【6】体の他の部分の調子も良い!(朗報)
今、寝て起きて、10/16付近の自分のテンションの高さにおおーっとなりました。
それまでの間の、こう、寝てるのに寝てない気分が、更に本日にはさらーっと晴れて、すごく爽快な気分で起きました。
昨日も実はほぼほぼ寝ていたのですが、それはこう、車の中で。
別の持病の方の病院に向かう中と待合室と帰りの車でひたすら眠り、帰宅後も眠り、夜一旦起きて、家族のすすめで食事をして、更に眠って今に至ります。
そちらの持病も、炎症が収まりました。
実は、夏までずっと炎症が収まらなかったのが、夏頃から収まり、あとは収まり続けているのを待つ形だったのですが、四ヶ月くらい収まってます。炎症と言いますが、こちらも痛みは無いので(初診時のみあった)、自分では全然分からないのですが、薬が一日一回でよくなったと聞くと、目に見える安堵感があります。
それでこちらの受診の時に、「実は膝が」と話したら、「そっちにも炎症が出た?」と、最初に聞かれました。やっぱりずーっと膠原病系の原因を探したり、他に症状が出てそこから判断するような病気だそうで、体に異変があると尋ねられるのですが、「骨が壊死」だと伝えたら、「骨頭じゃないって珍しいね」と言われたため、膝は無関係そうでした。
ステロイドを使っているのがこちらなのですが、考えてみると、昔大酒飲みだった事の方が、色々と原因にも思えます。
この時に、先生と話していて、誤診じゃなくてもまだ分からないから、MRIで決まってからこちらの紹介状などを書くという話をしていました。取り敢えず(膝の方の)先生を信じろという話でした。
神経痛のお話をしていた時には、現在の医療の進歩について聞きました。それでまだ分からないけど、今は細分化されているから、一個ずつ診断が出るし、私の場合であれば体の後ろ側に隠れているものが各地に出ている(出てくる段階の)状態なのかもしれないようなぁという話をしていました。
この時に、ネットと実際の診断の話をしていて。
こちらの先生は、ネットの医療情報は当てにならない部分が多いと仰る方で、実際に私が最初にこの病気になった時は、病名で検索するとかなり恐ろしい情報がひっかかり過ぎて心が折れたのですが、実際に検査したり治していく中で、私はネットってあてにならないなと、先生の言う通りだったと思い、その後数年したら、当時先生から聞いたような+の内容が多く検索でひっかかったり、多くのテキストがネット外にも出回るようになったので、病名で検索するのはあんまり良くないかもしれないという意見にすごく頷いた記憶があります。
反面、膝の方は、担当の先生が最初から、「ネットで検索する場合、この病名でひっかかる」として、病名を紙に書いてくれました。それで検索をしたのですが、診断時に提案された手術については、あまりひっかかりません。
病気数が少ない事もあるのだと思うのですが、新しい手法はまだまだひっかからないのだろうなと思います。ただ、昔よりも、今の方がネットに反映される情報の鮮度は次第に新しくなっているのだろうなと感じました。
調べるのが悪いとか良いではなくて、私側のリテラシーや、それによって過度に不安を覚えるのがよくないのだろうと、ひしひしと思います。
振り返ると「もうだめだ」となってから「――と、思っていたけれど、そうでもなかった」という事が、人生でここまでに三回あるので、人間の医療SUGEEと、もっとこう自分の知らない世界の最先端を信じようと思います。
私は元々出来た人間ではなくて、どちらかというとダメな方向の人間なのですが、病気になる→何も出来ないと思う→調べてみるとそうでも無い→資格を取ってみたり働いたりする→別の病気発覚→リピートが多く、この何も出来ないと思う時は何もしないのですが、調べてみる段階の時は、目標を持てだとか趣味を見つけろと周囲に勧められる事が多くて、その時に、私の趣味が小説を書く事だと知っている人は大体、最近は書いていないのかと私に聞きます。
ただこれがまた不思議で、激務で満員電車に乗っていた頃なんかは、帰宅して小説を書くのがストレス発散(?)だったのが、部屋でぼーっとして何もしていないのが良くないから趣味を頑張れと言われた時、書く時間が沢山あるのに、時間があっても筆が乗るとは限らないという不思議があります。逆に結果待ちだったり検査待ちだったりする時(今)や、仕事作業がある時(今)は、現実逃避で筆が進みます。また、逆に具合が悪い時も筆が進むのですが、冷静に振り返ると、あいている暇な時に、もっとゆったりと書けば良いような気がします。普通、スケジュールが病院受診日で埋まって多忙にはならないとわかるのですが、もっと規則正しく、起床・療養・趣味・仕事・就寝となれば良いのになと考えてしまいます。
幸いなのは、何も出来ないというような悲壮感が今回は無くて、熟睡して起きると、「まぁなんとかなるだろう」とすぐに気分が明るくなったりする所だと思います。他にも、椅子に座って出来る在宅の仕事をいくつかしているのですが、自分裁量で仕事を入れないという選択肢がある作業が多く、それらも今区切りがついたので、そっちはもう当分やらないで良いかなと通帳と相談中です。医療費で消し飛ぶ可能性もありますが、限度額を考えたり、激務時代に入った保険を考えるに、まぁなんとかなるだろうと。
私が抱えている病気は、今回の件も含めて、先天性でもなく、死に直結するような病気でもなく、なのに生涯付き合っていくという、微妙な気持ちになる病気です。自覚症状も酷い時しかないため、自分は本当に病気なのだろうかと考える時があり、もっと人生頑張れるんじゃないのかなと時に思ってしまいます。けれど、健康な時にも頑張っていたか怪しいので、結局の所、病気だろうがそうではなかろうが、やる時に自分で決意してやるかどうかの問題で、何かをきっかけにして変わる事は人間ありえるし、何かをきっかけにダメだなぁと思っても、また他のタイミングでやり始める日も来るんだろうなと感じます。
自分次第という話で、時折、転生トラックに激突して、チート的に複数のギフトでも頂き(神様がミスを詫びるため)、新たなる異世界に降り立ったら――それを機に頑張れるかもしれないとか、VRMMOとは言わずとも、たまにログインするソシャゲのキャラに入り込む形で、デスゲームは嫌ですし、カンスト(してるキャラも持ってましたが)状態では無くても良いから、元気になれたら、そこの世界で一念発起して頑張れるような気になりますが、別にそうした事態に直面せずとも、今やれば良いよねと、改めて思います。
どこにきっかけが落ちていて、何がきっかけとなるかは人それぞれで、問題はそれを手にした時に行動できる人がすごいなぁと思うのに、私自身は変化の兆しがあっても、健康云々が原因ではなく、腰が死ぬほど重い部分だなと思います。小説家になろうの主人公は、多くの場合、その例えば新たなきっかけを得た時に、即座に判断して行動して、現地で内政したり知識チートを披露していき、すごいよなぁと思います。私は、多分、異世界転生する時に持っていきたい本(というような帯がついていた書籍)を持参しても、恐らく上手く行動できず、東北民俗学百景(?)に書いてあった豆からの醤油作りすら、持参しても難航すると思いますが、取り敢えずそういった事態が来たら、永遠に尽きない紙と永遠にインクが尽きないペン――もしくは壊れず電源も不要なPCを神様にもらって、ひっそりとその世界について書いてみたい限りです(そんな事態は来ない)。
やはり健康が第一だと思いますが、これをきっかけに、もうちょっと頑張って生きていこうと思いました。寝て起きて、取りとめもなくそんな事が浮かんだのでエッセイを更新してみた次第です。多分、これからも、活動報告に書くのは微妙なその時々に思いついた事を適当に更新するかもしれません。
再度となりますが、ご心配お掛け致しまして、本当に申し訳ありません。
たまに落ち込む時もあって、こんなエッセイを投稿してみたりするのですが、基本的に元気です。そんな次第なので、今から小説を書いてこようと思うのですが、何かとインターネットから離れがちになるかとは思います。定期的に更新出来ず恐縮です。