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短編集だよ!(ボツ作品もあり)  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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14/55

旅立つ日

 その奇妙な店は、ひっそりと経営していた。


 真幌市のとあるマンションの地下一階には、『奇怪堂』なる下手くそな字で書かれた看板を掲げた店があった。その入り口には、妙な石像が置かれている。背中から翼の生えたゴリラといった感じの、奇妙な怪物の石像である。

 石像の隣に設置されたガラスケースには、おかしな物が並べられている。ゴム製の怪物マスク、明らかに作り物の猿の手、木の杭と木槌などなど……端から見れば、怪しげなグッズの販売店にしか見えない。

 鉄製の扉を開けると、その中はさらに異様である。さほど広くない室内には、何に使うか分からない小道具がガラスケースに入れられ、所狭しと並べられている。『ルルイエ異本のコピー』『銀の義手』などなど。かと思うと、部屋の片隅には棺桶が立て掛けられている。

 そして店の奥には、常に笑みを絶やさない若者が座っていた。年齢は十代後半から二十代前半だろうか。肌は白く、整った顔立ちは浮世離れした雰囲気を醸し出している。細身の体にワイシャツにベストを着て蝶ネクタイを締めた格好は、怪しげな三流マジシャンのようである。

 そんな彼は、何が楽しいのか、嬉しくて仕方ない……とでも言いたげな様子で、ニコニコしながら椅子に座っていた。


「おい貴史、お前は何をやってるんだ」

 呆れたような口調で言いながら、奥の部屋から出て来た男がいる。こちらは青白い顔に、肩まで伸びた長い黒髪が特徴的だ。黒いトレーナーと黒い革のズボン姿で、年齢は二十代後半に見える。明らかに不快そうな表情で、若者を睨み付けた。

 すると、貴史タカシと呼ばれた若者は、ニコニコしながら振り向いた。

「へっ? 何が?」

「何がじゃねえよ。こんなもん、部屋のど真ん中に置きやがってよ……お前は何がしたいんだ?」

 そう言うと、男は握りしめた何かを貴史の前に突き出す。

 それは、銀製の十字架であった。二十センチほどの長さで、丁寧な装飾が施され、中心部には真っ赤な宝石が埋め込まれていた。一見すると、かなりの値打ち物に見える。

「えっ、海斗さん大丈夫なの? それ、ぜんぜん効いてない? 昔のヴァンパイア・ハンターが使っていた物らしいんだけどさ」

 無邪気な表情で、貴史は尋ねた。すると、男は憮然とした表情のまま、十字架の端と端を両手で掴む。

 次の瞬間、二つにへし折った――

 直後、貴史が悲鳴に似た声を上げる。

「うわあぁ! 何すんの海斗さん! それ高かったんだよ!」

「うるせえよ。だいたい、こんな下らねえ物に金を遣うんじゃねえ」

 吐き捨てるような口調で言いながら、十字架の残骸をを放り投げる海斗カイト

 その時、店の中に一人の少年が入って来た。年齢は十歳から十二歳くらいだろうか。今どき珍しい坊主頭にタンクトップ、そして半ズボンという姿である。

 少年は恐る恐る、といった様子で店の奥に進み、貴史の前で立ち止まった。

 すると、貴史は笑顔を向けた。

「おや、いらっしゃい」

 貴史の言葉に、少年はハッとした表情で彼を見上げる。

「あ、あのう……あんた、真島貴史マジマ タカシさん?」

 少年の問いに、貴史は微笑みながら頷いた。

「うん、そうだよ。君は、俺に用があって来たんだろ?」

「う、うん」

 おずおずとした様子で、頷く少年。すると、傍らにいた海斗が渋い表情をして見せた。

「貴史……お前は本当にお人好しだな。また、タダ働きする気かよ」

 その言葉に、ビクッと反応する少年。すると、貴史は慌てた様子で前に出てきた。

「あ、大丈夫だよ。この怖いお兄さんの言うことは気にしなくていいから。まず、君の名前は?」

「えっ、ええと……園田晴一ソノダ ハルイチ

 言いながらも、少年は不安そうな目で海斗を見ている。すると、貴史は少年の手を取った。

「じゃあ園田くん、外で話そうか。怖いお兄さんがいると、安心して話も出来ないよね」




「で、晴一くん……あ、下の名前で呼ばせてもらうからね。君は何がしたいんだい?」

 ニコニコしながら、尋ねる貴史。

 彼ら二人は今、公園に来ている。時間はまだ昼間であり、数人の主婦が井戸端会議をしていた。その横では、幼い子供たちが砂場やブランコなどの遊具で遊んでいる。

「えっ、ああ、あの、ええとさ……」

 晴一は、ためらうような仕草をしている。すると、貴史は笑いながら彼の肩を叩いた。

「はっはっは、何でも言ってみなよ。俺はこう見えても、けっこう頼りになるんだぜ!」

 そう言って、胸を張る貴史。

 すると、それまで井戸端会議に興じていた主婦たちが話を止めた。いかにも不審人物を見るような視線を貴史に向け、ひそひそと話している。

 それに気づいた晴一は、貴史の手を引いて歩き始める。

「えっ? ここじゃ駄目なのかい?」

 不思議そうな顔をする貴史。だが、晴一は彼の手を引き、どんどん歩いて行った。


 公園に設置されたベンチに、二人は並んで座った。周囲にはひとけは無く、目の前には大きな池がある。

 その池を見ながら、晴一はぽつりと口を開いた。

「あんた、噂には聞いてたけど、本当に変な人だね」

「へっ? 何が?」

 無邪気な表情の貴史を見て、晴一は思わず苦笑してしまった。

「あんた、本当に変わってるなあ」

「うん、よく言われるよ。それより、君は何がしたいんだい? 言ってみなよ」

「ええとね……」

 晴一は、ためらうような表情で下を向いた。

 だが、次の瞬間――


「バックドロップ、やってみたい」


「えええ! バックドロップって、あのバックドロップかい?」

「うん、バックドロップなんだけど……駄目かな?」

 はにかみながら、晴一は言う。

「い、いや……何でバックドロップなの!?」

 貴史は、大げさな身振り手振りを交えて叫んだ。すると、晴一は悲しそうな表情で下を向く。拒絶された、と思ったのだろうか。

 そんな晴一の顔を見て、貴史は思案していたが……ややあって、何かを決意したかのように、力強く頷いた。

「わかった! 俺でよければ、バックドロップかけてみなよ! ただし、あそこの草むらで、優しくかけてね……」


 その一分後、貴史は草むらの上で倒れていた。近くで遊んでいた子供たちが、遠くから不思議そうな目で彼を見ている。

「貴史さん、大丈夫?」

 心配そうに覗きこむ晴一。貴史は後頭部をさすりながら、どうにか立ち上がった。

「いてててて……あ、凄く痛いけど大丈夫だよ。次は何するの?」

 貴史は、無理やり笑顔を作りながら言葉を返す。

 その時、遠巻きにこちらを見ていた子供たちが、恐る恐る近づいて来た。貴史に興味を持ったらしい。

「ねえ、何やってんの?」

 一人の子供が、好奇心を露にした表情で聞いて来る……すると、晴一は複雑な表情を浮かべ、その場を離れた。

 顔をしかめながら、後を追う貴史。

「あいててて。君のバックドロップ、凄く効いたよ。ところで、次は何がしたいんだい?」

「もう、いいよ。これ以上、あんたに迷惑はかけられないし」

 そう言うと、晴一は沈んだ表情のまま立ち去ろうとした。しかし、貴史は腕を掴んで引き止める。

「俺のことは気にしなくていい。ここまで来た以上、最後まで協力させてよ……俺に出来ることなら、何でもするからさ」

 力強く語る貴史。すると、晴一は顔を上げた。

「じゃ、じゃあ……最後に一つだけ」

「なんだい?」

 ニコニコしながら、尋ねる貴史。だが晴一の言葉を聞いた瞬間、その表情は一変した。

「俺の……父ちゃんと母ちゃんに会いたい。会って、最期のお別れの挨拶をしたい」

「ごめん、それは無理なんだよ。いくら俺でも、それだけは出来ない」

 貴史はそう言うと、哀れみのこもった目で晴一を見つめる。


「君は、もう死んでいるんだ。普通の人では、君の姿を見ることも話をすることも出来ないんだからね」




 貴史の言葉を聞いた晴一は、下を向き黙りこんだ。表情が一気に暗くなる。

「そ、そうだよね。俺は、もう死んでるんだよね。誰とも、話せないんだよね……あんた以外の人とは」

 言いながら、うつむく晴一。貴史はやるせない表情を浮かべ、じっと彼を見つめた。


 貴史の元には、こういった者が訪れることがある。何らかの事情で命を失い、肉体と魂が切り離され、それでも冥界に旅立てずさ迷う者たちが彼を訪ねて来るのだ。

 そんな時、貴史は彼らに付き合うことにしている。貴史には、彼らの姿が見える。それだけでなく、彼らと会話し、彼らと触れ合うことも出来るのだ。

 貴史は生と死の狭間にいる彼らが、心おきなくこの世界を去ることが出来るように、様々な形での手助けしている。もっとも、そのことを知っている生者はごく僅かだが。


「晴一くん、俺に出来ることがあるなら、何でも言いなよ」

 貴史は優しく言葉をかけた。しかし、晴一は下を向いたままだ。貴史は、そんな彼をじっと見つめた。

 少しの間の後、貴史は口を開く。

「晴一くん、君のお父さんとお母さんに、手紙を書いてみないか?」

 貴史がそう言うと、晴一は顔を上げた。

「て、手紙?」

「そう、手紙だよ。君の言いたいことを、すべて手紙に書くんだ。俺が代筆して、お父さんとお母さんに渡すから」

「えっ、いいの?」

「ああ、構わないよ。とにかく、言いたいことは全部言ってしまうんだ。心残りがないように、ね。まずは、ペンと紙を持ってこようか」




 それから二時間後、二人は真幌市の外れにある安アパートの前に立っていた。建物は古く、築ウン十年という雰囲気を醸し出している。二階建てで、階段はトタン屋根に覆われていた。

「ここで間違いないんだね?」

 貴史の問いに、晴一は無言で頷いた。心なしか、その小さな体は震えているようにも見える。

「じゃあ、行くよ」

 そう言うと、貴史は一階の角部屋の前に立ち、ドアホンを鳴らした。

 ややあって、ドアが開いた。顔を出したのは、まだ若い男だ。いかにもケンカっ早そうな、いかつい顔つきをしている。よれよれのジャージ姿で、男はジロリと貴史を睨み付けた。

「あんた誰? 何か用?」

 いかにも面倒くさそうに、男は尋ねてきた。対する貴史は、ニコニコしながら口を開く。

「どうも。俺はこの近くで、奇怪堂という店をやっている真島貴史という者なのです。あなたは、園田博司さんですよね?」

 貴史の問いに、男は頷いた。

「ああ、俺が博司ヒロシだよ。何か用か?」

「今日はですね、信じられないかもしれませんが、あんたたちに手紙を持ってきたんですよ」

 人懐こい笑みを浮かべながら、そんなセリフを吐く貴史。すると、博司は訝しげな表情になった。

「手紙? いったい誰からだよ?」

「晴一くんです」

 貴史のその言葉を聞いた瞬間、博司の表情が一変した。先ほどまでの、やる気のなさそうな雰囲気が消え失せている。代わりに、瞳に凶暴な光が宿った。

「どういう意味だ? 晴一って、どの晴一だよ?」

「晴一くんは、晴一くんですよ。あなたの息子の――」

「晴一は死んだ」

 低い声で、そう言い放つ博司。凄まじい形相で、貴史を睨み付ける。

「あ、ああ。それは俺も知ってます。けど、晴一くんは俺の前に現れたんですよ。そして、俺に手紙を託してくれて――」

「帰れ」

「えっ?」

「帰れと言ってるんだよ! 聞こえねえのか!」

 博司は喚き、同時に拳を振るった。貴史は彼のパンチをまともに食らい、その場に倒れる。

「てめえ! ふざけるのもいい加減にしろ! 二度と来るんじゃねえぞ!」

 怒りも露に怒鳴りつける博司。そのまま家に入り、扉に閉めた。一方、貴史は頬をさすりながら立ち上がる。

「いてててて……お父さん、凄く怒ってるなあ。さて、どうしたもんか」

 そう言うと、貴史はその場で思案する。だが、その時に晴一が近づいて来た。口元を歪めながら、貴史の腕をつつく。

「貴史、もういいよ。ありがとう」

「えっ?」

 貴史は慌てて、晴一を見つめる。すると晴一は、寂しげな笑みを浮かべて見せた。

「もう、いいよ。これ以上、迷惑はかけられない」

「そんなこと、気にしなくていいって……ここまで来たら、最後まで面倒見させてよ」

 そう言った後、貴史はじっと考え込む。

 やがて、意を決した表情になった。もう一度ドアの前に立ち、ポケットから手紙を取り出す。晴一の書いたものだ。

 それを、大きな声で読み始めた。


「父ちゃん、母ちゃんへ。こんなことになっちまって本当にごめん――」


 だが、貴史は手紙を読み終えられなかった。

「ちょっと待て」

 不意に聞こえてきた低い声。貴史が顔を上げると、目の前に博司が立っている。その後ろから、さらに一人の女が姿を現した。晴一の母親の美佐ミサであろう。

「てめえ、誰から晴一のことを聞いたんだ? いや、んなことはどうでもいい。何が目的だ? お前の目的は何なんだよ? 今の俺たちは、逆さに振っても何も出ねえんだぞ……」

 博司の声には、感情が込もっていなかった。その顔からは、表情が消え失せている。

「何が目的、って言われても……晴一くんから、あなたたちに手紙を託されたんですよ――」

 次の瞬間、貴史はまた殴られた。博司のパンチをまともに顔面に喰らい、貴史は地面に倒れる。倒れたところに、博司は馬乗りになった。

「てめえぇ! こんなことして楽しいか! こんな悪ふざけが楽しいか!」

 喚きながら、博司は貴史の顔めがけてパンチを浴びせる。貴史は両腕で顔を覆うが、博司は構わず殴り続ける。その目からは、涙がこぼれていた。

 そう、博司は貴史を殴りながら泣いていたのだ――

「やめてよ父ちゃん! 貴史を殴らないで!」

 晴一は必死で叫び、止めようとする。だが、博司に触れることすら出来ない。父に向かい伸ばした手は、虚しく通り抜けていくだけだ。

 その時、美佐が動いた。後ろから、博司を羽交い締めにして引き離す。

 そして叫んだ。

「もう帰ってよ! でないと、あたしがあんたを殺すよ! この大嘘つき野郎が!」




「貴史、ごめんよ。でも、何で父ちゃんも母ちゃんも信じてくれないんだ……」

 倒れている貴史を助け起こしながら、晴一は呟くように言った。その目は虚ろで、体は震えている。

「仕方ないんだよ。博司さんと美佐さんは、まだ君を喪った悲しみが癒えてないんだ。なのに俺みたいな男がいきなり来て、死んだ君からの伝言を遺す……それが嫌なんだと思うよ。これまでにも、似たようなことは何度もあったね。仕方ないんだよ」

 落ち込む晴一に、優しく語りかける貴史。そう、人の命は安いものだ。ちょっとした弾みで、呆気なく人は死んでしまう。

 だが、どんな形であれ……人が死ねば、涙を流す誰かがいる。

 これが映画やドラマであるなら、晴一の死は、その他大勢のキャラの一人が死んだという扱いなのだろう。しかし現実では、その一人の存在を、途方もなく大きく感じている人がいるのだ。貴史は、そのことをよく知っている。


「貴史、俺はもう行くよ。色々ありがとう。俺、最期にあんたに会えて、本当によかった。もっと早く、あんたに会いたかったな……出来れば、生きているうちに」

 そう言って、晴一は寂しげな笑みを浮かべた。すると、貴史は頷く。

「うん、早く旅立った方がいいかもしれないね。その状態で長く居ると、ろくなことにならないから。しまいには自分が誰かも忘れ、この世とあの世の狭間をさ迷い続けることになるかもしれないよ。そんな奴を、俺はたくさん見てきたからね」

 そう言うと、貴史は右手を差し出した。

 晴一は、その手を見つめる。

「ねえ貴史、この後、俺はどうなるのかな。どんな所に行くのかな……」

 晴一の声は、か細く震えている。そんな彼に向かい、貴史は微笑んで見せた。

「それは、俺にもわからない。ただ、どんな人間も必ず死ぬ。これに関する限り、一人の例外もないはずだよ。俺もいつかは死ぬ。それにね、死んだ後、どうなるかなんて誰にもわからないんだよ。だからさ、いっそのこと、何が待っているんだろう? ぐらいの気持ちで行くといいんじゃないかな」

 その言葉を聞いた晴一は、クスリと笑う。

「あんた、やっぱり適当な人だなあ。でも、何か気分が楽になったよ。ありがとう」

 そう言うと、晴一は貴史の手を強く握った。いつの間にか、晴一の体の震えが止まっている。

 そして、手を離した。

「貴史……本当に、ありがとう」




 翌日、あちこち痣だらけの顔で店番をする貴史。すると、店に入って来た者が二人いた。

「やあ、いらっしゃい……えっ?」

 貴史の顔がひきつった。店に入って来た二人は、園田博司と園田美佐の夫婦だったからだ。

 すると店の奥から、海斗が姿を現す。

「あんたら、いい加減にしなよ。これ以上やるなら、俺が相手になるよ」

 言うと同時に、二人の前に立つ海斗。だが、貴史が慌てて割って入る。

「海斗さん、店の中じゃマズいよ。ここは押さえて、押さえて……ね?」

 貴史はニコニコしながら、なだめにかかる。海斗は不愉快そうな表情をしながらも、大人しく引き下がった。だが、視線は二人から外さない。

「で、今日はどんな御用でしょう?」

 貴史の問いに、博司はしかめっ面で口を開く。

「あっ、あのよう……その手紙っての、見てやってもいいぞ」

「えっ?」

 貴史は一瞬、戸惑うような表情を見せたが……すぐに笑みを浮かべ、手紙を取り出す。

「うん、いいですよ。これはやっぱり、あなたたちが持っているべきですからね。晴一くんはいい子でしたよ」

 そう言って、貴史はニッコリ笑いながら、手紙を渡す。

 夫婦は並んで、手紙を読み始めた。




 父ちゃん、母ちゃんへ。

 こんなことになっちまって本当にごめん。俺も予想してなかった。初めのうちは凄い嫌な気分だったけど、やっと最近になって、俺は死んだんだってことを受け入れられた気がする。


 父ちゃん。

 母ちゃんに聞いたけど、父ちゃんは昔、凄いワルだったそうだね。暴走族の総長だったんだろ。でも俺が生まれてから、父ちゃんは大好きだったパチンコもタバコもケンカもやめて、真面目に働くようになったんだね。父ちゃんは偉いよ。けど、酒の飲み過ぎには気を付けなよ。俺も、父ちゃんみたいな男になりたかったな。


 母ちゃん。

 俺を産んでくれて、ありがとう。そして、今まで父ちゃんと俺の面倒を見てくれて感謝してる。父ちゃんに聞いたけど、昔の母ちゃん、凄い美人だったんだってね。あ、今も美人だけどさ。母ちゃんと出会ったから、父ちゃんは暴走族をやめたんだろ。母ちゃんも凄いな。俺、大きくなったら、母ちゃんみたいな人と結婚したかった。


 父ちゃん、母ちゃん。親孝行できなくて、ごめん。お願いだから、俺の分まで長生きしてね。そして、父ちゃんと母ちゃんがちゃんと笑っていられるように、天国から祈ってるよ。

 さようなら、大好きな父ちゃんと母ちゃん。今まで本当にありがとう。


 晴一より 




 ・・・


 刑事の堤俊彦ツツミ トシヒコは、ひとけの無い潰れた病院の跡地を歩いていた。時刻は、もうすぐ午前二時である。百九十センチで百キロの巨体は、廃墟と化した病院の中でも目立っていた。

 やがて堤は足を止め、あたりを見回す。すると、一人の男が姿を現した。ワイシャツに黒いベストに蝶ネクタイという、実にふざけた服装である。

「やあ堤さん、来てくれて助かったよ。でないと、あんたの家に押しかけるところだったからね」

「てめえ誰だ? こいつはどういう意味なんだよ?」

 便箋をヒラヒラさせながら、堤は男を睨み付ける。そう、昨日の朝、堤の家のポストに手紙が入っていたのだ。あんたのやったことを知っているぞ、バラされたくなければ午前二時に病院の跡地に来い……という文章と、この廃墟の地図が書かれたものが。

 怒りを露にする堤に、男は笑みを浮かべて頭を下げた。

「俺は、この辺で奇怪堂って店を経営してる真島貴史という者です。堤さん、あなたも酷い人ですね」

「何だと……どういう意味だ?」

 ドスの利いた声で尋ねる堤。彼の手は、ベルトに装着したものに伸びていた。

 だが、貴史は怯む素振りを見せずに答える。

「あなたには、幼い男の子を愛でる趣味がありました。園田晴一くんを強姦した後、水に沈めて殺しましたね。その後、刑事としての経験をフル活用し、事故に見せかけた……本当に酷いですね。あなたは人間のクズです」

 その言葉を聞いた瞬間、堤の顔は怒りで歪んだ。

「おい、てめえ……勝手なことを抜かしてるがな、証拠はあるのか?」

「証拠? そんなもの無いね。だいたい、俺に証拠なんか必要ないんだよ。俺の目は死者の姿を見ることが出来る。俺の耳は、死者の声を聞くことが出来る。死者は、真実しか伝えないんだ……あんたみたいなクズと違ってね」

 静かな表情で、貴史は言った。すると、堤はニヤリと笑う。

「証拠が無いんだったら、意味ないな。俺をどうすることも出来ねえよ」

「うん、日本の法ではね。でも、俺は法なんか関係ないんだよ。あんたのせいで一人の人間が死に、そして涙を流した人たちがいた。だから、あんたはその責任を取らなきゃならない」

 貴史の口調は淡々としていた。堤を恐れている素振りはない。

「そうか。だったら、どう責任を取らせるんだ?」

 言いながら、拳銃を抜いた堤。証拠が無いとはいえ、自分の裏の顔を知ってしまった人間には死んでもらうしかない。

 貴史を睨みながら、拳銃を構える堤。この拳銃は以前、暴力団の事務所から密かに押収したものだ。使っても足は付かない。いざという時のために用意しておいたが、まさか、こんなに早く使う時が来るとは。

 すると、貴史は呆れたように首を振った。

「俺まで殺す気かい……あんた、とことんクズだな。けど、俺は暴力は嫌いだから。あんたの相手は、海斗さんに任せるよ」

 その言葉の直後、堤の背後に現れた者がいた。その気配を感じ、堤は慌てて振り返る。

「て、てめえ!」

 怒鳴ると同時に、堤は拳銃を撃った――

 弾丸は、背後に立っていた海斗の額を貫く。そのまま海斗は即死……のはずだった。

 しかし、海斗は平然としている。さらに彼の額から、潰れた弾丸がポロリと落ちた。

 唖然とする堤の目の前で、一瞬にして癒えていく海斗の傷――

「あいにくだったな。俺はロケットランチャーで撃たれても死ねないんだよ」

 自嘲気味に言ってのける海斗。その瞳は紅く光り、口には鋭い犬歯が伸びている……。

「地獄へ行っても忘れるな……人を殺せば、そいつも殺されるんだよ」

 言うと同時に、海斗は手を伸ばして堤の襟首を掴んだ。そのまま、強引に歩き出す。

 堤は必死でもがいた。彼は百キロの体格であり、しかも柔道二段である。だが、海斗の腕力は異常であった。片手で堤の巨体を軽々と引きずり、廃墟の中に入って行く。

 そして、階段を昇り始めた。


 屋上に着くと、海斗はいったん立ち止まった。堤をじっと見下ろす。

 一方の堤は、恐怖のあまり動くことすら出来なかった。彼はようやく理解したのだ。目の前にいるのは人間ではない。自分の理解を超えた存在だ。抵抗など、しても無駄である。相手の意思に従うしかない。

「あんた、ツイてるぜ。あんたの罪を公にせず、飛び降り自殺ってことで終わらせてやるんだからな。おら、行け」

 そう言うと、海斗は堤の体を片手で引き上げる。

 次の瞬間、地面めがけて放り投げた。




「海斗さん、手伝ってくれてありがと」

 足元に転がっている堤の死体を見ながら、呟くように言った貴史。すると、海斗も口を開いた。

「なあ、これでいいのか? 誰も真実を知らないままで――」

「これでいいんだよ。知らなくていい真実もある。晴一は事故死した……それでいいじゃない。これ以上、あの夫婦を悲しませる必要はないよ。少なくとも、晴一はそんなこと望まないと思う」

 静かではあるが、はっきりした口調で貴史は言った。そう、自分の息子が幼児性愛者に乱暴された挙げ句に殺された……そんな残酷な真実など、知る必要がないのだ。

「そうかい。相変わらず、ヘドが出るくらい甘い奴だな。まあ好きにしろ」

 吐き捨てるような口調で言ってのけ、立ち去ろうとした海斗。だが、貴史はその背中に声をかける。

「ねえ、海斗さんならどうしてた? 全てを白日の下に晒してた?」

 すると、海斗は立ち止まった。振り返りもせずに答える。

「バカ野郎。俺なら、初めからこんな面倒事に関わってない。それに……お前が正解だと思ってるなら、それでいいんじゃないか。俺たちは神でも悪魔でもないんだ。自分に出来ることをやるだけさ」






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