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全身くまなく超一流の人

 窓枠を握っていた腕から力が抜けて、身体が窓の外にぐらりと傾く。


「危ない!」


 その声とともに腹部に力強い何かが回されて、後ろに強く引っ張られた。


「う、わっ!」


 レナエルは、そのまま仰向けに、硬い石の床に背中から落下した。


 ……あれ?


 背中がぶつかったのは、硬いが少し弾力のあるもの。

 同時に、上半身が何かに強く拘束されて、身動きが取れなくなった。

 かたく閉じていた目を恐る恐る開けると、豪華に装飾された高い天井が見えた。


「くっ……。おまえ……なぁ、何をするつもりだった」


 頭の上から、苦しげな声がした。

 その聞き覚えのある低い声にはっとして、慌てて自分を拘束しているものから抜け出し、自分が下敷きにしていたものを確認する。


 濃紺地の上に斜めに並んだ金ボタンを上にたどっていくと、少し吊り上がった黒い瞳がこちらを睨んでいる。


「ジュール! 生きてたの?」

「……死んだ覚えはない」


 そう不機嫌そうに言うと、彼は後頭部をさすりながら、ゆっくりと身体を起こした。


「まさか、ジュールまで敵に捕まってしまったの?」

「そんな記憶もない。……レナ、お前、ここをどこだと思っている」

「どこって……敵の隠れ家?」


 レナエルの答えに、彼はがっくりと肩を落とした。

 その右肩から、金色の飾緒がするりと落ちて前に下がった。


 あれ?

 これは……?


 彼が身につけているのは、初めて会った夜に着ていたものと同じ、袖の折り返しと襟の縁に金色のラインがある濃紺の上下。

 肩の飾緒だけが、以前と違っていた。

 敵の捕虜とは到底思えない折り目正しい姿に、何度も瞬きしながら彼を見る。


「どうしてそんな発想になるんだ。昨晩、俺たちはどこを目指していた?」


 額を押さえ、うんざりした様子の彼の言葉で、ようやく気づく。


 昨晩、目指していた場所。

 あの高い灰色の壁の向こう。


「もしかして……ここは?」


 自分の大きな勘違いに呆然としていると、後ろでくすりと笑う声が聞こえた。

 振り向くより先に、肩にふわりとクリーム色のローブが掛けられる。


「若い御婦人が男の前でその姿では、あんまりだからね。レナエル・クエリー嬢」


 少し高めの男性の声で名を呼ばれ、今度こそ振り向くと、ふわふわとした蜂蜜色の巻き毛に、人懐っこい青い瞳をした、少年とも青年ともつかない男が、にこにこしながら立っていた。


 絵画から出てきた天使のような容姿は、ぱっと見た目にはせいぜい十代後半。

 妙に大人びた色気も感じるから、もしかしたらもっと年上かもしれない。

 身につけているのは、前立てと袖口に立体的な銀糸の刺繍が施された藍色の上着と、同じ生地で仕立てたキュロット。

 胸元を飾る繊細なレースのジャボには、大粒のエメラルドが埋め込まれた銀のブローチが留められている。


 ジネットほどの知識がなくても一目で分かる。

 彼は、全身くまなく超一流品だ。

 中の人、込みで。


 この場所がそうだとしたら、この人は、もしかして……?


 頭に浮かんだ推測に、レナエルは、無意識のうちに後ずさった。


「ん?」


 青年は、腰が引けたようなレナエルに、何かを問いかけるように首を傾げた。

 その子どもっぽくかわいらしい仕草に、不思議な威圧感を感じるのは、気のせいだと思いたかった。


 しかし、ジュールが決定的な言葉を呟いた。


「殿下……」


 やっぱり!


 レナエルは、口をあんぐりと開けたまま固まった。


 目の前の、この年齢不詳の美青年が、王太子殿下……つまり、次期国王だ。

 このふわふわした雰囲気の彼が、ジュールを叙任し筆頭騎士に取り立てた、秘密主義の主君なのか。


 頭を抱え込みたくなるほどに、イメージと現実が、あまりにもいろいろと噛み合なかった。


「レナ。この方がシルヴェストル・エドゥアール・カルネ・リヴィエ王太子殿下だ」


 ジュールのこの紹介も、耳を素通りしていった。


「ごめんね。驚かせちゃったかな? 早く君の話を聞きたいと思って、こっそり彼についてきちゃったんだけど……」


 王太子はくすくす笑いながらかがみ込むと、右手をすっとレナエルに伸ばしてきた。


 何をされるのかとぎょっとしたが、他でもない王太子殿下の御手だ。

 さすがに振り払うことなどできずにいると、彼の掌がぴたりとおでこに貼り付いた。


「うーん。まだ、熱があるみたいだね」


 王太子は美しい形の眉をひそめ、憂いの表情を見せた。

 しかし彼の手は、その清らかな容姿と全く不釣り合いな、ごつくて硬い、明らかに武人の手だった。


「熱?」

「お前、城に着いたとき、高熱を出して気を失っていたんだ」


 ジュールの説明で、ようやく今置かれている状況が腑に落ちた。


 今いる場所はリヴィエ城で、目の前にいるのが王太子殿下で、昨晩、高熱を出して気を失っているうちに自分はここに運ばれた。


 なんて、単純な話。


「そうだったんだ……。だから、頭が痛くてクラクラするのね。あたしてっきり、敵に頭を殴られて、攫われたんだとばかり……」

「なるほど。だから、あの窓から逃げようとしたのか」


 ジュールは腕を組んで、開けっ放しの窓をちらりと見てから、レナエルを問いつめるようにじろりと見た。


「うん」

「うんじゃない! 危うく窓から落ちるところだったんだぞ! こんな高さから落ちたら、ただでは済まない!」


 猛烈な怒鳴り声に、これから始まるお説教を覚悟して肩をすくめると、その不穏な空気を弾き飛ばすような笑い声があがった。


「あははは。君、いいね。彼から話はいろいろ聞いたけど、実物はもっと面白いよ。おまけに、君と一緒だと、堅物のジュールまで面白い! はははっ」

「殿下。冗談はやめてくれ」


 ジュールは、笑いながらバシバシ肩を叩く主の手を払いのけた。


 やはり彼は、王太子に対して敬語を使わない。

 本人を目の前にしてもそうなのかと、レナエルは目を丸くしたが、王太子も特に気にした様子はなく、楽しそうに笑い続けている。


 しばらくして、ようやく笑いがおさまった王太子は、今度はレナエルの肩を、ぽんぽんと親しげに叩いた。


「君に話を聞くのは、やっぱり明日にするよ。何か欲しいものとか、食べたいものとかある? 何でも我がまま言ってくれていいから。ジュールに、ね」

「……殿下」


 はっきりと迷惑そうな顔をするジュールを尻目に、王太子はレナエルに目配せすると、立ち上がった。

 そのまま軽い足取りで歩き出し、扉から出て行くかと思いきや、途中でくるりと振り返る。


「そうだ。君のこと、僕もレナって呼んでいい?」

「は、はいっ」

「じゃ、お大事に。レナ」


 彼はにこやかに手を振って、今度こそ、部屋から出て行った。

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