万全を期した計画
部屋に戻ると、ジュールはモニクに二人分の昼食を部屋に用意するように命じた。
強ばった表情で部屋を出て行くメイドを見送ると、彼は豪華なソファにどっかりと腰を下ろした。
「一体、何がどうなったんだ」
厳しく尋問するような口調や視線には、とっくに慣れたはずだが、今はなぜか彼に近寄りづらい。
レナエルは少し離れたソファーの隅っこに、腰掛けた。
「ジジが貧血を起こして倒れたときに診察した医者が、王都まで馬車で往復四日だと口走ったんだって」
そして、ジネットから聞いた話をすべて彼に説明した。
「そうか。なるほど。では、昨日出た調査隊は無駄になったか。お前たちのように、離れていても会話できれば、彼らを呼び戻すこともできるんだがな」
ジュールが頭を抱えて溜め息をついたところで、ワゴンを押したモニクが部屋に戻ってきた。
レナエルたち姉妹の問題は決して口外しないようにと、王太子に強く念を押されているから、モニクのいる間は話ができない。
かといって、彼は気の利いた雑談ができるような相手でもないから、二人は不自然に黙り込んでしまった。
「モニク、今日はお皿が多いから手伝うわ」
居心地の悪さに耐えきれなくなって、レナエルがソファを立った。
モニクが遠慮するのを無視して、強引に、料理の皿をテーブルに並べる手伝いをする。
切り分けられたキッシュ、野菜のスープ、サーモンのパテが添えられたパン、ラム酒の入ったブランマンジェ。
いつも一人で食事をしている小さなテーブルは、二人分の皿でいっぱいになった。
「お前はもう、下がっていい」
食事の準備が終わると、彼はさっさとメイドを追い払った。
「それだけ範囲が絞られているのなら、直接アルラ湖を調べて、居場所が分かり次第、ジネットを救出する。それだと三日程度……最短で決着がつくだろう」
ジュールが話を始めながら、レナエルの正面の椅子を引いた。
彼と向かい合って食事をしながら話すのは、久しぶりだ。
……といっても、王都に着いて、まだ数日しか経っていなかったが。
レナエルはさっきまでの説明の付かない緊張を忘れ、楽しい気分でキッシュにナイフを入れた。
「でも、ジジは、もう失敗したくないって言ってたわ。今回、無駄足を踏ませてしまったことが、自分で許せなかったみたい」
「確かに、使いの者の後をつける方法が確実だ。後をつけて、そのまま館に踏み込めば、うまく行けば四日後にカタが着く。……いや、しかし、万全を期すのなら」
彼の食事の手が止まった。
思考を整理するように、難しい顔でぶつぶつと呟いている。
それは見慣れた光景だったから、レナエルは食事を進めながら、彼の考えがまとまるのを待った。
しばらく後、彼は納得したように一人頷くと、ナイフでパテを取った。
「今度は、あたしもついて行けるんでしょ?」
「だめだ。使いの者の後をつけるのは、ダヴィド一人に任せることにする。彼は潜入捜査に向いているからな」
彼はレナエルを押さえつけるようにひとにらみすると、パンをほおばった。
「どうして一人だけなの? そのままジジを助けに行けばいいじゃない!」
「それも考えたが、万全を期そうと思う。旅の途中で襲ってきた男たちの実力を考えると、それなりの私兵を準備している可能性がある。まずは、向こうの状況を知りたい」
「だったら、こっちからも、人をたくさん連れて行けばいいでしょ? 白翼騎士団にも強そうな人がたくさんいたじゃない!」
「必要最低限の人員で、迅速に動かなければ、敵に気づかれる恐れがある。城の中に敵の手の者がいる可能性は否定できないからな。拘束が長引いても、ジネットの身には危険がないのだから、時間がかかっても、確実な方法をとるべきだ」
できるだけ早く姉を助け出したいレナエルが、不満そうにジュールを見た。
彼はそんな視線を無視し、次々と皿の上の料理を片付けながら、淡々と話を進めて行く。
「ダヴィドがうまくジネットと接触できれば、彼女からお前に連絡が来るだろうし、接触できなくても五日後ぐらいには調査結果が分かる。救出はそれからだ」
頭の中で完全に計画をまとめあげた彼の言葉は、全くよどみない。
しかし、レナエルはその計画の中に、自分が入っていないことに、うすうす気づいていた。
「じゃあ、調査結果が出た後、ジジを助けに行くときには、あたしも連れて行ってくれるの?」
「…………」
彼の沈黙は、レナエルの予想が正しいことを表していた。
「やっぱり、あたしを連れて行く気なんて、最初からないんじゃない! ジジはあたしが助けるの! あたしも行く! 連れて行って!」
レナエルは両手をテーブルに叩き付けると、勢いよく立ち上がった。
「だめだ。お前自身も敵の標的なんだ。そんな危険は冒せない」
彼は手にしていたフォークを置いて、黒い瞳を上げた。
いつものように頭ごなしに怒鳴られるのかと思ったが、言い聞かせるような低く落ち着いた声だった。
そのことに、逆に怯みながらも、レナエルは反発する。
「あたしは大丈夫よ!」
「だめだと言っている。お前を連れて行けば、俺はお前を守りながら、ジネットを助け出さなければならない。それでは、救出の成功率は下がる。確実にジネットを助け出すために、お前は安全な城で待っていろ」
「あたしが女だからそんなこと言うの? ジュールに守ってほしいなんて、頼んでないじゃない! 自分の身は自分で守るわよ」
「これまでお前は、自分の身を守れたか?」
その言葉に、レナエルは言葉に詰まった。
夜中に忍び込んできた男たちに、攫われそうになった時、助けてくれたのは彼だ。
王都に向かう途中、八人もの男に囲まれた時も。
高熱で倒れたときに王城に運び入れてくれたのも、彼だった。
「何度言ったら分かるんだ。お前も狙われているんだぞ。お前まで敵の手に落ちたらどうするんだ。そんな奴を連れて行っても、足手まといにしかならない。もっと冷静に考えろ」
彼の、静かだが容赦ない言葉に、胸がずきりとした。
彼がどれほど強い騎士なのかは、嫌というほど分かっている。
さっきの王太子との手合わせで、彼らが周りの男たちと一線を画す実力者であることを、まざまざと見せつけられた。
旅の途中で襲ってきた八人も、自分を背にかばっていなければ、余裕で倒せただろう。そ
れほどまでの男を、あの時、命の危険に曝してしまったのは自分自身だった。
あたしがいない方が、計画は確実にうまくいく。
それは分かってる。
だけど……。
「嫌よ! ジジはあたしのたったひとりの肉親なのよ!」
ここ数年は離れて暮らしているが、幼い頃からレナエルはジネットを守ってきた。
使用人仲間の意地の悪い息子や、いやらしい目を向けてくる客から。
寂しくて眠れない夜や、激しい雷や、荒れ狂う嵐の音から……。
彼女を守るのは自分の役目だと、ずっと思ってきた。
これからもそうでありたかった。
「そんなことは、知っている」
座ったまま、軽く見上げてくる彼のすこし吊り上がった瞳が、ひどく優しく感じられた。
自分を肯定してくれるたった一言が、胸にすとんと落ちる。
それでも。
「ジジは、あたしが助けたいの!」
「それも分かっている。しかし、お前を危険に曝す訳にはいかない。……だから、その思いごと俺に託せ」
分かってる。
どうすることがいちばん良いのか、ちゃんと分かってる。
自分も行くと言い張るのは、ただの我が儘でしかないことも分かってる。
「……でも…………嫌だ」
だけど、気持ちの整理が付かなかった。
姉の救出に、自分が関われないのが悔しくて仕方がなかった。
レナエルは唇を噛むと、椅子にすとんと座った。
「俺はお前の代わりを務められないほど、頼りないか」
彼の諭すような低い声に、俯いたまま首を横に振る。
頼りないはずがない。
彼ならきっと、ジジを無事に助け出してくれる。
「だったら、俺に任せろ」
そう。
彼に全てを任せることが最良の方法だ。
だから、大切な姉を確実に助け出すために、レナエルはこくりと頷いた。
そして、両手で顔を覆った。
「ど……うして、あたしは男に生まれなかったんだろう。ジュールみたいに身体が大きくて、力があって、剣が強かったら、あたしがジジを助けに行けるのに! 女だからって安全な城の中に、かくまわれなくてもいいのに! ジュールみたいだったら……こんな悔しい思いをしなくてもいい……のに」
悔しい。
悔しい、悔しい!
大切な人を守るだけの力が、自分にないなんて!
どうにもならない思いを吐き出すと、同時に涙まで溢れてきた。
息を止め、歯を食いしばって涙をこらえていると、頭の上に武骨な手がぽんと置かれた。
その大きさと重みに、自分と彼との違いを思い知らされ、さらに悔しさがつのる。
けれども、伝わってくる温かさに、強ばった心が少しほぐれた気がした。
「それを食い終わったら、厩舎に行くぞ。ルカが寂しがっていたからな」
彼の手は、頭のてっぺんをぐしゃぐしゃとかき混ぜてから、すっと離れていった。