその位で……良さんはご遺体の状態を調べてたんですよね?」

「えっ?ま、まぁ……そんな感じです……」


 加瀬さんの言葉に慌てて頷きを返す。コイツの言うように、本当は単に尻込みしていただけなのだが……


「加瀬さん。このガキ甘やかしちゃダメですよ。どう見てもビビって小便漏らした様な面してたんですから」

「てめー!!」

「まあまあ……それで西方先生、この方の死因は?」

「急性心不全ですね」

「心不全?要は原因不明って事だろ?藪医者め!」


 急性心不全……突発的に心機能に異常が発生して死亡したという事だ。しかし、この様に特殊な現場での心不全は、意味合いが少し違う。

 どんな原因でも最終的には心臓が異常をきたし停止する。つまり広義には大多数の死は心不全という事になる。勿論、原因がしっかりと分かっている場合は、死因は心不全とはならないが、要は原因不明の意味でつかわれる事が多いのだ。


「このガキ……いちいち突っかかりやがって!」

「それはこっちのセリフだ!!」


 俺達が今にも掴み掛らんとばかりに睨み合っていると、辺りの空気が突然冷たくなる。


「………二人共、いい加減にしないと私も怒りますよ?」


 加瀬さんの声のトーンが低い。顔も先程までと変わらぬ笑顔なのだが、重苦しい威圧感を感じる。

 ヤ、ヤバイ……これマジなやつだ……


「………ごめんなさい」

「………申し訳ない」


 西方も俺と同じように危機を感じたのか素直に頭を下げる。

 この人は時折ただの市役所職員とは思えない迫力をみせる……正直かなり怖い。


「分かって頂けて嬉しいです。それでは仕事に移りましょう。本来は先に役所で火葬場の手配等を行わなければなりませんが、今回は既に許可をとってありますので、このまま搬送してしまいましょう」


 そして、役人とは思えない程仕事が柔軟で素早い。この許可って誰から貰ってるんだ?市長か?そもそもこんな変則的な普通許可なんて下りるもんなのか?

 役所も柔軟な対応が……なんて思ってはいけない。たらい回しと兪やされる行政の仕事は、無駄な手続きが多く、融通が利かない……それは身内に対しても同じはずだが……

 取り敢えず、一介の職員レベルでどうにかなる話とは思えない……色々な意味で恐ろしい人だ。


「それじゃあ、取り敢えず搬送布団に移し替えて……」


 持って来た荷物の中から、持ち手の付いた搬送専用の布団を取り出す。

 薄手の布団というよりもシーツに近いが、これの有る無しで遺体搬送にかかる労力が段違いなのだ。


「おっと、一応忠告しといてやる。毛布取るなら覚悟決めとけよ」


 西方のニヤリと笑いながら放たれた一言で、遺体の横に布団を広げようとしていた手が止まる。


「ッ!!……ヘッ!ビビらせようとしても無駄だぜ……」

「別にそんなつもりはねーよ。検死を担当した医師からのささやかなアドバイスだ」

「………まぁ、一応参考までにどんな状態か聞いといてやる」


 状態をしっかりと確認するのもプロの仕事の内だ……うん……


「この暑さのせいで腐敗は大分進んでいて臭いが酷い……まあ、これだけ周りが臭うと、どちらの臭いなんだかわからんけどな」

「そ、そうだな……」


 死体の臭いは脳に直接届く様な臭いなので、ゴミとはまた別物なんだが……


「全身肉はぐずぐず、皮膚はズルズルだな。糞尿の処理はしてあるが、腹にガスが溜まってパンパンになってるから下手に触るなよ」

「そ、想定内だ……参考までにどの位ぐずぐずなんだ?」

「乱暴に扱わなければ、肉が剥がれ落ちる心配はない」

「ホッ……ま、まあ、そ、想像より…た、大したことはねーな……」

「……たしかに、一応人の形は保ってはいるし、プロに対して出過ぎたアドバイスだった……すまんすまん。さっ、続けてくれ」

「お、おう……」


 先程よりも慎重になりながら遺体に近づく。

 ウッ……確かによく見ると、腹の部分が膨らんでいる……


「そうそう、これも余計な事かもしれないが……蛆が湧き始めているから気を付けろよ。幸いまだ遺体は食い荒らされてはいないが……今お前が立ってる辺りまでいたぞ」

「うぉ!!」


 西方の言葉で思わず飛び退くと、慌てて靴の裏を確認する。

 ……よかった、踏んでない……しまった!!ハッとして後ろを振り返ると、藪医者がニヤニヤと笑っている。


「ゴホン!………ま、まあ、必ずしもこの布団使わなきゃならない訳じゃないしな……既に毛布に包れていることだし、故人の尊厳を守る為にも、このまま納棺するとしましょう……」


 別に遺体の状態にビビった訳じゃない……酷い状態を衆知に晒すのは、故人の尊厳に関わる。その辺りを汲み取って、臨機応変に対応するのもプロの葬儀屋の仕事だ……


「私も手伝いますから納棺してしまいましょう」

「あっ、ゴム手袋有るんで使ってください」

「俺は自前のが有るからいらんぞ。安物のゴムは肌に合わないからな」

「チッ!何足の方に回ってんだよ!お前は俺と胴の所持てよ!!加瀬さんは足の方をお願いします」


 上半身に俺と西方、下半身側に加瀬さんがそれぞれ立ち、故人の下に敷かれた毛布を、その下にあるシーツごと握り込む。


「それじゃあいきますよ……せーのっ!」


 俺の掛け声に合わせて、遺体を持ち上げる。

 グッ……しまった……予想してたよりも大分重い……

 勢いに任せて持ち上げてしまったが、さっき西方と言い争った手前今更後には引けない。


「おい葬儀屋。腕が震えてるぞ」

「お、お前こそ辛そうだな」

「二人共集中してください。私握力が……」

「もう少しそっちへ……頭が納まらない」

「は、はやく……」

「よし、ゆっくり降ろせ……」


 男三人が間近で顔を突き合わせ、右往左往しながらもどうにか無事納棺を終える。

 異常に息を切らせている俺達三人を、帰り支度をしていた警察官達が怪訝な目で見ている。

 しまった。この人達に手伝ってもらえばよかった……

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