奇妙な脅迫
レナエルはごくりと唾を飲み込むと、緊張のあまり汗で滑りそうになった短剣の柄を、しっかりと握り直した。
「やっぱり、そうなのね! 何を企んでるの。白状しなさい!」
「ふん。そう簡単に、白状する訳にはいかないな」
ジュールがふてぶてしい態度で、また一歩踏み出した。
昨晩の悪人どもとは、格が違いすぎる。
比べ物にならないくらいの凶悪さを、全身にまとっている。
「近づかないで!」
握りしめた短剣を、さらに喉に近づけて叫んでも、彼は止まろうとはしない。
いたぶるように、じりじりと近づいてくる。
レナエルはそこから動くことができず、短剣を自分に向けたまま、大木に貼り付いていた。
長剣を抜けば届く距離にまで詰めたとき、ジュールははっとしたように、右手の茂みに視線を滑らせた。
とたん、全身からぶわりと放たれる強烈な殺気。
「なに?」
レナエルもとっさに同じ方向を見た。
新たな敵の出現を予感し、身構える。
次の瞬間。
レナエルの短剣を握った両手は、強い力に捕らえられた。
両手首をまとめて拘束する、男の大きな左手。
ぎりぎりと締め付ける握力と、抵抗を寄せ付けない腕力で、レナエルの両手は、頭上にまで持ち上げられた。
「くっ……」
あっという間に力が入らなくなった手から、あっさりと短剣を奪い取られた。
ジュールは短剣を草の上に投げ捨てると、ぐっと顔を近づけてきた。
「甘いな」
歪んだ口元からせせら笑うように発せられた一言に、先ほどの殺気が自分を陥れるためのものだったことに、ようやく気づいた。
「なっ……! 騙したわね」
怒りにわなわなと身体が震えてくるが、相手は怒りを逆なでする涼しい顔だ。
「騙したつもりはない。俺はちょっとよそ見をしただけだ」
「放してっ!」
レナエルは、両手を頭の上で捕らえられたまま必死に身をよじり、相手に蹴りを食らわせた。
しかし、渾身の一撃は、あっさりとかわされ、レナエルは体制を崩して、彼の手にぶら下げられたような状態になる。
不自然に腕がねじれ、激痛が走る。
「い……っ、たたたた……」
「自業自得だ。さて、この生意気な小娘をどうしてくれようか」
ジュールは嗜虐的な笑みを見せると、レナエルの両手をぐいと引っ張って、自分と立ち位置を入れ替えた。
大木に背にした彼が、左手でレナエルを捕らえたまま、右手で腰の長剣をすらりと抜いた。
殺される!
恐怖に全身から血の気が引いていく。
直後に、この男が自分を殺すはずがないと思い直すが、目の前のぎらつく刃は、自分の命がこの男の手中にあるという事実を突きつけていた。
「どうとでもしなさいよ!」
目を硬く閉じ、顔を背けて強がると、手に硬く冷たい感触が触れた。
まさか、腕を切り落とすの……?
絶望の中、歯を食いしばって襲い来るはずの激痛を覚悟していると、握りしめていた指をこじ開けられ、両の掌の間に棒状のものを突っ込まれた。
武骨な手が上から覆い、それを握らされる。
「え? え? なに?」
あまりに予想外のことに目を開くと、目の前に高くそびえ立つ長剣が見えた。
鏡のように自分の姿が映り込む研ぎすまされた剣身と、鍔に刻まれた見事な細工。
使い込まれて黒光りしている握り。
普段見慣れている商品としての長剣とは全く違う、魂が宿ったかと思うほどの鮮烈な迫力と美しさを併せ持つ、騎士の剣だった。
すごい……。
こんな状況だというのに、レナエルは眼を奪われずにはいられなかった。
「しっかり握れ! なんだ、生意気な口をきくくせに、長剣は扱えないのか」
しかし、雷のように怒鳴りつける声に、我に返る。
「そ、そんなことないわよっ」
かっとなって叫び返した直後、それまで剣を支えるように添えられていた大きな手が、ぱっと離された。
いきなり両腕にかかった想像以上の重みに、肩が下がる。
長い剣身が前方に傾き、身体のバランスがくずれ、足元がふらつく。
「う……、くっ!」
「だめだ、脇が甘い! しっかりと両足を踏みしめて、全身で構えろ!」
背後に回り込んだジュールが、長剣を支える両肘を内側に押し込んだ。
さらに、両肩を上から押さえて、重心を下げさせる。
そして、大きなごつごつした手で、後ろからレナエルの細い顎を掴むと、ぐいと後ろに引いた。
それだけのことで、レナエルの長剣の構えは、見違えるように良くなった。
腕にかかる剣の重みは全身に分散され、さっきより身体が楽になっていることに驚く。
その姿勢に納得したのか、彼はレナエルの前に戻ってくると、大木に背を預けるようにして座り込んだ。
両手を土の上に置き、片膝を立てて、高圧的に命じる。
「一歩、前に出ろ。剣先を下げて、喉元を狙え」
「な……なに? どういうつもり?」
この男の意図が、全く分からない。
まるで何かの実践練習のようだ。
自分を睨み上げる黒く鋭い瞳に、面白がるような色が僅かに浮かんでいたが、激しく混乱したレナエルには読み取れなかった。
「早くしろ!」と苛立つ声にせかされて、仕方なしに一歩踏み出し、彼の喉元に剣先を突きつけた。
剣先が微かに震えるのは、その重量のせいだけではなかった。
ジュールはにやりと口元をゆがめると、低い声でさらに指図する。
「俺を脅せ。あんた、俺に聞きたいことがあるんだろう?」
自分を脅せと脅されている状況に、レナエルは絶句する。
知りたいことがあるのなら、脅してでも聞き出せということか。
脅されて、仕方なしに口を割ったということにしたいのか。
それとも、この男、妙な趣味でもあるのか?
大柄な騎士の長剣の重さは、いくら正しい姿勢で構えても、女の腕には相当堪える。
歯を食いしばって耐えようとするが、どうしても剣先がぶれる。
そこに、いきなりの怒号。
「おいっ! しっかり構えないか。俺に逃げられてもいいのか? やはり、小娘には無理か?」
「そんなことないわよ!」
もう、どうだっていい!
この男の思惑に乗ってやる!
どうせ、それ以外の選択肢はないのだ。
レナエルは覚悟を決めて短剣を握り直すと、さらに切っ先を突きつけた。