ギュスターヴの伝言
王太子のお供という何かと気疲れする任務を終え、ジュールが王城に戻ったのは、西の空が微かに色づき始めた頃だった。
ジネットから何か知らせがあったかもしれないと思い、石の廊下を急いでいると、レナエルの部屋の前で、見張りの男とメイドが集まって、深刻そうに話しているのが見えた。
「何をしている」
声をかけると全員がびくりと身体を震わせ、恐怖に引きつった顔をこちらに向けた。
「ジュール殿! お、お戻りでしたか……」
「モニクまでこんな所でどうした。レナは?」
レナエルの世話をさせているメイドが廊下に出ていることを不審に思い、声を掛けると、彼女は突然、顔を覆って泣き出した。
「……すみません。す……みません、ジュール様」
「どうした。何があった!」
「すみません……。レナはお昼前にギュスターヴ様と出かけたまま……あの……まだ、戻られて……な……いのです。うわあああ……あたしの、せいですぅ」
メイドは涙ながらにそこまで言うと、冷たい石の床につっぷしてしまった。
「何だって……。どこへ行ったというのだ!」
しかし、激しく泣きじゃくるメイドは、これ以上話せそうになかった。
かわりに、見張りの男がびくびくしながら、折り畳んだ紙を差し出した。
「これを、ギュスターヴ殿からお預かりしています」
「かせっ!」
ジュールはその紙をひったくると、開くのももどかしく、急いで中を確認した。
ジネットが、オクタヴィアン辺境伯に捕らえられていることが分かった。
これを読んだら、すぐに辺境伯領に向かってほしい。
私はレナエルと共に一足先に行く。
ギュスターヴ・ルコント
「オクタヴィアン……?」
どういうことだ。
ジネットが監禁されているのは、アルラ湖付近でほぼ間違いない。
彼女もそう信じているはずだから、辺境伯領に向かうと言われて、ついて行くはずがない。
だったらなぜ、ギュスについて行った?
ギュスターヴも、レナエルが王太子の庇護下に置かれていることに、気づいているはずだ。
彼女は、第二王子の騎士が勝手に手出しできる相手ではないのだ。
だったらなぜ、軽々しくもレナを連れて行った?
「まさか、ギュスが……?」
ジュールの胸に、ふっと疑念がわき上がる。
旅の途中で大勢の男たちに襲われたのは、ギュスターヴに会った翌日だった。
もし、彼が犯人であるのなら、レナエルの護衛が黒隼の騎士であることを知って、あれだけの手だれを集めてもおかしくはない。
そして、脅迫文が見つかった日、彼は厩舎にいた。
あの脅迫文は、我々を牽制するためのものではなく、自分自身をレナエルに信用させるためのものだとしたら……。
思い起こしていくと、彼の無実を証明できる材料は、何一つ、出て来なかった。
だいたい、有力貴族の娘との結婚を望んでいたはずの彼が、男爵の養女にしかなれないジネットに求婚したことからして、おかしかったのだ。
疑念は、一気に確信に変わった。全身の血が沸騰し逆流する。
「くそっ! やられた!」
ジュールは渡された紙をぐしゃりと握りつぶして、床に投げつけた。
周囲の者たちは、全身から強烈な怒りを発する黒隼の騎士に震え上がった。
「一体どこへ行った! ギュスめ! オクタヴィアンなどと、ふざけたことを!」
ギュスターヴがオクタヴィアン辺境伯領へと向かったと書き置いたのは、自分を遠ざける為に違いない。
かの地はジネットの監禁場所として、最初に候補に挙がった場所だ。
おそらく、そう誤解するように最初から仕組んでいたのだろう。
恐ろしい形相で、腹立ち紛れに壁を蹴りつけるジュールに、見張りの一人が恐る恐る話しかけた。
「あの……。お二人が出かける少し前、扉の向こうでずいぶんと揉めていたようでした。レナエル様が、どうしても連れて行ってほしいと、無理を言っていたようで……。我々もお止めしたのですが、どうしても行くと……」
必死に弁明する男をぎろりと睨むと、彼はひっと肩をすくめた。
「あいつの方から、行きたいと言ったのか?」
「は……はい……」
「無理矢理、連れて行かれたのではないのだな?」
「そ……そうです」
それほどまでして行きたかった場所は、確実にジネットがいると思われる場所に違いない。
レナエルはギュスターヴに姉を助け出されたくなかった。
だから、無理を通してついて行ったのなら、彼はおそらく正しい場所を彼女に提示した。
それはつまり……アルラ湖!
ジュールはマントを翻して走り出した。
彼女にアルラ湖に行くと説明したとしても、二人が実際にその場所に向かったとは限らない。
それでも、他に当てがないジュールは、アルラ湖に向かうしかなかった。
もし、俺だったら……?
離れていても話ができる二人を別々に置いておけば、それだけで、情報が漏れる危険が高くなる。
二人を一緒にしておく方が得策だ。
それに、レナエルが別の場所に連れ去られたとしても、ジネットはほぼ間違いなくアルラ湖にいる。
姉を救出できれば、妹を奪還する道が開ける。
だから、この判断は間違っていない。
ジュールは兵の詰所に駆け込むと、そこにいた部下たちに簡潔な指示を出し、その後一人で厩舎に向かった。
「戻ってきたばかりで悪いが、頼むぞ」
引き出された愛馬のシモンは、主の思いが伝わるのか、ついさっき別れたときとは違って、興奮気味だった。
鼻息も荒く、力強い前足で、がつがつと土を蹴っている。
ジュールはシモンにひらりと跨がると、美しい青毛のたてがみに下がる、たくさんの細い三つ編みを、一本一本確認するようにゆっくりと撫でた。
「……レナ」
ジュールは一言呟くと、鋭い瞳できっと前を睨み、愛馬の腹を蹴った。