超獣戦線 5
「どういうことだ!」
忍は吠えた。だが、沙羅は怯えながら頭を振るばかりだ。
「ご、ごめんなさい……」
そんな沙羅を見て、忍はぎりりと奥歯を噛みしめる。今の言葉は、彼女に向けたものではなかったのに。そもそも、沙羅を責めても仕方ないのだ。
悪いのは、全て自分なのだから。
それは、ほんの一時間ほど前の出来事であった。
忍と沙羅は、二人して町のコンビニに買い物に行った。二人は食糧品など、様々なものを買い込む。
その間、真理亜は車の中で待っていた。彼女は、殺人犯として追われる身である。そのため、町を出歩くことは出来ない。
二人は、買い物を済ませた。ところが、沙羅は久しぶりに見る町の風景が懐かしかったらしい。あちこちに忍を連れ回し、五分で終わるはずの買い物が一時間近くかかってしまってのだ。
ようやく気が済んだ沙羅を連れ、車へと戻って来た忍。だが、待っているはずの真理亜はいなかった。
代わりに、書き置きらしきものがあった。
(彼女は預かったよ。返して欲しいなら、うちに来てみたまえ。僕が誰かは分かるよね)
誰か、とは考えるまでもない。忍はギリリと奥歯を噛みしめた。
「南条……」
「いいか、あのお巡りさんの所に行くんだ。名前を言った後は、何も喋るなよ。分かったな?」
忍の言葉に、沙羅は震えながら頷いた。十メートルほど先には、交番がある。
「お母さんを助け出したら、必ずお前も連れて行くから……また三人で、一緒に暮らそう」
そう言うと、忍は背中を向け去って行った。
沙羅は震えながら、交番へ向かい歩いていく……。
木々に囲まれた南条の隠れ家は、外から見れば大型の倉庫のようである。灰色の頑丈な壁に覆われており、武骨な外観であった。
もっとも、外観など知ったことではない。忍は、ドアの取っ手を掴む。
直後、一気に剥ぎ取った――
扉は、布切れか何かのように軽々と吹っ飛ぶ。忍は、中を見回した。暗いが、人の匂いがする。だが、それだけではない。奇妙な煙の匂いが立ちこめている。そのせいで、鼻が上手く利かない。
忍は、一歩足を踏み入れた。 直後、凄まじい銃撃が彼を襲う――
それは、体ごともぎ取るような銃弾……いや、小型のミサイルにも等しい威力であった。忍は耐えきれず、後ろに吹っ飛んでいく。
「どしたあ? 痛いか!」
狂ったような叫び声が響く。そこにいたのはキリーだった。大型のライフルを構え、げらげら笑い出す。
「どうだ! こいつは、象撃ち用のライフルだ――」
最後まで言い終えることは出来なかった。忍は激痛をものともせず、素早く起き上がった。
直後に飛び上がり、腕を振るう――
その一撃で、キリーの体は吹っ飛ばされた。壁に叩きつけられ、べチャリと潰れる。彼は痛みを感じる間もなく死に、残ったのは原型を留めぬ肉塊だ。
だが、忍はキリーの死体など見ようともしない。きっと女の方を向いた。
「おい、真理亜はどこだ? 正直にいえば、命だけは助けてやる……かもしれねえぞ」
忍の言葉に、女はニヤリと笑う。
「この下の階にいるよ。早く行かなきゃ、死んじゃうかもね……自分の目で確かめてみな」
「そうか。だったら、とっとと消えろ」
そう言うと、忍は背を向け歩み去ろうとした。
だが、背後から何かが突き刺さる。
焦りと慢心……その二つが、忍の心に隙を産み出していた。今までなら、女を仕留めてから先に進んでいたはずだ。
しかし、真理亜を思う気持ちが彼を急き立ていた。さらに己に対する自信が過信となり、警戒が疎かになっていたのだ。
忍は顔をしかめ、振り返ると同時に女に拳を叩き込む。女は吹っ飛び、トマトのように潰れた。
顔をしかめながら、忍は刺さったものを抜く。大きな注射器だ。恐らく、大型獣に薬を射つためのものだろう。中は空である。刺すと同時に、薬品を注入したのだろうか。
直後、忍の体が重くなった。どうやら、大量の麻酔薬を射ち込まれたらしい。視界も霞んできた。だが、忍は必死の形相で耐える。ここで寝ているわけにはいかないのだ。
忍は、よろよろと前に進んで行く。やがて廊下を通り過ぎ、階段へと到着した。重い体を引きずりながら、どうにか階段を降りていく。
ようやく地下へと降り立った忍。その時、何者かの気配を感じた。直後、鋭い痛みが走る――
ボトリ、と鈍い音がしたかと思うと、忍の左腕が切断されて床に落ちる……。
忍は半ば反射的に、残った右腕をぶんと振った。だが、襲撃者は飛び退き攻撃を躱す。
次の瞬間、忍の傷口から大量の血液が流れる。忍は顔をしかめながら、新手の敵を睨んだ。
「てめえ、また来やがったのか……」
そこにいたのは、日本刀を構えた権藤だった。羽織袴にたすき掛けの姿で、忍を見つめている。さらに通路の端には、三味線を抱えた老婆もいた。
前に会った連中だが、格段に強くなっている。少なくとも、前回は忍を傷つけることすら出来なかったのに。
何故だ!?
「お前を斬るために用意した斬魔刀……存分に振るわせてもらうぞ!」
「ざけんな! てめえと遊んでる暇はねえんだよ!」
吠える忍。だが権藤はお構い無しだ。とどめを刺すべく接近してくる――
忍は飛び退き、間合いを離そうとした。しかし、そこで三味線の音が響き渡った。
その音は忍の聴覚を貫き、脳をえぐってくる……それは銃や刀による直接的な痛みとは違い、間接的な苦痛だ。
忍は顔をしかめながら、切り落とされた腕を拾い上げた。と同時に、老婆めがけ投げつける――
老婆は、とっさに手にした三味線で防いだ。三味線は砕け、音は消える。だが、老婆は怯まない、バチを手に、再び間合いを詰めてくる。人間とは思えないタフさだ。老婆の皮を被った妖怪のようである。
なおも、じりじりと迫る二人。忍は奥歯を噛みしめる。こうなったら、奥の手を使うしかない。
「仕方ねえな……俺の野性、見せてやるぜ!」
叫んだ直後、忍の体から何かが飛び出す――
それは巨大な虎だった。二メートルを超える巨獣が忍の体より出現し、その場に降り立ったのだ。 しかも、そこで終わりではなかった。さらに忍の背中からは、猛禽類の頭が出て来ている。続けて翼、最後には尾羽が現れ……床の上に舞い降りた。
突如として現れた二匹の獣。あまりのことに意表を突かれ、権藤と老婆の動きが止まる。
その隙を逃す忍ではない――
「後は任せたぞ!」
叫ぶと同時に、忍は一気に二人の横を走り抜ける。
同時に虎は地を駆け、老婆へと襲いかかる。老婆は予想外の出来事に反応が遅れ、虎の襲撃に対応できない。
虎は老婆の体を引き裂き、その牙で首を咬みちぎった――
一方、鷹は宙を舞い、権藤へと襲いかかる。しかし、権藤の反応も速い。彼は斬魔刀で鷹に斬りつけた。だが、鷹は素早い動きで上昇し、権藤の太刀を躱す。
その時、彼の背後から虎が襲いかかった。虎は権藤にのしかかり、首を咬みちぎった。
忍は、素早い動きで奥へと進む。やがて、頑丈そうなドアに突き当たった。
手を伸ばし、ドアを開ける。
「さあ、入って来たまえ」
部屋の中から、落ち着いた声が聞こえてきた。忍は、慎重に入っていく。
暗くて、何も見えない。その上、薬草か何かを燻したような匂いが漂っている。そのため、嗅覚が殺されている。
忍は焦った。このままでは、真理亜がどうなるか……。
「真理亜は関係ないだろうが! さっさと出てきやがれ!」
吠える忍。その時、背後で扉の閉まる音がした。
直後、状況は一変する。
一瞬にして、明るくなった広い室内。そこは白い金属の壁に囲まれており、ソファーやテーブルなどがおかれている。天井は高く、ライトは異様に明るい。
そんな部屋の向こう側の壁には、真理亜が貼り付けにされていた。
その静脈には管が刺さり、血液が流れている。放っておけば、確実に死んでしまう――
「ま、真理亜!」
叫びながら、忍は走った。その時、銃声が轟く。それも、立て続けに数発。
忍の体に激痛が走り、どうと倒れた。
「ク、クソがぁ……」
流れる血を見つめ、忍は呆然と呟く。この程度の怪我など、数秒あれば治るはずなのに。
それでも、忍は何とか立ち上がろうとする。真理亜だけは助けなくてはならない……このままでは、彼女が死んでしまう。
だが、またしても銃声が轟いた。数発の銃弾が、忍の肉体を貫く。
痛みのあまり、忍は呻いた。現世に復活して以来、ここまでの激痛を感じたことはない。
俺の体に、何が起きた?
血を流し倒れている忍を、南条は冷酷な表情で見下ろしていた。
「君は体に虎と鷹を同居させていたようだがね、そいつらは外にいる。そのせいで、君は力を発揮できない……違うかい?」
「な、何だと……」
言いながら、忍は立ち上がろうとする。だが南条は、手にした拳銃を撃った。
銃弾が体にめり込み、忍は痛みのあまり呻いた。
「もう、動物は出せないようだな。いくら君でも、その体では何も出来ないだろう。君とは、本当に楽しい時間を過ごせたよ」
言いながら、南条は新たな拳銃を抜いた。勝利を確信した喜びにより、残忍な笑みを浮かべる。
すると忍は、自身をかばうように手のひらを顔の前にかざす。
「残念だったな……俺の中には、もう一匹いたんだよ……」
言った直後、忍の手のひらから何かが飛び出す。
それは魚……いや、ホオジロザメであった。ホオジロザメは宙を舞い、南条の首に食らいつく――
南条は胸から上を噛みちぎられ、一瞬で絶命した。
傷ついた体を引きずり、忍はようやくたどり着いた。吊るされていた真理亜を降ろし、抱きしめる。
真理亜の体は冷たく、意識がない。もはや、命が尽きかけているのだ。
「しっかりしろ!」
忍は耳元で呼びかける。すると、真理亜は意識を取り戻した。目を開け、力なく微笑む。
「奴を殺ったの?」
「ああ、殺った。父さんと母さんの仇を討ったよ」
「そう、良かったね……」
言った直後、真理亜の体が崩れ落ちる。忍は、慌てて彼女を抱き起こした。自分の復讐に巻き込み、死なせてしまうなど……あってはならないのだ。
「真理亜! しっかりしろ!」
「忍……最後のお願いがあるの。聞いて……」
今にも消えそうな声で囁き、忍の手を握る真理亜。だが、その手からは力が全く感じられない。彼女の命の炎は、もうすぐ消えようとしているのだ。
忍は顔を歪めながら、何度も頷いてみせる。
「な、何だ? 俺は何でもするぞ! お前のためなら、何でもする!」
「あの子を、沙羅を助けてあげて。私の、代わりに……」
言った直後、真理亜の体から力が抜けていく。忍は死人のような表情で、じっと彼女を見つめていた。
やがて、忍は真理亜を抱き上げる。翼を広げ、空を飛んだ――
その光景は、とても残酷な……それでいて、神々しさすら感じさせるものだった。
巨大な獣が、山の頂上にいる。全身は虎のような体毛に覆われており、一見すると四つ足の肉食獣である。だが背中には、巨大な鳥の翼が生えている。さらに、頭部は若き青年のものだった。
そんな奇怪な獣が、人間とおぼしきものの肉を貪り食っているのだ。血や内臓が周囲に飛び散り、スプラッター映画のごとき光景である。
気の弱い人間ならば、見ただけで悶絶してしまうであろう……だが不思議なことに、獣の目からは真紅の涙が流れていた――
俺は、真理亜の体を食らう。
真理亜を、永遠に俺のものにするために……。
真理亜は、俺の血となり肉となるのだ。
愛しき女よ、俺たちは永遠に一緒だ。
・・・
それから、十年後――
施設に預けられた沙羅。父親が母親により殺され、母親は行方不明……そんな生い立ちであるにもかかわらず、彼女は明るさを失わなかった。
もっとも、忍のことは誰にも言っていなかったが。言ったところで、誰も信じてくれないのは分かっていた。
今、沙羅は海に潜っていた。ウェットスーツを着て、水の中を散策する。彼女の趣味はダイビングであり、月に一度は海に潜っていた。
海の中にいる時は、何もかも忘れられるから。
海底の岩場で、彼女は何かを見つけた。
暗い海底で、キラリと光っている物。いったい何だろう……ボンベの酸素はもうほとんど残っていなかったが、好奇心に負け沙羅は手を伸ばした。
すると、何かが手に巻きついてきた。ぬるぬるとした感触のものが沙羅の手をしっかりと捕え、離れようとしない。
それはタコだった。タコという動物は、意外と力が強い。小さなものでも、一度捕らえられると引き剥がすのは難しい。
特に、この状況では命取りだ。沙羅は、どうにか外そうとした。だが、タコは離れない。
沙羅は、必死でもがいた。しかし、タコの足は絡まったままだ。四本の足で沙羅の手を掴み、残りの足を岩場に絡ませている。
やがて、沙羅の意識が薄れていった……。
その時、水中を凄まじい速さで動く者がいた。あっという間に沙羅に近づき、タコの足を簡単に引きちぎる。
と同時に、一瞬にして岸へと浮上する
薄れゆく意識の中、沙羅ははっきりと見たのだ。
野獣のような風貌の男……だが、その下半身にはサメのそれであった。まるで童話に登場する人魚のような――
「しのぶ……」
声にならない叫びを上げる沙羅。やがて、意識が闇に沈んでいく。
その時、何者かの声が聞こえた。
「俺は化け物だ。お前とは暮らせない……でも助けが必要な時は、いつでも駆けつける」
気がついた時、沙羅は病室のベッドにいた。医者の話によれば、病院前の道路に寝かされていたのだという。
周りには誰もいなかったらしい。だが、沙羅には分かっていた。
あの野獣のごとき顔つきと声……間違いない。彼女の記憶にある、あの男だ。
「忍、ありがと」
沙羅は、そっと呟いた。忍は今も、自分を守っていてくれている……その想いに胸が熱くなり、彼女は涙を浮かべた。




