大門大介は番長なのだ!
大門大介は、その日もママチャリを漕いでいた。今や親友となった妖怪・猫耳小僧に会うためである。
緑に囲まれた田舎の道路に、ママチャリの音が響き渡る。自転車のカゴには、唐揚げ弁当が入っていた。もちろん、猫耳小僧へのお土産である。
「猫耳小僧の奴、喜んでくれるかな……」
ニコニコしながら、大介はママチャリを漕ぐ。
その時、森の中から悲鳴が聞こえてきた。
「きゃあああ!」
「うわあああ! 化け物だあ!」
左手の方向から聞こえる男女の悲鳴……大介は自転車を止め、すぐに森の中へと入って行った。
すると、そこには戦慄の光景が待っていたのだ――
地面に倒れ気絶している、若い男女。
それを見下ろしているのは、真っ白い毛に覆われた巨大なイタチであった。大きさは、二メートルほどだろうか。辺りは闇に包まれているはずなのに、イタチの周りだけは白く輝いている。
ただし、その瞳は紅く光っていた。
やがて白イタチは、真紅の瞳をこちらに向ける。大介の背筋に、冷たいものが走った……目の前にいるのは、とてつもなく恐ろしい奴だ。
「お前は何者だ!? この二人に何をした!?」
強い口調で問う大介に、白イタチはカラカラと笑った。
「人に名前を聞く時は、まず自分が名乗るのが礼儀じゃないかえ、坊や?」
「お、俺の名は大門大介……番長だ!」
「番長? オホホホホ、ずいぶん古くさいものが出てきたねえ」
言いながら、白イタチは体をくねらせる。その仕草は妙に女っぽく、大介は思わず後ずさりする。
「アタシの名は、オオカマイタチのドロイよ。で、番長の坊や……アタシに、何の用かしら?」
「なぜだ! なぜ、こんなことをした!」
言いながら、大介は倒れている二人を指差す。だが、ドロイは怯まない。
「ああ、そこのバカップルね。イチャイチャしながら森を汚してたから、ちょいと脅かしてやっただけよ。後は裸にひんむいて、道路に放り出してやるわ」
「何だと! そんなことはさせんぞ!」
大介は両拳を上げ、構える。すると、ドロイはおかしそうに笑った。
「ホーッホッホッホッホ、お前ごときが、アタシに勝てるとでも思ってるのかい。まあ、いいわ。さあ坊や、好きなようにかかってらっしゃい」
「くっ……ふざけるな! 行くぞ!」
吠えると同時に、大介は突進した。と同時に、鋭い正拳を放つ――
だが、ドロイは体をくねらせて避ける。人間には真似の出来ない動きだ。
「な、何だと!」
大介は、さらなる攻撃を仕掛ける。右の正拳を打ち、続いて右の上段回し蹴りを叩き込んだ。
しかし、ドロイには当たらない。まるで柳のように体をしならせ、大介の攻撃をことごとく躱す。こんなディフェンスの仕方は、そもそも人間には不可能だろうが。
「クソ! なぜ当たらないんだ!」
大介は荒い息を吐きながら毒づいた。こんな敵と闘ったのは、生まれて初めてだ。
一方、ドロイは平然としている。
「おやおや、もうへたばったのかい。若いのに早いねえ。いや、若いから早いのかしら」
言うと同時に、ドロイの目が紅く光る。
直後、前足の一撃が大介を襲う――
「ぐわあぁぁ!」
両前足での続けざまの強烈な連撃を浴び、大介は吹っ飛ばされた。
しかし、すぐに起き上がる。
「ほう……若いだけあって立ちがいいねえ、坊や。素敵よ」
からかうような口調のドロイに、大介はギリリと奥歯を噛みしめた。
「くっ、ざけんなあ! お前には、死んでも負けんぞ!」
気合いと共に、大介は横蹴りを放つ。だが、ドロイはまたしても体をくねらせた。細長い胴体は、まるで柳の枝のようにしなり、大介の蹴りを逸らす。
直後、ドロイのバックハンドブロー(回転しての裏拳)がカウンターで炸裂した――
大介の意識は吹き飛び、仰向けに倒れた。
その時、乱入してきた者がいた。
「フシャー! そこまでだニャ!」
叫びながら、身構えた者は……猫耳小僧である。猫耳小僧は小さな体で、大介を守るように立っていた。
しかし、ドロイは平然としている。
「おや、誰かと思えば猫耳小僧じゃないか。お前、人間の味方をする気かい?」
鼻で笑うドロイに、猫耳小僧は怒りを露にした。
「大介は、俺の友だちだニャ! これ以上、傷つけるのは許さないニャ!」
「許さないだって? お前みたいな落ちこぼれ妖怪が、アタシと闘おうっていうのかい?」
言いながら、ドロイはギロリと睨みつける。その迫力に気圧され、猫耳小僧はたじろいだ。
「ニャ……」
目を逸らし、悔しそうに唇を噛みしめる猫耳小僧。その姿を見て、ドロイは鼻で笑った。
「妖怪の中では、落ちこぼれで誰からも相手にされない……そんな甘ったれのくせに、アタシと闘おうだなんて百年早いんだよ。お前は、本当にどうしようもないねえ――」
「黙れ!」
叫んだのは、猫耳小僧ではなく大介である。さっきまで意識を失っていたはずなのに、凄まじい形相で立ち上がったのだ。
すると、ドロイは感心したように口笛を吹く。
「おやおや、まだ立ち上がってくるの……若いだけあって立派ねえ」
からかうような口調のドロイに、大介はよろよろしながら近づいていく。
「取り消せ……猫耳小僧は落ちこぼれじゃねえ! 取り消せ!」
喚きながら、ドロイに迫っていく大介。しかし、ドロイは意に介さず前足を振るった。
その一撃で大介はぶっ飛び、仰向けに倒れる。
だが、それでも立ち上がった。
「ふざけるな……猫耳小僧は、落ちこぼれなんかじゃねえ!」
叫び、なおもドロイに迫っていく大介。
その時、ドロイは不気味な笑みを浮かべた。真紅の瞳を大介に向け、恐れる様子もなく立っている。
「ほう、そんなに大事なのかい。ならば……」
言うと同時に、ドロイの尻尾が伸びた。猫耳小僧の体に巻きつき、自由を奪う――
「ニャニャ! 何するニャ!」
猫耳小僧は必死でもがくが、ドロイの尻尾は外れない。それを見た大介は、渾身の力を振り絞り向かって行く。
「貴様あ! 猫耳小僧を離せえ!」
叫ぶと同時に、大介は正拳を放つ。しかしドロイは、いとも簡単に彼の正拳を弾き飛ばした。
直後、ドロイ式ボディーアッパーが打ち込まれる――
そのボディーアッパーは、ヘビー級のプロボクサーのパンチを遥かに凌駕する威力があった。抵抗しようのない苦痛を前に、大介は腹を押さえ崩れ落ちる。
もがき苦しむ大介の耳に、ドロイの嘲るような声が聞こえてきた。
「いいかい、この猫耳小僧はしばらく預かるよ。助けたかったら……アタシに勝つんだね。ただし、今度はアタシも容赦しない。お前を殺すつもりで行くから」
そこで言葉を止め、ドロイはくすりと笑う。
「そうだねえ、怪我を治すのに一週間の猶予をやるよ。一週間後の晩、この先にある松の木の下に来な。そこで、もう一度アタシと勝負するんだ。勝ったら、猫耳小僧を返してやろう。ただし、次に負けたらアンタは死ぬよ。それと……もし来なかったら、猫耳小僧の貞操は保証しないからね」
「クソ、待ちやがれ……猫耳小僧を離せ……」
呻きながら、大介は起き上がろうとする。だが、体が動かない。視界も徐々に霞んでいく。
そんな大介の耳に、猫耳小僧の声が聞こえてきた。
「大介、俺なら大丈夫だニャ! だから、来たらいけないニャ! 殺されるニャ!」
その声に、大介は必死で起き上がろうとする。
だが、体は言うことを聞いてくれない。
やがて、意識が遠のいていった――
どのくらいの時間が経過しただろう。
大介が目を開けると、口元をマスクで覆った女がいる。長い黒髪、宝石のように輝く瞳、そしてボンキュッボンのセクシーボディを包む可愛らしいパジャマ姿……大介は顔を赤らめ、慌てて下を向いた。
「あ、あんたは……」
「忘れたのかい、口裂け女だよ」
そう言うと、女はマスクを外す。耳元まで裂けた口が露になった。
「あっ、クチサケさん!」
慌てて起き上がる大介。だが、全身に激痛が走る。うめき声を上げながら、再び仰向けに倒れた。
すると、口裂け女はため息を吐く。
「何やってんだい……今、あんたの親父さんが来るからさ。親父さんに送ってもらうんだね」
「えっ、親父が来るんですか?」
状況がまだよく呑み込めないまま、半ば本能的に周囲を見回す大介。どこかの一軒家だろうか。木の床の上に布団が敷かれていた。丸い木のちゃぶ台が置かれており、壁には棚が設置してある。
ここは、口裂け女の家なのだろうか……大介が思ったその時、タイミングを計ったかのように凄まじい闘気が流れ込んで来る。
さらに、獣の咆哮のごとき雄叫びも――
「俺が特命捜査官・大門勇太郎である!」
「うわっ! 何だい、今の声は!」
すっとんきょうな声を上げる口裂け女。だが、大介は忌々しそうな顔で舌打ちした。
「親父が来たんですよ」
その言葉の直後、扉が開く。
直後、大柄な男が入って来た。肩まで伸びた黒髪は、野獣のごとき面構えに似合っている。筋肉隆々とした体格と、昔の武術家のような鋭い眼光は人間離れした迫力だ。黒いTシャツとズボンというラフな服装のまま、悠然と入って来た。
この男こそ、大介の父・大門勇太郎である。かつては特命捜査官として、アクノミヤ博士率いる犯罪組織チクマ団を、たった一人で叩き潰したのだ。
以来、大門勇太郎は静弦一郎や早川健人と並び、「特命三大チート捜査官」と呼ばれている。この三人が揃えば、小さな国をも潰せると言われていたのだ。
そんな勇太郎は、じろりと大介を睨む。次いで口裂け女を一瞥した後、再び大介を睨む。
ややあって、口を開く。
「大介……お前も、色を知る歳か」
「は、はあ!?」
すっとんきょうな声を出す口裂け女。だが、勇太郎は彼女を無視し大介に近づく。
「よくやったぞ大介! さすが、我が息子だ! 伝説の妖怪・口裂け女を口説き落とすとは――」
「ちいがあぁぁう!」
勇太郎の言葉を遮り、大声で否定したのは口裂け女である。さらに彼女は、きっと勇太郎を睨み付けた。
「ちょっと、勘違いするんじゃないよ! あたしは、大介の彼女でも何でもないんだからね!」
すると、その一言にガックリうなだれる大介……だが彼は、すぐさま顔を上げた。
「じゃあクチサケさん、俺のことどう思ってるんですか!?」
「ど、どうって言われても……」
頬を赤らめ、うつむく口裂け女。すると大介は、そのプエルトリカンのごとき濃い顔を近づけていく。
「クチサケさん! 俺はあなたが好きです! 次のクリスマスイブは、あなたと二人で過ごしたい――」
「バ、バカ言うんじゃないよ! 段階ってものがあるだろうが!」
口裂け女の平手打ちが炸裂し、大介はぶっ飛んだ……その一撃で、彼は我に返る。
「ハッ! こんなことをしてる場合じゃねえ!」
そう言うと、大介は立ち上がる。全身に痛みが走ったが、そんなことに構ってはいられない。
「親父、すまないが送ってくれ……一週間後に備え、怪我を治さなくては!」
大介の言葉に、口裂け女は慌てて止めに入る。
「ちょっと待ちなよ! あんた、あのドロイと闘う気かい?」
「ああ。奴に勝ち、猫耳小僧を解放してやる」
そう言う大介の目は、決意の光に満ちていた。
一週間後――
「ホーホッホッホ、大介の奴、現れるのかねえ」
言いながら、ドロイはちらりと猫耳小僧を見る。
猫耳小僧は縛られ、地面に転がされていた。その顔には、諦めの表情が浮かんでいる。
「さてと……大介が来なかったら、お前はアタシのものさね――」
「待て!」
不意に響き渡る声。ドロイは、にやりと笑った。
「ほう、やっぱり来たかい……さすがね」
大介は、険しい表情で歩いて来る。タンクトップ姿の上半身は分厚い筋肉に覆われているが、同時に傷だらけでもある。彼がこれまで潜って来た修羅場を物語っていた。
その後ろからは口裂け女、さらに父親の大門勇太郎が付いてきている。
ドロイの目が、スッと細くなった。
「なんだいアンタ、勝ち目ないからって助っ人を呼んだのかい?」
「違う。この二人は、単なる立会人だ」
そう言うと、大介は目をつぶる。
「友への想いを拳に刻み、心の闇を光に変える……天上天下! 一騎闘神! 俺が大門大介だ!」
叫ぶと同時に、大介は身構える。
「人間の力……見せてやるぜ!」
「おやおや、また中二くさいセリフが飛び出したもんだ。じゃあ見せてもらおうかね、その人間の力って奴を」
せせら笑うようなドロイの言葉。だが、大介はそれを無視し猫耳小僧の方を向いた。
「おい猫耳小僧、お前は前に言ってたな……正拳突きなんかやって強くなれるとは思えない、と。今から、その答えを見せてやる。基本の正拳中段突きでも、磨き抜けば必殺技になるんだ!」
そう言うと、大介はドロイに向き直る。
その直後、乾いた音が響き渡った――
空気が破裂したかのような音、そして大介の拳……ドロイには、何が起きたのか把握できていなかったのだ。
「なんだ今のは?」
驚愕の表情のドロイに、大介は落ち着いた様子で語り始めた。
「ドロイ、俺はあんたに感謝している。あんたという強者に出会わなかったら、俺は自身の未熟さに気付けなかった。また、未完の秘技を完成させることも出来なかった」
「何を……」
言いかけたドロイ。だが、またしても破裂音が響く――
大介の拳が、前に突き出されている。確かに彼は、正拳突きを放ったはずだった。
しかし、その動きが全く見えなかったのだ。
「この技は、世界最強の漢に捧げる予定だった……」
大介は、そこで振り返り勇太郎を睨み付ける。
「すなわち、あんたに叩き込むつもりで磨いてきたんだよ! 親父!」
言われた勇太郎は、不敵な笑みを浮かべて頷く。
その表情を見た後、大介は再びドロイの方を向く。
「しかし、なかなか完成させることが出来なかった……ところが、あんたのおかげで完成できたのさ。あんたのディフェンス技術は、人間を遥かに凌駕している。そんなあんたに攻撃を当てるには、音速を超えるしかないからな!」
言うと同時に、大介は再び突きを放つ。
破裂したかのような音が響き渡った……。
「いい音だろう。これは、物質が音速の壁を超えた瞬間の音さ。俺の突きは今、音速を超えたんだ!」
そう……足の親指から足首、足首から膝、膝から股関節、股関節から腰、腰から肩、肩から肘、肘から手首……同時八ヶ所の関節の加速と、体内で練り上げた大地の気の融合が、音速の壁を破る突きを生み出すのだ。
そして、大介は低い姿勢で構える。
「今の俺の最高傑作だ。ドロイ、あんたに捧げたい」
「フッ、そうかい。アタシが初めての相手ってわけかい。光栄だねえ……でも、そんなもんじゃアタシは倒せやしないよ!」
叫ぶと同時に、ドロイは一気に間合いを詰める。
その白い前足が、鉈のように降り下ろされた。
しかし、大介はその場で構えたままだ。
直後、声を発した。
「真空・ハリケーン突きいぃぃ!」
鋭い気合いと共に、マシンガンのごとき連続的な破裂音……次いで、肉を打ち抜く鈍い音が響き渡る。
一瞬遅れて、ドロイの白い毛が大量に宙を舞った――
「なんだい今のは……」
呆然とした表情で、口裂け女が呟く。彼女の目には、前足を降り下ろしかけたドロイが、僅かな間ではあるが小刻みに痙攣したように見えたのだ。
「突き、だ」
重々しい口調で、勇太郎が言った。口裂け女は、その言葉に反応する。
「突きだって? 何も見えなかった――」
「音速を超えた速度の突きが、ダース単位でドロイの胸に命中したのだ。その威力は、北極熊ですら葬れるだろう」
勇太郎のその言葉を裏付けるかのように、ドロイの巨体が大きくぐらついた。
だが、すぐに体勢を整える。もっとも、その表情は歪んでおりダメージを隠せていないが。
「さすがね、坊や。今のは凄く感じたわ……でもね、アタシはまだイってないのよ!」
吠えると同時に、ドロイは全体重をかけた一撃を放つ。しかし、大介の突きの方が遥かに速い。
またしても、音速を超えた拳が炸裂する――
ドロイは、悲鳴にも似た声を上げる。それと共に、口から大量の血を吐き出した。誰の目にも、ダメージは明らかである。事実、これだけの数の突きを受ければ、恐竜ですら立っていられないはずなのだ。
しかし、ドロイは倒れない。白い体を血に染めながら、紅い瞳で大介を睨み付けている。その瞳からは、闘志が消えていない。
すると、大介の顔に戸惑うような表情が浮かぶ。
「何が……何があんたを支える? 意地か? 面子か? あんたは、俺を一度は敗北させているんだ。ここで負けても、一勝一敗の五分だろうが」
尋ねる大介を見て、勇太郎がチッと舌打ちした。
「大介め……相変わらず甘い奴だ」
大介は、なおも語り続ける。
「その信仰心にも似た妖力に支えられた肉体も、あと一撃で確実に滅する。あんただって、分かっているはずだ……負けを認めろドロイ! でないと死ぬぞ!」
その言葉に、ドロイの表情が変わる。
「アンタに猫耳小僧が大切なように、アタシにも大切なものがある。アタシは森を守らなきゃならないんだ……森を汚す奴らは許せないんだよ」
そう言うと、ドロイはにやりと笑い手招きした。
「来なよ……その最後の一撃とやらでアタシを滅せられるかどうか、試してごらん」
直後、ドロイは両手を高く挙げる。その姿は、大切な何かを必死で守ろうとしているかのようだ……。
「さあ、いらっしゃい……思いっきり突いて、アタシをイかせてみな」
その言葉に、大介の顔が歪む。目をつぶり、悲痛な表情で叫んだ。
「ドゥォロォイィィィ!」
叫ぶと同時に、大介は渾身の突きを放つ――
彼の拳は、白い巨獣の体を捉えた。
にもかかわらず、ドロイは立ったままだ。両手を大きく上げ、もっと打ってこいと言わんばかりの姿勢は崩れていない。
しかし、その瞳の光は消えていた。
「どうなってんの……」
呟くように言った口裂け女に、勇太郎が答える。
「あれが、大釜立ちだ」
「おかまだち?」
「ああ……本物を見るのは初めてだが、ここまでとはな。見事だ」
勇太郎のその言葉には、心からの感服の思いが込められている。
「なんだいそりゃあ?」
尋ねる口裂け女に、勇太郎は苦笑した。
「そうか、お前は昭和の妖怪だったな。知らないとしても不思議はない」
・・・
時は戦国。地方を治める大名である花形藤兵衛の一人息子である守之助は幼き時、猟師の罠にかかったイタチを見つけた。
まるで雪で染めたかのように、真っ白な美しい毛並みの白イタチ。だが罠にガッチリ足を捕られ、衰弱しきっていた。守之助は、あまりに見事な毛並みに心を打たれ、罠から解放し傷の治療をした。さらに家に連れ帰ると、食べ物と水を与えて介抱したのである。
やがて体調の回復した白イタチは、元気に山へと帰って行った。
途中、名残惜しそうに何度も振り返りながら……。
それから一年後。
花形家にて謀反が起き、幼い守之助は外にいるところを、百人近い男たちに襲われた。謀反の首謀者は、まず守之助の首を獲り味方の士気を上げようと考えたのである。
二人の従者は斬り殺され、守之助の命は風前の灯火であった。
その時だった。森の中から、白い巨獣が姿を現したのだ――
それは、六尺を超すイタチであった。イタチは熊のように立ち上がり、一瞬にして数人を倒したのだ。さらに守之助を抱えると、近くにあった山小屋へと逃げ込む。
山小屋には、子供がすっぽり隠れられるくらいの巨大な釜が置かれていた。白イタチは大釜を持ち上げ、守之助に被せる。
だが、釜の脇には穴が空いていた。これでは、中に入っている守之助が丸見えだ。
すると、白イタチは後ろ足で立ち上がった。穴の前で仁王立ちになり、凄まじい雄叫びを上げる。
それは、近づいた者は殺す……という意思表示であった。
だが、敵も死に物狂いだ。白イタチに向かい、一斉に斬りかかっていく――
騒ぎに気付き、手勢を引き連れ駆けつけた藤兵衛。だが、そこには異様な光景があった。
全壊し、もはや山小屋としての体をなしていないガラクタの山。周囲には、おびただしい数の死体が転がっていた。さらに、その中心には巨大な何かが立っている。
その「何か」の足元では、守之助が泣きじゃくっている。涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、足のあたりにすがり付いているのだ。
藤兵衛は恐る恐る近づき、その正体を知る。巨大なイタチが、二本足で立ったまま息絶えていたのだ。全身に刀や槍さらには矢が刺さったまま、それでもなお戦う意思を捨てていない……。
さらに守之助から事情を聞いた藤兵衛は、無言のまま両膝を着いた。
白イタチに向かい、深々と頭を下げる。
守之助に巨大な釜を被せ、我が身を敵に晒し守り抜いた白イタチ。この名もなき妖怪は、漢の鏡として花形家に代々語り継がれることとなる。
生まれ育ちは違えども
心通いし友のため
その身を妖怪へと転じ
一生一度の恩返し
純白の身を血に染めて
一歩も退かぬ白イタチ
ついに命が尽き果てて
されど倒れぬ大釜立ち
命の炎は消えるとも
意地は潰えぬ大釜立ち
・・・
「以来、花形家では白いイタチを神として祀っているとのことだ」
語り終えた勇太郎。だが口裂け女の目は、大介へと向けられていた。その大介はというと、猫耳小僧を抱きしめている……。
「ニャニャ! は、離せニャ!」
「嫌だ! 俺はお前を離したくない!」
そんな二人を、羨ましそうに見つめる口裂け女。すると、勇太郎が彼女に手を伸ばす。
一瞬で、その体を抱き抱えてしまった――
「ちょっと! 何すんだい――」
「口裂け女よ! 女として自己を高めよ! 喰らい尽くせぬ女であれ!」
勇太郎は意味不明なことを叫んだかと思うと、次の瞬間には口裂け女を放り投げたのだ。
派手に飛ぶ口裂け女。だが、彼女をキャッチしたのは大介だ。大介は口裂け女を抱き止め、勇太郎を睨み付ける。
「親父! 何しやがんだ! クチサケさんに手を出すんじゃねえ!」
吠える大介に、勇太郎はニヤリと笑った。
「二人とも、幸せにな」
その言葉を残し、勇太郎は去って行った。
一方、唖然となりながら勇太郎の去り行く後ろ姿を見つめる三人。
「お前の親父、なんだか無茶苦茶だニャ……」
猫耳小僧が呟くと、大介は顔をしかめて頷いた。
翌日、大介と猫耳小僧は並んでベンチに腰かけ弁当を食べていた。傍らには、ゴミの詰まった袋が置かれている。二人は今まで、森のゴミ拾いをしていたのだ。ドロイの森を、少しでも綺麗にしてあげよう……という思いから始めたボランティア活動である。
「唐揚げ弁当、おいしいニャ!」
「そうか!」
仲良く笑い合う二人を、大木の陰にて地団駄を踏みながら見ているのは口裂け女だ。
「ちくしょう、二人で楽しそうにしやがって……大介の奴、何故あたしを誘わないんだ! 大介に、あたしの手作り弁当を食べて欲しかったのに! 女子力を見せるチャンスだったのに! くそう! くそう!」
さらに別の大木の陰では、巨大な白イタチが身悶えしていた。
「大介……もう一度、アタシにあの突きを打っておくれよ。突いて突いて突きまくって、アタシをイかせとくれ……」




