超獣戦線 1
「何で、わざわざ外でご飯を食べなきゃならないの? 別に、うちでもいいじゃない」
来留間忍は、車の中でブツブツ言っていた。
「そう言うなよ。たまには、外での食事もいいだろう。母さんにも、楽をさせてあげないと」
父の来留間源三の言葉に、母の静江も微笑んだ。
「ふふふ、ありがと」
忍は幼い頃から、気が荒く喧嘩早い少年であった。
高校生になっても、彼の性格は変わらなかった。他人とはすぐに衝突し喧嘩になるため、学校では周囲から敬遠される。そのため、いつも独りぼっちだった。
そんな忍には、親友がいた。猫のロデムとセキセイインコのロプロス、鮒のポセイドンだ。三匹はいつも忍の部屋におり、忍が帰って来ると三者三様の反応をする。ロデムは「ナアナア」、ロプロスは「ツピーツピー」と鳴き、ポセイドンはひらひらと水槽の中を泳ぐ。
そんな動物たちの存在は、孤独な忍の心を癒してくれていた。忍にとって、ロデムを撫で、ロプロスを肩に止まらせ、ポセイドンの泳ぐ姿を眺めるのが最も幸せなひとときである。彼らとのふれあいの時間こそ、忍にとってかけがえの無いものだった。
しかし今日は、家族と一緒に外で食事をしなくてはならない。
母の静江が、町内の福引きで当てた高級レストランの食事券……そのため、来留間家は家族みんなで出かけることになったのだ。忍は渋ったが、父と母のしつこさに根負けして連れ出されることとなった。
もっとも、忍は未だに納得していなかったが。
やがて、忍らの乗る車は駐車場へと入って行く。三人は、落ち着いた雰囲気の店内に入り、ボーイに案内されテーブルに着いた。
「な、なんか落ち着かないねえ」
そう言いながら、周囲を見回す忍。自分たちの他に、四人の家族連れと思われる人たちが来ていた。その家族は、見るからに金持ちそうな雰囲気である。
「おい、あんまりキョロキョロするな。みっともないだろうが」
そう小声で注意する父の源三も、顔が若干ではあるが引きつっている。しかし、母の静江は呑気なものだった。
「まあまあ二人とも。今日は美味しい料理を、お腹いっぱい食べましょ」
そう言って、ニッコリと笑った。
だが次の瞬間、その空気は一変する――
突然、店内に二人の男が入って来た。どちらも、作業員のような服装である。もっとも、その手に構えているのは自動小銃であったが。
その男たちは入って来るなり、無言のまま発砲した……。
大量の銃弾が店内に撃ち込まれ、中にいた者は全員、命を失った。いったい何が起きたのか、なぜ自分たちが死なねばならなかったのか、何も知らないまま彼らは死んだ。
もちろん、忍も――
・・・
とある高級マンションの一室。
落ち着いた雰囲気の部屋には、二人の男が向かい合って座っている。片方は日本人だ。年齢は二十代だろうか。肌は白く、髪は長すぎず短すぎず、ほどよい長さでまとめてある。ブランド物のスーツに身を包み、端正な顔ににこやかな表情を浮かべている。
この青年は南条真吾。最近、裏社会にてめきめきと頭角を現してきた男だ。端正な顔立ちに似合わず、極めて冷酷な性格の持ち主である。
その南条の前に座っているのは、キリー・キャラダイン。とぼけた顔をした白人の若者である。アメリカのコメディ映画にでも出てきそうな風貌であり、欧米人にしては小柄な体格だが、これまで何人もの人間を殺しているのだ。
もともとはマフィアの構成員であったが、あまりに凶暴な性格と荒い仕事ぶりゆえ、警察に追われて日本へと逃げて来た。マフィアから追い出された若者たちを吸収し、南条と同盟を結んでいる。
「仕事は終えたな?」
南条の言葉に、キリー・キャラダインは笑みを浮かべた。
「ああ、終わったよ。関係ない奴も殺しちまったけどな」
流暢な日本語である。発音も完璧だ。彼はハイスクールすらまともに行っていないのだが、日本語は完璧に話せる。
「構わない。これで、仁龍会の幹部連中も逆らう気を無くすだろうよ」
そう言って、南条はニヤリと笑う。
仁龍会……日本でも指折りのヤクザ組織である。永石市にて勢力を広げていた南条にとって、邪魔で仕方なかった。
南条は仁龍会を潰すべく、一気に攻勢に出る。タカ派の幹部を殺すべく、キリーの部下をヒットマンとして送りこんだのだ。
キリーのやり方は容赦がない。幹部が家族とレストランで食事をしているところを、マシンガンで武装した部下に襲撃させたのだ。
結果、無関係の従業員や客が巻き添えになった。
「あとは、若頭の外川さえ殺せば仁龍会はおしまいだ。頼んだぜ、キリー」
満足そうに笑う南条。
だが、彼は何も分かっていなかった。自分が、とんでもないミスをしていたことに……。
・・・
気がつくと、忍は奇妙な場所にいた。
「なんだよ、ここは……」
忍は呟いた。あたり一面は白く塗りつぶされており、奥行きというものが感じられない。不思議な空間であった。
俺は、どこにいるんだ?
忍は周囲を見回しながら、少しずつ歩いてみる。一応、地面は硬い。靴を通して感触が伝わってくる。だが、どこまで行っても同じ風景だ。
どう考えても、今の状況は異様である。いったい何事が起きたのか――
「やあ忍くん。すまないが、私の話を聞いてくれないかな?」
不意に、後ろから声が聞こえてきた。忍は慌てて振り返る。
そこにいたのは、杖を持った老人だった。昔、教科書で見たガンジーのような風貌である。
その老人は、静かな口調でとんでもないことを言い出した。
「申し訳ないが、君を間違えて死なせてしまった。お詫びに、今から君を異世界へと転生させてあげよう。最強の魔力を持った、無敵の超人としてな」
「ちょっと待てよ。どういうことだよ……」
言いかけて、忍はようやく思い出した。
レストランにいた時、二人の男がいきなり入って来た。
清掃作業員のような格好をした二人組。だが、その手には奇妙な物がある。黒光りする金属製の何か。
その金属製の何かが、いきなり火を吹いた――
けたたましい音に続き、飛び散る血と肉片。ほんの僅かな時間で、人間が次々と死んでいったのだ。
薄れゆく意識の中、最後に忍が見たものは……自分を守ろうと覆い被さっていた、父と母の死に顔であった。
「俺、死んだのか……」
呆然となりながら呟く忍に、老人は頷いた。
「そうだ。だが調べてみたところ、君は本来なら助かるはずだった。どうやら、こちらの手違いで死んでしまったらしい。そのお詫びとして、君を異世界に転生させてあげよう」
「異世界に転生?」
言葉を繰り返す忍の表情は虚ろであった。しかし、老人の方は構わず語り続ける。
「ああ、君は人生をやり直せるんだ。今までのような、つまらない人生ではない。神にも等しい存在としての人生を――」
「いらねえよ」
老人の言葉を遮り、ぼそりと呟いた忍。
「今、何と言ったのだ?」
聞き返した老人を、忍は凄まじい形相で睨みつけた――
「そんな紛い物の人生でごまかすんじゃねえ! そんなもんいるかあぁ!」
吠えながら、忍は老人の襟首を掴む。その目には、涙が溢れていた。
「そんな人生なんかいるかよ! 母さんも父さんも生きてたんだ! あの世界で、母さんと父さんは一生懸命に生きてたんだよ! 頑張って必死でもがいて、やっと掴んだ幸せだったんだ! それを簡単に奪うんじゃねえ! 命を返せ! 母さんと父さんの命を返せえぇ!」
「それは無理だ。お前の父と母の死は決まっていた。だが、お前は死ぬ予定ではなかった。だから転生させてやるのだ。お前はこの先、神にも等しい超人として思うがままに人生を送れるのだぞ」
知ったことではないとでも言いたげに、老人は淡々とした口調で言葉を返す。その態度が、忍の怒りをさらに増幅させた。
「クソがぁ! んなもんいるか! だったら俺を戻せ! 元の世界に戻せ! 奴らをぶっ殺してやる!」
わめきながら、忍は老人を殴り付ける。だが忍の拳が当たった瞬間、老人の体は煙のように消え去った。
直後、上から声が聞こえてきた。
「それも無理だ。お前の体は、既に焼かれてしまっている。少し頭を冷やして考えろ……異世界に転生するのが嫌なら、お前は死ぬしかないのだ。気が変わったら、後ろの扉を開けるがいい」
忍が振り返ると、そこには扉が出現していた。彼の数メートル後ろに、巨大な扉があるのだ。先ほどまでは無かったはずなのに。
不思議な光景ではある。だが、そんな奇跡すら忍の心には何ももたらさなかった。
どのくらいの時間が経ったのだろう。忍は、ずっと座り込んだままだった。
異世界に転生するか、死ぬか。この二択、普通なら考えるまでもないだろう。
しかし、彼は神などという存在に屈したくはなかった。いきなり訳も分からず両親ともども殺され、挙げ句に異世界に転生などと……そんな理不尽な話を受け入れられるはずがない。
そう、断じて認めてはいけないのだ。目の前で最後の力を振り絞り、自分を守ろうと覆い被さってきた父と母の顔……忍は、この先も忘れることが出来ないだろう。
神のやったことを認めてしまったら、父と母の死を認めることになるのだ。それだけは断じて――
「なあ忍ちゃん、話があるんじゃ」
不意に、後ろから声が聞こえた。
忍がそちらを向くと、目の前に奇怪な格好の者がいた。顔を白く塗り、緑色のだぶだぶの服を着ている。頭にはトンガリ帽子を被り、手には奇怪な形状の杖を持っていた。
一見すると、サーカスの道化師のようである。ただし、周囲には危険な空気が漂っていた。
「だ、誰だ?」
唖然となりながら尋ねる忍に、道化師は白塗りの顔でニヤリと笑った。
「わしの名はフラック……分かりやすく言うと、悪魔じゃ」
「あ、悪魔?」
「そうじゃ。ところで忍ちゃんよう、お前に会いたがってる奴らがおったから、連れてきたんじゃよ」
そう言うと、フラックはさっと手を振った。
次の瞬間、忍は愕然となる――
「お、お前たち……」
忍は、そう言うのがやっとだった。なぜなら、彼の目の前には……猫のロデム、セキセイインコのロプロスがいたのだ。どちらも地面に座り、優しい目で忍の顔を見上げている。
しかも、鮒のポセイドンまでいるのだ。水もないのに、空中で楽しそうにひらひら泳いでいる……。
目の前の不思議な光景に圧倒されている忍に、フラックは静かな口調で語り出した。
「お前には、三つの選択肢がある。一つは、このまま死ぬ。もう一つは、神の言い付け通りに異世界に転生する。これが、一番楽な選択肢じゃろ」
その二つは、先ほど神と名乗る老人から聞いた。だが、残る一つは何なのだろうか……忍は、固唾を飲んで耳を傾けていた。
「最後の一つは、同じ世界に生き返り……お前のオヤジとオフクロの仇を討つ」
「そ、それは、出来るのか!?」
焦った表情で詰め寄る忍に、フラックはニヤリと笑った。
「ああ。ただし、生き返るためには魂の容器となる肉体が必要じゃ。そのためには、こいつらの協力がいるんじゃよ」
そう言って、フラックはある方向を指差した。
忍にとって、親友ともいえる三匹を。
「ど、どういうことだよ……」
「つまりな、こいつら三匹を生け贄にすれば、お前の魂を容れられる肉体が出来上がる。お前は、獣を超えた生物……超獣になるんじゃよ」
「そ、そんなこと出来るかよ!」
思わず怒鳴る忍。あの三匹は、忍の心を癒してくれた親友だ。辛い時も、悲しい時も、三匹はいつもそばにいてくれた。無償の愛を、忍に捧げてくれたのだ。
そんな親友たちを生け贄にするくらいなら、死んだ方がマシだ――
「だがな、こいつらはそれを望んでいるんじゃ」
フラックの言葉に、忍はハッとなった。
「う、嘘だろ……」
「いいや、本当だよ」
答えたのはフラックではなく、猫のロデムだった。忍は口を開けたまま、ロデムを見つめる。
「俺とロデムは、保健所で殺処分になる運命なんだ。だったら俺たちの命、役立ててくれ」
今度はロプロスが、はっきりした口調で言った。
「俺は池で暮らしてるけどな、もう長く生きられない。だったら、残された命を役立ててくれ」
そう言って、ポセイドンはひらひらと忍の回りを泳ぐ。水槽の中にいた時と同じように、いかにも楽しそうに。
「そ、そんな……」
忍の目に、涙が浮かぶ。自分たちが死んだことにより、動物たちの命まで奪うことになろうとは。
運命は、どこまで残酷なのだろうか。
その時、ロデムが近づいて来た。喉をゴロゴロ鳴らし、いとおしそうに忍に頬擦りしながら語り出した。
「俺、来留間の家にもらわれて凄く幸せだったよ。お前たちの家族になれて、本当に楽しかった。幸せな思い出も、いっぱいもらったしな……こんな思い出をくれたお前に、恩返しをしたいんだ」
さらにロプロスも飛んで来て、忍の肩に止まる。
「俺たちも、源三さんと静江さんには凄く世話になった。だから、あの二人を殺した奴らは許せないんだ。忍、仇を討ってくれ。これは、俺たち三人の願いでもあるんだ」
最後にポセイドンが、忍の顔の周りを舞うように泳ぐ。
「俺たちは死ぬわけじゃない。お前の中で生き続けるんだ。お前の血となり肉となってな。俺たちは、ずっと一緒だ」
「わかった……お前たち、俺に力を貸してくれ。俺と同化し、奴らに復讐するんだ」
涙に濡れた目で、忍は三匹の顔を順番に見つめる……。
ややあって、忍はフラックの方を向いた。
「俺を復活させてくれ。母さんと父さんの仇を討たせてくれ」
「それはいいが、一つ条件がある。お前はこれから、わしと同じ悪魔族になるんじゃ。つまり、いずれは地獄逝きじゃよ……それでもいいのか?」
「上等だよ。地獄に落ちてでも、奴らに復讐できれば本望だ」
そう言うと、忍は笑みを浮かべる。だが、その目には狂気の光が宿っている……。
「奴らを殺せるなら、後のことなんか知らねえ。やってやるよ」




