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もう一つの襲撃

 真夜中ではあったが、レナエルは泥で汚れた寝間着をいつものドレスに着替えた。


 本館の小広間には他に、同じくドレスに着替えたエレイアと、メイド、用心棒代わりの腕っ節の強い男性使用人が一人。

 それ以外の女性たちはそれぞれの部屋に戻り、男性は中庭で事件の対応に追われていた。


 広間は建物の表側にあるため、中庭を窓から見ることはできず、騒がしさが伝わってくる程度にしか様子は分からない。

 さっき、馬車や馬が正門を入ってきたのがカーテンの隙間から見えたから、警備兵が到着したのだろう。


 一度落とされた暖炉の火が再び入れられ、柔らかな色がちらちらと揺れている。

 ワゴンの上には、さくらんぼのリキュールを落としたお茶が入ったカップと、リンゴの焼き菓子。

 どちらも、レナエルに気を使って準備された好物であったが、当の本人はそわそわと落ち着きなく部屋の中を歩き回ったり、カーテンの外を覗いてみたりしていた。


「レナ。せっかくのお茶が冷めちゃうわ。こちらにいらっしゃい」


 暖炉の正面のソファでお茶を飲んでいたエレイアに手招きされ、しぶしぶ隣に腰掛けたようとしたとき、馬車の音が聞こえてきた。


「あっ!」


 レナエルはすぐ立ち上がると、慌てて窓に駆け寄った。

 カーテンの隙間から覗くと、少し前に入ってきた馬車と馬たちが門を出て行くのが見えた。

 レナエルを襲った男たちが移送されていったようだ。


 程なくして、廊下から数人の足音と話し声が聞こえてきた。

 ドアを開けて入ってきたのはロドルフと騎士ジュール、テランスの三人だ。


「旦那様っ!」

「おお、レナエル。少しは落ち着い……ては、いないようだね」


 レナエルが興奮した様子で駆け寄ると、ロドルフは肩をすくめて苦笑した。

 だだっ子をなだめるように、両肩にぽんぽんと手を置く。


 テランスも通りすがりに、レナエルの髪をくしゃりと撫でて行った。


「我々にもお茶をいれてくれないか」


 館の主は、メイドにそう声を掛けると、ジュールに奥のテーブルを勧めた。

 レナエルとエレイアも暖炉前のソファから移動し、それぞれが席につくと、ロドルフが口元で指を組んだ両手の向こうから、レナエルを見た。


「あの男たちは、お前を攫ってくるように、依頼されたそうだ」


 レナエルはごくりと唾を飲み込んだ。


「……誰に、頼まれたの?」

「彼らを締め上げてみたが、分からなかったよ。初めて会った男に、かなりの金を積まれたそうだが、レナ、お前に何か心当たりはないかい?」

「誰かに恨みを買うようなことは……ない、とは言えないけど」


 その言葉に、館の主とその家族が深々とため息をついた。


 セナンクール家の者たちは、彼女がどういう娘なのか、よく分かっていた。

 港の荒っぽい男たちを相手に、さらに荒っぽいことをやってのける娘だから、恨みを持っている者は少なくないだろう。

 しかしそれ以上に、さっぱりとした明るい気性で、多くの人々にかわいがられているのだが。


 レナエルは腕を組み、眉間にしわを寄せて考え込んだ。


「でも、痛い目に遭わせたいってのなら分かるけど、攫われるような覚えはないわよ。ましてや、私なんかを捕まえるために大金を積むなんて、おかしくない?」


 そこまで言って、はっとした。


 あのとき聞こえたジジの悲鳴。

 もしかしてあれは……。

 自分一人には、大金を積まれるような価値はないけど、ジジと二人なら——。


 あっという間に、顔から血の気が引いて行くのが自分でも分かった。


「旦那様、ジジも襲われた!」


 思わず立ち上がって叫ぶと、テーブルの上のカップが音を立てて倒れた。

 半分残っていたお茶が、白いテーブルクロスに染みを作っていく。


「なんだって!」


 ロドルフとテランスも顔色をなくした。

 エレイアも口元を両手で覆って真っ青になった。


「私が襲われる直前に、ジジの声が聞こえたの。助けてって! ……それで、目が覚めて……そしたら、あいつらが……部屋に」


 そうだ、あのとき、あたしと同時にジジも襲われたんだ。


「ああ……ジジ……」


 レナエルは両手で顔を覆うと、力なく椅子に座り込んだ。

 そして、そのままテーブルに肘をつくと、祈るような思いで姉に呼びかける。


『ジジ、聞こえる? 返事をして! お願い、ジジ!』


 セナンクール家の者たちは、固唾をのんでレナエルの様子を見守っていた。

 妙に張り詰めた静けさが広がる。


 部外者であるジュールだけが、この沈黙が何なのか、何が起こっているのか分からないでいた。


「おい。どうしたんだ。何があった」

「うるさいっ! 気が散るから黙ってて!」


 彼の言葉を、噛み付くように遮って、レナエルは姉に呼びかけ続ける。


『ジジ! ジジ、お願い、答えてっ!』


 しかし、何度呼びかけても、返事は返ってこなかった。


「ああ、ジジ! どうして……」


 絶望のあまり、両手でテーブルを強く叩き付けると、倒れたままのカップが受け皿にぶつかって、音を立てた。


 ロドルフが席を立っていき、わなわなと震えるレナエルの肩を抱いた。

 テランスはテーブルの向こう側から手を伸ばして、明るい色の髪に触れる。


「大丈夫だ、レナ。おそらくジジは捕まっただけだ。声が聞こえないのは、きっと、気を失っているのだろう」

「そうさ。傷つけられたりなんかしていないよ。大丈夫だから」


 ジュールは紅茶を口にする振りをしながら、部屋にいる人々の尋常でない様子を、鋭い目つきで観察していた。


 さっき、誘拐されそうになったのは目の前のレナエルという娘だったはずだ。

 しかし、ジジという別の人間が攫われたという話が降ってわいたように出てきた。

 そして、それをこの館の誰もが信じている。


 それはジュールから見て、あまりにも奇妙だった。


「ジジとは誰だ。これは一体、どういうことだ」

「……いや……」


 妙に威圧的に響く低い声に、ロドルフが一瞬、しまったという表情を浮かべて口ごもった。

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