超獣戦線 4
永石市は、豊かな自然が特徴的な場所である。周辺を山に囲まれており、道路を少し離れると、木々の生い茂る森の中に入り込むことが可能だ。
忍たちもまた、森に潜んでいる。獣道を車で通り、森の中へと入って来た。警察の目を逃れるためだが、幼い沙羅にとっては格好の遊び場でもあった。
「しのぶ、とんで!」
沙羅は、無邪気な顔で忍の手を引く。
忍は少し戸惑いながらも、沙羅の言葉に従った。彼女を抱き抱えると、高く跳躍する。その高さは、十メートルを超えただろう。
直後、すぐに落下した――
「うわあ! すごい!」
はしゃぐ沙羅。絶叫マシンに乗っているような気分なのだろうか。
そんな彼女の反応に、忍も気をよくして、もう一度跳ぼうとした。だが、見ている真理亜は思い切り顔を引きつらせる。
「ちょっと忍! いい加減にして! 沙羅は、あんたみたいに頑丈じゃないんだから!」
真理亜の剣幕に、忍はたじたじとなった。
「ご、ごめん」
忍は頭を下げる。いつの間にか、力関係が逆転してしまっていた。出会った頃は、忍の態度や言葉に怯えきっていた真理亜。だが今では、むしろ忍の方が怯んでいる……。
「沙羅に何かあったら、許さないからね!」
真理亜に怒鳴られ、忍は小さくなる。すると、沙羅が真理亜の手を掴む。
「まま、あたしがわるいの……しのぶを、おこらないであげて」
上目使いで懇願する沙羅に、真理亜は渋い表情だ。
異様ではあるが、どこか和やかな空気が漂っている……だが、忍は異変を感じとった。表情を一変させ、二人を車に押し込む。
「二人とも隠れてろ! 絶対にここから出るなよ!」
言った直後、忍は跳んだ。危険な匂いを発する何者かが接近している。ならば、逆にこちらから潰すしかない。
森のそばを通る道路に、大きなトラックが止まっている。忍が近づくと同時に、後ろの荷台から人が降りて来た。
まず現れたのは、巨大な男であった。
身長は二メートル以上はあるだろう。肩幅は異常に広く、腕の太さは丸太のようだ。体の厚みも尋常ではない。ブルドーザーを力ずくで擬人化したような黒人が、忍の前に立っている……。
「おいおい、何を食ったらそんなガタイになるんだよ?」
軽口を叩きながら、忍は大男を睨む。すると、奇妙な声が聞こえてきた。
「そいつの名はピグマンだよ、貴様シノブか?」
おかしな片言の日本語で言いながら、近づいて来たスーツ姿の白人。さらに、サングラスをかけた長い黒髪の女もいる。こちらは、黒い革のジャンパー姿だ。
「おいおい……前回も三人だったが、今回も三人か。お前ら、何とかレンジャーみたいだな」
言いながら、忍は笑みを浮かべる。彼の中に流れる獣の……いや悪魔の血が、戦いを前に歓喜の声を上げていた。
まず口火を切ったのは、ピグマンと呼ばれた黒人であった。
ピグマンは腕を振り上げ、忍に殴りかかる。だが、忍はその拳を素手で受け止めた。普通の人間なら、簡単に撲殺できる威力だろうが、忍には通用しない。
「大した力だよ、人間にしてはな」
直後、忍は殴り返す。これまた、並みの人間なら一撃で撲殺できるだろう。
だが、ピグマンはその拳を顔面で受け止めている。にもかかわらず、びくともしない。女性のウエスト並みの太さの首と、ボーリングの球のように頑丈な頭蓋骨だ……。
「ほう、タフだね。なら、これでどうよ」
次の瞬間、忍の右手が変化した。筋肉と骨が瞬時に肥大化し、獣毛に覆われていく……脆弱な人間の腕から、巨大な虎の前足へと変わったのだ。
「ワオー! 驚愕だねえ! 本当にヘンタイしやがった!」
白人が歓喜の声を上げるが、忍はそれを無視し、黒人の顔面に獣の前足を叩きつけた――
黒人の巨体は吹っ飛び、アスファルトの上を転がる。だが、忍もまた顔を歪めていた。前足に伝わってきた感触……それは、今までとは異なるものだ。いくら奴の大きいとはいえ、人間としては有り得ない感触である。
その時、銃声が轟いた――
「ウオォウ! たぁのしぃいねえぇ!」
奇声を発しながら、拳銃を乱射する白人。その弾丸は全て、忍の体へと命中した。
だが、忍は痛がる素振りすら見せない。平然とした態度で、弾丸を全て体で受け止めている。
「もう終わりか?」
尋ねる忍に、白人はヒュウと口笛を吹いた。
「ワオオォウ! 驚きだねよ! こんな化け物がいたとはな!」
言いながら、白人が次に取り出したのは、さらに巨大な拳銃である。楽しそうな表情で、その拳銃を構えた。
「こいつは、デザートイーグルだ! 世界で三本の指が入る威力のハンドガンだぜ!」
「三本の指に入る、な」
冷静な口調で言い直しながら、忍はピグマンの様子も横目で窺う。驚いたことに、ピグマンは何事も無かったかのように立ち上がり、こちらを見ているのだ。
だったら、仕方ねえな。
忍の体が、またしても変化する。その肉体は、さらに獣へと近づいていった。筋肉が肥大化し、全身が獣毛に覆われていく。両足は力強い猛獣の後足へと変わり、太く鋭い爪が生えてきた。
「ギャッハー! ヘンタイだヘンタイ! ヘンタイしやがったぞ! たぁのしいぃねえぇぇ!」
叫ぶと同時に、白人はデザートイーグルのトリガーを引いた――
恐ろしいエネルギーを秘めた銃弾が、忍の体を貫いた。だが、忍は微動だにしない。
「くおぉの! いくじなしがぁ!」
意味不明な片言の日本語を叫びながら、白人はトリガーを引いた。
大型の獣でも倒せる銃弾が、忍の体に撃ち込まれていく。
忍は強力な銃弾をまともに受け、衝撃で体が揺れる。もし人間に命中していたなら、たとえ防弾ベストを着ていても重傷はまぬがれない。いや、即死の可能性も充分に有り得るのだ。
ところが、忍は倒れない。痛がる素振りすら、見せないのだ。
「お、おい……どうなってんだ?」
白人は首を傾げつつも、さらにトリガーを引く。放たれた銃弾は、忍の体に次々と炸裂した。
にもかかわらず、忍は平然とした様子で立っている。痛みすら感じていないらしい――
白人は呆然とした表情を浮かべ、英語で何やら呟いた。一方、忍はニヤリと笑う。
「じゃあ、次はこっちのターンだな」
直後、忍は走った。一瞬で間合いを詰め、巨大な前足を降り下ろす。その一撃が当たれば、白人は肉塊と化すはずだった。
だが、忍の突進を止めた者がいる……ピグマンだ。ピグマンは忍の正面に立ち、人間には有り得ない腕力で彼の体を抱き止めている――
「邪魔するな!」
怒鳴ると同時に、忍の右前足がまたしても変化する。今度は、虎の頭へと変わったのだ。
虎は吠え、ピグマンへと襲いかかる。その時、破裂するような音が響いた――
直後、忍の顔に痛みが走る。チクッとしたものであったが、彼は反射的に目を閉じていた。
その瞬間、ピグマンが動く。一瞬の隙を突き、忍の腰に両腕を回した。
吠えると同時に、忍をバックドロップで投げる――
忍は、凄まじい勢いで地面に叩きつけられた。硬いアスファルトは、凶器と化して忍の体を打つ。さしもの忍も、思わずうめき声を洩らした。
直後、ピグマンが馬乗りになる。
その巨大な拳が、忍の顔面へと落とされた。だが、忍はびくともしない。それどころか、ニヤリと笑ったのだ。
「バーカ」
その時、忍の腹から虎の体が出現した。虎は背後から、ピグマンの頭を一瞬にして噛み裂く――
「て、てめえ! よくもピグマンを!」
白人が吠え、デザートイーグルの銃口を向けトリガーを引く。だが、既に弾切れだ。
「Son of a bitch !」
叫びながら、白人は弾倉を交換しようとする。しかし、遅かった。
「サノバビッチじゃねえよクソが!」
声と共に、飛んで来たのはピグマンの死体だ。百キロを軽く超える巨体が、恐ろしい速度で叩きつけられる。
白人は、ピグマンの巨体で潰された。
「さて、残るはてめえだけか……」
荒い息を吐きながら、忍は立ち上がった。目の前にいるのは、鞭を持った黒髪の女だ。先ほど忍を襲った一撃は、この鞭によるものだろう。
こんな女など、敵にはならない。一瞬で殺せるはずだ。もっとも忍の獣の嗅覚は、違和感を伝えていた。
なんだこいつは?
忍は、不気味なものを感じていた。ならば、さっさと仕留めるか。
いや、その前に南条の居場所を吐かせなくてはならない。
「おい、南条の居場所を教えろ。そうすれば命だけは助けてやる」
言いながら、忍は近づいて行った。しかし、女は逃げようともしない。それどころか、余裕の表情で忍を見つめている。
忍は異様なものを感じた。この女、まばたきもせずに忍を凝視しているのだ。手にしている鞭を振るおうともしない。
もっとも、そんな鞭など忍の肉体には傷を負わせられないが。一瞬の目眩まし程度にしか使えないであろう。
「あたしはね、SMクラブで女王さまをやってるの」
女は、そう言った。何の思いもなく、事実を淡々と語っている……そんな雰囲気だ。忍は困惑し、思わず立ち止まっていた。
「お前、何を言ってるんだよ? 今の状況が分かってるのか?」
「ええ、分かってる。あたしはね、客の要求に応えるのが仕事。何をすれば客が喜ぶか、逆に何をすれば客が嫌がるか……それを、一瞬で見極めなきゃならないの」
「だから何だ?」
言いながら、忍は右手を上げた。巨大な獣の前足を振るえば、こんな女は一瞬で肉塊へと変わる。女も、そのことは分かっているはずだ。
「あなたは、体内に動物を飼っている……それも二匹。動物の力は強いけど、その力は弱点にもなる」
「んだと!」
忍は、獣の前足を振り上げる。しかし、女には怯む気配がない。
「あなたの知りたいのは、南条さまの居場所よね? それは教えてあげる。あたしも、知りたいことは教えてもらったし」
「どういうことだ?」
「あんたの能力は、だいたい分かった。あとは、ジェニーたちに始末してもらうだけ……バカだねえ、あんた。何もわかってない」
女は、くすりと笑った。直後、ポケットから一枚の紙を取り出す。名刺サイズの紙には、住所が書かれていた。
「そこに行けば、南条さまには会えるよ。ただし、お前は確実に死ぬけどね」
そう言って、女はまたしても笑った。
「そうかい。なら、お前に用はない」
言うと同時に、忍は腕を降り下ろした。
女は痛みを感じる暇もなく、一瞬にして絶命する。骨や肉や内臓の見分けもつかない、吐き気をもよおすような肉塊へと変わった。
自身の体にこびりついた血や肉片などを綺麗に洗い流した後、忍は二人の元へと帰って行く。
「お帰り」
どこか不安そうだが、それでいてホッとしたような声で出迎えた真理亜。そんな彼女を、忍は心底から愛しいと思った。他人にこんな気持ちを抱いたのは、初めてではないだろうか。
この二人だけは、絶対に守り抜く。
この時、忍は自らの強さを過信していた。南条の居場所が分かったのなら、さっさと仕留めに行くべきだったが、彼はそれをしなかった。
そもそも、ピグマンたちは忍らの居場所を知っていた……その事実を考慮すれば、相手の強さが侮れないものであることを理解できたはずなのに。
・・・
その頃、数キロ離れた南条の隠れ家では――
「シーマの意識が消えた。彼女は死んだわ」
ジェニーが、取り憑かれたような表情で言った。すると、キリーが顔を歪める……憤怒の形相だ。
「じゃあ、他の奴らも死んだんだな!」
喚くと同時に、拳銃を抜くキリー。だが、南条がそれを制した。
「待てキリー。ほっといても奴は来る。待ち伏せて仕留めるとしよう」
ジェニーと、SMの女王さまであったシーマ。二人は、テレパシーによる会話が可能なのだ。シーマは、自身の目で見た忍の情報をジェニーに伝えていた。
その代償として、シーマたち三人は命を失ったが……。
「あの男は、動物の力を持っている」
「動物? どういうことだい?」
訝しげな表情の南条に、ジェニーは語り続ける。
「忍の中には、動物がいる。その動物こそが、奴の力の源……それさえ切り離してしまえば、あとは人間の体だけ。普通の人間よりは遥かに強いけど、殺すことは出来る」
「なるほど。では、どうやって切り離すんだ?」
「私に作戦がある」
そう言ったジェニーの瞳には、狂気の光があった。
「シーマの仇は、あたしが討つ。来留間忍……必ず殺してやる」




