表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/46

逃走

 まばらに生えた広葉樹の間をすり抜けるように、レナエルは駁毛を駆っていく。

 背後から黒い馬が追ってくる気配は全く感じられない。

 あの、むかつく怪しい男を、まんまと出し抜くことができて、気分は高揚していた。


「やったわ! ルカ、さすがね!」


 自分と一体となって風を切る愛馬は、遊びだと思っているらしい。

 いつもより速い速度と複雑な進路を命じる主に楽々と応じ、たてがみの三つ編みを跳ね上げながら、楽しげに土を蹴っている。


 やがて、まばらだった木々が密度を増してきた。

 レナエルは愛馬の速度を落とし、慎重に先に進む。

 ひんやりとした空気を肌に感じる鬱蒼とした森をしばらく進むと、ぽっかりと円形に開けた草地に出た。

 ここが目的地だと知っているルカは、自然と脚を止めた。


「ルカ、お疲れさま。よくやったわ。少し休憩していいよ」


 レナエルは愛馬の首をねぎらうように叩くと、ひらりと草地に飛び降りた。

 ルカがのんびりと草を食み始めるのを確認して、大木の木陰に腰を下ろした。


『ジジ、聞こえる?』


 眼を閉じて、ジネットに声をかける。


 昨晩も、今朝目覚めてからも、何度も姉に呼びかけたが、返事が返ってくることはなかった。

 オーシェルを発ってから今までは、姉に呼びかける余裕がなかったから、前回呼びかけてから、かなり時間が経過している。

 だから、今度こそはと祈るような思いでいた。


『ジジ、お願い。返事して!』


 しかし、しんと静まり返った頭の中に、自分の声だけがむなしく反響するだけだった。


 一言でも声が聞ければ、安心できるのに……。


 ジネットの行方は依然として分からない。

 生死すら不明だ。

 怪しい騎士からの逃亡に成功し、高揚していた気持ちは、あっという間に冷え、暗い霧に包まれていく。


「ジジ……。お願い、無事でいて」


 レナエルはきつく抱えた膝に顔を伏せた。

 眼の奥が熱くなり、嗚咽がこみ上げてくるが、泣いたらジネットが戻ってこない気がして、きつく唇を噛んでこらえた。


 草を踏む微かな足音が近づいてきた。

 しかし、押しつぶされそうな不安と戦うレナエルには、それが聞こえなかった。


「決して俺から離れるなと、言ったはずだがな。その程度で、俺をまいたつもりか」


 いきなり聞こえてきた低い声に、びくりと顔を上げた。

 少し離れた正面に、腕を組んだジュールが見下すように立っていた。


 レナエルは、跳ねるように立ち上がり、後ずさろうとしたが、大木の堅い幹に背中がぶつかった。


 しまった!

 逃げられない。


 ジュールが片頬を上げて、にやりと笑った。

 吊り気味の黒い瞳は、獲物を見つけた猛禽類のそれだ。

 視線でがんじがらめになったレナエルに、ゆっくりと一歩一歩近づいてくる。


「ここまで近づいても、気づけないとはな。俺が敵なら、あんたはもう捕まっている」


 小馬鹿にするような口調に、レナエルは奥歯をぎりりと噛んだ。


 ここで捕まったら、ジジを助けに行けない。

 負けられない!


 その強い思いが、こわばった身体を動かした。

 レナエルは覚悟を決めた強い眼で相手を見据えると、腰に差していた短剣を勢いよく引き抜いた。

 柄を両手で握りしめ、刃先を真っすぐ正面に向ける。


「来ないで!」


 大声で叫ぶと、彼はむっとしたように眉をひそめて立ち止まった。


「そんなものを向けられるような理由はないが」

「しらばっくれないでよ! あんただって、あたしを狙ってるんでしょ」

「どういう意味だ」

「だって、おかしいじゃないっ! どうしてあんな夜中に、セナンクール家の近くにいたのよ。あたしたちのことを、しつこく探ろうとした理由は何? 旦那様と奥様をまんまと丸め込んで、ほくそ笑んでたんでしょ? あたしをどこへ連れて行こうというの!」


 一気にまくしたてるレナエルを前に、呆気にとられていた彼は、しばらくして余裕たっぷりに腕を組んだ。


「……なるほどな。そう考えたのか。確かにこの状況なら、あらゆるものを疑って慎重になるべきかもしれんな。あんたのその姿勢は正しい。褒めてやる。だが、この俺が疑われたことには腹が立つ」


 そう言って、また一歩近づく。


「来ないでって、言ってるでしょ! この短剣が見えないの!」

「ふん。俺の腰にあるのは長剣だ。そんな逃げ場のない状態で、長剣の男に、短剣の小娘が敵うはずがない」


 ジュールは左手で軽く、長剣の柄に触れてみせた。

 右手は身体の横に下ろしたままで剣を抜く様子はないが、明らかに脅しだ。


 レナエルは、長剣の男を相手になす術がなかった昨晩のことを、まざまざと思い出した。

 しかし、ここで屈することはできない。

 あのとき、自分を襲った二人の男を軽々と倒した、騎士の名を持つ男が相手だとしても。


「それは昨晩、嫌という程思い知らされたわよ。だけど……これなら、どう?」


 相手に向けていた切っ先を、ゆっくりと自分の喉に向けると、さすがに、ジュールの表情が変わった。


「あんただって、あたしが死んだら困るでしょ? あたしが死んだら、あの能力は使えないもんね。せっかく捕まえたジジの利用価値だってなくなる。あんたの思い通りになるくらいなら、死んでやるっ!」


 レナエルが決死の啖呵を切ると、緊迫した沈黙が落ちた。


 睨み合う二人。


 しかし、しばらくすると、ジュールは視線をそらして俯き、こらえきれないように、くくっと喉を鳴らした。


 笑って……る?


「なに笑ってるのよ!」

「そうだな。確かにあんたに死なれたら、俺の首はないかもしれんな」


 そう言って視線をレナエルに戻すと、にやりと片方の口角を上げた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ