~夏日と死体~
「いいのか?」
俺の問いかけに目の前の少女は、無言のままコクリと頷く。見つめる眼には強い光りが宿っている。その光は意志なのか、それとも遺志なのか……
「本当に……やるんだな?」
「……はい」
再度念を押す様な俺の問いかけに、少女が短く答えを返す。
「………それではこれの届出人欄に署名と血判を……」
俺が取り出した死亡診断書に、彼女は自分の名を書き込んでいく。
「……書けました」
「手を……」
差し出された白く透き通る様な手の親指に、ポケットから出したナイフを押し当てる。
「……直ぐ済むから向こう向いてろ」
少し切るだけとはいえ、瞬間を目にするのは怖かろうと思い声を掛けたが、俺の言葉に彼女はフルフルと首を横に振り、自分の親指に押し当てられた刃を見つめている。
「…………」
「…………」
怒りも憎しみも無い相手にナイフを向けるなど……いや、そもそもナイフを他人に突き付けること自体初めての経験だったが、不思議と心は凪いでいた。
刃をスッと横に走らせると、小さな切り傷からプクリと血が溢れ出る。
「ッ……」
少女は小さく呻き、一瞬身を強張らせるが、直ぐに元の無表情に戻る。
「そのままここに押し付けてくれ」
そう言って少女の前に跪くと、署名が施された診断書を広げる。
少女は無言のまま、血の滲む指を近づける。
「………本当に……いいんだな?」
「………?」
少女の後ろに向かって、見上げる様に三度目の確認。しかし、彼女の後ろに広がる青白い光からは、一切の返答は返ってこない。
流石にいつもは感情を表に出す事の少ない少女も、心配そうな目でこちらを見ている。
俺は彼女達にどうして欲しいのだろう……いや、これ以上彼女の出した答えに、立ち入るべきではない。事務的に己の仕事をこなすべきなのだ。彼女はクライアントであり、俺は只の葬儀屋なのだから……
どちらにしろ俺が欲しい答えは返ってこない……
彼等は答えない……
こちらの問いかけに答える事は無い……
いつだって彼等の言葉を想像するのはこちら側の役目なのだ……
彼等は……死者は語らない。
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「あっつ……」
七月下旬天気は……無駄に快晴。遠くの方から無駄に元気の良いガキ共の声が聞こえてくる……俺に元気を分けてくれ……思わず両手を天に向けて掲げそうになるが、そんな体力すら最早無い。
汗で滲んだ目を拭いながら腕時計に視線を向けると、現在の時刻は13時ジャスト。夏の太陽がアスファルトを熱し、まるで火にかけた鉄板の様に湯気を上げている。
全身から汗が吹き出し、滝の様に止めどなく流れている。持参したスポーツドリンクが2L入ったペットボトルの中身は、既に汗として流れ落ち蒸発して大気の一部となっている。
「怠い……ってか眠い……」
昨晩異世界の平和と秩序を守る為行われた聖戦の疲労が、今正にピークを迎えようとしている。全身に鉛の様に重く倦怠感が粘りつき、頭の芯から泥の様に湧き上がる眠気が思考力を奪っていく……気を抜くと意識を持っていかれそうだ……
新クエ配信の前夜祭と称した討伐クエのドロップが激アツで、昨晩は変なテンションのまま連戦してしまった……今晩の新クエへのアタックを考えると、今の内に寝ておきたいんだが……
「臭い……」
立ったままでも夢の世界に旅立てそうな俺の意識を、辛うじて現実世界に縫い留めているのは、灼熱の太陽とそれ以上にこの場所に漂っている臭いだ。
辺り一面見渡す限りゴミの山。右を見ても左を見てもゴミゴミゴミ……俺達が飲み込まれている状態から考えると、山というより海か?……いやいや、そんなのはどっちでもいい。
動かなくなって随分経つであろう元電化製品、恐らく家具……だったであろう板切れや木枠、こんな物どこから持って来たのか不思議になる道路標識や看板……そんな粗大ゴミ類はまだいい。
錆びていたり腐食が激しく、とてもリユースもリサイクルも出来そうもないが、取り敢えずこちらに害は無い。勿論、景観を損ねるし、崩れると危ないので近い内に撤去しなければならないだろうが、さしあたって今の俺達に直接的な被害は及ぼさない……変な化学物質とか垂れ流してないよな?
問題は時間経過と共に臭いを発する類のゴミだ。長年洗われる事なく放置された瓶や缶、元は何だったのかすら分からない程腐り果てた生ゴミからは、カビにまみれキノコっぽいモノまで生えている。
そして、そのゴミ達に囲まれる様に、彼等の主人が一際異臭を放ち横たわっている。
「……加瀬さん。もう帰っていいっすか?」
「まあまあ、もう少しで終わるでしょうから……良さん、今日は何だかいつも以上に覇気が無いですね?」
俺の隣にいるこの男、名を加瀬新三郎という市役所勤めの役人だ。代々役所勤めの家系らしく、新三郎本人も福祉課に在籍している。親父の代からの付き合いで、今日俺にこの仕事を依頼してきた張本人だ。
「ネトゲで貫徹しました……」
「徹夜ですか。寝不足は体に毒ですよ」
「寝ようと思ってたら加瀬さんから連絡入ったんすよ……」
恨みの籠った目で加瀬を見上げるが、笑顔で受け流されてしまった。
「ネットゲームですか……私はやった事ないから分からないんですが、そんなに面白いものですか?」
「ん~~どうっすかね?人によるんじゃないっすか?興味が有るならおススメを幾つか教えますよ」
「その時はよろしく頼みます。でも、若いうちから徹夜ばっかしてちゃダメだよ……あっ、でも徹夜が苦にならないのは若いうちだけか……」
「はぁ……」
本来人が亡くなると、家族親族が葬儀を行い荼毘に付すのだが、このゴミ屋敷の主人の様に身寄りが無い場合、行政が最終的な引受人となる。とは言っても所詮お役所仕事、葬儀は簡素に最低限の内容で行なう。
一番安い棺と骨壺を用意して、宗教者も入らず荼毘に伏すだけ。手数料を含めても十万はかからない。
同居人がおらず発見が遅い為、遺体の状態があまりよろしくない事が多く、利益の薄さも相まって大手の葬儀屋はやりたがらない。そのおかげでうちの様な弱小葬儀屋に仕事が回って来るのだが……
今回も例に洩れず、夏場の高温多湿な状態で一週間以上放置された遺体は、非常によろしくない状態に仕上がっており、何とも言えない臭いを発している。
本能の危機感を刺激するこの臭いは、何度嗅いでも慣れるものではなく、思わず胃の中のモノをぶちまけてしまいそうになる。まあ、これだけ家自体が汚いと、遺体の臭いなのかゴミの臭いなのか分からないのだが……
この暑さと臭いで、只でさえ少ない体力が、
「暑さ無効のバフくれ~~……回復職~~ヒールを~~。もしくはポーションでも可……」
力無い声で、最後の救援要請を求めてみるが、辺りに居るのは無表情で現場の処理をする警察官と似非臭い市役所職員だけであり、ネトゲと違って都合の良い魔法や回復アイテムなどここには存在しない。
いや、分かっちゃいるんだけどね……こうでも言っていないと、故人を火葬する前に俺が燃え尽きてしまう。
「ポーション?とやらは有りませんが、これをどうぞ」
俺の独り言に反応した加瀬が、スポーツドリンクのペットボトルを差し出してくる。
出された瞬間ひったくる様に奪い取ると一気に飲み干す。
………足りない………
「おお!一気飲み……若いですね~」
さながら水辺を求める遭難者の如く、スポーツドリンクを一気に飲み干す俺を見てそう呟く加瀬は、俺と同じくこの茹だるような炎天下の中に居ながら、汗一つ流す事なく涼しい顔で立っている。
………コイツ本当に人間か?
「もう、帰りたいっす……」
「まあまあ、そう言わずに……」
再度そう漏らす俺を、なだめる様な言葉を返してくる。
「………せめて日陰をください」
「そうですね……あの小屋の下なんてどうですか?」
そう言って加瀬は、元は納屋だったと思われる今にも潰れそうな小屋を指差す。
崩れそう……ってか半分ぐらい既に崩れてるな……
「………もう少し安全な場所が……」
「ん~~。ならあちらの木陰はどうですか?影は小さいですが、崩れる心配は無さそうですよ」
何の木かは分からないが、少し小さめの木陰が見える。確かに崩れる心配は無さそうだが……
肥料にでもするつもりだったのか、木の脇には腐臭を放つ生ゴミが山の様に積まれている。
「………………」
「あそこも駄目ですか?となると……あそこしかないですね」
少し困り顔の加瀬が指差したのは、母屋の中………
「………あそこは一番ダメでしょ……」
「そうですか……確かに夏の日は室内の方が暑かったりしますしね」
「いやいや、そういう意味じゃなくって。ご遺体の横じゃないっすか」
「そうですね」
「倫理的にも衛生的にも臭い的にも……ダメでしょう」
「そう?良いと思ったんだけど」
「色々とアウトっすよ……」
張り付けた様な笑顔で笑う加瀬。この人いったいどこまで本気なんだ?
「でも丁度良かった」
「え?」
「終わったみたいだよ」
「何がですか?」
「警察」
「警察?」
暑さで思考が阻害され、オウム返しに聞き返すと、加瀬が母屋を指差す。
「ほら、検死が終わったみたいだ」
そう言われて母屋の方を見ると、先程まで中で検分していた警察官達が、ぞろぞろと外に出てきている。
「さあ、行こう。君の出番だよ」
「…………」
そう言いながら歩き出す加瀬の背中を、頭を垂れながら力無く追いかける。
…………帰りたい…………