ジネットの居場所
テーブルの上に、様々に着色されたウッドビーズがたくさん散らばっている。
それを一つ一つ吟味しながら、朝食の後のお茶をモニクと楽しんでいると、ジュールが慌ただしく部屋に入ってきた。
今朝の彼はいつもの制服の上に、長いマントを身につけている。
「あれ? 出かけるの?」
「ああ。急な話だが、俺はこの後、シルヴェストル殿下のお供で城外に出なければならない。入り口の見張りを増やしておくから、俺のいない間は、この部屋から一歩も出るな」
「えーっ! 今日はシモンの三つ編みの端に、ビーズをつけてあげようと思ってたのに。この赤、シモンにすごく似合うと思わない?」
レナエルはつやつやした赤のビーズをつまみ上げると、彼に見せた。
三日前、彼の愛馬の手入れをするダヴィドにつき合った時、レナエルは馬のたてがみに、たくさんの細い三つ編みを施した。
後でそれに気付いたジュールは激怒したのだが、三つ編みを振り乱して走る姿がより勇猛に見えると周囲から絶賛され、結局そのままになっていた。
彼は頭痛をこらえるように額を押さえ、溜め息をついた。
「これ以上、余計なことをするな。とにかく、今日はここでじっとしていろ」
脅迫状が届いた日以降、レナエルの城内での自由は、以前よりも厳しく制限されていた。
彼の従騎士であるダヴィドは、セナンクール本店に薬を買いにきた男の後をつけて、二日前に王都を発った。
その上、ジュールと王太子が一緒に出かけるのであれば、この城にレナエルの秘密を知る、腕の立つ者はいなくなる。
つまり、レナエルは部屋に閉じこもるしかない。
「でも、ルカに会いに行くくらい……」
「馬鹿か! 馬に細工されていたことを忘れたのか!」
頭ごなしに怒鳴られて、しゅんとする。
「ダヴィドがうまくジネットに接触できれば、今日あたり、彼女から連絡があるだろう。もし何かあれば、戻ってから聞く」
その言葉に、一旦しおれたレナエルの表情が、ぱっと明るくなった。
じっとしているのが苦手なレナエルにとっては、病気でもないのに一日を室内で過ごすのは苦痛でしかない。
部屋の中をうろうろと歩き回ったり、用もないのに姉に呼びかけたりしながら退屈な時間をつぶしていると、扉の外で揉めているような声が聞こえてきた。
見張りの男たちの制止を振り切るように、聞き覚えのある叫び声がする。
「レナ、いるのだろう? ギュスターヴだ。大事な話がある。部屋に入れてもらえないか」
「え? ギュス?」
不安そうなモニクに大丈夫だと声をかけ、内側から扉を開けた。
扉の向こうには、軽く息を切らしたギュスターヴと、困惑顔の見張りの男たちがいた。
見張りたちは、誰も部屋に入れないようにとジュールに厳命されているはずだ。
しかし、第二王子の筆頭騎士の突然の訪問に、どうして良いか困っていたようだ。
「この人は、通しても大丈夫だから」
レナエルは見張りたちにそう言って、ギュスターヴを部屋に招き入れた。
彼は部屋に足を踏み入れると、モニクをちらりと見た。
彼がわざわざここを訪れたのは、ジネットに関する話をするために違いない。
部外者には、聞かれない方が良いだろうと考え、彼女には席を外してもらった。
扉が閉まり、二人きりになると、彼はレナエルの両肩をがしっと掴んだ。
「ジネットの居場所が分かったのです!」
「まさか! ……ジジはどこにいるの?」
レナエルは姉の居場所が分かったことより、彼に先を越されたことに衝撃を受けた。
「オクタヴィアン辺境伯の元です」
しかし、彼の口から出てきたのは、とっくに候補から外れた場所だった。
ジネットは片道二日の、おそらくアルラ湖周辺にいる。
薬を買いに来た者も、ちょうど二日後にセナンクール本店に到着したから、少なくとも、かかる日数には間違いがない。
王都から三日以上もかかる、北の辺境の地であるはずがなかった。
「でも、辺境伯領へは二日で行けない……」
ほっとして、つい呟いてしまった言葉に、彼がすっと目を細めた。
「二日?」
「ううん、何でもない。オクタヴィアン辺境伯領は北の国境なんでしょ? そんな遠くにいるのか……って思って」
レナエルが慌てて言い訳する。
「……いえ、説明が悪かったですね。辺境伯領ではないのです。彼の別荘に監禁されているのです」
「別荘? どこにあるの?」
「アルラ湖の西岸にあります。そこにジネットが監禁されていることは間違いありません」
「アルラ……湖?」
彼が挙げた、最有力候補地と完全に一致する地名に、絶句した。
呆然としているレナエルの両肩に手を置いたまま、彼は説明を続ける。
「ジネットを誘拐したのは、辺境伯のオディロン。彼は私の伯父だ。あの国境の紛争地帯を守る彼が、どうしてこんなことをしでかしたのか……。太陽神の杯などに興味を持つような男でもないのに。……私には、到底理解できない」
離れた場所でも瞬時に連絡を取れる能力は、あらゆる緊迫した局面を有利に動かす鍵になるのだと、ジュールは評した。
紛争地帯を守る者だからこそ、レナエルたち双子の能力を欲したのだと考えると、そこには何の疑問もない。
しかし、自分たちの特殊な能力のことをギュスターヴは知らない。
彼は悔しげに唇を噛み、琥珀色の瞳を伏せた。
肩に置かれた手に力が入り、痛いくらいだ。
「私はこれから、アルラ湖に向かいます。彼……オディロンをなんとか説得する。もし、それが無理なら、この剣にものを言わせてでも、必ずジネットを取り返します」
彼はようやくレナエルの肩から手を離した。
そして、右手を腰の長剣の柄に掛け、苦悩に満ちた表情ながらも力強く宣言した。
「どうぞ、すべて私にお任せください。必ずや、彼女を私の手で奪い返してみせましょう」
彼は、レナエルの前に膝を折った後、くるりと踵を返して扉に向かった。
その濃紺の背中は、大きく力強かった。
彼が向かおうとしている場所は、きっと正しい。
そこには、ジネットが捕らえられているはずだ。
このままでは自称婚約者の彼が、姉を救い出してしまう。
「待って! あたしも、行く。連れて行って!」
レナエルは、まさに扉を開けようとしている手を上から押さえた。
彼を止めることはできそうもない。
だったら、ジネット救出の手柄を、彼一人のものにさせないために、彼について行こうと決心した。
「だめです。貴女を、危険な目に遭わせる訳にはいきません。ここは私一人に任せて、貴方はおとなしく待っていてください」
彼は重ねられた華奢な手を取って、その甲に口づける。
レナエルは、その唇に鳥肌を立てているところではない。
彼の制服の銀ボタンの部分を握りしめ、必死に言い募る。
「大丈夫よ。犯人を説得しに行くんでしょ? 妹のあたしがいた方が、きっと説得しやすいわ!」
「いや……しかし」
「お願い! 行きたいの! ジジを助けに行くのなら、あたしも行く!」
しばらくの押し問答の後、とうとうギュスターヴが折れた。
「仕方がありませんね。貴女がいなくなってはジュールが心配するでしょうから、伝言を書き残していきましょう。何か書くものは?」
「ありがとう。ギュス!」
レナエルは瞳を輝かせると、引き出しから便箋とペン、インク壷を取り出して彼に渡した。
「貴女は旅支度を整えるといい」
ペンをインクに浸しながらそう言う彼に従って、レナエルは王城に来るときに使った革袋に、着替えなどを詰め始めた。
本当は、シャツとズボンに着替えたかったのだが、さすがに同じ部屋に彼がいては無理だった。
「どちらへ行かれるのですか? 部屋を出られては困ります」
二人で部屋を出ると、早速、見張りの男たちに止められた。
「どうしても、行かなきゃならないのよ。邪魔しないで!」
「いや……しかし、それでは我々が叱られます」
「ギュスと一緒だから大丈夫よ。彼は第二王子の筆頭騎士だもの、心配いらないわ」
「私が責任を持つから大丈夫だ。ジュールが戻ったら、これを渡してくれ」
第二王子の筆頭騎士という肩書きは強力だった。
困った様子で顔を見合わせている見張りの一人に、ギュスターヴが折り畳んだ紙を押し付けると、二人は部屋を後にした。
建物の裏口から外に出ると、レナエルは厩舎に足を向けた。
しかし、ギュスターヴに腕を取られ、そのまま逆方向にぐいと引っ張られる。
「いいえ、こっちです」
有無を言わせないような強い手は、ジュールならいつものことが、ギュスターヴにしては乱暴で強引だ。
レナエルは引っかかるものを感じながら、彼を見上げた。
「だって、馬を連れて来なきゃ。馬で行くんでしょ?」
「そこに、馬車を準備してあります」
そう言われて顔を向けると、確かに、二頭だての馬車がすぐ近くに止まっていた。
しかし、彼の言葉にもまた、何か引っかかる。
まるで、あたしが一緒に行くことを想定して、予め準備しておいたかのような……。
「馬で行った方が速いのに、なんで馬車なんか……?」
「貴女ならきっと、一緒に行きたいと言い出すはずだと思っていたんですよ。さあ、人目につきますから、早く乗ってください」
彼の美しく整った顔に浮かんだ微笑は、どこか歪んで見える。
レナエルの背筋に、いつもとは別の悪寒が走った。
思わず後ずさろうとしたが、ギュスターヴに取られた腕を強く引かれて、彼の胸に倒れ込む。
「ふふ。どこへ行こうというんです? 無駄ですよ」
「やめて! ちょっと待って、ギュス。なに……を」
ギュスターヴは抵抗するレナエルを引きずるようにして、馬車に向かった。
それを見て、御者が馬車の扉を開ける。
「嫌っ! 放して!」
「いいかげん、おとなしくしろ!」
彼の声音や言葉遣いが、がらりと変わった。
レナエルは彼の腕から抜け出そうと必死にもがいたが、屈強な騎士とはあまりにも体格が違う。
あっという間に馬車に押し込められて、後ろで扉が閉められた。
「ギュス! どうして!」
馬車から逃げ出そうとすると、周りから四本の男の手が伸びた。
一人がレナエルを羽交い締めにし、もう一人が顎を掴んで、小瓶に入った液体を口に流し込む。
「嫌! やめてっ!」
独特の甘ったるい匂いと、舌がしびれるような苦み。
……薬!
口に入ったものを吐き出そうと、頭を振ったが、手で口を覆うように押さえつけられてどうにもならなかった。
息が苦しくなり、ついに薬を飲み込んでしまう。
ジュール!
ジュール、ごめん……あた……し……。
彼の言いつけ通り、あの部屋から出なければ。
勝手な行動さえしなければ。
どれだけ後悔しても遅かった。
悔しくて情けなくて、涙がこぼれる。
意志に反して閉じた瞼は、もうどう頑張っても開かない。
レナエルはそのまま、どろりと暗い眠りに落ちていった。