ジネットの自称婚約者
オーシェルを発って三日目。
レナエルに追っ手がかかる様子はなく、二人は順調に王都へと馬を走らせていた。
道の両側の柵の向こうには、青々と茂ったライ麦畑が広がっている。
田舎道を駆け抜ける二頭の見事な騎士馬の姿に、畑作業をする人々驚いて手を止めた。
前を走るジュールの馬が、急に速度を落とした。
さっき、お昼の休憩を取ったばかりだから、休憩するにはかなり早いし、馬を休ませられるような場所でもない。
不思議に思いながら、レナエルも愛馬の速度を落とす。
「どうしたの?」
ジュールの馬に自分の馬を並べると、遠くを見つめる彼に声をかけた。
「あれは……?」
彼の視線を追うと、一本道の向こうから駆けてくる馬の姿が見えた。
陽の光の中では輝く銀にも見える明るい芦毛の馬だ。
遠目からでもはっきりと見て取れる巨体の力強さに、レナエルの胸は高鳴った。
「あれって、騎士馬だよね? もしかして、知ってる人?」
「おそらく」
力強くも優美な馬に乗った男は、二人から少し離れた場所で馬を止めた。
銀色の髪をゆったりと後ろに束ねた、恐ろしく整った顔立ちの男が、琥珀色の瞳で真っすぐこっちを見ている。
「ギュス……」
ジュールは名を呟くと、ひらりと馬から降りた。
銀の髪の男も優雅に馬を降り、互いに近づいていく。
二人はやはり知り合いだったらしい。
対照的な毛色の騎士馬を引く二人の男は、上背があるという点以外は、まるで正反対に見えた。
ジュールが無骨な黒隼の騎士と呼ばれているのなら、もう一人は優雅な銀の騎士といったところだろうか。
「やはり、ジュールだったか。なぜ、こんな場所に?」
「クライトマンの家に行った帰りだ」
「ああ、そういえば、休暇中だと聞いたな。それで、そちらの彼は? 彼……いや、違う。まさか……」
無駄に美しい銀色の男が、レナエルに視線を向け、驚いたように目を見開いた。
「貴女は……レナエル・クエリー嬢ではありませんか?」
「え……?」
女だってバレてる。
……てか、この人、あたしを知ってる?
レナエルはぎょっとして、思わず後ずさった。
分かりやすい動揺に、男は確信したらしい。
手にしていた手綱を無理やりジュールに手渡すと、足早に近づいてきた。
「やはり、そうなのですね。……失礼」
男は確認するように顔を覗き込むと、レナエルの帽子をさっと取り去った。
レナエルは慌てて帽子を手で押さえようとしたが、間に合わない。
一つに束ねた明るい色の髪が、大きくうねって背中に落ちた。
「ああ、こうやってみると、やはりよく似ている」
「ち、ちょっと待ってよ。あんた、誰?」
慌てふためいていると、男は優雅に片膝をつき、ごく自然に、両手でそっとレナエルの右手をとった。
彼の美貌とは釣り合いが取れない、ジュールとよく似た、大きく無骨な騎士の手だ。
「申し遅れました。私はギュスターヴ・ルコントと申す者です。どうぞギュスとお呼び下さい」
そう言って、手の甲に唇を落とそうとするものだから、レナエルは変な悲鳴を上げて、彼の手の中から右手を引っこ抜いた。
「な、な、な、なにするのっ!」
「おや、新鮮な反応ですね。こういった挨拶は、お気に召しませんか?」
右手をかばうように背中に回し後ずさる娘を跪いたまま見上げて、男は面白がるような笑顔を見せた。
「ギュス。知り合いなのか?」
少し離れた場所から、二人のやり取りを観察するように見ていたジュールが口を挟んだ。
その声に、男はようやく立ち上がる。
「ああ。彼女は近々、私の義理の妹になる予定なんだ」
「あーっ!」
そうだ、思い出した!
ギュスターヴ・ルコントという名。
ジネットが説明してくれた通りの、すらりとした長身、月光のような銀の髪、琥珀の瞳、整った顔立ち、甘い声。
彼がリヴィエ王国位一の女ったらしとも噂される、姉への求婚者だ。
……なるほど、間違いない。
だけど……。
「ジジはまだ、返事してないはずよ」
レナエルがきっぱりと否定すると、彼は突然、苦しげに眉をひそめた。
「そのジネットのことなのですが……」
気づくと、両肩に彼の手が置かれていた。
「どうか、落ち着いて聞いてください。ジネットが……私の愛しいあの人が、何者かに連れ去られてしまったのです」
「…………」
衝撃的な話のはずだが、とっくに知っていたことだったので、逆にどう反応してよいのか分からなかった。
ぽかんとした顔で固まっていると、彼は誤解したようだ。
「ああ、かわいそうに。ショックで口もきけないんだね」
慰めるような優しい声がしたかと思うと、肩に置かれていた手がするりと背中に回され、抱き寄せられた。
びっくりしたレナエルは彼の胸を思い切り突き飛ばす。
さ、さっきから、なんなのこの男!
相手を睨み、右手を振り上げかけたが、はっとして左手で押さえた。
彼はジネットが攫われたことを、遠く離れて住んでいた妹が知っているとは思っていないはずだ。
今、ここで初めて聞かされたことにしないと……。
「………………ええええっ! ジジが連れ去られた? 一体何があったの?」
妙な間と動きと、白々しい棒読み台詞だったが、一生懸命驚いてみせた。
目の前の男を上目遣いでちらりと窺うと、彼は同情するように大きく頷いた。
こんな下手な演技でも、どうやらうまくごまかせたようだ。
レナエルは胸を撫で下ろした。
「私は貴女にそれを伝えるために、オーシェルに向かうところでした。実は、三日前の深夜に、セナンクール家に賊が押し入ったのです。たまたま、見回りの王太子殿下の騎士が居合わせたのですが、防ぎきれずに、彼女は……」
「え?」
それは予想はしていたが、レナエル、ジネット、ジュールの誰も知らなかった事実だった。
やはり、王太子の騎士が、王都のセナンクール家を警備していたのだ。
ジュールの表情が変わった。