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敵からの脅迫状

 厩舎に向かって歩いているだけで、レナエルの気分は急速に上を向いた。

 その変わりっぷりにジュールが苦笑していたが、全く気にならなかった。

 リヴィエ城に入ってから、まだ一度もルカに会っていなかったから、厩舎が見えただけで気がはやる。


「先に行くね!」


 レナエルは彼を置いて駆け出した。


 主の足音を聞き分けたのだろう。

 建物のいちばん端にいた白い鼻面の茶色の馬がこっちを向いて、嬉しそうに鼻を鳴らした。


「ルカ、ごめんねっ! 寂しかったでしょ?」


 レナエルの目には自分の愛馬だけしか、見えていなかった。

 そのすぐ側に、やたら目立つ人物が立っていたのに、あっさりと素通りして、馬の鼻に飛びつく。


 ビロードのような滑らかな鼻面に頬を押し当て、何度もキスして、数日ぶりの再会に夢中になっていると、後ろからくすくすと笑い声が聞こえた。


「酷い方だ。私のことは素通りするのですか?」


 振り返ると、紺色の制服に身を包んだジネットの自称婚約者、ギュスターヴがすぐ後ろに立っていた。

 彼の制服は、ジュールの制服の金色の部分を銀に変えたデザインだ。

 右肩から下がる飾緒も銀。

 彼は第二王子の筆頭騎士だというから、おそらく第二王子の隊は銀色なのだろう。

 それが、彼の銀の髪に似合いすぎて、怖いほどだった。


「ギュス……」


 彼が甘ったるい微笑を浮かべて近寄ってきたので、レナエルは顔を引きつらせて後ずさり、右手をさっと背中に隠した。


「貴女に会えて本当に良かった。セナンクール男爵の店に行ったら、貴女はすぐにオーシェルに帰ったと言われてね。でも、あのとき見かけた馬が厩舎にいたから、もしやと思って……」


 そう言いながら彼は、どこに隠し持っていたのか、オレンジ色の薔薇の花を取り出してレナエルの髪に挿し、満足そうに微笑んだ。


「ああ、やはり思った通りだ。貴女にはこの色がよく似合う……」


 このような女の子扱いは、これまでされたことがない。

 だからといってときめく訳ではなく、ただ、背中に虫が這っていったように寒気がした。


 やっぱり、この男は生理的に気に入らない。

 ジネットを助け出すのはあたし……は、無理だから、絶対にジュールに成し遂げてもらいたい。


 レナエルは心からそう思った。


「な……な、なにしに来たんですか?」

「貴女に申し訳なくて、一言お詫びを。あれからずっと、ジネットの足取りを追っているのですが、どうしても手がかりが掴めなくて」


 ギュスターヴは両手を自分の胸にあてて、長い銀色の睫毛を辛そうに伏せた。


「……そうなんですか」


 そう言ってレナエルもうつむいた。

 本当は、彼が手がかりをつかんでいないことに、ほっとしていたのだが、こうしておけば残念がっているように見えるだろう。


「ところで、その騎士馬は貴女の?」

「そうだけど」

「すばらしい馬だね。ここには騎士馬しかいないが、貴女の馬はどの馬にも見劣りしない」


 言われて厩舎を見渡してみると、なるほど、この建物からは六頭の馬が首をのぞかせているが、その首の高さや大きさから、すべて騎士馬であると分かる。

 そして、かなり贔屓目ながら、この中ではルカがいちばん美しく大きく見えた。


「そう? うん、そうね!」

「ああ、素敵だ。貴女が笑うと、可憐な花が咲いたようだ」


 自分の愛馬への賞賛に、満面の笑みを見せたレナエルだったが、彼のうっとりとした台詞に、その笑顔も凍り付いた。


「そのたてがみは、貴女が編んでいるのでしょう? よくお似合いですよ。かわいらしい貴女に。しかし、こんな大きな騎士馬を、貴女のような女性が乗りこなすなんて……その意外性もまた素敵だ」


 すらすらと出てくるお世辞に、いい加減うんざりしていると、飛んできた虫を追い払おうとしたのか、ルカがぶるると鼻を鳴らし、首を大きく振った。

 その弾みで、首の向こう側に垂れ下がっていた三つ編みの端が、手前にぱたりと落ちた。


「あれ?」


 丁寧に編み込まれた愛馬の三つ編みの端に、赤い紐のようなものが差し込まれている。

 不思議に思って抜き取ると、それは紐ではなく、紙を細長く巻いたものだった。


 これって、もしかして……。


 強い不安を感じながら、丸まった紙を慎重に開いてみると、案の定、内側に黒い文字が細かく書かれていた。


 お前の姉を助けたくば、次の新月の深夜、バダンテール酒場裏の広場に、太陽神の杯を持ってこい。

 ただし、必ずお前一人で来ること。

 約束が守られない場合は、姉の命は保証しかねる——


 紙に書かれた不穏な内容に息をのむと、横からその紙をさっと奪い取られた。


「あっ、待って! だめっ!」


 慌てて手を伸ばし、紙片を取り返そうとしたが、ギュスターヴはレナエルの手が届かない高さに紙を持ち上げ、素早く内容を確認した。


「太陽神の杯を要求するか。……しかし、この脅迫文はおかしい」


 ギュスターヴは呟くように言うと、少し離れた場所から二人の様子を見ていたジュールに、手を挙げて合図した。

 「どうした」と近寄ってきた彼に、赤い紙切れを渡す。


 手の中の紙に目を走らせ、渋い顔をしたジュールに、ギュスターヴが真剣な目を向けた。


「この脅迫文は不自然すぎる」

「そうだな」

「太陽神の杯といえば、セナンクール男爵のコレクションの中でも特に高価な逸品として知られている。そんな品を要求するのに、男爵の片腕と言われているとはいえ、ジネットを誘拐するのはおかしい。普通に考えると奥方か、実子を誘拐するはずだ。それに、レナに脅迫文が届くのも、彼女を受け渡し役に指名するのも不可解だ」


 敵の本当の目的を知らないギュスターヴは、一般的な視点から疑問点を指摘していく。


「それに、次の新月まで十日以上もある。普通は、対策がとれないよう、ギリギリに知らせてくるものだ」


 ジュールは、彼の考えを否定も肯定もしなかった。


 敵は太陽神の杯を欲している訳ではない。

 ジネットの身が危険にさらされることもない。

 この脅迫は明らかに、レナエルをおびき出すためのものだ。


 しかし、部外者がいる手前、ジュールも客観的な視点で述べる。


「問題は、レナが王城にいることも、ルカが彼女の馬であることも、敵に知られていることだ。しかもこんな風に、馬に細工できるのだから、城の内部か出入りできる者の中に、敵の息がかかった人物がいるとみていい」

「しかし、なぜこんな不可解なことを? これでは敵の目的は、レナをおびき出すことのようにも思えてくるな」


 意味ありげな視線を向けるギュスターヴを、ジュールは無視した。


 ギュスターヴは苦笑しながら肩をすくめた。

 彼も、これがただの金品目的の誘拐ではないと気付いているが、王太子の筆頭騎士が絡んでいる以上、これ以上の立ち入りは許されないと判断したのだろう。


「レナ、戻るぞ」

「え? もう? せっかくルカに会えたのに」


 不満を聞く気のないジュールは、くるりと背中を向けて歩き始めた。

 しょうがないので、レナエルも小走りで後を追う。


「レナ。貴女にどんな脅迫があっても、それに乗ってはいけないよ。ジネットは、きっと私が救い出してみせるから、安心して待っていてください!」


 レナエルは背後から掛けられた声に振り向いた。


 あの男にジネットを助け出されるのは困る。

 彼が義理の兄になることなど、考えたくもない。

 だけど、彼は姉と自分の身を案じてくれている。

 性格は難ありでも、悪い人ではなさそうだ。


 レナエルが軽く頭を下げると、彼は親しげな微笑を浮かべ、軽く手を振ってくれた。


「ジュール、待ってよ!」


 レナエルが追いつくと、ジュールは歩速を落とした。


 いくら二人の筆頭騎士がおかしいと言っていても、自分でも変だと思っていても、脅迫文に書かれていた不穏な内容は気にかかる。

 姉にもしものことがあったら……と不安になってきて、声を潜めてジュールにたずねた。


「さっきの紙、どうするの?」

「どうもしない」


 あまりにもあっさりきっぱりした返答に、レナエルはむっと眉を寄せた。


「でも、命の保証はしかねるって……」

「ギュスが言っていたように、普通に考えてもこの脅迫文はおかしい。だいたい、敵は、お前とジネットが、いつでも頭の中で会話できることを知っているんだ。お前たち姉妹の身柄が狙いであるとバレていることも、分かっている。敵も、こんな辻褄の合わない脅迫で、お前をおびき出せるとは思っていないはずだ」

「じゃあ、なぜこんなことをするの」

「近くに敵が潜んでいることを臭わせ、こちらを牽制しているのかもしれない。予想していたこととはいえ、これで、身動きが取りづらくなった。やはりダヴィドを一人で行かせるしかないな」


 ジュールがふっと溜め息をついた。

 しかし、レナエルが気にしているのは、あくまでも姉のことだ。


「ジジは大丈夫よね?」

「お前たちの力は二人揃わないと意味がない。その片割れを殺すことはありえない。だいたい、ただの人質なら、彼女を豪華な部屋に住まわせ丁重に扱うはずがない。だから、脅迫文の中身は気にするな。それに、次の新月の前には、事件は解決しているはずだ」


 大きな手が、背中をぽんと叩く。

 たったそれだけで、もやもやとした不安は薄れていく。

 この手が、姉を救い出してくれるはずだと信じられる。


「そう……だね」

「とにかく、この脅迫文と、ジネットが仕掛けた罠については、今晩にでもシルヴェストル殿下に報告する。ダヴィドも夜には戻るだろうし、今後について綿密に打ち合わせよう」


 停滞していた事態が急に大きく動き出したことに、レナエルは身震いした。

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