セナンクール家の秘密
同じ部屋に無関係の人間がいたというのに、ジネットが攫われたという衝撃に、誰もが彼の存在を忘れてしまっていた。
誰にも知られてはならない秘密の一端を、部外者に曝してしまったことに気づき、全員が口をつぐんだ。
「説明してもらえないか」
ジュールが問いつめるように言葉を継ぐ。
その黒い瞳が、まるで獲物を追いつめる獣のように、鋭く光った。
しかし、やり手の商人であるロドルフは、その圧力には動じなかった。
にこやかな表情を張り付かせ、朗らかな口調で返答する。
「いえいえ、貴方様には関係のない話ですから、どうぞお気になさらないでください」
「その娘の他にも、襲われた者がいたというのか。その者は攫われてしまったというのだな。俺はずっとこの部屋にいたが、誰もそんな知らせを持ってはこなかったが?」
「ああ、お茶も冷めてしまいましたね。少し酒でも……」
ロドルフはジュールの言葉を、まるで聞こえなかったかのように無視し、愛想の良い笑顔のままメイドに命じた。
酒を出すということは、見逃してほしいという意味だ。
いかにも商家らしいやり口に、ジュールは軽く鼻で笑う態度を見せた後、レナエルをじろりと見た。
かなり生意気な娘だが、厳しく問いただせばきっと口を割るだろうと踏んでいた。
「レナエルと言ったか。あんた、なぜそれを知っている」
「…………」
「まるで、突然分かったかのような口ぶりだったな」
ゆっくりと脅すような尋問口調に、レナエルは唇を噛んだ。
この男がいる場で、最初に不用意な発言をしてしまったのは自分だ。
ジネットが攫われた事実に気が動転していたとはいえ、自分の失態で、セナンクール家が窮地に追い込まれている。
レナエルが激しく後悔する中、ジュールはますます高圧的に畳み掛けてくる。
「俺がいなければ、あんたと……ジジの両方とも、攫われることになったはずだ。俺には知る権利がある。違うか?」
「私を助けてくれたことは、感謝してる。だけど……」
この男、ホント、むかつく!
こんな責め立てるような言い方しなくったって、いいじゃないっ!
ふつふつと怒りがわき上がってきて、レナエルは彼をきっと睨み返した。
「……ちょっとは、空気読んだらどうなの?」
続けられた言葉に、屋敷の者たちが凍り付いた。
ジュールの片眉がぴくりと上がった。
たったそれだけで、彼の表情に凶悪さが増す。
「あいにく俺は商人ではなく、騎士だ。殺気だけ読めればいい」
「あら、そう。読めないんだったら、あたしが教えてあげる。関係の、ない、ことに、首を、突っ込まないで」
「ふん。あんたを助けた時点で、俺はこの件に充分関わっていると思うがな」
相手は王太子の筆頭騎士の肩書きを持つ屈強な男だというのに、レナエルは一歩も引かない。
彼の威圧的な眼差しからも、全く眼をそらさない。
さっき、中庭で言いこめられてしまった悔しさもあって、意地になっていた。
見えない剣を交えるような言葉の応酬を、周りの人々は固唾をのんで見守っていたが、やがて、ロドルフが思い切ったように大きく息をついた。
「レナ、もういい。座りなさい。騎士様に事情をお話ししよう……」
「でもっ!」
「いいんだ。彼を信用しよう」
いつの間にか立ち上がっていたレナエルが、力なく椅子に座り込んだ。
自分がふがいなくて唇を噛み、うめき声をあげる。
ロドルフは他言しないように強く念を押して、レナエルとジネットという双子の姉妹と、セナンクール家の秘密について話し始めた。
二人がどれだけ離れた場所にいても、頭の中で言葉を交わすことができるということ。
連絡係として、姉妹を王都と貿易拠点に分けて住まわせていること。
彼女たちの能力が、セナンクール家の繁栄を支えていること。
途中からは、レナエルが話を引き継いだ。
自分が襲われる直前、ジネットの助けを求める声が聞こえたこと。
その後、何度呼びかけても、姉から返答がないこと。
「だから、ジジもあたしと同じように、何者かに襲われたんだと思う。そして、きっと捕まってしまった……」
レナエルは祈るように組んだ指を額にあて、力なく俯いた。
姉妹を同時に襲ったのは、互いに危険を知らせることを防ぐためだったのだろう。
つまり、敵は、二人の能力について、知っているということだ。
「一体、誰が……? こうならないように、レナたちの力が知られないよう、注意を払っていたのに……」
テランスが苦しげに表情をゆがめた。
それは、秘密が知られたためではなく、姉妹の身を案じてのことだ。
ロドルフも両手で顔を覆うと、重い息を吐き出した。
「セナンクール家が力をつければ、どうにか追い落とそうと、やっきになる者も出るのは当然だ。妬んだり恨んだりする者も出る。我々は、この子たちの力を商売に利用すべきではなかったのかもしれんな」
「そんな……。もともとは、あたしたちが言い出したことです。あたしたちが、セナンクール家のお役に立ちたかったから……」
もともとは、姉妹の両親がセナンクール家の使用人だった。
幼い頃に父親を、四年前に母親を病気で失い身寄りのなくなった二人は、セナンクール家の住み込みの使用人として引き取られたのだ。
言葉を交わさなくても会話ができる能力は、ずっと二人だけの秘密だったが、自分たちに親身になってくれるセナンクール家の恩に報いようと、三年前にその秘密を打ち明けた。
現在のような、本店と貿易拠点をつないだ仕事のやり方は、頭の切れるジネットの発案だ。
その後、セナンクール家は短期間のうちに、この国一の豪商にのし上がったのだ。
ジュールにとっては、レナエルら姉妹の能力はにわかに信じがたいものではあったが、今回の事件や、セナンクール家の繁栄などが、その能力を背景としたものであるとすれば、納得がいった。
また、彼にはそれを認めざるを得ない、別の理由もあった。
自分なりに話を整理し、理解したジュールが、ようやく口を開いた。
「情報は何よりの武器だ。彼女たちのような能力を持つ者がいれば、どんな商家でも、上り詰めることができるだろう。それがクライトマン家でも、そうだろうな」
「では、やはり我々の商売敵か、取引先が……?」
「いや、その能力は商売に限らず、利用価値は高い。商売敵とは限らないだろう。そんな力が存在するとなると、欲しがる者はごまんといる」
難しい政局や戦局、陰謀、犯罪。
離れた場所でも瞬時に連絡を取れる能力は、あらゆる緊迫した局面を有利に動かす鍵になる。
ジュールの見立てに、ロドルフやテランスもこわばった顔で頷いた。
「しかし、レナとジジを無理やり捕らえても、言う通りに動くとは思えないけど……」
テランスがぼそりと言った。
妹のレナエルは、荒っぽい海の男たちにも向かっていくような、相当なじゃじゃ馬娘。
一方、姉のジネットは、セナンクール男爵の右腕とも呼ばれるほどの切れ者。
どちらも一筋縄ではいかない娘だ。
自分の意に添わないことに、素直に応じるはずがない。
「だが、二人を同時に支配下に置けば、互いが人質になる。そうなれば、犯罪に加担することになっても拒めないだろう。敵は必ず、その娘も手に入れようとするはずだ」
ジュールが顎で指すように、祈るように指を組んで俯いているレナエルを見た。
『ジジ、聞こえる? ねえ、返事をしてっ!』
何度呼びかけても、やはり姉からの返事はなかった。
暗闇の中、意識を失って倒れている彼女の姿が頭に浮かぶ。
行かなきゃ。
今すぐ、助けにいかなきゃ!
『……待ってて、ジジ!』
届いていないと分かっていても、そう力強く呼びかけると、レナエルはいきなり立ち上がった。