大門大介・逆襲のシドウ 1
「焼肉弁当、おいしいニャ!」
「そうか! それは良かった!」
大門大介と猫耳小僧は、今日も神社のベンチに腰掛け、仲良く弁当を食べていた。
だが、猫耳小僧の箸が止まる。何を思ったか、大介の弁当をじっと見つめた。
「イカフライ弁当、おいしいかニャ?」
「ああ、うまいぞ。イカフライ、一切れ食べてみるか?」
「ニャニャ! い、いいのかニャ!?」
「ああ、構わない。お前は小さいからな。いっぱい食べて、大きくて強い妖怪になれよ」
言いながら、大介は猫耳小僧のご飯の上にイカフライを載せる。
猫耳小僧は、イカフライを口に入れた。直後、満面の笑みを浮かべる。
「イカフライも、おいしいニャ!」
「そうか!」
楽しそうに笑う大介。だが、その表情が一変する。
「なんだ……この気は?」
大介は立ち上がり、すぐさま辺りを見回す。いつの間にか、霧のようなものが発生していた。濃い霧は一瞬にして二人を覆い、周囲を異界へと変貌させていく……。
猫耳小僧も異変に気づいたらしく、不安そうな表情を浮かべた。
「大介、なんか変だニャ……」
「猫耳小僧、気を付けろ。俺のそばを離れるな」
大介がそう言った時、霧の中からのっそりと一人の男が現れる――
「誰だお前は!?」
叫ぶと同時に、身構える大介。だが、その表情が驚きで歪む。
そこには、大柄な男がいた。身長は百八十センチ以上、体重も百キロを超えているだろう。黒髪と黒い肌、さらに整えられた口ヒゲ。筋肉質の肉体と洒落た雰囲気とを併せ持つ不思議な男だ。上半身は裸で、下半身にはトランクスを履いている。
そんな男が、ゆっくりと両拳を上げて構える。
「あんた、アポロ・クライドか?」
呆然となりながら、大介は呟いていた。だが、それも当然だろう。目の前にいる黒人は、かつてテレビや雑誌で見たボクシングの世界ヘビー級チャンピオン、アポロ・クライドだったからだ。
もう十年以上前に亡くなったはずの伝説のチャンピオンが、大介の目の前に立っていた……。
アポロ・クライド……かつて、ボクシング世界ヘビー級のチャンピオンとして一時代を築いた。そのビッグマウスと派手なパフォーマンスは、アメリカのみならず世界の注目を集めていたのだ。
しかし、ロシア人ボクサーのイワン・ハシミコフとの試合中、イワンのパンチでダウンした際に場外に落ち、頭を床に打ち付けて亡くなってしまったのだ。
そのアポロが、大介の前でファイティングポーズで立っている。
「アポロ……なのか?」
もう一度、大介は尋ねてみた。だが、返ってきたのはアポロの拳だった――
アポロの左ジャブを、大介はかろうじて躱した。鋭く速い左ジャブ、しかも重い。並みの人間なら、この左ジャブ一発で倒せるだろう。
だが、大介とて並みの高校生ではない。
アポロの左ジャブを、間一髪で躱す大介。と同時に、後ろに飛び退き間合いを離す。
両者は、数メートルの距離を空けて睨み合った。体格的には、ほぼ互角だが……リーチ、スピード共にアポロが上回っている。真正面から打ち合えば、一撃必倒の拳がダース単位で大介の顔面を襲うだろう。
だが、大介とて伊達に修羅場をくぐって来たわけではない。瞬時に間合いを詰め、左の内股ローを当てていく――
大介の左内股ローキック……これは敢えて体重を乗せず、膝のスナップのみを用いた軽い蹴りだ。体重を載せない分、威力は無い。だがノーモーションで放てる上、リーチも長い。さらには、相手を牽制し苛つかせる効果もある。いわば、ジャブの役割を果たす左ローキックなのだ。
狙い通り、アポロの表情が変わった。まだ若い少年に足をペチペチ蹴られ、彼のプライドが刺激されたのだろう。
アポロは怒りを露にし、ジャブを突きながら強引に前進して来た。さらに、一撃必殺の右ストレートを放つ。
だが、それこそ大介の望む展開である。彼は体を回転させ右ストレートを躱しつつ、渾身の力を込めた中段後ろ回し蹴りを叩き込む――
大介の全体重を乗せた足先は鋭く伸び、アポロのミゾオチに炸裂した。その威力は凄まじく、アポロは腹を押さえ崩れ落ちる。さすがのヘビー級チャンピオンも、カウンターで命中した中段後ろ回し蹴りの衝撃には耐えられなかったのだ。
倒れたアポロを、複雑な表情で見下ろす大介。だが次の瞬間、驚くべきことが起きる。アポロの体が、いきなり消え去ったのだ。同時に、霧も晴れていく――
「なんだと……」
呆然となる大介。その時、どこからか声が聞こえてきた。
「大介、大したものだな。力、技ともに極限に近いレベルまで鍛え抜かれている。今のお前を倒せる者など、そうはいないだろう」
声と共に森の中から現れたのは、赤いダウンジャケットを着た美しい青年であった。作り物のように端正な顔立ちで、白い肌は滑らかだ。テレビで見かける某事務所のアイドルなど、比較にならない美しさである……。
そして大介は、この男を知っていた。
「あんたは……天草獅童か?」
天草獅童とは、かつて幼い大介の遊び相手を務めてくれていた男である。大介より五歳ほど上だった獅童は、大介にとって特別な存在であった。
大介の父・勇太郎は当時、特命捜査官としてあちこちを飛び回っており……父のいない寂しさを埋めてくれていたのが獅童である。大介にとって、兄であり師匠ともいえる男であった。文武両道に秀でており人格的にも優れていた獅童は、大介に様々なことを教えてくれたのだ。
そんな獅童と、約五年ぶりに再会した大介……だが、彼の胸には懐かしさは無かった。むしろ、変わり果てた獅童の姿に不安を感じていた。
「大介、お前に話がある。ちょっと来てくれないかな?」
美しい顔に笑みを浮かべ、獅童は言った。すると、猫耳小僧が大介のそばに近づく。
「大介、大丈夫かニャ?」
心配そうに尋ねる猫耳小僧に、大介は笑顔を作りながら頷く。
「大丈夫だ。お前は先に帰ってろ。俺の分の弁当も食べておいてくれ」
そう言った後、大介は獅童の方を向く。
「行こうか」
二人は、森の中を歩いていく。周囲にひとけはなく、野鳥の鳴く声や風の音が聞こえる。
「あの妖怪は、お前の友だちなのか?」
歩きながら聞いてきた獅童に、大介は頷く。
「ああ、猫耳小僧は俺の親友だ」
「そうか。妖怪と友だちになれるとは、お前は相変わらずだな……そんなお前だからこそ、是非とも協力して欲しい」
そう言うと、獅童は立ち止まった。澄んだ瞳で、大介を見つめる。
「大介、この森をどう思う?」
「どう思う、って言われても……」
戸惑う大介に、獅童は真剣な表情で語り出す。
「かつて、この森には狼が棲んでいた。だが、人間のエゴにより絶滅させられたのだ。しかも最近では、外来種の生き物があちこちで目撃されている。今後、日本古来の生き物たちは次々と駆逐されていくだろう」
「確かに、そうなるかもしれないな」
「それだけではないぞ。古来より、日本では人間と妖怪とは共存していた。しかし今では、妖怪の棲める地はどんどん少なくなってきているのだ。このままでは、妖怪は絶滅するだろう。お前は、この事実をどう思う?」
「ひどい話だな。だから、人間は反省しなくてはならない――」
「反省などという生易しい言葉では、もはや通用しないのだ」
獅童の口調は静かだったが、その裏には激しい感情が渦巻いている。それに気付き、大介は思わず顔をしかめた。
そんな大介の態度など、お構い無しに獅童は語り続ける。
「大介、私は秘術・冥界転生に成功したのだ」
「めいかいてんせい?」
思わず聞き返す大介に、獅童は冷酷な笑みを浮かべて頷く。
「そう……過去の時代に無念の死を遂げた格闘家や武術家、さらには異界の英雄たちを今の時代に転生させる秘術だ。それを、私は甦らせたのだよ」
「じゃあ、さっきのアポロ・クライドは……」
「そう、アポロ・クライドは私が転生させたのだ。他にも、数名を既に転生させている」
恐ろしい内容を、淡々とした口調で語る獅童。大介は、背中に冷たいものが走るのを覚えた。
「何のために、そんなことを……」
「冥界より亡者たちを復活させ、人類に思い知らせるためだ」
「何をだ! 何を思い知らせるというんだ!」
「人類は自分たちのことばかり考え、自然を破壊し生き物たちを絶滅させている。今こそ、意識の変革が必要なのだ」
怒りを露に詰め寄る大介に、獅童は冷静な態度で言葉を返す。その顔には、はっきりとした信念があった……。
「いいか大介、今こそ人類は己の罪を償い、意識を変えなくてはならない。そのため、私は大勢の亡者たちを召喚する。亡者たちは、人間を無差別に襲うだろう……結果、日本の人口は半分以下になるはずだ。そうなった時、人類は初めて自分たちの犯した罪に気づくだろう」
「ふざけるな! 人が人に罰を与えるなど、許されるはずがないだろ!」
叫ぶ大介。だが、獅童は怯まない。
「私、天草獅童が粛正しようと言うのだよ大介!」
「エゴだよ、それは!」
憤怒の形相で、大介は獅童に詰め寄る。だが、獅童は舞うような華麗なる動きでそれを躱し、一瞬にして間合いを空ける。
「お前なら、私の考えを理解してくれると思ったのだがな……実に残念だよ。地球は今、人間のエゴによって潰されようとしているのだぞ。なぜ、それが分からない?」
「ふざけるな! 人間は……人間の知恵は、そんなものだって乗り越えられるはずだ!」
熱い口調で言葉を返す大介に、獅童は目を細めた。
「ならば、今すぐ愚民どもに叡知を授けてみろ」
「あんたを叩きのめしてから、そうさせてもらう!」
叫ぶと同時に、獅童に殴りかかる大介。だが、獅童は華麗な動きで大介のパンチを躱した。さらに、手を一振りする。
その瞬間、大量の霧が獅童を包んでいった――
驚愕の表情で霧を見つめる大介の耳に、獅童の声が聞こえてくる。
「大介……私は、地球を腐敗させるものが何なのかを知った。今や、人間は地球にとっての病原体でしかない。遅かれ早かれ、人間が地球という星の生命を奪うことになるのだ。私は冥界より、無念の死を遂げた亡者たちを召喚し、人類を粛正する。もし、貴様にその気があるなら……私を止めてみろ」
「そんなことさせるか! 俺が絶対に止めてやる!」
「お前に、それが出来るかな……一つ教えてやろう。この地は、凄まじい霊力に満ちている。私はこの地に、巨大なる扉を作る。その扉が開かれれば、冥界より数千人の亡者たちを一瞬にして召喚できるのだよ。そうなっては、もはや軍隊でも止められん……その暁には、ララァも復活するだろう」
「くそ! そんなことさせるか! 獅童、出て来て勝負しろ!」
吠える大介の耳に、嘲笑うかのような声が聞こえる……やがて声は消え、森は静けさに包まれた。
残された大介は、思わず呟く。
「ララァって、誰?」
翌日、大介は神社にいた。傍らでは、猫耳小僧がしゃがみこんで野良猫たちと話をしている。野良猫がにゃあにゃあ鳴き、猫耳小僧は真剣に聞いていた。
やがて、猫耳小僧が顔を上げる。
「大介、天草獅童は阿久静屋という古い旅館にいるそうだニャ」
「旅館にいるのか?」
「うん。でも、阿久静屋はもう潰れてるニャ。天草は、その跡地に入りこんでるようだニャ」
「そうか! じゃあ、その旅館に案内してくれ!」
そう言うと、大介は勢いよく立ち上がる。
「待っていろ獅童! お前の野望は俺が止める!」




