黒馬の騎士の疑惑
輝くような青毛の騎士馬が、力強く目の前を走っている。
その背には、美しい騎乗姿勢の男。
その凛とした後ろ姿だけで、彼がこの国の第一王子の筆頭騎士であると納得できる。
クライトマン男爵の三男という、出自も確かだ。
だけど……。
思わず見とれてしまいそうな優美な人馬の姿を追って、自分の愛馬を繰りながらレナエルは考える。
あの男はなぜ、あんな夜中に、都合良くセナンクール家の近くにいたのだろう。
館を窺う怪しい者たちを見かけたから、見回っていたのだと説明していたが、それなら、港の警備兵に通報すればすむはずだ。
それに、特殊な事情を考慮したとはいえ、たかが娘一人のために、馬車と護衛の兵まで手配していた。
そして、不要になった馬車を囮にして王都に向かわせ、騎士自らが護衛としてつきっきりで王都まで同行する。
不自然なほどに慎重で、万全の体制だ。
あの男に、ここまでする義理はないはずなのに、どうして?
まるで、お膳立てされたような……。
そこまで考えて、レナエルはぞくりと肩を震わせた。
まさか、この男も、あたしを狙っている?
手綱を握る手に、じっとりと嫌な汗がにじんできた。
そういえば、彼はセナンクール家の事情をしつこく聞き出そうとしていた。
ただの騎士なら、そんなことどうでもいいはずだ。
何かが、おかしい。
疑い始めたら、何から何まで怪しく思えてくる。
考え事をしているうちに、レナエルの愛馬の速度はいつのまにか落ちていた。
二頭の距離が離れたことに気づき、ジュールが振り返って叫ぶ。
「どうした。宝の持ち腐れか? その馬は、もっと走れるはずだ!」
レナエルはむっとして目の前の男を睨んだ。
馬の腹を蹴って速度を上げ、とりあえず彼の馬のすぐ後ろにつけた。
二頭の馬は、雑木林を抜ける道を走っていた。
馬車が通れるほどの道幅がないため、馬か徒歩で抜ける細道だ。
この道を使う者はあまりおらず、実際ここまでで、すれ違った者も、追い抜いた者もなかった。
おそらく、周囲には他に誰もいないはずだ。
これでは、何か起こっても誰も助けてはくれない。
なんとか、逃げなきゃ!
レナエルは前を睨みながら、考えを巡らせる。
幸いこの林は、よく遠乗りに来る場所だ。
この地を熟知した者なら、道を外れても、広葉樹がまばらに生えた場所を選んで林を抜けることができる。
レナエルも愛馬ルカも、木々の間を駆け抜けることには慣れていた。
あの男を振り切れるとしたら、ここしかない。
「そうよ、ルカは体が小さい分、身軽だわ。あんたの馬より速い。見てなさい」
レナエルは挑むように、目の前を走る馬上の、広い背中に言葉を投げつけた。
その声は、二頭の馬が疾走する蹄の音にかき消され、相手に聞こえないことは分かっていた。
怪しまれないように少しだけ速度を落として、前の馬と僅かに距離を取る。
漆黒の馬は、力強い足さばきで、細い道なりに大きく右に曲がっていく。
それを横目に、レナエルは馬の腹を思い切り蹴った。
林に慣れた愛馬は、何のためらいもなく速度を上げ、林の中にまっすぐ突っ込んでいった。
「しまった!」
これまで背後に感じていた気配が、急速に離れていくのに気づき、ジュールは力一杯手綱を引いた。
前足を高く上げ、いななきと共に急停止した馬を、あわてて旋回させる。
駁毛に乗った娘の姿は、やはりそこにはなかった。
あっという間に距離を取った馬の蹄の音は、風が揺らす木々のざわめきで、既に聞き取れない。
「あんの、馬鹿! いい根性してやがる」
ジュールは忌々しげに舌打ちすると、レナエルが消えた林の中に馬の鼻先を向けた。