頭の中の見取り図
『そうか、この部屋が西向きなら……扉を出て……』
彼女は、幽閉されている館に到着したとき、目隠しされながら部屋まで歩いた道筋を、頭の中で見取り図にしていた。
それを逆にたどれば良いのだ。スタートは西向きの部屋。
『廊下の左側に部屋があったから、一旦南に進んで、左に折れる……ってことは東』
姉のつぶやく言葉を、レナエルが実況中継のように周囲に伝えていく。
ジネットが何をしようとしているのかは、すぐに周囲も理解した。
騎士たちは頭の中で同じ道を辿っているらしく、真剣な面持ちだ。
王太子はテーブルに両肘をついて、期待たっぷりの表情でレナエルの顔を見つめている。
『正面玄関から入ったとは限らないわね。……でも、中に入ってすぐに、絨毯が敷かれたゆったりとした螺旋階段を上った。そんなものがあるってことは、やっぱり正面玄関だわ。レナ、分かったわ! 正面玄関は南向き。入ってすぐにゆったりとした螺旋階段がある屋敷よ』
ジネットが出した結論に、男たちが「おおーっ」と感嘆の声を上げた。
自分が褒められた訳ではなかったが、レナエルは得意満面だった。
「すごいですね。目隠しして歩いた道を、正確に記憶していたっていうことでしょう?」
「確か、レナのお姉さんって、セナンクール男爵の右腕って呼ばれているんだよね。いいなぁ、僕もそんな右腕、欲しいな。こんな、可愛げのない野郎じゃなくてさ」
王太子がジュールにちらりと視線を向けて、深い溜め息をついた。
ジュールはその視線を冷たく睨み返した後、レナエルを見た。
「それで、間違いないか?」
『もちろん。完璧よ!』
ジネットの自信のこもった返事を受けて、男たちはすぐさま検討に入った。
「それが正しければ、地図上でもっと絞り込めるな」
「やはり、町中ではないですね。アルラ湖の東岸に面した建物も違う……」
「敵は高級品を買い漁れるほど裕福なはずだから、もう少し絞り込んでもいいか? いや、念には念を入れて……」
地図上のチェスの駒がいくつか外され、続いて、調査に派遣する者たちの人選が始まる。
しかし、彼らの口から出てくるのは、レナエルの知らない名前ばかり。
このままでは、留守番しろと言われかねない。
「あたしも、行く!」
「だめだ。お前は城でじっとしていろ」
じりじりとした焦りを感じて言ってみたが、ジュールがうつむいたまま、あっさり却下した。
むっとして、こっちを見もしないダークブラウンのつむじを睨んでいると、王太子がくすりと笑った。
「冷たいよねぇ、彼。クラフティ、もう一つ食べる?」
「い、いえ……結構です」
「そお?」
彼は、ふわりとした天使の微笑みを浮かべてから、話し合いに戻っていった。
これはなかなか、心臓に悪い。
優しい顔でケーキを勧めながら、王太子も言外でダメだと言っている。
レナエルはどきどきする心臓を押さえて、大きく息を吐き出した。
これではさすがに、あきらめる他なかった。
男たちの話し合いは続いており、その中に入ることのできないレナエルは、手持ち無沙汰になってしまった。
やっぱり、もう一つクラフティをもらっておけば良かった……などと思いながら目を閉じ、ジネットに呼びかける。
『ねぇ、シルヴェストル殿下ってどういう人なの?』
王太子はあまりにも不思議な人だったが、本人にはさすがに何も聞けないし、ジュールにも聞きづらい。
情報通の姉なら、いろいろ知っているだろうと思った。
『白翼の騎士って呼ばれている人よ。見た目はまるで天使のようだけど、剣の腕は黒隼の騎士にも劣らないって言われているの。二人は、同じ師匠について剣の腕を磨いたそうよ』
『へぇ……。だから、あんな王子様らしくない手をしてるんだ。年は?』
『二十六歳、だったかな? ジュール・クライトマンと同い年だったはずよ』
『え?』
『政治的な手腕にも長けていて、五年前の戦を休戦に持ち込んだのは、彼の力が大きかったみたい。当時、まだ二十一歳だったのよ。すごいわよね』
年齢以外は、姉の説明の一つ一つに納得がいった。
いや、年齢も、真剣に話し合っている今の王太子なら、分からなくもなかったが。
それでも、一人の人間として考えると、彼はいろんな要素が全く噛み合ない人だった。
「ごめんね。退屈させちゃったかな?」
ようやく会議が終わったらしい。
王太子の声に顔を上げると、ジュールは散らばった書類をまとめ、ダヴィドはテーブルに広げていた地図をくるくると撒いているところだった。
「……あの、あたしはこの先、どうしたらいいんですか? ずっとあの部屋にいなくちゃならないんですか?」
熱を出していたせいもあるが、王太子の執務室に来るまでは、レナエルはあの部屋からは一歩も出ていなかった。
もしかしたら、このまま軟禁状態に置かれるかもしれないと恐れていた。
にっこり笑った王太子が、レナエルの頭に、あの武骨な手をぽんと置いた。
「そんなことないよ。調査の報告が上がってくるまで、城の中で自由にしていて構わないよ。でも、敵が有力貴族だったとしたら、城の中にも息のかかった者がいるかもしれないから、部屋から出るときは、彼らと一緒にね。僕も時間があったら、つき合ってあげる」
「…………はい。ありがとうございます」
それは『自由』とは言わない。
レナエルはがっくりと肩を落とした。
部屋から出るときは、しっかり監視がつくのだ。
それでも、丸一日ジュールと行動を共にしていた以前よりは、少しましだろうか。
「命が狙われている訳じゃないから、そんなに深刻にならなくても大丈夫。ひと一人を、無傷でこの城から誘拐するのは至難の業だから」
うなだれたレナエルを見て、少々誤解したらしいダヴィドが、気遣う声をかけてくれた。
しかし、ジュールはじろりと睨んでくる。
「お前が勝手なことをしなければな」
「なによ、勝手なことって」
むっと眉をひそめた鼻先に、テーブルの向こうから身を乗り出してきた彼が、人差し指を突きつける。
「いいか。もし俺が奴らだったら、姉を餌にお前をおびき出す。敵はなんとしてでも、お前と連絡を取ろうとするはずだ。万一、敵からの接触があったら、必ず俺に報告しろ! そこにどんな脅し文句があったとしても、お前の姉に実際に危険が及ぶことはないはずだ。だから、勝手な行動だけはするな!」
「う……ん」
彼の厳しい口調には慣れていたはずだったが、あまりにも真剣な様子に、レナエルは思わずたじろいた。